樹海の如く、人の心に魔は住みて
露木佐保
第1章 気高き神官様の旅
神官様からのご依頼
第1話 どうせ追いかけられるなら女の子がいい
「デブ、年増、厚化粧……短足、絶壁、ブス……」
道端にガラ悪くしゃがみ込み、ブツブツとつぶやく青年。歳は二十歳頃だろうか。働き盛りだろうに生産性ある様子もなく、青年はただただ
馬車で移動するにはやや狭い道幅のため、歩き行く人の数は少なくない。特に、この通りには小さいがおしゃれな店舗が数多く立ち並び、流行の先端を行く若い女性たちが多かった。
そしてそれは、そんなおしゃれな女性たちを目的とした若者たちを呼び寄せることにもなっている。
この青年もまた、そんな若者たちの中の一人だった。
「んでもって、またブス、と。あー、シケてんな。今日はハズレか……」
失礼極まりないことを
「おっ!」
突然、青年の声色が変わった。通りの一点に目を止めた青年は、水を得た魚のようにいきいきとし始める。そして、これまでの様子からは想像できないほどの機敏さで、あっという間に通りへと飛び出した。
青年が向かった先にはたぐいまれなる美女が一人。買い物に来ていたのか、手には
「よっ、おねーさん」
デレデレとしているのが丸わかりのご機嫌さで、青年が声をかける。
「どう? これから俺と楽しいことしねえ?」
ある意味、定番の誘い文句だった。
この時代の――いや、ほんの一年前までの女性たちの服装は、首元までをしっかりと隠し、くるぶしを見せることもない、
とはいえ、新しい流れを受け入れられない人も多く、未だにはしたないと顔をしかめたり、まるで裸を見てしまったかのように顔を赤らめたりする人も少なくなかった。
そんな服装だからこそ、花売り同様の気軽さで一夜の夢――今は真昼間だが――を買おうとする男たちが多く現れるのだ。
女性たちの言い分としては、露出こそ高いがもっとも自分自身を美しく見せられる服装――なのだというが、それを理解する男は少ない。
ただ実際のところ、服装の変化とともに、貞操観念にも変化が現れているのは事実だった。否、そもそものきっかけは、今の時代の厳しさにある。
今の時代は――人々が真面目に働き、希望ある明日を思い描くには、少しばかり現実が厳し過ぎた。問題は数多くあるが、中でも、
対人害獣――大型のものはモンスターと呼ばれることもある獣だが、それが十数年前から異常発生していた。害獣は田畑を荒らし、人を襲い、大きな被害をもたらしていた。
初めのころこそ、対抗すべく戦っていたのだが、討っても討っても現れ続ける害獣に、やがて人々は疲れ果ててしまった。一人、また一人と戦うことを諦め、均衡を欠いた現在はもはや害獣は増える一方だ。
そうなると、荒らされる田畑を持つ農夫たちもまた作地を放棄し始める。命がけである上に、ほとんど収穫が得られないのだからそれも当然だろう。
だが、それが一層現状を悪くした。農夫の収入は減るのに、農作物は値上がりし、田畑を捨てたがために、家の食糧を狙って家が壊され、さらには人も襲われる。怪我で済めばいい方だが出費は増える。そしてひどい時には家族や働き手を失う。
人々は完全に負のスパイラルにはまっていた。
――世は終末期。真面目に働くものほど馬鹿を見る。
誰が言い出したかは定かでないが、いつの間にかそんな言葉が広まっていた。
いつ何があるかわからない、害獣の牙がいつ自分を捕らえるかもわからない。そんな世の中だから今のうちに遊んでおくべきだ。――と、若者たちが考えるようになったのも致し方ないことだろう。
その結果がこれだ。
「楽しいこと、ね」
先程の青年に、女性の値踏みするような視線が向けられる。だが、それも束の間、女性はツンと顔を背けた。
「お断りよ。私は花売りじゃないもの」
「けど、そんだけ見せてんだ。まったくその気がねぇってわけでもねーだろ?」
この女性の服装は、この辺りにいる女性たちの中でもずば抜けて露出が多く、この青年のみならず、他の男性の目をも釘づけにしていた。
「勘違い男は嫌われるわよ。だいたい私たちはあんたたちみたいな変態のために着飾ってるんじゃないの。女には女の戦いがあるんだから。たとえ男にいやらしい目で見られようとも、それで逃げたら負けなの。わかる?」
「あー、わかるわかる。大変だよなー。……にしても残念だ。あんたなら十万リジット出してもいいって思ってたんだけどな」
青年が金額を提示した途端、女性の目が妖しく輝いた。
