偽善様の登場
第10話 領主の館
本来の進路から外れて二日と半日。アルドたちは領主の館のある町、ポールスに到着した。
「あそこに見えるのがコルポッド領主の屋敷だ。わかったな?」
「ええ。ありがとうございます」
「おう。んじゃ、また明日。じゃあな」
アルドは軽く片手をあげてオーギュストと別れる――のだが。
「って、どこに行くのですか、アルド。あなたも一緒に行くのですよ」
オーギュストがすかさず服を掴んで引き止めた。こういうときだけ素早さを見せるのだから腹立たしい。
「んでだよ。邪魔しねー約束だろ」
「なんでではありません。害獣に関することですから、これは仕事の一環です。って、やはり花街に行くつもりだったのですね!」
やっぱり目くじら立てるんじゃないか、とジト目を向ける。
「約束」
言葉少なに告げれば、オーギュストは諦めるように大きく息を吐いた。分の悪さは自覚しているのだろう。約束したのはオーギュスト自身だ。
「……話が終わったら好きにしてかまいませんから、どうか今は一緒に来てください」
「ったく。今回限りだからな」
オーギュストに追いかけ回されたら、女遊びをするどころではなくなってしまう。アルドは終わったら好きにしていいとの言葉を信じて、しぶしぶ頷いた。
中央広場からもほど近い一等地。そこに領主の館はあった。
神官であるからというよりは、おそらくベルトラン家の威光だろう。通常であれば、こんな突然の訪問で面会が叶うはずなどないのだが、あっさりと館の中へと招き入れられた。
「こちらでお待ちください。ご入用のものがございましたら、何なりとお申しつけを」
「お心づかい痛み入ります」
それから小一時間ほどたったところで、ドアが開いた。貴族の家を基準とするなら待たされていない方ではあるが――。
「大変お待たせしてしまい申し訳ございません。わたくし、家令をしておりますリオネルと申します。主はまだ手が離せないとのことでしたので、先にわたくしがお伺いしたく参りました。よろしいでしょうか」
「もちろんです。非常識なのはお約束もなく突然訪問したこちらですので」
ベルトラン家とはいえ、一神官の前に領主本人が出てくるわけないよな、とアルドは妙に納得した。
「私はオーギュスト・ベルトラン。ヴィーシア教の神官をしております。それからこちらはアルド。護衛士です」
「ベルトラン家の方でしたか。はるばる辺境までようこそ。ああ、申し訳ありません。どうぞおかけください」
そこに新しいお茶と茶菓子が並べられる。さすが領主と思わず唸らされるような、香り高い紅茶と、高級そうな焼菓子だった。
「では、早速ですがよろしいでしょうか。取次ぎの者からは害獣の件とお伺いしましたが……」
「ええ。実は我々はマデューラからゲドヴィックを目指して旅をしていたのですが、想定外に害獣が多く……すでにご存知かもしれないとは思いましたが、僭越ながらご報告をと思いまして」
「大変ありがたいお申し出です。噂であれば山ほど耳に入るのですが、実際に遭遇された方の話となるととんと。ですので、よろしければ詳しくお話いただけますか」
「それはよかった。では、アルド。出会った害獣の種類や数と場所を合わせて説明を」
「あ?」
「残念ながら、私では詳しいことはわかりませんから。お願いしますね」
「はあ!?」
ついて来るだけでいいというニュアンスだった。それがこれだ。なんと都合のいい男だろうか。
アルドはため息一つついたのち、地図を頼む。そしてそこに品種や遭遇数、時間帯などを書き込んでもらいながら説明をしていく――。
「これは……」
マデューラ、サビア、サビアの隣りの村、と南北にのびる街道から、村の先の三叉路からここ、ポールスまでの東西にのびる街道、それぞれの説明を一通り終える。そしてその書き込みで一杯になった地図を見た家令は、思わずといった様子で声をもらした。
可視化するとその異常さが嫌でもわかる。自分の印象以上に多くの害獣と遭遇しており、その事実にアルド自身もまた驚くことになった。
「はあ。これが冗談であればようございましたが……」
神官は嘘をつくと神聖魔法が使えなくなってしまうと言われているため、嘘をつけない、ということになっている。建前でしかないことは大人であればみんな理解しているが、その建前があるゆえに疑うこともまた許されていなかった。
今回に関しては、そもそも嘘でも冗談でもないのだが。
「いえ、失礼いたしました。情報提供、感謝いたします。早々に対処させていただきます」
「討伐隊を増やされるのですか?」
「主の判断次第ですが、そうなりますね。王都から騎士団もお借りしているのですが、やはり手が回りきらないのです。とはいえ、討伐隊もかなりの数派遣していますから、増やせるかどうか……」
「それはまた……」
口を開きかけたオーギュストだが、言葉は続けられなかった。何と言えばいいのかわからないのだろう。それほどまでに現状は追い詰められていた。
「ああ、ご心配をおかけしてしまったようですね。申し訳ございません。これまでの傾向から、害獣の増減には周期的なものがあることがわかっています。今を乗り切れば一息入れられるはずですので、大丈夫です。必ずや乗り切ってみせましょう」
「そう、ですか。はい、よろしくお願いします」
それから、少々失礼します、といって家令が席を外す。
そして戻ってきたときには、別の男を連れていた。その男の髪には白髪が多く混じり、六十歳近いことが窺えた。
「領主をしております、ダヴィド・レノーと申します。本日は我が領地の異変をお知らせくださったとのことで、感謝の念に堪えません」
