とんだ玉の輿

 なにやら遠くが騒がしくなったのをミクは認めた。驚きを意味する声がざわついたのち、静寂。その事象が、段々近づいていく。厄介なことになったとミクは思い、歌を切り上げた。


「どうしたんだい?」


 彼が心配そうに言った。王族の御幸でしょうとミクは冷たく言った。ミクにとって王族は憎悪の対象でしかない。異民族の就労に制限を設けているのは王のもとにある議会だった。


「誰だろうね」


 好奇心を丸出しにして彼は言う。ミクはこりごりだった。王族の輿を目にした者は急病人でもない限り拝礼しなければいけない。早くどこか行きたい、それがミクの本心だった。かの王族やその取り巻きに目視される前に遠くに行ってしまえば、拝礼の義務は発生しないのだ。


「見に行かない? っておい」


 ムズムズと体毛がひくつく。生理的に無理とはこういうことを言うのだろう。もう無理だと思い彼の手を振り払って駆け出そうとしたとき、ミクは呼び止められた。


「その方、名はなんと申す」


 確かに王族の語りなのに、ミクは混乱する。さっき遠くに感じた騒ぎの張本人が、すぐにここに来られる訳がない。王族の使うのは輿か牛車ではなかったのか。


「無礼であるぞ、返答せよ」


 従者らしき者の甲高い男声がした。ミクは死を覚悟した。王族に無礼を働いた者は切り捨て御免の慣例法がある。


 議会で決まった法ではないのだが、この国が対外的に開かれたのは最近のことであるので、このような弱者と慣例に疎い者が不利益を被るような慣例法がまだこの国では生きている。理不尽を訴えても大概が無視されるのだ。もちろんこのことを問題視する国民もいないことはなかったが、少数派だった。


 このままではミクに拝礼をさせなかった周りの商人たちも罪に問われかねない。交易で生きている国ゆえ商人には優しい傾向があるが、それでも国々を股にかける商人にとっては一つの国で足止めされるのは厳しいに違いない。せめてミクの回りに群がる客の無実を示さねばと、ミクは振り返った。


「ご無礼大変申し訳ありません……?」


 思わず語尾が釣り上がる。見上げれば、見慣れぬ動物に颯爽と跨がる青年がいた。王族の特徴であるオッドアイが美しい。左目が青く輝いていた。


「無礼などよい。いくら位が下とはいえ、馬上からの挨拶を行う我も無礼である」


 ニヤリと口角をあげてみせ、庇ってやったとばかりに笑う青年より、ミクは動物に心を囚われた。そうか、これが「馬」か。輿か牛車に乗る王族からは、蛮族の乗り物と毛嫌いされるというあの、馬か。物好きな人だ、これで弱者に寄り添っているとか変な勘違いをしていなければいいのだが。


 母から、自分たちがかつて属していた民族の移動手段であると聞いてはいたが、ミクにとってこれが初めての邂逅だった。


「若、よりにもよってこのようなはしために心奪われたのではありますまいな」


 そしてその馬に跨がるのは、王位継承権がないからと自由奔放を貫く第2王子。


 この国では王位継承における争いを避けるため、直系の男子にしか王位継承権が認められていない。仮に男子が途絶えた場合も、王の兄弟は王になれず、その子に継承権が与えられる。


 つまり、王と皇太子の兄弟は王にはなれないのだ。――皇太子が急死してその皇太子に子がいないという場合以外は。


 それでも兄弟での争いは絶えない。王になれば絶大な権力を得られるのには変わりはなく、継承権のない王子の陣営によって暗殺が起きないとも限らないからだ。


 ある意味、この第2王子の奔放さはその王位への関心がないと宣伝しているようなもので、兄弟の争いを未然に防いでいるとも言える。あるいはそれが目的だろうか?などと考えを巡らせる。


 ――そしてその第2王子ミラケルが、このはしために何の用だろうか。


「違うなラカル。我はこの娘に既に惚れていたのだよ」


 身体が固まった。はしためでなく、娘と呼ばれた。惚れた好いたの話に戸惑わないわけではなかったが、王族は我々とは住む世界が違うのだろう。王子の優しさに久々に胸が温まる。しかしその温もりもすぐに冷たく溶けた。


「またご冗談を。若はいつも私をからかっておいでになる」


 ミクの内側に御しがたい炎が灯った。貧しい者とはいえ、自らの主が呼び止めた相手に、もうちょっと考慮などはできないのだろうか。それとも私がけもみみだからか? 同じ国民の貧しき者には、見下すにももうちょっとはマシなのではないかと勘ぐってしまう。


「して、そのはしために王子ともあろうお方がなんのご用でしょうか」


 胸のつかえが悪態となって口から出た。優しさに触れたあとの憎悪だからか、胸のなかに留め置くことができなかった。もう引き返せまいーー私は殺される。


 目くじらをたて甲高い声をさらに甲高くする従者に、ミクは息を飲んで処刑を待つ。


 しかし、第2王子ミラケルの口から出たのは、予想だにしない言葉だった。


「そなたを、后にしようと思うてな」


 ミクは、目の前が真っ暗になるのを感じた。これは、きっと何かの罰であろうと思った。


「妃……?」


「王子のお言葉に従うのなら、共にいる者の罪まで問うまい」


 そう従者に言われては、従わないわけにはいかなくなってしまった。


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