第7話 人気者はつらいもの(後編)

 


 野犬の群は倒せたが、アルドはどうにも納得がいかなかった。


 結果として役に立ったからよかったものの、なぜオーギュストはあんな大がかりの魔法を使ったのだろうか。

 いつ攻撃を受けるかもわからない戦闘中は、極力呪文の短い魔法を選ぶのが常識だ。それはよほど大規模なパーティーでもなければ限り変わらない。


「なんで……」

「はい?」


 穏やかな表情といえば聞こえはいいが、実際、アルドの目の前にあるのは能天気な顔で、死闘を果たしたばかりのアルドにはこれまた苛立たしいものだった。


 魔法の選択はもちろんだが、オーギュストの場違いな行動はそれだけではなかった。戦闘が終わった安堵からか、先程までは気にならなかったそういったことが気になり出し、アルドの鬱憤を募らせていく。

 とはいえ、まだ旅の途中。町に着くまで完全に気を抜くわけにはいかなかった。アルドは自分の感情を押し込めてオーギュストを促す。


 だが、そこでアルドはオーギュストが戦闘の初心者であることを思い出す。オーギュストは護衛士でもなければ探検家でもない、ただの神官だ。初心者相手にカリカリするのは曲がりなりにも護衛を引き受けた人間として失格だ。

 アルドは深呼吸して気持ちを落ち着けた。戦闘の心得はこの旅の間に教えていけばいい。面倒だが、今後を思えば必要なことだ。


「行くぞ」


 まずはこの場を離れることが先決と、オーギュストを促せば、オーギュストがきょとんとした。


「はい、あ、え……? 片づけないのですか?」


 オーギュストがまた無自覚にアルドの神経を逆なでする。落ち着けたはずの心が、先ほど以上に乱れた。

 前言撤回。現状を見ようとせず、きれいごとばかり言う人物に、心得など教えるだけ無駄だ。

 アルドはオーギュストと目を合わせないように背を向け、速足で歩き始めた。


「え、あ、ちょっと、ま、待ってください」


 慌ててオーギュストが追いかけてくる。それを確認して、アルドはさらに速度を上げた。

 ここには思いの外長く留まってしまっていた。一刻も早くこの場から離れなくてはならない。なぜなら、倒した害獣の血の臭いにつられ、また別の害獣が集まって来るからだ。


 そういった意味では、オーギュストの言うように野犬の死骸は片づけるべきなのだろう。だが、パーティーを組んでいる護衛士ならともかく、ほとんどソロのアルドにそんな余裕などあるはずない。片づけ始めたとしても、片づけきる前に別の害獣が現れ、やられてしまうのがオチだった。




 小一時間ほど小走りで進み、かなり離れたところで元の歩きの速度に戻す。これだけ離れれば血の臭いもしないだろう、とアルドは鼻をひくつかせ――顔をしかめた。

 返り血を浴びないように気をつけてはいたが、完全には避けられなかったようだ。鼻につく鉄の臭いが気持ち悪かった。


「ちょ、アルド、少し、休憩を……」


 振り返れば、オーギュストが息も絶え絶えといった様子になっていた。

 だが同情はしない。オーギュストが適切な魔法を選択できていれば、あそこまで戦闘は長引かなかったのだから。もし戦闘が手早く終わっていれば、アルドもここまで足を急がせなかっただろう。


「歩きながら休め」


 ちらりと振り返れば、オーギュストは見るからに絶望的な顔をした。だが、その表情がすぐに訝しげなものに変わる。


「アルド……? 何をそんなに……苛立ってるのです、か?」

「んなの、考えりゃわかんだろ」

「……すみません。その、教えていただけますか?」


 本気で思い当たらなかったらしい。どれか一つくらいは心当たるだろうと思っていたアルドは愕然とした。

 これで、これまでどうやって生きてきたのだろうか不思議になる。アルドはオーギュストが王都から来たと聞いていた。この地方ほどではなくとも、全国的に害獣は多発しているのだ。マデューラまでの道のりとて安全だったわけがない。


