第15話 譲れないもののためならば

 


 北区に入り、アルドはいくつかの酒場を見て回る。

 三年前に来たときは、アルドもまだ酒にほとんど興味がなかったため、この辺りの印象は薄い。それよりも、この通りの裏にうらぶれた武器屋があったとか、泥酔者に見せかけた情報屋がいたとか、そういった記憶のほうが強く残っていた。


 そんなことを考えながら歩いていると、ふいに背後に迫る足音に気づく。


「見つけた! 見つけました、アルド殿!」


 いつぞやの記憶がよみがえるが、声の主はオーギュストではない。アルドはため息をつきながら振り返った。


「ったく、誰だよ」


 目に飛び込んできたのは見覚えのある兵士の制服。よく見れば、アルドたちがベースキャンプに着いたときに門衛をしていた兵士だとわかった。

 兵士はやれやれといった表情で足早に近づいてくる。そしてそんな彼は同時に、ざわめきをも連れてきた。


「え……アルド……?」

「なに!? アルドだと?」

「アルドって、まさかあの?」

「どこだ! どいつだ!」


 アルドはチッと舌打ちをした。オーギュストに関わると本当にろくなことがない。

 ベースキャンプにおいて、アルドという名は特別なものだ。なにせ四武人アルド・デュロンには、迷宮神殿を踏破したとの噂があるのだから。それを信じる者と信じない者とは半々だが、あわよくば恩恵に預かろうと思わない者はない。


 だが兵士がアルドと呼んだ人物がこのアルドだとわかると、彼らは憚ることなく嘲罵した。


「なんだ、ただのガラの悪いガキじゃねーか」

「ったく、まぎらわしい名前しやがって」

「四武人のほうは礼儀正しい青年だったって聞くしな。……ねえな」


 最後の男はわざわざアルドを一瞥し直してから言った。アルドはこめかみをひくつかせる。


「そもそもこいつ、弱っちそ――」

「うっせぇ、黙りやがれ!」


 アルドは周囲を黙らせるべく声を張り上げた。と、そのアルドの肩ががっしりと掴まれる。――元凶の兵士だ。


「口が過ぎます、アルド殿。神官様の品位を落とすような振る舞いはやめていただきたい」

「ああん? なんであんたにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ」

「当然、神官様の御ためです。大体、なぜここにおられるのです? 勝手な行動は慎んでいただかねば困ります。神官様に不自由させるなど言語道断」

「どっちが勝手だよ。俺の仕事はもう終わ――」

「アルド!」


 再び背後から名前を叫ばれ、反射的に顔を歪める。今度は振り返らなかった。振り返らずとも誰であるかはわかっていた。


「よかった、こちらにいらしたのですね」

「なにしに来たんだよ。もう依頼は完りょ――」

「姿が見えなければ探しませんか? 雇用関係とはいえ、仲間なのですから」

「は?」


 思わず振り返り、アルドは唖然とした。人のよさそうな笑みに、少しだけ心配そうな色を加えたオーギュストは、それこそ心優しい神官にしか見えない。

 だが、それをアルドに向ける必要はない。アルドはもうオーギュストがただのいい人でないことは知っているのだから。


「なに呆けてやがる。神官様がこうおっしゃられたんだ、ここは身に余る光栄ですと頭を下げるところだろう?」

「はあ!?」


 頭を抱えたくなった。この兵士は完全にオーギュストに騙されている。さらに、どうやらオーギュストと一緒に来たらしいもう一人の門衛も、同意するよう頷き、その流れを強めていた。


「ああ、アルド、殿。私が足手まといであることは重々承知しております。ですがどうか見捨てないでください。私のためにも、害獣被害に苦しむ人々のためにも」


 アルドは大きくため息をつく。

 これはなんの茶番だろうか。身に余る光栄ですと言ってやれば、終わるだろうか。そんな生産性のないことをついつい考えてしまう。


「まだまだあなたのお力が必要なのです。どうか、お怒りをお鎮めください」

「あ?」

「申し訳ありません、申し訳ありません!」


 不機嫌な声をもらした途端、オーギュストが大げさに謝罪し始めた。途端に周囲の人々の眼差しが険しくなる。

 当然のことながら、アルドにオーギュストを責める意図はなかった。アルドとしては、どうしてアルドが怒っていることになっているのか、それが聞きたいだけだったのだが。


 少なくとも、オーギュストが何らかの意図を持って、こう振る舞っていることはわかった。あとはそれが何かわかればいいのだが――成果は期待できそうにない。なにせ、まったく会話にならないのだから。


