第37話 It's name Kurishina


 湿度が高く蒸し蒸しする日だった。天気予報では昼頃から雨が降ると言っていたからそのせいだろう、いっそ思い切って降ってくれれば涼しくなるのにと思うが、それはそれでやんだ後の湿気が怖い。

 そんなどんより天気の日、チームの格納庫に九重祭や武者小路炉々と同い年の少女がやって来て、ビシッと敬礼をキメながらハリのある華やかな声を響かせる。

  

「水篠心愛、本日よりチームに参加しまっす! よろしく〜」

 

 大学で試合を見学したあの日から丁度4日後、水篠心愛がラガーマシンの免許証を片手にやってきた。

 

 セミロングの髪をローテールに縛ったおかげかいつもより小顔に見えてスッキリしている。服装もハーフパンツにダボついたTシャツで、シャツの裾は結んでいるため、敬礼をした時に裾が捲れ上がってオヘソの少し上くらいまで大胆に見えてしまっていた。

 

「ようこそ、待ってたわ。今ちょうど機体の調整をしてたところよ」

 

 方々から「よろしく〜」の声が上がる。当初から免許証取得したらチーム加入という事になっていたため、彼女の言葉に驚く者や拒否する者はおらず、スムーズに受け入れられる運びとなった。

 

「おお〜ラガーマシンだあ、私の機体はどれかな。あっ、私の事は気軽に『心愛』って名前で呼んで! 私も名前で呼ぶから」

「ういっす、まあ自分は既に呼んでるっすけど」

「あっしも『枦呂』って呼んでくだせぇ」

「やったぁ、勿論男の子達も呼んでいいよ、特にウサミン」

「えっ……僕っ!?」 

 

 格納庫の一番端っこで、武尊と共に試合で使えそうなプログラムを組んでいた宇佐美へ心愛が呼びかける。その顔は期待の眼差しと朗らかな笑みで彩られていた。

 

 対する宇佐美は戸惑いと緊張で表情が強ばっており、また名前呼びへの照れから頬が赤く染まり始めていた。

 

「み……」

「み? ふふん」

 

 奥歯にものが挟まったような物言いの宇佐美に対して、煽るようにオウム返しする心愛。心無しか頬が緩んでドヤぁな顔になっている。


「み……水篠さんで」

 

 宇佐美は真っ赤な顔でようやくそれだけを絞り出した。

 

「むぅ」

 

 宇佐美にとって女子の名前呼びは相当ハードルが高いらしい。

 ヘタレた宇佐美は置いておいて、面白くないとでも言うように頬を膨らませながら、心愛は他のメンバーの挨拶を程々にすませて格納庫を練り歩く。

 

 格納庫内ではチームメンバーの他に整備士が忙しそうに駆けずり回っている。この整備士達はつい最近九重祭の祖父である九重義晴が雇った者達である。

 整備士長である小沢聖の指揮の元、彼等は担当して間もない機体の整備をおこなっているのだが、どうやらまだ機体のクセを掴みきれていないようで、仕様書とにらめっこしながら、おっかなびっくり作業していた。

 

「小沢さんですよね? 私、水篠心愛っていいます。今日からチームに参加する事になりました」

 

 聖が整備士達への指示出しが終わって一息ついたタイミングを見計らって、心愛は整備士長の小沢聖へと声をかけた。

 彼女はやや気だるげに心愛を振り仰ぐ、余程暑いらしく作業着のジッパーを開けて下着に覆われた瑞々しい胸部を晒していた。それどころか振り仰ぎながら下着の前フックを外して完全に露出させてしまう。近くに男がいたら決してできない所業だ。

 

「ちょ、ちょちょちょ! 何で脱いでるんですか!?」

「あなたが心愛ちゃんね、よろしく」

「私の話も聞いて!? あとよろしく!」

 

「だって暑いんだもの、それに作業中だと胸が蒸れて気持ち悪いのなんの」

「いや冷房はいってるじゃん、確かにあんまり効いてないけど。それに暑いからって……ここには男の子もいるんですよ」

「見えないよう角度を調節してるから平気よ、まあ見られたところで減るものじゃないし……むしろ減ってほしいから気にしないわ」

 

 あっけらかんと聖は笑う。ケラケラと笑う時に上半身を揺らしたおかげでその豊満な胸が大層揺れる。下着をつけていないゆえ尚更揺れる。

 

「気にしてください! せめてブラはちゃんと」

 

 心愛は聖の前に立つと、強引にブラを止めて胸を隠すようにしながら作業着のジッパーを上げた。

 

「心愛ちゃんって結構ウブなのね……そうそう、あなたの機体は8番ハンガーだから見ておいてね」

「あ、はい」

「他に聞きたい事はある?」

「えぇと、じゃあ……ウサミンの機体ってどれですか?」

「ハミルトンなら私の後ろにあるのがそうよ」

 

 聖の視線に合わせて心愛がそれを振り仰ぐと、そこには赤いラガーマシンが存在していた。規定サイズ最小の4mギリギリ、アメリカンフットボーラーを思わせるメット、アイシールドのような物の奥ではカメラアイが垣間見えた。

