第3話 ツキのない男、ツイテない現実を知る



 通りから宿へと連れ戻されたアルドは、自身の部屋で不機嫌さを隠すことなく神官と向かい合っていた。

 二人の間には小さなサイドテーブル。アルドは酒瓶を片手にベッドに腰かけ、神官は荷物入れの木箱に戸惑いながら腰を下ろす。


 アルドは気のないふりをしつつ、目の前の神官を観察した。神官が着ている黒い服は、公平性を示す、何者にも染めらないという意味が込められた神官服だ。見習いの生成きなり色に始まり、一人前でグレー、それから徳を積んだと認められるごとに色が濃くなり、やがて黒に至る。

 つまり、明らかに黒とわかる神官服を着ているこの男は、かなり徳を積んだとされている者で、黒衣神官こくいしんかんなどと呼ばれることもある者――階級は存在するが、高位という言い方はしない――だった。


 本来であればこれほど信用に値する立場はない。だが、アルドは逆にそれが気に入らなかった。


「で?」


 仕方ないから聞いてやるという態度は崩さずに話を促し、すぐに酒瓶を傾ける。直接喉へと流し込まれた酒は、かっと焼けるような熱と共に通り抜けていく。度数が高いだけの安酒だった。けれど、慣れると上品な酒よりも病みつきになる。

 そんなアルドの姿を見た神官は、その端正な顔をわずかにゆがめた。それはすぐに取り繕われるが、アルドは見逃さずに目をすがめる。


「では改めまして。私はヴィーシア教の神官をしております、オーギュスト・ベルトランと申します」


 ヴィーシア教はここ、ブルクテール国の国教だ。時代的な後押しもあり、信心深い者は異常なくらい傾倒している。それこそ、神官であると名乗るだけで、人々の善意により衣食住が保障されてしまうくらい。だがその一方で、国を乗っ取ろうとしているなどの悪い噂もあり、嫌う者からはとことん嫌われているというのが特徴だった。


 アルドはまごうことなく後者だった。とくにこれといった理由がなくとも、とりあえずぶちのめしておこうか、などと不意に思い立ってしまうくらいには嫌いだった。


「ええと、護衛士のアルド殿でいらっしゃいますね?」

「護衛士じゃねーけどな」


 自己紹介などかけらもする気のないアルドを見てか、神官ことオーギュストが自ら確認を入れた。

 実際のところ、アルドは護衛士ではなく賭博師を名乗っていたが、懸命にも否定するにとどめる。ここで賭博師などと言おうものなら、どんな長い説教が待っているかわかったものではなかった。


「そうでしたか、それは失礼しました。それで依頼の内容ですが、簡潔に申しますと、私の護衛兼内役を引き受けていただきたいんです」


 先日オーギュストにアルドを紹介したファブリスも、護衛依頼だと言っていた。だから護衛というのはまあわかる。だが――。


「案内? どこ?」

「コルポッド渓谷ペルヴィエル教遺跡群です」

「コルポ――って迷宮神殿!? あんた馬鹿か?」


 アルドは反射的にそう叫んでいた。


 コルポッド渓谷ペルヴィエル教遺跡群――通称、迷宮神殿と呼ばれるそこは、ここマデューラの町から北に五日ほど行った場所にある。

 広くはないが一応道は通っているため、行くだけならそう難しいことではない。だが、そこは言わずと知れた危険地帯で――害獣の発生源などとも噂されている場所であり、自分で自分の身を守れない人が行くような場所ではなかった。


 神官というものは信仰の関係上、自ら進んで戦うことはない。つまり、戦う術を持たないに等しいのだ。となれば、迷宮神殿に行くなど、それこそ死にに行くようなものだ。そもそも、一般人が近づこうとすることがまずおかしいのだが。


