貪るように欲しがられる

 農夫ノンが毒を塗った針をぬいぐるみに仕込んだことは瞬く間に国中に広まり、第二王子の宮殿には関係者が詰めかけた。しかし男の素性は明かされなかった。


 王子は真相を知り事件の存在を秘すべきだと考え実際そのようにしたが、なぜか「毒殺未遂」と「対象は王子の妃」という情報だけがやけに人口に膾炙する。操作された情報を掴まされた国民は、関係のない「とある北国」がノンを遣わせて妃を暗殺しようとしたと思わされている。


 ――それにしても、モグリの新聞社が厄介だった。日ごろ大物の醜聞や不祥事を並べ立てて庶民の欲求を満たしている彼らだったが、王家の情報には手を出したことはない。手を出せないはずだったのだ、少なくとも今回までは。


 ノンの遺体は王家の機関に回収され、作業にあたる者たちにバラ園は踏み倒された。王子の仲間以外で王子が屋敷に人を入れたのはそれきりだったが、優れた情報機関を持つ王家から情報が洩れるとは考えられない。それに、事件の存在も嗅ぎ付けるほどなら、犯人の素性も簡単に暴けそうなものだが、ただひたすらにそれは隠し続ける。


「妃たちの心はまだ癒えておらぬ! どうか無闇に騒がないでいただきたい」


 王子の叫びは野次馬の声に押しつぶされ、抑えようとした騒ぎは宮殿の中まで聞こえるほどに沸騰した。王家の諜報機関の情報統制の能力は、何度も言うが決して劣ってなどいない。だが、いやだからこそ、こうも王族の館で起こったことが国民に漏れるのが早いと、王家にも共和国のスパイが入り込んでいることに勘付かずにはいられない。


「ノンという男は北国の出だと聞きましたが王国は戦争を仕掛けるんですか?」


 人の気持ちなど考慮にない物好きな平民が声をあげる。彼は北国の出ではない。しかしそう取られかねないセンセーショナルな書き方をしたのは先述したモグリの新聞社である。


『隣国ニニから第二王子の妃に贈られた人形で人死にがでた?』


 そんな見出しが躍る紙切れが周辺の村に撒かれたと王子に知らせが入ったのは今朝早くのことである。王族の屋敷の上に飛行物体を飛ばすことは厳しく罰せられる罪だというのに、王子の屋敷のある西の辺境までご丁寧に気球を飛ばしてきたのである。恐れを知らないというべきか、それとも……。


「仕掛けるわけが無かろう。調査機関の発表を待て、まだ何もわからぬのに戦争など仕掛けられぬ」


「お妃が殺されかけたというのにご自身は平気なんですの?」


 兄である第一王子の使い走りで来たと思われる夫人が嫌味を言った。控えめであるが仰々しい牛車で悠々と群衆の後ろに現れては、高飛車に庶民をどかせているのが、屋敷の正面の門にある高い窓から見てもわかった。王子は苛立ちを隠せない。


「そんなわけがなかろう! 皆お帰りあれ、あなた方の好奇心に付き合えるほど暇ではないのだ」


 王子は門の横の窓から顔を引っ込め、窓はバタンと音を立てて閉められる。平民は期待外れだと文句を言い、見舞いと称して来た王家の者たちは門前払いは無礼だと憤った。誰のための見舞いというのか……。王子はぞっとするほど暗い顔で舌打ちをした。日ごろ温和な王子であるが、今回ばかりは近づく者が顔色を窺うほどだった。


 王子は真っ先にミクの元に来た。誰の声にも振り向かず広く長い廊下を大股で歩く。震える手で本をめくっていた青白い顔のミクを、今夜の王子は労わらない。


「あっ、殿下……なにを」


 王子はミクを組み伏せる。本がパタンとあっけなく床に落ち、ミクは恐ろしさに身を凍らせた。一方王子は自分のしていることもわからないと思わせるほど狼狽し、戯言のようになぜわからぬ、なぜわからぬと口走っていた。


 新しい奥方にとぬいぐるみを贈った北国とは、王子の母の祖国であり、王子の後ろ盾でもあった。王国とは昔からの付き合いであり、関係はこの百年友好を保っていた。その北国の東隣にあるのがサオサーン共和国であり、サオサーン共和国と王国が国交を正常化したのはごく最近のこと。北国と今戦争をすることは王国にとって何の利もないばかりか、ろくに産業のない北国自身にも利益はない。


 ニニ国の要人が善意で妃に贈ったぬいぐるみに、王子の屋敷の者が――サオサーンの息がかかった者が毒を塗り付けた。そうでなければ、それを持ってきて他ならぬミクに渡した王子も、それを受け取ったミクもすぐ死ななかった説明がつかない。その事実にいつまでたってもモグリの新聞社は言及しない。ヒステリックに対立を煽るだけだった。


「殿下、殿下おやめください……あっ」


 苦しい沈黙が訪れる。王子はいつぞやとは違う、乱暴なやり方でミクの言葉を封じた。


 今宵の王子には余裕がなかった。長い期間をかけて各国と深めてきた絆を絶たれかねない出来事だった。王子はなんどもミクに絶頂を経験させたが、自分は何一つ気持ちよくなれないまま、ついに朝がきてしまった。


 ――ミクは、この一夜で、子を授かってしまった。その子が、王子を更なる苦境に立たせることになる。

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