暗雲

ぬいぐるみは異国のもの

 王子はそれから三か月外交で北国に行っていた。フットワークが軽い第二王子の外交センスを王家も議会も認めざるをえないようで、王家の異端ながらちゃんと王族会議にも出席を許されている王子だったが、それゆえにと言おうか、やっかみも多く、王子は王家と議会の使い走りにされている感が否めない。しかし王子は嫌な顔一つせず公務にまい進する。


 だからか、とミクは納得した。改革を進行させるために、無駄な摩擦を避けたい。しかしそのために公務に忙殺されては本末転倒、だからこそ、側室と言う名目の優秀な部下が必要なのだと。あからさまに人材を引っこ抜けば王子に野心ありと言いがかりをつけられかねないほどに、王子の立場は揺らぎやすいものだった。


 そんな公務の合間を縫って、王子は王家や議会の比較的穏便な思想を持つ者と秘密裏に会食し、外国人学校、あるいは移民学校と呼ぶべきものの設立に尽力している。


 それというのも、外国人や発展途上国からの移民が国民と軋轢を生じるのは、ひとえに教育が彼らに足りていないからだ、というのが王子の考えだった。彼らにしっかりとした教育を受けさせ、有能な人物は責任ある職に就けるようにすることは決して外国におもねることではないし、彼らを必要以上に優遇している訳でもない。


 そこで教えるのはこの国で生きていくためのこの国の文化や風習であるし、反体制教育を行うわけでもない。モラルを身に着けた外国人は立派にこの国の役にたつだろうと王子は力説するのだが、なかなか理解されなかった。


 やはり、この国で起きた不法移民のテロが、穏便派の有識者の心にも暗い影を落としているようだった。彼らとて地元住民の信任をえて議員になった者たちであり、自分たちの生命に関わることと有権者が考える移民問題で下手に行動すると故郷に帰れなくなる。この国の移民への感情は決してよくない。


 不法移民は移民のごく一部であり、王家としても取り締まりを強化し彼らの流入を食い止めている。不法移民は移民からも、移民に対するイメージを悪くする者たちと嫌われている。だが、王国民のほとんどが、移民全体に対する恐怖感を拭いきれない。彼らにとってけもみみを持った人間は同じように見え、見分けがつかないのだ。


 ……しかし、それは王子とて同じだっただろう。けもみみの者を屋敷で働かせることに彼自身も悩んだはずだ。しかし、屋敷で働く者の半数が移民出身者である王子の屋敷は立派に機能している。


 国の政治に関わるものが、個人の感情で真理を見誤ってはならないはずだし、証拠は王子が身を挺して出し続けているのだ。だが、それでもなかなか理解されない。


 案の定、帰国した王子は疲労困憊だった。その身体を引きずるように、王家と議会に報告に行く姿はなんとも痛々しい。一瞬羽根を伸ばすことすら許さぬスケジュールを課しておいて、馬で駆けるのを蛮族の風習と彼らは嗤うのである。仲のいい妃たちを見るにつれ、女よりも男たちの園の方がよほど憎悪と嫉妬にまみれているとミクは感じた。


 ――そんな王子を、足元から掬う陰謀が近づいていた。


 やっとのことで報告を終え宮殿に帰って来た王子は、異国での土産だとミクにぬいぐるみを手渡した。有り難くミクはそれを頂戴したが、あまりぬいぐるみには興味がない性分だったからかそれを本棚に置いたままにしておき、一週間が過ぎた。


 それはまさに青天の霹靂だった。一週間後、そのぬいぐるみを掃除の際に動かしたと思われる家政婦が、本棚の前で遺体で発見された。指には針で刺したような痕があり、ぬいぐるみからは毒の塗られた裁縫針が見つかった。苦しむことなく死んだ形跡があり、毒の即効性は高いことが推測された。


 日ごろ静かな宮殿は文字通りパニックになり、日ごろ王子を補佐する住人たちですら異国や王家の思惑を勘ぐり確証を持てぬまま激昂した。そんななか、王子は何かに思い当たることがあるのか、宮殿内の敷地を、ただ一人馬で巡回していた。思いは巡り、やがて視線が一つの目標に向かって落とされる。


「……やはりお前か」


 王子の視線の先にあったはずの人の気配は夜闇に消え、王子は苦虫を噛み潰したような顔で引き返す。――王子は苦境に立たされることになってしまった。

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