 それに、たとえその道のりが安全だったとしても、ペルヴィエル教の遺跡に異教徒であるヴィーシア教の神官が行くというのは問題ないのだろうか。


 アルドはとにかく異常なものを見るかのような目でオーギュストを見た。オーギュストは大きく肩をすくめる。


「そうですね。馬鹿なのかもしれません。ですが、私は本気ですよ」

「死にてーなら一人で死ね。俺を巻き込むんじゃねぇ」


 無責任な開き直ったかのような言葉を聞いて、アルドは見切りをつけた。根拠のない本気ほどたちの悪い物はない。

 やはりこれは引き受けるべき案件ではない。アルドは面倒だが立ち上がり、「帰れ」の言葉の代わりにドアを開けてやった――が、オーギュストは動かなかった。


「おい」

「――世は終末期に入った」


 脈絡もなく突然、オーギュストが言った。それは、ブルクテールではとても有名な一節なのだが、アルドは意味がわからず、眉をひそめる。


「『世は終末期に入った。我らが文明の衰退はいちじるしく、この流れから脱せぬ限り、近く滅びるであろう』」


 これは今からおよそ八百年前、当時、世界を手中に収めていたペルヴィエル教の宣教師バルタザールが告げた言葉だった。バルタザール自身はその直後、時の教皇であるリュドヴィック・ドータ・ブルクテールによって処刑されたのだが、一度発せられた言葉をなかったことにはできない。この言葉は、バルタザールの予言と呼ばれ、世界へと広まった。


 結論から言うと、彼が想定していた「近く」というタイミングで世界が滅びることはなかった。だが、千年続いていたペルヴィエル教の世界統一は崩れ、のちにペルヴィエル教自体も滅ぶに至る。

 これを終末の始まりと捉える人もいれば、これによって肩代わりされ、滅亡を逃れたと考える人もおり、バルタザールの予言は今なお人々の関心を集めていた。


「私は、バルタザールが予見していたこの危機が去ったとは思っていません。この世界の多くの人々もそうでしょう。我々は運よく生きながらえたに過ぎないのですから。ですが、だからこそ、現状を打開する鍵を見つけなくてはならないのです。完全に危機を脱したと言えるように」


 口にするだけは簡単だ。おそらくこの八百年の間に――そう、もう八百年たってるのだ! ――多くの人がそう口にしてきただろう。だが、それを成し遂げた者はいない。それこそ理想論でしかなかった。


「ペルヴィエル教が滅んだ原因は明かされていません。ですが、今我々が一番苦慮している害獣問題。その発生源と言われている場所が、かつてペルヴィエル教の神殿のあった場所――迷宮神殿であることに意味があると思うのです。私は迷宮神殿に行って、その実態の把握と原因の解明、そして可能であれば害獣の発生を止めたいと思っています。これは多くの人々を救うことになるでしょう。ですからどうか……どうか、ご協力を」


 勢いよく振り返ったオーギュストは、そのまま床にひれ伏した。

 そんなオーギュストをアルドは冷めた目で見下ろす。その情熱がどこからくるのか、なぜそこまでする気になるのか、アルドには理解できなかった。


 正直、アルドはどうでもよかった。世界が終末に向かおうが、人々が害獣被害に苦しもうが、関係なかった。そもそも終末に向かっているというのは世界的な認識だったし、どうせみんな死んでしまうというのに、なにを頑張る必要があるだろうか。


 ――めんどくさい。


 自分にできる範囲を越えているからといって、他人を巻き込もうとするなど迷惑極まりなかった。憂えているというなら、憂えている人だけでなんとかしろというのだ。


「断る」

「これはあなたのためでもあるのですよ?」

「……俺は別に生き長らえたいとか思ってねーよ」


 それはアルドの強がりでもなんでもなく、本心だった。アルドの生への執着は、もうだいぶ前に失われていた。


「世界が滅びるっつーなら、その流れに身を任せるだけだ」

「そんな……」


 オーギュストは大げさに肩を落とした。

 結局、オーギュストがしようとしていることは、偽善であり自己満足でしかない。違う考えを持つアルドにとって、神官様の素晴らしいご提案は、迷惑以外のなにものでもなかった。


「大体、神官なら神殿から護衛借りられるだろ。なんで俺なんだよ。それともあんた、護衛の一人も借りられないほど下っ端なのか? 黒衣を纏ってるくせに」

「……確かに借りることは可能でしょう。ですが、神殿から護衛を借りてしまってはその神殿が危険にさらされてしまいます。神殿は人々の心のオアシス。神殿だけは絶対的な安全地帯でなくてはなりません」


 下手な芝居を見せられているかのようだった。大仰な表現は嘘くさく、これを本気で言っているのだとしたら、オーギュストは人がいいを通り越して阿呆だとしか思えない。神官は神に仕え、人に奉仕することを徳としているが、世俗と接する以上、心の清い聖人でいられるはずがなかった。


「あっそ。なら勝手にしろよ。けど、俺は引き受けねーからな」


 オーギュストの言い分を真とするなら、必ずしもアルドが護衛である必要はないはずだ。


「……やはり、かの有名な最年少四武人しぶじん、デュロン氏を探すしかないのでしょうか」

「あ?」


 思いがけない名前だった。無駄に揺らしていた酒瓶を持つ手が止まる。

 四武人――それは武を極めたとされる四人に贈られる栄誉ある称号だった。


「ご存知ではありませんか? あなたと同じお名前の、アルド・デュロン様です。かなりの若さで四武人になられたと伺っています。四武人の称号を得られてからもう十年近くたっていますが、まだ三十代にもなっていないとか」

