強まる排斥志向

チョウア通り東入

 王宮を出る。王室御用達の寝具や宝石の高級店が並ぶ。その向こうには、宮を守るように、王直属の騎士たちの邸宅が並んでいた。王の交代により邸宅の主も一部分は入れ替わるが、歴代の王に仕える重臣の家系もある。当然、建て直されることのない彼らの邸宅は王に匹敵するほど豪勢を極めていた。王族が、護衛付きとはいえ生身の身体を晒して歩くのはせいぜいここまでだった。


 裕福な商人や学者の邸宅になると、少し屋敷が小さくなる。この国では王を頂点として王族や騎士が身分の上位にいる。商人たちは彼ら上位の身分の屋敷より豪華な屋敷を作らないことで、王家に対する忠誠を表していた。――とはいえ、王に雇われている立場でもない商人たちのなによりの主は「利益」である。この地区を歩くときは王族は既に牛車のなかだった。


 その地域も抜け、至って平均的な庶民の住む土地も抜け、先代の王に「足元の辺境」と呼ばせるに至った土地に至ると、そこは雑多なバラック、つまりは掘っ立て小屋が並ぶ治安の悪い地区になる。その地区に至る一つ前の区画に、彼は店を構えていた。


 工作員というものは、いつもいつも人目を避けて行動し武器を懐に忍ばせているわけではない。一般人の想像するような肉弾戦を繰り広げるのはまれで、むしろ工作員がそれを始めては工作員の意味がないと言えるだろう。彼らは人目につかず人に紛れていなければいけない。


 どの国も隣国の内情を探るべく工作員を潜り込ませているが、その多くは有事に備えて長い時間をかけ国民のなかに交じり、一目ではそれと区別できない。それどころか本職の国民よりも国民らしく、言葉遣いや仕草、好みまで国民に似せていく。行動の大半は普通の生活に当てられ、情報伝達は同じく普通の国民に擬態している工作員を介して行われる。


 王宮の内情を探れとの指令を今しがた受けた工作員ワサは、二十年この国に住み続けた初老の男だった。


 彼は早速行動を開始した。飲食店が多数立ち並ぶ、地区のメインストリート、チョウア通を少し入ったところの青果店の店主である彼は、馴染みの客にポロリと愚痴を漏らした。


「旦那、まいどあり。しかし王国も物騒になってきたねぇ。最近じゃ第二王子様の奥さんが殺されかけたようじゃないか」


 こんな風に世間話をしては、まさか話し相手がスパイだとは思わないものである。案の定、あいよッと買い上げた果物を手にとった男も、全くだとうなずいた。


「こっちの商売もあがったりだよ。ただでさえ移民を受け入れすぎたこの国は治安が悪そうだと風評が酷いのに、実際に高貴な方々でデスマッチやられたらたまったもんじゃない。次の週末も予約はゼロだ。再来週に仕事で仕方なく来るっていう他国の方の予約があるが、いつ消されるか知ったもんじゃない」


 この客の生業は、祖父の代から続く旅館の経営である。このところ資金繰りが厳しく、宿泊費を値上げせざるを得なかったらしい。それでも資金は足りず、大切にしまってきた母親の形見の上質な布を質屋に入れたばかりだと彼は嘆いた。


「旦那も大変だねぇ。旦那の店がそんなに閑古鳥なのになぜか儲かってる店なんぞあるもんかねぇ。あれば潰したくならぁよ」


 店主の何気ない言葉に込められた誘導に、一般人である旅館の主はこともなく乗った。


「その件なら真面目にぶっ潰してぇ店がある。なんでやつらだけ儲かってんだか訳がわからん。きっとズルをしてるに違いないわ」


「旦那、声が高いよ。その店のもんに見つかったらどうするんだ」


 眉をひそめて言うワサだが、それこそが求めていた情報だ。焦らず逆に制してみるのがミソである。客は声こそ小さくしたが、導火線に火が灯ってしまったのか話は止まらない。むしろ抑圧された感情は情報を凝縮して肝心な箇所だけを男に呟かせてくれる。


「大丈夫だよ、ここらの旅館じゃねぇ。ずっと南の、よりによって治安の悪いところにある外資系の旅館さ。他所の国の金で王国民が使役されるなんてそれだけで気分がわりぃ」


 汚く唾を吐く男に適当に相づちを打ちながら、ワサは頭のなかに仮想的に本棚をしつらえる。そのなかの最重要を表す一番上の棚に客との会話が逐次放り込まれる。訓練により身につけた情報整理術だ。


 それにしても、この男の典型的な”王国民”に過ぎなかったのだな、ワサは心の中で嗤った。貿易で利益を得ていながら、王国の価値観に合わない者を排除するという姿勢。異国の者が多いというだけの南港を”治安の悪い”と言っているだけで大してよくわかっちゃいないということがわかる。


 彼は店の帳簿に目を落とす。


「――この男にとっては、妻の目を突いて失明させた移民のテロリストと外国の商人は同じ意味を持つのだろうな」


 その目はぞっとするほどに暗い。彼は王国民ではなく、旅館の男が煙たげに言った”他所の国”の人間そのものである。図らずも……いや図ったのだが、目の前で同族の悪口を言われた形だった。


 ワサはその日以降店を休み、販路開拓と称して南に向かった。頑張れよとワサを送り出した男に、ワサは振り返らず乱暴に手をひらつかせてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る