遠きは近き
ミクは王子に先導されて、恐る恐る宮殿の敷地に足を踏み入れる。真っ白に塗られた壁に、ステンドグラスが輝く教会、馬場、田畑など、一つの町と言って差し支えない規模にまた圧倒され、ミクは俯いた。
俯いてしまうと否応なしに目に入るのが、継ぎ接ぎだらけの自分の服だった。膝や肘に布が当てられた、地味な色の庶民服が情けなくて、ミクは唇を噛む。すると、後ろから嫌みったらしい声が聞こえてきた。
「恭しくも、ミク様は殿下の第七夫人であらせられますから、もっと堂々としてもらわねば困りますなぁ」
第七、に妙なイントネーションをつけて、不自然に敬意を押し出してきた侍従の声にミクは涙もでようかというほど傷ついた。先ほどみせた妙な優しさは、やはり自分を見下し貶めるためのものだったかとミクは嘆息し、そして悲しんだ。
しかし、泣くわけにはいかない。こうなってしまったからには、奴隷でも召使いでも、貴人の妃などというけったいなものになろうと、歌歌いであることには変わらない、他人に涙を見せてはならぬと奥歯を強く噛み、ミクは強い眼光で前を向いた。
恐らく正式に妃となれば、あるいは顎で使われる奴隷ともなれば、この程度ではない嫌みを毎日のように言われるだろう、求婚を断れないのなら、せめて
そんなミクのことを、意外に思う人物がいた。
他ならぬ第二王子の侍従である。彼は王子の気持ちを誰よりも重んじた上で、あえて悪役に徹していたのだ。今まで王子が拾ってきた女たちも、王子の意図をある程度理解し、それを再現しようと努めてはいる。しかし、親を亡くしそれ以来一人で生きてきた故の芯の強さというものだろうか、ミクの素質には目を見はるものがあった。
侍従は表立っては主である第二王子に毛嫌いされている。だから彼は宮殿のなかに入れず、異例のことながら守衛扱いを受けていた。こうして屋敷のなかを歩けているのも、珍しく身に余ることに王子と連れ立って外出することが認められ、帰還に伴って彼の馬を牧場まで引いていく義務が生じたからだった。――そう、表向きは。
侍従は第二王子に気に入られたいあまりに、外出したら王子の追従に徹し白い者も黒と言う。そんな評判が立ったのは、ある意味この二人の努力の賜物だった。
元来第二王子だった今の第二王子の兄の死去により弟君に仕えることになった侍従を冷遇することは、今は亡き兄君への反逆、しいては王室への反逆も意味する。王国の大半の人間は王子の意図を図りかねるか、王子はおかしいのだと決めつけるだけで満足していた。
ぶらぶらと卑しいとされる獣に跨り国中のあちこちを彷徨う王子に権力欲を見出す人は少なかったから、まさか王子が本当に王家を嫌っているとは露ほどにも思わない。そして、そんな王子の腹心の部下が、冷遇されている侍従その人だとは誰も思いもよらないだろう。
ごくたまにしかない、主の屋敷に入れる一日。外を欺くために設定されたこの一瞬ともいえる時間で、腹心の部下と主はこの国の諸問題を語り合い、王子としての職責を果たすべく奔走する。そしてまた、侍従は外で王子に取り入ることができなかった哀れな部下を演じるのだ。
「殿下、このお方は、ツワモノですぞ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、侍従はそう言った。案の定何事かとミクが見てきたが、そっぽを向く。そして、この娘が王子の志を感じ取ってくれることを願うのだった。
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