順風満帆とはいえず

第4話 不真面目な青年は主張したい

 


 迷宮神殿探索のベースキャンプとなっているゲドヴィックの町は、アルドが長期滞在していたマデューラから北に歩いて五日ほどの場所に位置する。


 国境の町であるマデューラは越境となる峠越え前の野営地に、商人たちが自然と集まり始めたのがきっかけでできた町だったが、ゲドヴィックは樹海の中、それも険しい山と山の間にあり、迷宮神殿の調査探索のために国や領主が補助金や報奨金を用意し、人を集めてできた町だった。

 そして件の迷宮神殿はその樹海のさらに奥深く、山間に広がる巨大な遺跡群だった。




 アルドたちはまず、マデューラの隣町、サビアを目指していた。

 道は緩やかではあるがアップダウンが続く。ベースキャンプまで通しで見ると、上りのほうが多く、体力が必要な道のりだった。


 とはいえまだ初日、体力は十分にあった。日は中天を過ぎたが、先にバテるであろうオーギュストにも疲れは見えない。

 むしろ、アルドのほうが疲れた顔をしていた。


「アルド殿!」


 今日何度目になるかわからないオーギュストの呼び声。なにか気になるものを見つけたらしい。こうして呼ばれる回数も、すでに十や二十は軽く超えている。


 アルドは一瞬ピクリと反応してしまうも、すぐに無視を決め込んだ。だが直後、アルドの背負い鞄が強く引っ張られる。


「おいっ!?」


 その不意打ちでバランスを崩しかけ――はしなかったが、歩く邪魔をされたアルドは振り返り抗議の声を上げた。


「アルド殿。よろしいですか、アルド殿。あれは――」

「あー、もう、うるさい! 黙れ!」


 アルドが怒鳴ると、オーギュストはビクリと肩を揺らし、悲しげな顔をした。


「ああ、アルド殿……申し訳ありません。私、アルド殿のご迷惑を考えていなかったのですね。アルド殿、どうかお許しを――」


 アルドはそのオーギュストの頭に垂れ下がった犬の耳を見た気がした。思わず片手で目を覆い隠す。


「くそっ」

「っ! やはりアルド殿はお怒りなのですね。申し訳ありません、アルドど――」

「もういい! 許す! 許すからそれやめろ」


 何度も繰り返し名前を呼ばれることもだが、それ以上に、アルドはその呼ばれ方が耐えられなかった。

 背筋がぞわぞわとした。わざとそう呼んでいるのではないだろうかという疑念も浮かべつつ、とにかくやめてほしいという思いでオーギュストを見る。

 だが、当の本人はとぼけた表情を浮かべていた。


「それ、とはなんでしょう……?」

「その……殿ってやつだよ」

「ですが――それでは、なんとお呼びすれば……」


 この世の終わりだと言わんばかりの悲しげな口調だった。アルドのほうが無茶を言っているかのように感じてくるからたちが悪い。


「普通に呼びゃいいだろ、普通に」

「普通に、ですか?」

「だーかーらー、ほら、ふつ……呼び捨てでいいっつってんだよ」


 本当は呼び捨てでいいなんて思っていない。だが、背に腹は代えられなかった。


 名前を呼び捨てで呼べるのは友人や知人だけだ。神官であるオーギュストと距離をおきたかったアルドは、だからここまで呼び捨てを許していなかった。

 だが、こうも繰り返し名前を呼ばれるとなると、「アルド殿」などという堅苦しい呼ばれ方はむずがゆく耐えがたい。それこそ戦いの最中にそう呼ばれたら、実害が生じるかもしれないくらいだった。


「おい、なんとか言えよ」

「あ、はい。……そうですね、ではそう呼ばせていただきます。そのかわりと言ってはなんですが、アルドど――アルドも、私をオーギュストと呼んでいただけますか?」

「はあ!?」


 嫌だよ、と言おうとしてオーギュストを見れば、オーギュストの真っ直ぐな視線がアルドの瞳を捉えていた。思わず言葉を詰まらせ――ちっと舌打ちをして視線をそらす。


「あー、はいはい。オーギュストね。オーギュスト」


 これで自ずと距離は縮まることになるだろう。

 依頼人と請負人という関係を保とうとしたアルドのささやかな努力――子どもじみた反抗ともいう――は、わざとか否か、オーギュストにより、半日にして水の泡となって消えた。