十万リジットといえば、平民たちの半月分の収入にあたる大金だ。それこそ花街に行っても、それなりにいい一夜が買える値段だった。
「あら? よくよく見たら、あなたいい男じゃない。そうね、少しなら遊んであげてもいいわ」
金額一つで態度を
「よくわかってんじゃん」
「ふふ、あんたこそ」
そして青年が肘を差し出せば、女性はするりと腕を絡ませた。
互いに真面目な付き合いなど望んでいない。いかにうまくお金を使い、人より楽しめるか。大半の平民たちの意識はそれに始終していた。
「んじゃ、行くか。飯のうまい宿を知ってんだ。そこで――」
「アルド殿ー! アルド殿はいらっしゃいませんかー? アルド殿ー!」
青年が機嫌よく歩き出そうとしたその時、若い男性の呼び声が通り一帯に響いた。通行人たちは驚いた様子で足を止め、振り返る。
青年もまたびくりと肩を跳ねさせるが、素早く体を反転させた。――声とは真逆の方向に。
「さ、行こうか」
そして歩き出すが、先ほどの呼び声は続いており、さらにそれはだんだんと近づいてきている。青年の表情がわずかに
「そうだ、宿に行く前に、ちょっとこの店に寄――」
「見つけた! 見つけましたよ、アルド殿!!」
その瞬間、青年は女性の腕を引いて走り出した。すると声の主もまた駆け出し、途端に追いかけっこが始まる。
だが、女性を連れての逃走は分が悪かった。青年と男との距離はあっという間に縮まり、そして間もなく、男の伸ばされた手が青年の肩に届いた。走っているさなかにギュッと肩を掴まれた青年は、バランスを崩しながら足を止める。
「追いつき、ました……」
「ちっ」
男は一目で神官とわかる黒衣を
その男は乱れた呼吸を整えつつ、
「アルド殿。どうしてお逃げになるのですか」
「あぁ、もう! 人違いだ、人違い!」
「そんな……そう言って、お見捨てになるのですか。私の話を、聞いてはいただけないのですか? 私にはアルド殿しか頼れる人がいないと言うのに」
泣きそうな顔で懇願しながら、大声でそうのたまった。
その一方で、アルドの肩を掴んだ手の力は緩められない。必死さ以上に逃がすまいという強い意思を感じるのは気のせいだろうか、とアルドは眉を
だがそれを知らない周囲の人々の視線は、批難を伴ってアルドに突き刺さる。「話くらい聞いてやればいいのに」「捕まったんならあきらめろよ」「邪魔」「うるさい」「さっさと神官連れてどっか行け」――……。
神官の行為を肯定するしないは半々くらいだが、総じて言えるのは、誰もがアルドに文句をぶつけているということだ。アルドはこめかみをぴくぴくとさせた。
「あんた黙――」
「お兄さん、この神官様、なんだか必死みたいだし、話聞いてあげれば?」
それはアルドのすぐ近く、アルドがひっかけた女性の口から出た言葉だった。
「んな、なんで俺が」
すぐさま拒否するが、そんなアルドの顔に、女性のほっそりとした白い手が伸びてくる。その瞬間、アルドはその美しい手に、目も、思考力も奪われた。
「ほら、こう頭を――コックンって。あら、やった! 神官様、彼、聞いてくれるって!」
「おお、それはありがたいことです」
「はあ!? ちょっと待て、ふざけっ」
「ああ、あなたは女神の生まれ変わりでしょうか。あなたの優しさは春の日差しのようです」
「ふふっ、よろこんでくれるのは嬉しいけれど、それは言い過ぎではなくて?」
アルドは頭を抱えた。油断も隙もありゃしない。まさかこの女性まで神官側に回るとは。
「おい、神官」
「はい、なんでしょうか」
「どうでもいいが、神官ってのは他人様の迷惑ってやつを気にすんじゃなかったか? いいのか? こんな道のど真ん中で」
早くどこか行け、と遠回しに告げるが、アルドに顔を向けた神官はどこまでもにこやかだ。
「お気づかいありがとうございます。では一緒に移動しましょう」
「誰が一緒に行くっつった」
「話を聞いてくださるのでしょう」
「あのな、俺には先約が――ああん?」
ほんの一瞬の出来事だった。アルドの意識が神官に向いたその一瞬、一緒にいた女性がするりとそばを離れた。それはアルドの隙をついた見事な動きで、アルドは反応が遅れた。
「あ、ちょ――」
慌てて捕まえようと手を伸ばすが、アルドの肩は神官に掴まれたままで届かない。あっという間に距離が空き、振り返った女性は目が合うと、ざんねーんと口パクしながら、手をひらひらさせた。
そしてその女性の元にはすぐにまた、花に群がる蝶のように、別の男が近づいて行く。
「くそっ! 待て、駄目だ! 俺の女だぞ!」
