第5話 生真面目な青年は心を秘めて

 


 宿の廊下でアルドと別れ、客室に入ったオーギュストは大きくため息をついた。

 アルドはあまりにも軽薄で、自由奔放で、態度にこそ出さなかったが、見ているだけでストレスが溜まった。


「あんなのが四武人だなんて」


 実はオーギュストは、アルドが四武人であることに気づいていた。宿屋ネボスケで話したときは、「同じ名前の」とあたかも知らないかのように言っていたが、それは演技だ。

 オーギュストは、そこにいるアルドが四武人とわかった上で、宿屋ネボスケを訪ね、依頼を持ちかけたのだ。


 その点に関してのみ言うのであれば、思いのほかうまくいったといえるだろう。正直なところ、会えるかどうかさえ怪しかったのだ。アルドは三年前に消息を絶ち、以来その居所は、噂として耳にすることさえなかったのだから。


 だが噂にならなかった理由も、実際にアルドを目にして納得した。アルドはオーギュストが想像していたよりはるかに若かったのだ。それこそ、オーギュストが自分の目を疑ってしまうほどに。

 オーギュストとて、アルドが若いということは知っていた。ただ、アルドが四武人になった当時、公表されていたのは、彼が十代の少年であるということだけだった。その当時というのが九年前のこと。つまり、まだ三十歳になっていないということだけはわかっていたのだが――。


 聞けば、アルドはまだ二十一歳だという。

 ばかな、と思った。それではアルドは四武人になったそのとき、十二歳だったということになってしまう。だから、とっさにこの青年は四武人のアルドではないと思った。


 だが、そう思ったのも一瞬だけで、すぐに青年が四武人であるという事実を受け入れることになる。なぜなら、ドアを開けたアルドが上半身を晒していて、その体つきが武人のそれだったからだ。

 やみくもに鍛えただけでは絶対に作れない肉体美。無駄な脂肪どころか、無駄な筋肉すら一切ない、引き締まった体躯。素人目にもわかるのだから相当なものだろう。

 その体こそ、四武人であることの証のように思えた。


 だからこそ、あの性格が腹立たしい。

 どうして目を離すと女性を追いかけているのか。どうして気づくと片手に酒瓶が握られているのか。果てには自分は賭博師だなど言い出して、怠けようとする。

 神官としてはそれを窘めないわけにはいかなかった。だが、それが毎度のこととなると、オーギュストとしてもきついものがある。


「……四武人に常識や倫理観を求めるこちらがいけないのか」


 まだアルドと知り合って間もないが、アルドに対して「真面目になれ」と言うのは不毛な気がし始めていた。


 そもそも四武人なるものは武力の優劣、強さのみに依存するものだ。そこに人格の善し悪しは考慮されていない。

 しかも、他の四武人たちが「豪腕」「超人」「覇王」などの二つ名を持つ中、アルドにつけられた二つ名は「自由人」。それだけで、アルドの異端さがわかるというものだ。どうして武を極めたはずの四武人の二つ名が、自由人などという武と無関係なものになるのだろうか。もはや謎でしかなかった。



「……忘れよう。余計なことを考えてしまうのは――おそらく旅の疲れのせい、でしょう」


 ベッド一つで満杯の小さな客室で、オーギュストは躊躇いがちにベッドに腰を下ろす――と、ちょうどそのとき、ドアが叩かれた。


「はい」

「あー、俺、俺」


 アルドだ。まだ別れて数分しかたっていない。オーギュストは首を傾げながらドアを開けた。


「どうしました? 何かありまし――」

「あ、オーギュスト。これ。この荷物よろしく」


 そう言ってアルドは寝袋などの入った大きな背負い鞄をドスンと入り口に置く。


「ええと、お預かりしておけばいいのでしょうか? それはつまり、どこかに行かれるということで?」


 客室はどこも鍵がついているが、必ずしも安全とは言えない。宿の主人も合鍵を持っているし、ひどいところでは、盗賊に合鍵を売り渡していたりもする。そのため、下手に留守の部屋に荷物を置きっぱなしにするとあっという間に盗まれてしまうのだ。ゆえに、どこかに出かける際は仲間に預けておくというのが常識となっていた。

