第2話 依頼は強制されるものではない(はず)



 アルドと神官との出会いは三日前。それは人々がもっとも活発に活動する正午前のことだった。





  ドンドン ドンドン


 眠っていたアルドを起こしたのは、そんな耳障りな音。

 アルドは掛け布団をぐっと引っ張り上げ、頭までかぶる。布団の中は温かく、すぐにまたうつらうつらし始めた――のだが。


  ドンドン ドンドン

  ドンドン ドンドンドン


  ドンドンドン ドンドンドン ドン ドン ドドドン


 音はますます激しくなっていった。これでは到底寝続けることなど叶わない。


  ドン


「あぁ、もう! うるせぇ!!」


 上掛けを大きくはねのけて、勢いよくベッドから体を起こす。むき出しの上半身にややひんやりとした空気が触れるが、寒いというほどではない。

 アルドはただただ睡眠を邪魔されたことに苛立ち、今なお叩かれ続けているドアにどしどしと足音を立てながら向かった。


「うっせぇぞ! 誰だよ、こんな朝っぱらから!」


 イライラしながら乱暴にドアを開ければ、そこにはにこやかな笑みを浮かべた青年がいた。


「やぁ。おはよう、アルド。もう朝じゃないけどね」

「ファブリス、貴様かっ! 寝てる客を起こすんじゃねぇよ!」


 怒鳴りつけるが、ファブリスと呼ばれた青年は動じない。ただその笑みを黒くして、アルドを見返した。


「客、ねぇ……? お金も払わず丸一年宿泊し続ける人が、客……?」

「好きなだけ泊まっていっていいって言ったのはそっちだろ」


 アルドは悪びれもなく言ってのけた。



 ファブリスはこの宿、ネボスケの店主だった。そして、このファブリスには歳の離れた幼い妹がいる。アルドとファブリスが出会ったきっかけはまさにこの妹にあった。それはおよそ一年前のことで――。


 ファブリスの妹、アリアンヌは当時五歳。生まれながらにして魔法を自在に操れるという特殊な技能を持っていた。

 そんなファブリスの妹はこの辺りでは神童として有名で、神殿や貴族、豪商たち――と多くの人々に目をつけられていた。彼らからは是非養子にしたいとの申し出が多くあったが、今は亡き両親はもとより、ファブリスもずっと断り続けていた。彼らにとって養子などというのはていのいい道具でしかなく、使い捨てられることがわかりきっていたからだ。


 その結果、やってきたのは有名な犯罪集団。神殿か、貴族か、豪商か、どことであるかはわからないが裏での繋がりがあり、誰にも取り締まることができない極悪人たちだった。


 彼らは誘拐というわかりやすい手段は取らなかった。そのかわりに、大勢で押しかけて町に居座り、暴れまわり、町の治安を急激に悪化させた。

 町の人は知っていた。彼らの狙いがファブリスの妹であると。ゆえに、ファブリスたちは次第に追い詰められていった。


「あんな子がいるせいで」

「養子に出すくらいいいじゃないか。一生会えなくなるわけでもあるまいし」

「贅沢できるんだ。喜んで送り出すべきだろう」


 遠回しに嫌味を言う人もあれば、直接、文句を言いにくる人もいる。


「あんたたちは町を潰す気かい? あんたたちがそのつもりならこの町では暮らさせないよ」

「とっとと出て行っておくれ。迷惑だ」


 全員が全員敵意を示したわけではないが、それでも苦しむ人々の姿を見ればファブリスは冷静ではいられなかった。

 それに追い打ちをかけるように、町の人たちはファブリスに物を売らなくなる。特に食べ物が手に入らなくなることは死活問題だった。宿の裏の畑で採れた野菜でしばらくしのいでいたものの、それもあっさりと害獣に荒らされ、失われる。


「もう、町を出るしかないか……」


 両親が残してくれた宿をファブリスは手放したくはなかった。けれど、妹を守るにはもうそれしか方法がなくなっていた。

 そんなときだった。アルドが宿にやってきたのは。


「食事は出せないが、かまわないか?」


 国境に近い町であるから、宿屋は複数ある。だからファブリスはてっきりアルドがすぐに別の宿に移動してしまうと思っていた。だが、アルドは構わないと言った。


「理由を聞かないのか?」

「なに、聞かれてぇの?」

「そういうわけじゃないが……いや、そうなのかもしれないな……」


 話し始めたファブリスの前で、アルドはとても聞いているとは思えないような態度をしていた。だが、一通り話を終えると――。


「あ? んじゃ、その犯罪組織とやらをぶっとばしゃいいだろ?」

「そんなことできるわけ……」

「あー、わかったわかった。んじゃ、いっちょぶっとばしてやんぜ。お礼は十年後の妹ちゃんのキスってことで」


 いとも軽い調子で言ってのけたアルドは、その言葉通りあっさりと組織を壊滅させた。

 もちろん、妹のキスをお礼にするわけにはいかず、好きなだけ泊まっていっていいと言ったのだが――それ以来ずっと、アルドはこのネボスケに滞在している。




「確かに、うちの可愛い妹を助けてくれたことには感謝してる。だから好きなだけ泊まっていいって言った。だけどな、常識ってもんがあるだろうよ、常識ってもんが」

「なら最初から期限区切っときゃいいだろ。常識なんてもんは所変われば変わるもんだぜ。これが俺んとこの常識だったってこった」


 厚かましくもそう言い張るアルドを前に、折れたのはファブリスのほうだった。


「はぁ、なんか疲れた。もういいよ。それより――アルド、君にお客さんだ」

「は?」

「よかったじゃないか。久しぶりの仕事だよ。ちゃんと受けておいたから安心して」

「……は?」

「護衛依頼。得意だろ?」

「ざけんじゃねぇ! 誰が受けるかっつーの! てか、俺は護衛士じゃねぇ! 賭博師だ!」


 何をどう勘違いしたのか、ファブリスはアルドのことを護衛士だと思っている。確かにファブリスの妹を助けたりもしたから、そう勘違いされるのもわからなくはないが――もう何度も違うと言っている。それでもファブリスは聞く耳を持たなかった。

 つまるところ、アルドからしたら護衛の仕事など冗談じゃない、ということだ。だから、何が何でも断ってやるとアルドは決意し、口を開く――が、そんなアルドの顔の真ん前で、ファブリスはなにか紙のようなものをひらひらとさせた。


「ああん?」

「しゃ、つ、き、ん。――借金、返してもらうよ?」


 慌ててその紙を掴む。そこには細々とした数字と店の名前らしき文字が並んでいた。むろんそれに心当たりは――……ある、のだが。


「はあ!? ちょ、待て、借用書!? いつのまに借用書なんてもん作りやがった」

「アルドは一旦眠りにつくと起きないからな。そんとき? というか、そもそも勝手にうちの店名でツケてるアルドがいけないんだろう? 俺は悪くない。――ってことで」


 そしてファブリスがすすっと横に避ける。


「詳しい話はこちらの神官様から聞くように」


 そこには申し訳なさそうな顔をした、黒い神官服姿の男が立っていた。

 アルドは速攻でドアを閉めた。

 神官からの依頼などろくなものではない。世のため人のためという建前を持ち出して、破格の値段で無茶な仕事を振ってくるのだから。





 そんなこんなで、部屋に引きこもり、あるいは窓から脱走し、酒場や賭場に顔を出し……。


 そうして逃げ回ること三日。ちょうど女の子を捕まえたところで、とうとう神官に見つかってしまった。それがつい先ほどのこと。

 アルドはうんざりとした態度を隠さずに、目の前に座る神官へと視線を向けた。



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