第9話 アルドの嫌いな物
「話は戻しますが……この辺りはいつもこのような感じなのですか?」
「このようなって、害獣のことか? ――まさか。前に来たときはこの半分も遭遇してねーよ」
アルドは答えながらわずかに眉を顰める。
おそらくオーギュスト以上に、アルドは害獣の多さに驚いていた。アルドが以前この辺りに来たのは三年前だ。そのときにはもう害獣被害は深刻な問題となっていたが、それでも一日に二組程度しか遭遇しなかった。
にもかかわらず、今日はもはや片手に収まらない数の害獣に遭遇して、しかも発見と同時に周辺一帯に警報が出されるような大物にも複数遭遇していた。
オーギュストが気づいたように、護衛士でなくとも異常であると気づけてしまうほどの遭遇率だったのだ。
「そうですか……。であれば、これは迷宮神殿に向かう前に、一度コルポッド領の領主にご報告さしあげたほうがいいかもしれませんね」
オーギュストが深刻そうに目を伏せた。そのわざとらしい仕種に嫌な予感を覚え、アルドは急いで視線をそらす。
「アルド? 聞いてますか?」
「聞いてない聞いてない」
「では、ポールスに向かうといことでいいですね?」
「……よくねーよ」
どうしてそうなる、とツッコみたくなった。ポールスはここコルポッド領の領主館がある町だ。つまりオーギュストは直接領主に報告をあげに行こうと言っていた。
王国であるこの国の領主は貴族だ。行ったところで簡単に面会できるはずがないし、報告するだけなら手紙で十分だ。
「ですが、直接行くのが一番確実ですよ。次の村で手紙を託したとしても、ポールスに届けてくれる者がいつ通りかかるかもわかりませんし」
「別にいいだろ、それで。そもそも、こんだけひどけりゃ、誰かがとっくに報告してんだろ。なんで俺らがわざわざ遠回りしてまで報告しなきゃなんねーんだよ」
それがアルドが嫌がる一番の理由だった。ポールスに行くためには、進路を一度西へと変更しなくてはならない。ベースキャンプまでまっすぐ北に向かえばいいだけの現状と比べれば、それはかなりのロスだった。
アルドは早くこの仕事を終わらせたいのだ。よけいなおせっかいを焼いてる暇はなかった。
「そうです。遠回りになるのです。だからこそ、他の人に任せてはいけないのです」
先ほどまで宥めるようだったオーギュストの口調が突如として変わった。その真剣で、有無を言わせない強い口調は、たちまちアルドを不快にさせる。
「大変だからと人に押しつけるような行為は、自分自身を駄目にするものです。決してしてはなりません。それに、誰かがやっているだろうという考えは、他の人も同じように考えたとしたら、結局、誰もやらないということになりかねない。それがどんな大事を引き起こすか――考えてみてください。わかるでしょう? 何事も人任せにしてはならないのです。自分にできることは自分でやる。人々がみなそうすることで、世界は成り立って――」
「うるせぇ! 説教すんじゃねーよ」
その言葉は、勝手に口から飛び出した。
耐え切るつもりだった。どんな正論だろうがきれいごとだろうが、聞き流してやるとそうアルドは決めていた。
だが駄目だった。我慢ならなかった。並べられる無意味なきれいごとが、アルドの嫌な記憶を呼び覚ます。
「ご不快なのはわかります。ですが、出会いは尊いもの。こうしてアルドに物事の摂理を説くこと、これも私の神官としての使命なのでしょう」
込み上げる嫌悪感と強い反発。ふざけるな、何様だ、と叫びたかった。何が使命だ、と軽んじる心が強くなる。
それこそオーギュストの心が折れて、粉々になるまで徹底的に貶めてやろうと口を開きかけ――。
――冷静に意見を交わすつもりはあるのかね? ないならよしなさい。
以前アルドに、信仰と同じで人の考えも千差万別。受け入れられずとも尊重しなさい。それが他者の存在する意義なのだから、と諭した人物がいた。
子ども同士の些細な口げんかだった。それをその人物は本気で止めてくれたのだ。そのときはじめてアルドは、言葉が凶器になりうることを知った。はじめて、考え方は一つでなくてもいいのだと知った。意見を押し通すための否定と、意見交換のための否定は違うのだと知った。
説教は人に考え方を押しつけるものだ。だが、受け取る側が拒否すれば、それは単なる一つの意見でしかない。
ただの意見であるなら、アルドはそういう意見があるということを尊重する。