いつの間にかオーギュストが立ち上がっていた。そしてオーギュストは差し出された手を両手でしっかりと握る。
「ご丁寧にありがとうございます。オーギュスト・ベルトランと申します。我々はただ異変を知った者として当然の責務を果たしたにすぎません。感謝いただくほどのことではございません」
「ご謙遜を。ゲドヴィックを目指していたと伺っております。こちらにいらしたことで、かなり遠回りになりましたでしょう。よほど清い心根を持ったものでなかればここまでできません。さすがはベルトラン家。あなたはとても立派な神官です」
「いえいえ、領主殿こそ、急な訪問をお許しくださり――」
互いに胡散臭い笑みを浮かべて会話する二人を、アルドはげんなりとした面持ちで見る。この無駄なやり取りは一体いつになれば終わるのだろうか。
ちなみに、二人は未だに手を握り合ったままだ。
「っと、失礼。前置きが長くなってしまいましたな。謝礼代わりといってはなんですが、本日はどうぞこちらにお泊りください。大したおもてなしはできませんが、領地で採れた新鮮なチーズをぜひ振る舞わせていただきたい」
領主の申し出に、アルドは思わずばっと顔をあげた。泊まりだなんて聞いていない。このあとにはお楽しみが待っているのだ。領主の申し出はありがた迷惑だった。
当然断るよな、とオーギュストに目で圧をかける。といっても、オーギュストは背を向けているので気づかないだろうが。
「それは大変ありがたい申し出ではありますが……私はしがないヴィーシア教の神官。そのようなご配慮は過分なものにございます」
「なんと慎み深い。ですが、やはり貴重な情報をくださったお礼がしたいのです。領主として何もせずに返すわけにはまいりません。私の顔を立てると思ってどうか」
「そこまで言っていただいてはお断りできませんね。では、ご厚意に甘えさせていただきます」
よく言った、とアルドが思ったのも束の間、オーギュストは承諾してしまった。ふざけんな、とアルドは心の中で叫んだ。
「そうか、そうか、それはよかった! ではリオネル、あとは抜かりなく頼むぞ」
「かしこまりました。では、まずは客間にご案内いたしま――」
「オーギュスト、じゃあ俺は行くわ。また明日の朝な!」
アルドは強引に割り込み用件を告げた。案の定、二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「え?」
「あー……」
驚きの声をあげたのは家令。オーギュストはすぐに納得したようで、ため息交じりに天上を仰ぐ。
「失礼いたしました。どうぞお連れの方もご一緒に」
「いや、俺は買い物があるんでここで」
「ご入用のものでしたら、こちらでご用意させていただきます。そろそろ夕暮れ時になります。店を探すにも不慣れな町では時間がかかりますでしょう?」
暗に道に迷ったら店が閉まってしまうと告げる家令だが、その点に関して心配はなかった。アルドが行きたいのは夜の間ずっと開いている店だからだ。
「リオネル殿。構いません。行かせてやってください」
「ですが……」
「困ったことに、この者、女好きでしかたないんです。放っておいてやってください」
「おいっ」
オーギュストのあけすけな発言に焦るアルドだが、予想に反して家令は顔色一つ変えなかった。
代わりにアルドを見て、オーギュストを見て、再びアルドを見るという不可思議な挙動をする。
「なるほど。これは気が利きませんでした。そちらにつきましても抜かりなくご用意させていただきます」
「え!? いや、マジで!?」
アルドは耳を疑った。けれど、視線の合った家令は躊躇うことなく大きく頷く。
「おお……マジか……」
「お好みなどはございますか?」
「え、あ、じゃあ――」
ごにょごにょと耳打ちする。アルドのテンションはマックスだった。
「かしこまりました。手配させていただきます」
「よっしゃあー!」
嬉しい誤算だった。ここは領主の館だ。領主のプライドにかけても下手な女性は用意しないだろう。
それから晩餐会までの間、用意された客室で待機する。アルドは鼻歌混じりに武器の手入れをしていた。
「……顔が大変残念なことになっていますよ、アルド」
「んだよ、ちょっとにやけちまっただけだろ」
ここのところ主にオーギュストのせいで収穫がなかったのだ。にやけてしまうのもしかたない。何より、女性と遊ぶなら、この町が最後のチャンスだった。ポールスを出てしまえば、あとは小さな山村しかなく、とても女性と仲良くできるような場所ではなかった。
だからこそ、アルドは嬉しくてたまらない。こんなにも禁欲したのはいつ以来だろうかと考えながら、妄想に耽る。
それからどのくらいたっただろうか。窓の外が暗くなったころ、ドア越しに声がかかった。そしてドアをオーギュストが開けると、そこには昼間の家令がいた。
「お待たせいたしました。お食事の用意が整いました。ご準備がよろしいようでしたらご案内させていただきます」
「ありがとうございます。――アルド、どうですか?」
「もちろんすぐ行く! おし、早く行こう」
「ということのようですので、よろしくお願いいたします」
「ええ、ご案内いたします」
そして、その晩餐の席ではスタイル抜群の踊り子たちが待っていた。
アルドは食事もそこそこに、踊ったり、お酒を注いだりして回る踊り子たちを目で追いかけ、夜のお相手はどの子にしようかと全力で吟味にかかった。
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