「あんたさ、なんで護衛士探してた?」

「なぜって……それは、ペルヴィエル遺跡群に行くためで、すが……?」


 オーギュストは、アルドも知っているでしょうと言いたげな、戸惑いの視線を向ける。知っているが、言いたいのはそういうことじゃない。


「別に行くだけなら一人でだって行けるだろ」

「まさか。こんな害獣が多発しているときに、もっと多いと言われている場所に無防備に向かうことなんてできませんよ」

「ってことはだ。オーギュストはここが護衛士が必要な危険な場所だと知っていたわけだよな? それでなんでぼーっと突っ立ってた? 野犬が見世物かなんかに見えたってか? ふざけんなよ。観光気分でなんかいられたら、こっちは命がいくつあってもたりねえっつーの」

「そのようなつもりでは」

「どんなつもりだったかは知らねーけど、危機感が足りねーっての。町の中だって安全じゃねーのに、外が安全なわけねーだろ」


 言い出すと止まらなくなった。怒りはとめどなく湧き上がる。

 隣を歩くオーギュストの様子が変わりつつあるのに気づきながらも、アルドは言葉を止められなかった。


「だいたい、なんであの状況で使う魔法があれなんだよ」

「あれは――」

「ばっかじゃねーの。だらだら呪文唱えてられる状況かよ。そんくらいわかれよ」


 アルドが言葉を吐き捨てれば、何か言いかけていたオーギュストの言葉がピタリと止まる。これ幸いにとアルドはさらに追撃した。


「しかもなに? 野犬の御霊の安寧を祈るだあ? 戦闘中だぜ? ありえねーだろ」

「……そうですね。申し訳ありませんでした」

「ああ、まだあった。死骸の処理をしないのかって? 穴を掘ったり、火をつけたりしながら、あとからくる害獣と戦わなきゃなんねーんだぞ。できるかよ」

「そうですね。申し訳ありませんでした」

「――あ?」


 ひとまず言いたいことを言い切って、そこでようやくアルドはオーギュストの異変と向かい合う。

 最初はひどく申し訳なさそうな様子だったはずだ。それが今は表情を無にしていた。


「オーギュスト?」

「いえ、誠に申し訳ございませんでした」


 とてもではないが、申し訳ないと思っているような口調ではなかった。アルドは眉を跳ね上げる。


「なんだよその言い方。とりあえず謝っておけきゃいいって話じゃねーことくらいわかんだろ……」


 オーギュストは道の先を見据えたままで、アルドとは視線を合わせなかった。その様子からオーギュストの機嫌を損ねたらしいとアルドは察するが――意味がわからなかった。

 そもそもこの話題を振ってきたのはオーギュストだ。それなのになぜアルドがオーギュストにこんな態度を取られなくてはならないのだろうか。


「おい、なんとか言えよ」

「……別に、謝って終わらせようとしたわけではありません。私に危機感が足りていなかったことはもう、わかってます。だから申し訳ありませんと言ったのです」


 口をわななかせながら答えるオーギュストは、必死に怒りを堪えているようだった。

 だが怒っているのはこっちだと、アルドは言いたかった。アルドは言葉の代わりに冷めた目でオーギュストを見返す。


「ならいい」


 オーギュストの足がぴたりと止まった。まだなにかあるのかと、アルドはわざとらしくため息をついて振り返る。


「あのなぁ」

「ならいい、ですか。あなたは自分が――」


 俯きがちのオーギュストの声は低い。そして上げられたオーギュストの視線とアルドの視線がかち合った途端、オーギュストはピタリと言葉を切った。


「……いえ、なんでもありません。余計なことを申しました」

「んだよ。言いてえことあんならはっきり言えよ」

「いえ、なにも」

「言え」


 きつく迫ってやっと、オーギュストが口を開く。


「あなたは自分にも非があるかもしれないとは思われないのですか?」

「あ?」

「黒衣神官としては言うべきではないのでしょうが……決めつけられるのは、不快です」

「決めつける? ってなにを?」

