人知れず……

 第二王子のそれとよく似ているが、ひとつだけ決定的に違う宮殿の、ある照明が落とされた部屋の片隅に、第一王子夫人はいた。


 その屋敷は、まるでなにもかも約束されたように王都の真ん中にあり、中から外に矢をつがえる窓がなかった。


 第一王子は皇太子の宣下も得ていた。過去、皇太子となって国王になれなかった者はこの国にはいない。


 絶大な権力を握ることになる第一王子になびく者は多かった。いや、ただ王家の使い走りにされている欲のない第二王子に仕えようとする者が子にいたら親は子の将来を嘆くほどだった。次期国王を脅かす者は王家の規範により兄弟にはおらず、唯一第一王子直系ではない男性の王族が現れるとしたらあの”男を孕めない妃”にご執心の第二王子の子どもしかない。


 権勢を約束された者の屋敷のなかはまさに華やかで、第一王子サラエルの唯一の妃はさぞ豪勢を尽くし王族の暮らしを満喫しているのだろうと多くの人が羨んでいるのだろう。しかし――彼女は一人で薄暗い部屋にいた。


 発展途上の南国から嫁ぎ、強欲で権力欲のために第一王子を射止めたとされる魔性の女には到底みえないか細げな肩を震わせている対象は、今宵もこの部屋に来るだろう、国王直属の部下、陸軍総帥のシンの足音である。


 彼女は大道芸を生業とする貧しい一家の末っ子だった。幼いころから愛に飢え、客と雇い主である親に媚びるために進んで自らを偽るようになった。


 芸の道をいく兄弟たちのなかで、一番後から歩くのが彼女だった。皆ができることができず、指導役である親は業を煮やした。観客からも、出来損ない、兄弟一の劣等種と散々蔑まれた。そんなとき、興行のさなかに少々大げさにこけてみせた。それが彼女の人生を――変えてしまった。


 彼女は憐憫と同情の中毒者になった。彼女の演技は肉親すら騙し、愛情のためなら病人を演じたりもした。確かに彼女は愛を欲しがった。しかし本来の彼女は強欲ではない。彼女の生い立ちが育んだ技能が、今宵も彼女を苦しめる。


「やぁ、元気かい」


 次の王の妃にタメ口で語りかけるこの男は、なめまわすように彼女を眺める。そして騎士に似せた白い手袋をソファーに投げ捨てると、物言わぬまま彼女を組み伏せた。


 薄い布で辛うじて覆っていた胸を、ビリビリと布を引きちぎって露わにされる。ますは右胸を乱暴に掴まれ、這い上がるように顔を近づけられる。怯える妃の顔を満足そうに眺めたあと、シンは感じさせようとして、彼女の左の鎖骨を舌でツンと突いた。


「あっ……ああっ、おやめくださいッ」


 彼女はなにも感じてはいない。現に夢中になって胸を吸うシンの背の向こう側の虚空を見つめる彼女の目は冷たい。しかし、絶頂に達したと思われなければ、この凌辱は夜明けまで続く。


 彼女の身体の左側に出たシンの右手は、もう彼自身の下の衣服を脱ぎにかかっていた。それでいて彼は器用に首筋も舌でなぞってみせる。――この行為で、今までの女は堕ちたのだろう。


「アアッ」


「イイ。イイよぅ……」


 下卑た笑みをこぼす彼こそが、太子妃を隠れ蓑にした七つの大罪の一つ、強欲そのものであった。いよいよ彼のモノが組み伏せられている妃の、何もつけていない太ももの前に晒された。


 シンはその調子で彼女をいじめながら、不意に飽きたように彼女から離れ、跪くと忌々しげに彼女の太ももを噛んだ。


「痛ッ」


 思わず演技を忘れてしまう。妃は顔を青くしたが、シンは幸いなことにこちらに意識をもっていない。何かに対して、彼は怒りを持て余しているようだった。


「ちくしょう!」


 感情の起伏が激しい彼は、普段は温厚な性格で通っている。平時の宰相に相応しい人材ともっぱら評判で、国王の覚えもめでたい。そんな彼の、素顔である――


「第二王子め、勘づきやがってェ……」


 この国の仕来たりで、王位継承権は原則直系男子にしか与えられない。執政の中心である王都には第二王子以下は屋敷すら構えられず、慣例として第二王子はニニ国国境近くの宮殿に住むのが習わしだった。第二王子の背後に、歴代の第一王子の妃の母国をつけることで、第二王子を牽制する意図があったのかもしれない。


 しかし、今の皇太子妃は南国の女である。歴代の皇太子の妃を輩出してきたニニ国の貴族の女性は、皇太子となるべき第一王子ではなく、王国側の都合として第二王子に嫁がされた。一方国王の覚えめでたいシンのバックアップで皇太子の妃の座を射止めたのがこの妃だった。


 シンは権力欲からサオサーン共和国と通じ王国とニニ国の仲を攪乱させるのに一躍かった。具体的には、第二王子の屋敷の元に農夫ノンを送り込んだのが彼だった。


 その功績の変わりとして、第一王子の妃を手込めにすることの火消しを共和国に約束させた。今日のことも、共和国側の工作員が働いているおかげで露呈しないに違いない。このままいけば妃は孕む。この妃しか娶らぬ第一王子サラエルの男児は妃の子しかいない。やがてシンの血が入った第一王子の息子は王位を継ぐ、いずれは自分の子が王位を継ぐことになるはず、だったのだ。


 そう、暗愚と評されていた第二王子が陰謀を暴きつつある。第二王子宮殿に防壁を巡らしたのも、シンが二心を起こして王家を攻めたときに避難先になり、かつただちに迎撃できる「城」としてである。


『お前の目論見は全てわかっているのだ……』


 シンは第二王子ミラケルの声を幻聴した。その刹那、怒りが制御できなくなる。


「いっ……嫌ぁッ」


 ――苛立ちをぶつけるように乱暴にされ、皇太子妃としてのすべての尊厳を奪われた彼女は、もう用無しとばかりに彼女を置いて去るシンを、せめて恨めしく睨み付けた。


 彼女は王子に見初められたのであって、王子を誘惑したわけではない。しかしもう、シンの流したステレオタイプにより彼女が強欲でないただの女であることを、夫である王子すら認めてくれない。あの日々とは似ても似つかぬ冷たい目で、お前は最初からそれ目当てだったんだな、と見下されながら言われる哀しみを妃は享受した。


 妃は王子の寵愛をすでに失った。


 彼女の下着は湿りすらせぬまま、ただまぶたが湿るだけの夜明けが明日も続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る