声を張り上げるが女性はもう振り返らない。声をかけている男のほうも当然、無視だ。そのタイミングでようやくアルドは神官の手を振り払うことに成功するが――さきほどの女性はその男と腕を組んで歩き出していた。
「ああー……。滅多にいねーいい女だったのに……」
「そう肩を落とさないでください。またいつか、いい出会いもあるでしょう」
うなだれたアルドを神官がそう慰める。だが、それこそアルドの神経を逆なでする行為だった。しかも、さりげなく、肩が掴み直されている。
アルドは勢いよく振り返り、神官をきつく睨みつけた。
「なに
「なにをおっしゃいます。うまくいかなかったのは神があなたの行いをよしとしなかったからでしょう。諦めよという神の思し召しです」
睨むも怒鳴るも怯みもしない神官に、アルドの苛立ちはますます
「そうですね――私からも少々苦言を
それにはアルドも言葉を詰まらせた。
神官の言う店主は、アルドが定宿としている宿屋ネボスケの店主のことだ。彼が親切かどうかは別として、気安いのをいいことに利用しているのは確かだった。むしろこれまで、店主が冗談交じりでしか文句を言ってこなかったことのほうが異常だということはアルドも理解している。
「……それとこれとは関係ねーだろ」
「手をまわしてくれたのが店主であるのに? 彼は今の遊んで暮らすアルド殿を心配して、私の依頼をあなたに紹介したのですよ。その厚意をあだで返すようなことをして、良心が痛みませんか? それにですね――」
痛むような良心などとうの昔に捨てている――と思っているアルドを知ってか知らずか、神官が根気強く説明する。さらにはどこで聞いたかと耳を疑うような私的な話まで持ち出され――とうとうアルドは音をあげた。
「あー、もう、わかった! わかったから黙りやがれ! くそっ、話を聞くだけだからな。できねー仕事は受けねーぞ」
「ええ、もちろん。今はそれで構いません」
アルドは、はぁと大きくため息をついた。
神官と初めて顔を合わせてから三日。まさかこの神官がここまでしつこく追いかけて来るとはアルドは予想していなかった。
「……ネボスケに戻んぞ」
「はい。では参りま――」
「待て」
一歩足を踏み出した瞬間、すぐにアルドは足を止めた。そしてパタパタと手のひらで体を叩く。
「ええと、アルド殿? どうしましたか?」
「――……ねぇ」
「はい?」
「財布がねぇ!!」
「え……ええ!?」
この状況がなにを示すかは一目瞭然だった。この町で一二を争う賑わいを見せるこの通りは、人通りが多いだけあってスリも多い。つまり、アルドは財布を
「あの女!」
アルドには心当たりはあった。先ほどの女性だ。女性が必要以上にペタペタと体に触れていたことにアルドは気づいていた。
アルドはすぐにでも探し出そうと動きかけるが、それを例のごとく神官の手が引き止めた。
「落ち着いてください、アルド殿。ちなみに中身は……」
「三ジッテ」
神官は小さく吹き出した。
千ジッテで一リジット。三ジッテというと屋台の一番安い串焼きが一本買えるかどうかという金額。子どものお駄賃としてならならともかく、大人からすればはした金としかいいようのない金額だった。
「おい、一ジッテを笑うやつは一ジッテに泣くんだからな」
「おっしゃる通りで。ですが、それでどうやって暮らしておられるのです? 食費もままならなないかと……」
「馬鹿が。それが全財産であってたまるかよ。メインの財布は別に隠し持ってるに決まってんだろ」
「ああ、こういうときのためのおとり用の財布だったのですね」
「いんや? 単にそっちからずっと使ってたから底がつきかけてたってだけだな」
「それは……運がよろしかったのですね。さて、ではそろそろ参りましょうか」
野次馬たちはいなくなったものの、通りがけにちらちらと見る人は多い。いつまでもここにいるのは、どちらにとっても得策ではなかった。
「けど」
「行きますよ、アルド殿。盗られてしまった分は私の依頼料に上乗せいたしますから」
「そういう問題じゃねぇ……」
神官はがっちりとアルドの腕を掴み、先頭を切って歩き出した。
アルドは疲れた表情で空を仰ぐ。女の子じゃなく男に追いかけられたというだけでも最悪の気分なのに――。
「くそっ、マジなんでこんなことになった」
一歩前を歩く神官が、まるで不幸を運んでくるなにかの使者のように見えた。
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