「あ、それでですね。あれです。あちらにあるのは何でしょうか」


 オーギュストが指す先に目を向けるが、特にこれといったものはない。これまでと変わらぬ木々があるだけだ。


「あ? 木の実じゃね?」


 面倒になって適当に答えた――が、答えてしまった自分にうんざりする。答えようが答えまいが、質問は次から次へと飛んでくるのだから、無視しておけばよかったと後悔した。


「やはりそうですか! 何の実でしょう。あれは食べられるのでしょうか」

「……知るか」


 本当にそれのことだったのかと愕然とした。

 だが、どちらかといえば、呼び捨てを提案した直後から名前を呼ばれなくなったことの方がアルドは気になる。

 やはりわざとだったのだろうか。それとも単に呼び捨てにしにくくて名前が呼ばれなくなっただけなのだろうか――。



 ともあれ、そんなやり取りを道中延々と繰り返す。

 「あれは何」、「これは何」から始まり、「ここはどこか」、「この道はどこに繋がっているのか」、「行ったことはあるのか」……果ては、「人々の生活をどう思うか」、「未来は救えるだろうか」という話にまで至り、うるさいこと極まりなかった。

 受けた依頼は護衛ではなくお守りだったかとアルドは一度、本気で疑った。



 結果、アルドは体力以上に精神をじりじりと削られることになった。

 親しくない人との旅路が疲れるのはしかたない。だが、今回に関してはビジネスライクに済ませようとするアルドと、まるで友人であるかのように接しようとするオーギュストの温度差が、より事態を悪化させていた。

 アルドはオーギュストの言葉を九割がた聞き流しながら、だんだんと密度を増していく森の街道を、ひたすら北に進んで行く――。





 数時間後。つい先ほどまで森しかなかったアルドの視界が突然、ひらけた。手作りだろう、少し歪みのある丸太の柵を越えれば、荒れ果てた耕作地の向こうに家々が見え始める。――サビアの町だ。


 サビアは小さな町だった。マデューラは国境に近かったためそれなりに発展していたが、この辺り一帯は王都から遠く、辺境と呼ばれている。特にサビアはマデューラから王都に向かう際も通り道にならないため、大きな町に発展することはなかった。

 だが、実は滞在している人数自体は多い。町のおよそ八割が住民以外の人で、迷宮神殿の攻略を目指す探検家や護衛士が多く滞在していた。


 そんな町であるためか、周囲はわいわいがやがやと賑わっていた。アルドとすれ違う人々も、気軽に「お疲れ」「ゆっくり休めよ」と声をかけてくる。実の所、その原因は別のところにあったのだが。

 足取りの軽い周囲とは対照的に、アルドは疲れ切った顔をしており、他人であっても声をかけずにはいられなかったのだ。


 旅自体は順調だった。天候もよく、遭遇した害獣も少ない。予定通りの時刻で到着できている点からも順調だったことは間違いなかった。


 問題はアルドの精神状態だった。途中でオーギュストがバテるかと思いきや、そうはならず、結局サビアに着くまで永遠と質問攻めにされていた。アルドは我がことながらよく耐えたと自分を褒めたい気分だった。


 そんなアルドが真っ先に向かったのは当然のごとく宿屋だった。もはや考えるのも億劫で、目についた宿屋にそのまま入る。


「いらっしゃい」

「こんにちわ。店主、二人部屋は空いていま――」

「いや、おっちゃん。一人部屋を二つで」


 すかさずアルドは割って入った。この状況で夜も一緒に過ごすなど、想像するだけでもうんざりだ。


「えっ!? アルド?」

「宿屋くらいゆっくりさせろよ。別にいいだろ。こんくらいケチんな」

「ケチっ……金銭を惜しんだわけではありませんが、アルドは私の護衛でしょう?」

「はあ? 二十四時間べったりついてろって? 気色わりー」


 心底気色悪そうに言ったアルドの言葉に、オーギュストは一瞬、怯んだ。それからしぶしぶと頷く。


「……わかりました。部屋はわけましょう。店主、お願いします」

「あいよ。ま、にーちゃん気になさんな。フリーの護衛士なんてやつはみんなこんなもんさ」


 宿屋の主がオーギュストを慰めるように言った――が。


「だから俺は護衛士じゃねえっつーの」


 アルドの言葉は残念ながら誰にも拾われることはなかった。




 これでまだ初日だ。ほんの五日間のことだからと引き受けたアルドは、思いのほか長く感じそうな旅路に、すでに後悔をし始めていた。


 

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