 言いたいことがあるなら単刀直入に言えばいいのに、まだるっこしいことをする。さっさと説明しろと思いながらも、アルドの直感は早々にここを離れるべきだと告げていて、アルドはわずかに逡巡する。


「くそっ」

「ああ、申し訳――」

「黙れ! ったく、あんた、なにしにきたんだよ」


 ああ、聞いてしまった――とわずかに後悔しながら、オーギュストの返答を待つ。


「それは――アルド殿を迎えに、です」


 だよな、と思いつつまたため息をつく。

 だが知りたいのはその先だ。依頼は完了したはずなのに、なぜ迎えに来たのか。まさか報酬を渡すために捜しにきたわけではないだろう。いくらなんでもそんな都合よく考えることはできない。


「宿で待ってりゃよかっただろ。どうせ夜には戻るんだから」

「ですが、その前に色々と準備が必要でしょう?」

「準備? 依頼は完了した。準備なんてねーだろ」


 するとオーギュストが悲しげに顔を伏せた。そしてひどく申し訳なさそうに口を開く。


「やはり私がわがままを――害獣被害を領主に報告したいと申し上げたのがいけなかったのですね。そのせいで遠回りすることになってしまったから……」


 再び周囲がざわめいた。そのうちの何人かは恫喝するかのような声を出していきり立つ。

 耳をそばだてれば、当然のことをしただけだろとか、それをわがままだと言うなんてとか、必要なことなのに時間がかかったというのは人としておかしいとか、好き勝手な言葉が飛び交っていた。


 アルドとしては、だったら自分に置き換えて考えてみろよ、と言いたいところだが、神官様の信奉者である彼らではむしろ喜んで従いそうだ。きっと彼らの理解は得られないだろう。


 だが、五日で済むはずの旅程が十日に伸びたのだ。契約違反と文句をいってもいいくらいだった。と、そこまで考えてはたとする。問題はそこではない。なぜ突然オーギュストはその話題を持ち出してきたのか、だ。


「アルド殿。どうかお願いいたします。追加の報酬もご用意いたします。ですから、やめるなどと言わないでください」


 アルドは目を見開く。嫌な予感がした。先ほどの「準備」に続いて、「やめるなどと言うな」との言葉。これはまさか、護衛期間を引き延ばそうとしているのではないだろうか。


「まだ明日からの調査も、護衛をかかすことはできません。ですからどうか」

「ちょっと待て」


 アルドの予想は的中した。

 聞かなければよかったと思う。オーギュストがわざわざ人のいい神官様を演じていたのは、アルドが拒否しにくくなるようにするためだ。

 周囲がオーギュストに味方している今、ここでアルドが拒否すれば、今後、このベースキャンプでの行動がしにくくなるのは自明の理だ。オーギュストは初めからこれを狙っていたのだろう。


 依頼は本当に完了しているのだと説明したい。だが、今ここで肯定以外の言葉を口にすれば、彼らはこぞって糾弾してくるだろう。事実を説明したとしても、アルドの言葉が信じられることはない。すでに手詰まりだった。

 やはり最初の直感に従っておくべきだったとアルドは後悔する。


「オーギュスト……」

「神官様。こんなやつは捨て置きましょう。必要あらば我々が護衛をいたします。こんな無礼でやる気のない男など、こちらから契約を打ち切ってしまうべきです」

「ありがとうございます。お気遣いはありがたいのですが……私は人から彼のことを頼まれているのです。でなくとも……心が荒れてしまっている彼を放っておくことなどできません」

「神官様……」


 みなが感動の目をオーギュストに向ける。これは本当にどうしたものだろうか。

 探検家も護衛士も、実力だけではどうにもならない世界だ。時には運にかけなくてはならないこともある。

 ゆえに信心深くなるのはわかる。だが、同時に彼らは慈悲だけで成り立つ世界などないことも知っているはずだった。それなのにどうして、こうも簡単にオーギュストの誘導にかかってしまうのだろうか。


「もう、いいか」


 アルドは背を向ける。

 そもそもアルドはベースキャンプに用はないのだ。ここでオーギュストを無視して居心地悪くなったとしても、関わるのは一夜限り。どうでもいいことだった。あとはオーギュストが宿に戻ってくるのを待って、報酬を奪えばいいだろう。


