第8話 アルドの好きな物
「くそっ。ここまでか」
アルドは無念とばかりに言葉を吐き出し、足を止めた。
周囲に広がるのはうっそうとした森。辺りは薄暗いを通り越して暗く、日没間際の様相を見せている。当初の予定では、今日中にこの先の村にたどり着けるはずだったのだが、もはや急いだところで日暮れまでに着くのは不可能だった。
「多くの害獣と遭遇してしまいましたからね。野営場所はここで?」
「だな。……ったく。野郎との野宿ほどテンションの下がるもんはねーってのに」
「気が抜けずに憂鬱だという意味でしたら同意しますよ」
先の言い合いをして以来、オーギュストの物言いに遠慮がなくなった。神官だけに汚い言葉が飛ぶことはないが、なかなかイヤミなことを口にする。
「あー言えばこう言う……」
「なにか?」
化けの皮が剥がれたと言ってしまいたいところだが、まだオーギュストは特大の猫を被っているような気がしてならない。アルドはオーギュストにジト目を向けた。
「本性出てんぞ」
「聞こえませんねえ」
「ちっ」
なんとなくこのやり取りに既視感を覚えて記憶を探れば、答えはすぐに思い当たった。それはマデューラにいたときのこと。アルドはとある人物とよくこんなやり取りをしていた。――そう、宿屋ネボスケの店主、ファブリスと。
「うっわ、気づくんじゃなかった……」
どうして自分の周りにはこう心臓に毛の生えたような人物が多いのだろうと頭を抱えたくなった。オーギュストしかり、ファブリスしかり……せめて妹君のアリアンヌだけはまっすぐたおやかに育ってほしいと思う。
などということを考えながらも、着々と野営の準備を進めていく。
ある程度の広さを確保したのち、魔除け石を配置する。害獣避けとしては気休め程度にしかならない単純な魔道具だが、ないよりはましだった。というか、虫除けとしては十分な効果を発揮する。
「このくらいで足りますか?」
「ん、ああ。オッケーだ」
周囲を行ったり来たりしていたオーギュストに頼んでいたのはたき木集めだ。アルドは積み上げられたたき木を手早く組み直し、魔法で火をつける。
そう、魔法で。火種を生み出すくらいの魔法ならアルドも使えるし、町の人たちも使えた。大体、ペンの持ち方を覚えるくらいの努力で、使えるようになるものなのだ。
ちなみに、このたき火は防寒ではなく獣避けのためのものだ。害獣たちは本能的に炎を恐れるため、魔除け石よりよほど効果があった。
そのため、ここまで終えれば、あとはもうほとんどすることはなかった。テントを張っては緊急時に動きにくくなるし、そもそも今の季節は寝袋で耐えられないほど寒くはならない。食べ物の匂いには害獣たちが非常に敏感なので、調理もできない。
「え、調理は駄目なのですか? では食事はどうしましょう」
「そのまま食べりゃいいだろ」
旅のときに持ち歩く食材は主に、干し肉や穀物の実、干し芋、ドライフルーツなどで、害獣が多くない地域であれば、干し肉と穀物をお湯に浸し、スープにして食べることが多い。
が、当然ここでそんなことをすれば、たちまち害獣が集まってくる。となれば、そのまま食べるという選択肢以外ない。
「私、干し芋はもう食べきってしまったのですが……」
「肉があんだろ、肉が」
「こ、これをそのまま、ですか……?」
石のようにカチカチになっている干し肉をみて、オーギュストは動きを止めた。アルドはそんなオーギュストを無視して干し肉をくわえる。
久しぶりの干し肉は、硬くて、しょっぱくてまずかった。
その三十分後、アルドとオーギュストは寝袋にくるまってたき火を囲んでいた。
食事を終えてしまえばもうすることはなく、あとは周囲を警戒しながら、獣避けの火を絶やさないように気をつけるくらいだ。
そしてそれはアルドの仕事なので、オーギュストは早々に寝落ちをし――てくれればいいのに、とアルドはうんざりとしていた。
「それで、アルドはどこで剣を? その年齢であれだけの害獣を倒せるのはやっぱりすごいのでしょう?」
干し肉を食べているときは噛めないと半泣きになっていたというのに、食事が終わった途端これだ。アルドはオーギュストが体を鍛えていたとは聞いていないので、体力的に、寝袋にくるまった瞬間に眠りに落ちていてもおかしくないと考えていたのだが、実際は違っていた。
「今日は本当に、千客万来でしたね。野犬の群に始まり、イノシシに、クマに、サル! ああ、ですが怖かったのはカラスかもしれません。近くで見ると大きいものですね……」
オーギュストが好奇心旺盛で隙あらば色々と質問してくることは、昨日今日で身に染みてわかっている。では、おしゃべりなのかと聞かれると、それは少し違う気がしていた。
だからだろうか。アルドはオーギュストの今の様子に不自然さを感じていた。だが、考えても思い当たる理由がなく、密かに困惑する。
「一番面倒だったのはサルだけどな。荷物取られやがって」
「荷物とひとくくりにして言わないでくださいよ、アルド。鞄の外にくくっていた水筒一つだけです」
「その一つが肝心なんじゃねーか」
マデューラからゲドヴィックまでの行程では、比較的、水の補給は難しくなかった。隣の集落には長いところでも一日半で着く上に、道を少し外れれば小川が流れている。渇きが原因で死ぬことはまずありえなかった。
だが、だからといって水が貴重じゃないわけでもない。街道を外れるということは、より害獣に遭遇しやすくなるということでもあるからだ。
「わかってますよ。取り返してくれてありがとうございました」
アルドは素早く顔をそむけた。
これだから神官はやっかいなのだ。外面を取り繕っているだけだとわかっていても、こう素直にお礼や謝罪の言葉が出てくると、文句を言っている自分のほうが悪い気になってくる。
「ところでアルド。その水筒の中身はなんですか?」
「あ?」
「それ、昼間使っていた水筒とは別のものですよね?」
嫌なところに目をつけられた。アルドは内心で舌打ちをする。
「だからなんだ」
「まさか、お酒ではないでしょうね……?」
「だったらなんだ。悪いか?」
「悪いかではありません、アルド! お酒なんて、このタイミングで害獣に襲われたらどうするんです!?」
「ったく、うるせーやつだな。これは俺の血の元。酔いやしねーよ」
するとオーギュストは絶句したようだった。唇をわななかせるが、言葉にはならない。面白がってしばらく見続けるが、すぐには復活しなかった。
まあいいかと放置して、アルドは再び酒を飲む。
オーギュストの言うことはおそらく正論なのだろう。だがアルドは、獣相手とはいえ、命のやりとりをしたのだ。飲まなきゃやっていられないという部分も少なからずあった。
――そう。これは、供養だ。
「……俺の血って……どこの酒飲みのセリフですか、あなたは」
「お、生き返った」
なんとか復活したオーギュストは、ため息混じりにそう言って肩を落とした。
噛みついてこないところから察するに、どうやら目こぼしいただけたようだ。
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