「いや……名前は知っているが、どうしてそいつを?」

「それは――…そうですね、ここで隠したところで気になるでしょうから、お話ししましょう。ですが極秘の情報ですので、どうかご内密に。実は――デュロン氏がどうやらこの付近にいらしているようなのです」


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。自分の激しく脈打つ鼓動の音が耳につくだけで、思考は働かない。

 けれど動揺を悟らせるわけにはいかなかった。アルドは急いで取りつくろい、口を開く。


「そ……そんな有名人が、王都からだいぶ離れた、こんな田舎いなかにいるわけねーだろ。あんたの勘違いじゃね?」


 先ほどまでと同じ軽い口調で言うが、心情は大きくかけ離れていた。自分には関係ない、勝手にやってくれと、投げやりな本心をそのまま示せばいいだけなのに、それだけのことがひどく難しく感じた。


「そうでしょうか。ですが、これは確かな筋から入手した情報なのです。この町にはおられずとも、このコルポッド領にいらっしゃるのは確実でしょう」

「……ホントかねぇ。確かな筋であってもニセの情報は売られてるぜ? 騙されたんじゃね?」

「それはありえません。我が家の――ベルトラン家の情報網から得た情報ですから」


 虚を突かれた、というのがふさわしいだろうか。アルドはぽかんと口を半開きにしながら、頭の中でオーギュストの言葉を反芻はんすうする。


 ――ベルトラン家?


 なんだか聞き覚えがある、と思ったのも束の間、それがヴィーシア教屈指の名家の名であることを思い出す。


「はあ!?」


 なぜ気づかなかったのだろうか。オーギュストは最初からちゃんとオーギュスト・ベルトランだと名乗っていたというのに。

 多大なる権力を持つベルトラン家。もしオーギュストがその権力をふるおうものなら、アルドなどひと吹きだ。思わず、乾いた笑いが口をつく。


「はっ、ははっ、天下のベルトラン家様ね。んなら、それこそ俺みたいな得体のしれないやつに依頼する必要なんてねーだろ。家名一つで有名な護衛士がわんさか寄ってくんだから」

「それは――」


 家付きの護衛士を使うのではなく、外で集めているということは、オーギュストは跡取りではないのだろう。だが、たとえ跡取りでなくとも縁を結びたいやつは大勢いる。家名を出して募集をかければあっという間に集まっただろう。

 とはいえ、そうやって集められた中には、優秀な護衛士もいえばならず者もいる。だからそうしなかったのだろうということは、考えるまでもなくわかった。


 「迷宮神殿」に、「四武人アルド・デュロン」、しまいには「ベルトラン家」ときた。

 これを厄介な依頼といわずして、なんというのだろうか。アルドの予想は、話を聞く前から大当たりだった。


「雇用条件は?」

「はい?」

「だから引き受けてやるっつってんだよ」


 突然のアルドの変わり身に、オーギュストが驚いた顔をした。

 別にベルトラン家だから引き受けることにしたというわけではない。ベルトラン家のやつが相手では引き受けるしかないとあきらめたわけでも。ただ、そう思わせようという意図がないわけではない。


 アルドにはアルドの別の事情があった。それをオーギュストに知られるわけにはいかなかった。




 アルドは、「アルド」だ。

 アルド・デュロン。最年少四武人などと呼ばれるその人物こそ、今ここにいるアルドのことだった。


 とうの昔に捨てたデュロンという姓。この町に来る以前から、アルドは姓など名乗っていない。

 にもかかわらず、この辺りにいると知られてしまった。それはどう考えてもこの町に一年という長期にわたり居続けていたことが原因だろう。たとえ名乗らずとも、遠目でも見たことがある人物がいれば疑念を抱く。それは噂となり次第に広まっていくものだ。


「くそっ、いくらタダだからってここでじっとしてんじゃなかった」


 オーギュストが出て行ったあとの部屋で、アルドは一人毒づいた。


 情報が出回ってしまった以上、情報をもみ消すよりも、自分が移動してしまった方が早い。その移動の隠れみのとして、依頼を受けるというのは不本意ながらも都合がよかった。



 ……若干じゃっかん、都合がよすぎる気もしたが。



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