第6話 人気者はつらいもの(前編)

 


「っと、お出ましだな」


 アルドは素早く剣を抜き、構える。

 茂みを揺らす音がして飛び出してきたのは、だらしなく舌を伸ばした野犬の群だった。その数、ざっと十匹。群としては平均的な数だが、アルド一人で相対するにはかなり多い。アルドの背に緊張が奔った。


「大きい……」


 そう言ったのはオーギュスト。その声だけでも呆然としているのが手に取るようにわかり、アルドは舌打ちした。

 野犬はアルドの胸くらいの位置に頭がある大型のもので、オーギュストが驚いたのも頷ける。だが――。


「ぼけっとすんじゃねえ! 死ぬぞ!」


 アルドは野犬から目を離さず注意した。

 害獣の多くは人の味を覚えていて、やつらにとって人間はご馳走だ。こちらがやらねばやられる。呆けている場合ではなかった。


 ここまでの道中、本格的な戦闘がなかったのがいけなかったのかもしれない。まったく害獣と遭遇しなかったわけではないが、現れたのはどれも小型で、しかも単体。そのせいで、オーギュストの危機感が薄くなってしまっているのだろう。


 だがそれではいけなかった。今回は二人――いや、実質、アルド一人に対して大型の野犬十匹という、非常に危機的な状況だ。それこそアルドがごく一般的な護衛士であったなら、生存確率は一桁といっても過言ではなかった。


「ですが、守ってくれるのでしょう?」

「守られる努力もできねーやつを――守れるかっ、て、の!」


 言いながらザシュッと野犬の首を切り飛ばす。


 一匹目が動いたあとは早かった。息をつく間もなく別の野犬が襲いかかってくる。

 同時に動いたのは三匹。アルドは左手で、腰につけていた道具袋から小石を取り出し、立て続けに三つ、指で弾き飛ばす。

 一匹は急所である眉間に当たり失速し、もう一匹は胴で受けるが、驚いたのか動きが止まる。もう一匹は当たったはずだがそのまま突撃してきたため、アルドは再び剣を一閃させ――そして続けざまに小石を投げ、残っている野犬を牽制する。


 無茶な体制での投石は足に大きな負荷をかけた。アルドはわずかに顔をしかめる。だが、そうしないわけにもいかなかったのだ。最後に牽制した一匹はオーギュストに向かって飛び掛かる寸前だったのだから。


「突っ立んてんじゃねーよ、馬鹿が!」


 苛立ち任せにアルドは叫んだ。一緒にいるのが多少なりとも戦える人であれば、攻めにも出られるが、オーギュストの場合はそうもいかない。戦えない神官を置き去りにして群に突っ込むわけにもいかなかった。


「神官、そうか! あんた魔法使えただろ! 魔法だ魔法。魔法を使え!」


 神官には神官だけが使える魔法、神聖魔法があった。「白衣」の見習いや「灰衣」神官ならば未習得の可能性もあるが、「黒衣」神官であるオーギュストが使えないわけがない。

 下手に動かれても迷惑だが、こうなると黒を纏う神官が棒立ちというのは腹立たしくなってくる。このあたりで神官らしさを見せてもらおうじゃないかとアルドは思った。


「ええ、使えますが……ご期待には添えないと思いますよ」


 オーギュストは気の進まない様子だった。それでも躊躇いがちに呪文を唱え始める――のだが。


「なげーよ!」


 思わずアルドはツッコんだ。呪文だと思ったそれは、おそらく聖句――を多分に織り交ぜた祈祷の言葉で、おそらく終わるまでに余裕で数分はかかるだろうと思われた。すばしっこく数の多い野犬を相手にするには考えるまでもなく不向きだ。


