歌歌いの少女

唄うたいは歌わない

 ルミディア王国は、海に接し交易を主な収入源にする商国家である。各地から集う交易品を目当てに、大陸以外からの商人も数多く集まり、港は活気に包まれていた。


 肌の色の黒い者、布を頭に巻き付けた者、一枚の布を身体に美しく巻き付けそれを衣服とする者などが一堂に会し、あちこちで人だかりができては活発に商いの話をしているのをみるのは、旅人にとってはさながら動く絵画をみるような気分になった。


 そんな風景も見慣れて久しい歌歌いは、この人の港で歌を歌うことを楽しみにしていた。今日のために身体の調子はあげてある。


「アア……アーアー」


 軽く喉を開き、調子を確かめる。身体のコンディションの通り、今日はいい声が出そうだ。ミクは、海風の強い港での商売のために、てっぺんに金属の重りを入れた帽子を愛用していた。もちろんミクが被ることはない。地べたに置いて通行人がその帽子に銭を投げ込むのである。なにせ海沿いは風が強い。


 身体の準備が整ったので、ミクは伴奏楽器の手琴てきんと呼ばれるハープをポロポロと指で鳴らした。弦の張りも、楽器の響きも上々だった。


「おっ、歌歌いのカナリアじゃないか? 最近出てこないっていうから心配したんだぜ」


 ミクの視線の先には、ミクのパトロンともいうべき男が立っていた。心なしか心臓の鼓動が上がる。彼はミクの歌声に惚れこみ、商人として行く先々の国でミクのことを広めてくれた張本人である。そのお陰でミクがこの港で商売をするときは多くの収入が見込めた。


 とはいえ、ミクは彼の名前を知らない。ミクは彼に惚れていたが、悟られぬようそっけない態度を示す。せっかく高収入が期待できる港にたまにしか来ないのにも、理由があった。


「歌歌いは好きな時に商いができますから」


「ハハ、これは一本とられたな」


 カラカラと笑う彼は、北国の出である。ガンダーラ国とは長らく戦争状態にあり、最近になってやっと国交が正常化したチベッタ共和国の、貧しい村に生まれたらしい。


「さて、今日は何を歌ってくれるんだい?」


 客も集まったところで、ミクは歌い出した。遠い国で起こった、用心棒と王子の冒険譚をときに高らかに、ときにもの悲しく歌う人気の曲だった。彼ももちろん好んでくれている。


 本当はミクは、身分不相応な恋が実る歌を歌いたかった。でも、それはできない。同じく歌歌いだった母から入念に諭されたことだった。歌歌いは恋心を悟られてはならない。一度悟られてしまうと二度と稼げなくなる。全ての客を恋人と思って歌え、と。


 恋心に呑まれないように、彼の名を聞くこともなく、この港に留まることもない。しかし、たまには来ないと我慢ができなかった。なんとも恋心は御しがたい。


 歌が終わる。ミクはため息をついた。まだまだ修行不足ということだろうか。自分には、叶わぬ恋を押し殺したうえで芸の糧になぞできなかった。恋を示唆しない冒険活劇でも上の空になってしまうのに、これで恋の歌を歌いなどしたら商売にならない。


「ーー素晴らしい」


 目の前の彼は盛大に拍手する。それに釣られて、商売の話をしていた周りの人々もこちらの様子を窺いだした。路上で歌を歌うには、最初の掴みが大事である。最初の歌でへまをすれば、路上を不当に占拠したとして通報されかねない。どうやって観衆に受け入れてもらうかがかなめなのだが、この港では掴みまでこの人がやってくれる。


 彼はいつもミクの歌に拍手を送ってくれる。その恩をわからない人間でもなかったが、いや、それだからこそ、ミクは唇を噛んだ。今の歌は、聴く人が聴けば手を抜いたとわかる出来栄えだった。


 訓練の成果で何も考えなくても喉がメロディーを奏でてくれる。今日は自分を仕込んでくれた母に感謝するほかないな、とミクはまた嘲笑した。厳しく誇り高い母を疎ましく思ったこともあったが、そのおかげで生きているのだと。


「次はなにを歌ってくれるんだい?」


 恋の歌は歌えない。冒険活劇を歌う気にもなれなかった。その他には何も思い浮かばなかったから、自らのレパートリーの少なさを恨みながら、ミクは即興で母への感謝を歌う曲を奏でた。


遠く離れた母の身を

あなたの子は高らかに案じます

あなたを恨んだあの頃の

全ての悔いを歌います

あなたが産んだこの身体

遠く離れたこの地にて

あるべき姿追い求め

あなたの意思をはたします


 この即興の歌が、ミクの運命を変えることになった。母を思う気持ちに打たれたのは、観衆だけではなかったのだ。この歌を聞いた王族にミクは拾われ、貧しい暮らしから脱出する。一方それはパトロンの彼との長い別離の始まりでもあった……。

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