「私が好んであのような、時間のかかる魔法を使ったということを、です」

「は? だって魔法を使ったのはあんただろ? 好んで使ったんじゃなきゃなんなんだよ」

「それしかなかったのです。大がかりであろうが、なかろうが、最低限あの長さの呪文が必要だったんです。私には他に選択肢なんてなかった」


 アルドは絶句する。なに馬鹿なことをと一笑したかったが、オーギュストは至って真面目な顔で言っていた。


「神官が使う神聖魔法は、神の起こした奇跡の一部を切り取って具現化するものです。神の奇跡自体が大がかりなものですから、一部だけといっても大がかりになってしまうのは仕方ありません。そもそも神聖魔法は護衛士たちが使う魔法とは別物です。神の偉業を知るための儀式を、神の許しを得て魔法として使わせていただいているだけなのです。根本的に違うものですから、同じようにできるはずがないのです」


 神官が回復魔法を使うことは多くの人々に知られている。町に住む人たちは、怪我や病気をするたびに頻繁に神殿に通い、神官に治療してもらっていた。

 その一方で、護衛士などの戦闘職の人々は、仲間うちの魔法使いに治してもらうことが多い。ゆえに、神聖魔法を目にしたことがない護衛士や探検家は少なくなかった。


 アルドもその口だ。だから呪文があんなに長いことも知らなかったし、それ以外の選択肢がないことも知らなかった。知ろうともしなかった。


「あー……」


 居心地の悪さにむずむずとする。決めつけてかかったつもりはなかったが、結果として決めつけたことになってしまったのだ。

 自分が非を認めたのだからアルドにも非を認めてほしい、そうオーギュストが思うのも納得だった。


「悪かった」

「いえ。私もむきになってしまい申し訳ありませんでした」


 頷いたオーギュストの顔に柔らかな笑みが戻った。





 そうして和解し、再び歩き出したアルドだったが、アルドには色々と気になる点があった。


「呪文が長くなるってのはわかったが、それじゃあ戦えねーんじゃねーの?」

「そうですね。ですから周囲には、神官は基本的に非戦闘職ですとお伝えしてますね」

「非戦闘職、ね……」


 つぶやきに、わずかに心の内が漏れる。それをオーギュストは耳聡く拾った。


「今、なにか含みがあるように聞こえたのですが」

「あー、いや、オーギュストに向けたもんじゃねーよ。ただ……このご時世に、非戦闘職って言って憚らないやつらの気がしれねーなって思っただけ、で……」


 言ってすぐに気づく。オーギュストに向けて言ったつもりではなかったが、これにはオーギュストも含まれているのではないだろうか。

 気まずげにオーギュストを窺うが、オーギュストは顔色一つ変えることはなかった。むしろ興味深げにアルドを見る。


「もしや、アルドは神官が嫌いなのですか?」


 アルドは思わず顔を引きつらせた。今の流れからどうしてそういう結論に至るのかと信じられない気持ちになる反面、言い当てたオーギュストに賛辞を贈りたい気持ちになる。

 そしてそんな反応をしたあとに取り繕っても仕方ないということで、アルドは開き直って答えた。


「ああ、嫌いだね。薄っぺらい笑顔を張りつけて、いい人ぶって説教を垂れる極悪人の集団だろ? そんなやつら、誰が好きになるかっての。クソくらえだ」

「そうですか。それは……私たちの力が及ばず申し訳ありません」

「おい、なに平然と受け取ってやがる」

「人の考えを変えるのは難しいことですから」


 アルドはまたしても絶句した。オーギュストにはペースを崩されてばかりだ。


 などと考えている間に、また茂みがガサリと音を立てた。新たな害獣の登場だ。

 もう少し休みたかったというのが正直なところだが、相手は害獣。こちらの都合を汲んではくれない。

 アルドは素早く剣を引き抜く。


「ったく、次から次へと……人気者は辛いぜ」


 

 

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