「おい、どこに行く」

「その慈悲深き神官様と、馬鹿な信奉者がいねー場所かな」


 顔だけ振り向けて、厭味ったらしく口にする。そしてそのまま立ち去ろうと歩き出すが、そんなアルドに兵士が手を伸ばす。


「きさまっ」


 アルドに掴みかかろうとした兵士を、オーギュストが片手を上げて制す。アルドは眉を跳ね上げた。


「お止めを」


 従って当然というような、戦闘力とは別の威圧感でもって、オーギュストは兵士の動きを止めさせる。上に立つ者に多い驕った振る舞いだ。それをオーギュストが当然のように行使していた。

 アルドは目を細めてオーギュストを見る。体中に嫌悪が広がっていた。



 神官とは本来、人に寄り添う存在だ。人を知り、人に寄り添い、支える。神官が清貧に努めるのは、苦難の多い貧民たちの心に添うためだ。

 それによって信用を集めるのは当然の成り行きかもしれないが、それは決して、自らをよく見せ、多くの支持を集めるためのものではない。ましてや人を従わせるためのものではなかった。

 それがいつのころからか忘れ去られ、神官こそが人を導くのだと勘違いする者が増えた。いや、むしろ今は、そういった神官しかいない。


 アルドはひそかに、オーギュストは神官の中ではいい方かもしれないと思っていた。甘さはあるものの正義感が強く、その偏りさえ何とかなれば、かつていたような本物の神官になるかもしれないと期待していた。

 けれど、どうやらそれは買いかぶりだったようだ。今の振る舞いを見て理解した。オーギュストもやはり、自らを指導者のように考えるただの神官様だったのだ。


 多くの信用を集める神官「様」は偉い。今はそんな神官たちしかいないため、アルドは神官が嫌いだった。


 ――エセ神官め。


 アルドは毒づいた。だが、そんなアルドの変化にオーギュストはまだ気づいていない。


「どうかお止めください。争いはなにも生みません」

「ですが! ですが、こいつは人間のクズです。一度思い知らせたほうがいいんです。でないとまた神官様にご迷惑をおかけするに違いありません」

「そうだ、そうだ! 思い上がりやがって」

「人のいい神官様に付け入ったこいつは罰されるべきだ」


 兵士がアルドを指して訴え、周囲がそれに同調する。だが、オーギュストは静かに首を振った。


「クズだなど……そのようなことを言ってはなりません。彼もまた人間なのです。彼を心配する者もいるのです。そんな彼をどうして放っておくことができますでしょうか。みなさんどうかご理解ください。そしてできることなら、温かく見守っていただきたい」

「けれどやはり心配です。たとえこの男が依頼を継続したとしても、いざというときに神官様をお守りするとは限りません。神官様にもしものことがあったらと思うと……」

「ありがとうございます。ですが大丈夫です。彼は自分の非も、やるべきことも、きちんと理解していますよ。ただ素直になれないだけなのです」


 それはどこのくそガキだと思いつつ、オーギュストの言葉を聞き流す。怒るだけ無駄だった。ここに味方はいないのだから。


「アルド殿」


 オーギュストがゆっくりと近づいてくる。周囲の目を引き連れて。


「アルド殿、契約通り、どうか最後まで勤めていただけますか?」


 アルドはぐっと眉間にしわを寄せた。

 契約通りなら依頼は完了したはずだ。わざわざオーギュストがこんな茶番を用意してまで認めさせるようなことではなかった。話の流れでは、護衛期間を延長させたいといった内容だったと思うのだが、違ったのだろうか。

 だとするならば、目的はアルドに条件を飲ませることではなく、周囲の歓心を集めること――くらいしかないが、果たして。


「契約通り、でいいんだな?」

「ええ」

「わかった」


 一抹の不安は残るものの、アルドは頷いた。契約書はきちんと確認している。なにも問題はない――はずだ。


「では、宿に戻りましょうか」

「ああ」


 考えてもわからないものは仕方ない。アルドとしてはこの四面楚歌な状況から抜け出すことの方が重要だった。あとは宿に戻ってから、何のつもりだとオーギュストを問い詰めればいい。

 そこで、報酬をもらって――オーギュストとはおさらばだ。


 

 

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