そう、だから、アルドがここでむきになって言葉の凶器を持ち出す必要などないのだ。オーギュストにはオーギュストの考えがある――。
アルドは深呼吸をして心を落ち着かせた。それから、できるだけ普段の調子で言葉を返す。
「どうでもいいけど、俺が神官嫌いだっつったの忘れたのかよ」
「そうでしたね。では、今後は私個人の言葉としてお伝えしましょう」
「断る」
アルドが好きなのは、「女」と「博打」と「酒」。逆に嫌いなのは「神官」に「説教」に「権力」だ。
たとえオーギュスト個人の言葉になったとしても中身は変わらない。今回は「説教」を「意見」にすり替えて耐えたが、次も耐えられるとは限らなかった。
「それで、さきほどの件ですが」
「あ?」
「ポールスに、向かっていただけますね?」
アルドはギリギリと歯ぎしりする。ここで蒸し返すあたり、アルドが同意するまで永遠と耳元でささやき続けそうな予感があった。
オーギュストを騙してベースキャンプを目指すという案もなくはないが、位置関係上、あまりにもわかりやすすぎる。西にあるはずのポールスに向かってると言いながら北に足を進めたら、いくら土地鑑のないオーギュストでもすぐに気づいてしまうだろう。
「わかった、行こう。ただし、オーギュストが俺と美女たちとの逢瀬を今後一切邪魔しねーって言うんならな」
これはオーギュストの倫理に反することだ。大いに悩めばいい――そう思ってつけた条件だったが、予想に反し、オーギュストはあっさりと決断した。
「いいでしょう。では決まりですね」
「は?」
アルドが間の抜けた声をあげてしまったのも仕方のないことだろう。優先順位があるにしても、目の届くところで度々繰り返される不快な行動を許容できるかといえば、人である以上難しい。今後、嫌悪感を抱きつづけながら旅をすることを想像すれば、二の足を踏むのが当然だだろう。
「別に、私とて女性を抱くことを全否定しているわけではないのですよ。ただ時と場合を考えていただきたいだけで。ああ、あとお相手もですか。毎回、別の女性というのはいただけませんね。それでは愛をはぐぐむこともできませんし……。おや、どうされました?」
すっとぼけた顔で平然と尋ねるオーギュスト。アルドはオーギュストの言葉に愕然としていた。
「冗談だろ……あんだけ嫌悪感全面に出しておいて」
サビアでアルドを連れ戻しに来たときのオーギュストの様子は尋常じゃなかった。抱くこと以前に、女性自体嫌いだと言われても信じてしまいそうなくらいだったというのに。
「嫌悪感ですか……アルドの思い違いでは? 男性が女性を抱かなければ、子は生まれないのですよ。それでどうしてその行為を否定できましょうか」
「あ……ああ、そう言う意味――」
「それに、私も既婚者ですしね」
「はあ!?」
アルドは掴みかかる勢いで身を乗り出した。納得しかけたところで落とされた爆弾の威力は絶大だった。
「王都に、子どもも二人いるんです。可愛いですよ」
「んだと!?」
「入り婿ですから、跡継ぎを作ることが最優先――」
「じゃねえ! 貴様、さんざん邪魔したくせに自分は、とか、ありえねぇ! ずりいぞ!」
「ですから、理解はできますと言ったでしょう」
「言ってねぇし」
「そうでしたか? それは申し訳ありません」
そんな馬鹿げたやりとりを全力でやったのち、アルドは大きく息を吐く。
胸に巣食いかけていたオーギュストに対するわだかまりは完全に消えていた。
「遅くまで話しすぎたな。そろそろ寝ろ」
「アルドは」
「村で寝る。あー、付き合いで起きてるとかふざけたこと言うなよ? それで明日の旅に響かせたりしやがったら、道の途中だろうがどこだろうが置いてくからな」
オーギュストに見張りを頼めない以上、野宿の際はアルドが徹夜するしかない。それは最初からわかっていたことだった。
「わかりました。ではありがたく休ませてもらいます。おやすみなさい」
オーギュストは寝袋にしっかりと入り直すと、たき火に背を向けて横になる。
そしてまもなく、小さな寝息が聞こえ始めた。
「神官は、嫌いだって言ってんだろ」
たき火をじっと見つめながらアルドはつぶやいた。
だが自分でも、何故そう口にしたのかはわからなかった。
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