 

「これがウサミンの機体なんだ……真っ赤なボディに黒の下腹部、緑もちょっと混じってて……なんだかスイカっぽい」

 

 因みにハミルトンは食用のラガーマシンではない。

 心愛のスイカ発言を聞いて聖は思わず「ぷっ」と吹き出した。そしてバンバンと作業テーブルを叩きながら声高に笑う。

 

「あっははは、スイカっ! 確かにスイカだわ! あははおかしい!」

 

 目に涙を溜めお腹を抱える、しまいにはそのまま床に転がってバシバシと床を叩き始めた。

 嫣然えんぜんとは正反対の下品な姿である。

 

「そ、そんなに笑わなくても」

「いやあだって言われてみるとホントにスイカにしか見えないんだもん。塩かけたら美味しいかもしれないわ」

「た、食べないですよね」

「食用なら食べたかも」

「えぇ……」

 

 ホントに食べてしまいかねない物言いに若干引きながら、心愛は別れを告げて8番ハンガーへと向かう。聖の言う通りならそこに自分のラガーマシンがある筈だ。

 

「8番8番……6……7……あった!」

 

 ラガーマシンを吊るすハンガーの支柱にデカデカと書いてある数字を確認しながら歩くこと数分、頭頂部と顔から角を生やした気持ち悪い機体の隣で8番ハンガーを見つけるに至った。

 全長4.8m、サイズこそ大きいが機体そのものはどちらかというとスマートなもので、丸みを帯びた肩や前に突き出た胸部アーマー、下腹部へかけて収束するように細くなった腹部をみると女性的なフォルムを想起させる。

 

「思った通り、可愛いじゃない! やっぱり可愛いくピンクよね」

 

 チームカラーは赤なので、心愛はカラーリングの要望欄に『ピンク色で可愛いく』と赤系統のピンクでの塗装を依頼した。

 そして出来上がったのがこの女性的なフォルムをたたえたピンク色の機体である。同じピンク色でありながらマッシブボディで可愛いさから外れたエルザ・レイスとは正反対といえよう。

 

 心愛が自分のラガーマシンに見惚れていると、整備中だった担当整備士の男性が心愛に気付いて近寄ってきた。

 

「水篠心愛さんですね。私は中島と申します。この度水篠さんのラガーマシンを担当することになりました」

「はい、よろしくお願いします」

 

 短い挨拶を交わした後、中島はタブレットの画面を見えるように差し出した。そこには小難しい文章が立ち並んでおり、その所々に空欄ができている。

 有り体にいえばただの登録書である。必要な情報を記して機体に反映させる、ソーシャルゲームでいえばマイプロフィールみたいなもの。

 

「早速ですが、機体名を登録してもらえますでしょうか。今は暫定として8番機と命名していますので、そこを消して貰って……ついでに背番号も決めて頂けると」

「名前はもう決めてるんだよねぇ……えへへ、この機体の名前は『クリシナ』にします。私の好きなアスリートの名前からとったんだ」

 

 照れ臭そうに微笑みながら心愛は機体名の欄に『クリシナ』と手書きで書き記す。

 続いて背番号、これは非常に悩む。ラグビーやアメフトだとポジション毎に背番号が決まっているためそんなに悩むことはないのだが、ラフトボールはそのような決まりがないため自由に選ぶ事となる。

 これが非常に悩ましいのだ。

 

「う〜ん、どうしよう。ねぇ、参考までに聞きたいんだけど、ほんとに参考までになんだけど! ウサミンの背番号はなんなの?」

「上原君ですか……たしか44でしたね」

「じゃあ……40にしようかな……うん」

 

 ほのかに頬を染めてモジモジと指を絡める。背番号を宇佐美の44に近いものにしたのは、単純に番号を近づけることでお互いの距離感を縮めようという錯覚を感じたいだけのことである。

 

「ではこれで登録しておきます」

 

 それだけ告げて中島はそそくさと8番ハンガーを離れて小沢整備長の元へと歩んで行く。一人残された心愛はボゥとクリシナを見上げる。

 やはり自分の機体を持つ事は感動する。正確にはチーム保有のラガーマシンを借りているだけで自分の物というわけではないのだが。自由なカスタマイズや自分に合わせたコックピット周りの調整等は否が応でも個人の所有物だと思いたくなる。

 

 そんな感じで感慨に耽っていると、ある事を思い出してクリシナの背後へと回り込む。

  

「あれはあるかなあ?」

 

 正面からでは見えづらい腰の位置、そこに取り付けられているパーツを確認した心愛は満足気な笑みを浮かべて「うん」と頷いた。

 

「ちゃんとついてる。これも練習しなきゃなあ」

 

 それはとても扱いの難しい装備、しかし使いこなす事ができればフルバックとしてこの上ないアドバンテージをとることができるかもしれない。

 しかし相当に難しい、実際のプロ選手でも使っている人は少ないくらいだ。だがそれゆえにやりがいはある。

 

「よしっ、頑張ろう」 

 

 誰にも聞かれないよう小さな声で気合いをいれて己を奮起させる。

 試合まで残り3日の出来事であった。

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