 余談だが、オーギュストは王都からマデューラに着くまでの間に二度ほど盗まれている。だからなおさらアルドの行動の意味がわかるのだが。


「そそ。ちょっと買い物にな。んじゃ、頼んだ」

「え、あ、ちょっと! ちょっと、お待ちなさい」


 慌てて袖を掴んで引き止める。

 危なかった。あと一秒でも反応が遅れたら掴みそびれていたに違いない。


「んだよ」


 不機嫌そうなアルド。だが、なんだよと言いたいのはオーギュストのほうだった。


「どこに行くのです? まだ仕事中ではありませんか? こんな私でも雇い主です。その雇い主に行き先すら言わず行くのですか?」

「どこだっていいだろ。仕事中ったって、どうせあとは飯食って寝るだけなんだから」

「そうかもしれませんが……どうかそんな冷たいことをおっしゃらないでください。共に旅をする仲でしょう?」


 いつもであれば、泣いてすがるところだが、ここには生憎ギャラリーがいない。ギャラリーがいないと効果は一気に半減してしまう。オーギュストは心の中で舌打ちしながら、なんとか引き止められる言葉がないか探した。


 もしアルドが真面目で信用のおける人物であったら、オーギュストもここで引き止めるようなことはしなかっただろう。だが、嫌々依頼を引き受けたアルドの場合、その性格とも相まって、オーギュストの目が届かなくなった途端、勝手にいなくなってしまう恐れがあった。

 オーギュストの目的のためには、アルドの存在は欠かせない。やっとの思いで見つけたアルドを、オーギュストは手放すつもりはなかった。


「では私も――」

「はあ? なんで町に着いてまであんたと行動しなきゃいけねーんだよ。てか、二人で行ったら荷物置いてけねーだろ。たりぃよ」

「護衛なのですから、一緒に行動するのはおかしなことではないでしょう?」

「そもそも町ん中でまで護衛するなんて聞いてねーし。町出たらちゃんと働くさ。だから好きにさせろよ」


 どうやらアルドの決意はかなり固いらしい。アルドがその気になれば、オーギュストの手を振り払うことなど造作もないことだろう。


「本当に、買い物をしてくるだけですね?」

「そう言ってんだろ」

「……わかりました。ですが、これきりにしてください」

「わかったわかった。んじゃ、よろしく」


 すでにもう日暮れ時で、店仕舞いの時刻だ。心配せずともすぐに戻ってくるだろう。だから今回はオーギュストが折れることにして、しぶしぶアルドを送り出した。






 ――が、それが間違いだった。


 アルドは夜になっても戻らなかった。

 なにかあったのだろうか。それとも依頼を放棄して逃げたのだろうか。そんな心配と苛立ちに苛まれながら、オーギュストはアルドの部屋の前を行ったり来たりしながら待つ。

 だが、しばらくそうして待ち続けるも帰って来ず、とうとう待ちきれなくなって、入り口近くのカウンターに立つ店主の元を訪ねた。


「店主」

「おお、神官のにーちゃん。どうした」

「少しばかり困っていまして。もう夜だというのに私の連れがまだ戻ってこないのです。どうしたらいいのでしょう」


 心配で心配で仕方ないといった様子を見せながら、オーギュストは店主に声をかけた。


「あ? あー……護衛士のにーちゃんなら、部屋をキャンセルして出てったぞ?」

「え……ええっ!? それは、あの、別の宿に移ったということでしょうか? 本人は買い物に行くと言っていたのですが……」


 すると店主は一度きょとんとし、それから爆笑し始める。


「あっはっはっ。こっちのにーちゃんは真面目なんだな。って、ああ、そうか、神官様だもんな。ま、安心しなよ。明日になりゃ、ちゃんと戻ってくるだろうさ」

「明日、ですか……」


 もう夜も遅い。商店はもちろん、酒場であっても閉まる時刻だ。まさかアルドが大金積んで朝まで営業させようとしてるのでは、という疑念が浮かぶが、すぐに首を振る。

 アルドの金遣いが荒いことは確かだが、そこまでではないと信じたい。相手を軽蔑しながら旅を続けるのは、一緒にいる時間が長いだけにとても辛いものだ。


「買い物っつったんだろ? なら買いに行ったんだ。――女を、な」

「なっ!」

「それがこの町のウリだからな。ベースキャンプは危険すぎて、普通の女は住めねぇ。けど、迷宮神殿で生死さまよう戦いをすれば女が欲しくなる。ってことで、少し離れた安全なここサビアに、女が集まったってわけだ。しかも、王都にも負けねぇ別嬪ぞろい。あんたみたいに普通の宿に泊まる奴のほうが珍しいくらいさ」


