第4話 影

「……で、その先はどうなったのですか?」

 身を乗り出して、思わず小典は聞いた。先ほど自分に起こった出来事ながら、まったく桃鳥が言っているようなモノは見えなかったので、わからないことだらけだ。

「あなた、最後のところ覚えてないの?」

 桃鳥の問いかけに、小典は首を振った。

「恥ずかしながら、大の字の体勢をとったところまでは覚えてはいるのですが、その先は、曖昧なのです」

 小典が頭を掻きながら言うと、桃鳥は、真面目な顔して頷いた。

「あやかしの類いに憑かれると覚えてないことはよくあることよ」

「え?桃鳥様、あやかしの類いに憑かれたことがおありなのですか?」

「ふふん。京みたいな古い都には、人ならざる者達も多いのよ」

 黒葛家は、元公家のお家柄だと聞く。生まれた男子は、皆、元服まで、京の都で育てるしきたりなのだと前に聞いたことがあった。つまり、桃鳥も元服までは京で育ったということだ。その京で何かがあった、ということだろうか。

「それで、最後のところだったわよね」

 桃鳥は話を戻した。

「ええ」

「簡単よ。あなたの胸ぐらを掴んで前に引っ張った、それだけよ」

「そ、それだけでですか?」

「そうよ。あなたがもたもたしているから引っ張ってあげたのよ」

「では、その影針魔でしたっけ?はどうなったのですか」

 小典の言葉に桃鳥は、考え込むように黙った。そして、呟いた。

「……喰われたわ」

「え」

 桃鳥の説明は、こうであった。

 謎の声の叱咤の後、桃鳥は、小典の胸ぐらを掴んで、前に投げた。見事にきまって、小典が転がると同時に、という。

「それがただの犬じゃなくて、だったのよ」

「影でできた犬の首?」

「そうよ。まるで影絵の犬が命を得たようだったわ」

 灯明の明かりで遊ぶ影絵の遊び。両手で作った影絵のような犬の首が、ほとんど一口で影針魔を呑み込んだという。

「では、その影の犬もあやかしの類いということですか」

「あやかしの類いだとは思うけど……」

「他に気になることが?」

「ええ。謎の声の主よ」

「桃鳥様にだけ聞こえるように喋りかけてた声ですね」

 そもそもが、小典を声で誘導しろと言ったのはこの声らしいのだ。

「その声の主が何か言ったのですか?」

「〝我が黒首犬は全てを呑み込む〟と」

「我が?ということは……」

「おそらく、声の主の術がかかっているあやかしなのでしょう」

「術?!あやかしを操るような者がなぜここへ」

「さあね。そこまではわからないわ」

 小典は気が気でなくなってきた。奉行所にくせ者が侵入しているとあっては、落ち着いてられない。

「ふふん。そんなにキョロキョロしなくても大丈夫よ。声の主は、くせ者ではないわ」

「なぜわかるんです」

「本人がそう言ったからよ。〝仇なす者ではない。お主たちとは、近く相まみえることになるだろう〟とね」

「それを信じるのですか?」

「信じるしかないわね。実際、もういないし、何より助太刀してくれたことは事実だから」

 小典は、腕組みして「うーん」と唸った。何か釈然としないが確かに助太刀をしてくれたのは事実らしかった。それにしても、と小典は思った。ほんとうに影針魔なるものがいたのだろうか。小典には、まったく見えなかった。ただ、桃鳥に担がれただけということもありえる……

「桃鳥様……えっ?あ、あれ?」

 部屋の中に桃鳥はいなかった。誰もいなかった。

「と、桃鳥様?」

 辺りを見回すと桃鳥がひょっこりとふすまから首だけ出した。

「あなた、今、この桃鳥に騙されているんじゃないか、と思ってたでしょ」

「い、いえ。けっ、けっしてそのような事は」

「唇が動いていたわよ」

「あっ」

 思わず口に手を置いた小典に、桃鳥はニヤリと笑いかけた。

「罰として、わたしの分の事務仕事も任せたわ」

 桃鳥は、そう言うと、手をひらひらさせて、高笑いしつつ去っていった。

「そんな殺生な……」

 小典は肩を落とした。














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