「ちっ。仕方ねーか」


 オーギュストの魔法はあてにならないとあきらめ、アルドは引き続き、小石で野犬を足止めしながら一体ずつ仕留めていくことにした。

 数は六匹にまで減った。小石で一斉に襲いかかられないようにしているが、果たしていつまで持つか。小石が脅威ではないと認識された瞬間、おそらくこの命は尽きるだろう。



 そして、ここからが長かった。アルドは無言で野犬と睨み合う。

 オーギュストが無防備になっている今、アルドは先ほど以上に自由に動けない。ゆえにアルドとしてはかかってきてほしいところだった。もちろん一斉に来られたら困るので一匹ずつを希望だ。


 だが、野犬も馬鹿ではないということだろう。仲間が何匹もやられたためか、考えなしに飛び込んで来るものはいなかった。どの野犬もいつでも飛びかかれる低い体勢で構えているが、じっとアルドの様子を窺っている。


 アルドはすり足で回転しながら、油断なく目を配った。それでもどうしても視界から外れてしまう野犬が出てくる。動く気配は察知できるようにしているが、そのためにかなりの集中力を使っているため、この状況が長時間続くのはまずかった。


 互いの緊張が高まる。しびれを切らすのはどちらが先か――。


 ――動いた!


 先に動いたのは野犬のほう。反射的にアルドは地面を蹴りあげた。蹴った土が飛び散るのを確認する前に、体を反転させ剣を振るう。

 だが、剣に抵抗感はなく、すぐに空を切ったとわかる。そのままの回転の勢いに乗って正面を確認すれば、顔面から土を被った野犬たちが、ひどく不機嫌そうに唸り声をあげていた。


 顔を汗が伝う。激しい動きの繰り返しで、体は熱いのに、背筋は冷たい。

 今の攻防を簡潔に表すなら、前後からの挟撃を間一髪でそらした、といったところか。せっかくの動きだったのに、一匹も倒せなかったのが痛い。


 アルドと野犬は再び膠着状態に戻るが、その間もオーギュストは呪文を紡ぎ続けていた。

 アルドはオーギュストに魔法を使えと言ったことを後悔していた。やはりアルドが一歩前に出る瞬間だけでもオーギュストには自衛してほしかった。


「おい、もういい――」

「――であった。荒ぶるは海のみにあらず。混沌を前に、彼の貴き御方は奇跡を起こす――聖蹟発現イリュージョン


 アルドがやめさせようと口を開いたちょうどそのとき、オーギュストは呪文を唱え終わった。

 その直後、アルドの視界が大きく歪む。水面に映る景色を見たときのように揺らぎ――だが、それだけだった。アルドは戸惑いながらオーギュストを横目で窺う。


「なにしやがっ……た」


 尋ねるさなか、アルドは気づいた。臨戦態勢だった野犬たちの間に、動揺のようなものが広がっている。臨戦状態を解いてふらふらと動くもの、なにかを探すように視線を巡らせるもの、鼻をひくつかせるもの。先ほどまでと様子が違うことは一目瞭然だった。


「幻覚――いえ、認識阻害でしょうか。ぼんやりとしか私たちを認識できないようにしています。視覚だけではなく嗅覚や聴覚も狂わせているので、動揺しているのでしょう」

「はあ? なんだよ、その大がかりな魔法……」


 すべての野犬に効果を及ぼしているということは、広範囲に影響を与える魔法であるということで、そういった魔法は複雑で呪文が長くなるのはもちろんのこと、発動のための魔力が大量に必要となる。アルドが大がかりと言ったのはそれゆえだった。


「この馬鹿がっ」

「時間はあまり持ちませんのでお早目にお願いします。その間、私は野犬たちの御霊の安寧を祈りま――」

「黙れ」


 無防備に祈りの姿勢をとろうとしたオーギュストを怒鳴りつけ、同時に地を蹴る。


 認識阻害がかかっているのであれば先程よりは安全だろうが、何事にも絶対ということはない。油断大敵だった。


 アルドは警戒しながら野犬に近づき、剣を振り下ろす。野犬がこちらに気づく。だが、そのときにはもう避けられる位置ではなく、あっさりと凶刃に倒れた。

 アルドはすかさず次の獲物へと近づき、一匹、また一匹と屠り――さほど時間かけることなくすべての野犬を倒した。


 

 

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