 店主の言葉の後半はもう、オーギュストには聞こえていなかった。そのくらいオーギュストは怒り心頭で、アルドを見つけたらどうしてやろうかという思いで一杯だった。


 店主の言葉を信じるならば、オーギュストはアルドに騙されたということなのだろう。ひどい裏切りだと思った。女を買うから買い物だなどという言い分は、屁理屈も甚だしい。

 それに、問題はそれだけではなかった。神官の護衛が仕事中に花街で一夜を過ごした――などということが噂にでもなろうものなら、オーギュストの名誉も地に落ちる。それはオーギュストがもっとも避けたい事態だった。


「がははっ、にーちゃんも興味沸いただろ? 味見だけでもどうだ? 女の味を覚えるのにサビアは最適だぞ」

「いえ、私は結構です」


 出た声は思いのほか低かった。オーギュストはすぐにそれを咳払いで誤魔化す。


「ですが、そうですね……花街の場所を教えていただけますか?」


 オーギュストは努めて冷静にそう尋ねた。





 二時間後。花街でアルドを確保したオーギュストは、アルドの首根っこを掴んで、宿への道を引き返す。

 アルドは店主が言ったように、花街で女を買っていた。あと数分でもオーギュストが遅れていたら、アルドはコトを始めていただろう。


「異常だ! いくら神官様でもこりゃねーだろ! これからって時に」


 目撃してしまったアルドのだらしのない顔を思い出し、また不快になる。思わずアルドを掴んでいる手に力が入り、「ぐえっ」と蛙がつぶれたような声がしたが――オーギュストは気づかないことにして足を進め続けた。


「これもなにかのめぐり合わせです。あなたを更生させることも、神が私に与えた試練なのかもしれません」

「勝手なこと言うんじゃねぇ。呑む打つ買うは俺の命だっての。どれか一つでも欠けやがったらそれこそ生きていけねえよ」

「大げさな。そのようなことがあるわけないでしょう。君は、アルドは少し日頃の行いを改めた方がいいと思います」

「うっせえ! これだから嫌なんだ。神官様は潔癖で口うるさくて」

「それは申し訳ありません。ですが、私でなくとも君を見たらみな口を挟みたくなると思いますよ」


 そんなやり取りを続けていると、気づけば宿に到着していた。

 そして――。


「てか、いい加減、寝るぞ」

「ええ、そうしましょう。――ああ、アルド。違いますよ、部屋は変えてもらいましたから、こちらです」

「あ?」


 そのままオーギュストが歩き出すと、アルドはものすごく気に入らなそうな顔をするくせに、きちんついて来た。オーギュストはそのことに満足しながら進み、ドアを開け、アルドを振り返る。


「さ、どうぞ」

「ああ。……ん?」


 オーギュストもまたアルドに続いて同じ部屋に入り、すぐさま部屋の鍵を閉める。


「はあ!? てか、なんであんたも入ってんだよ」

「おわかりではありませんか?」


 部屋の中にはベッドが二つ――言わずもがな、二人部屋である。


「おい、一人部屋でって言っただろ」

「その結果がアレですからね。自業自得です。あなたは私がしっかりと見張っておかなくてはならないと痛感いたしました」

「なんで野郎と同じ部屋で寝なきゃいけねーんだよ!」

「同じベッドではありませんからご安心ください」

「あったりまえだ!」


 ぎゃんぎゃん騒ぐアルドをよそに、オーギュストはそそくさとベッドに入った。


 ――絶対に、逃がしませんからね、アルド。



 こうして、長かった旅の初日がようやく終わりを迎える――が、旅はまだ始まったばかりだった。


 

 

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