6.スイッチ(菊地幸次郎)
……よお、久しぶり。てか、なにそのティーシャツの絵、デカいネズミみたいなの。え、ウォンバット? そういう動物がいんの? へえ、オーストラリアに。あいかわらずヘンなもんが好きだなあ、坂田は。
わりぃな、急に呼び出して。びっくりしたっしょ。うちの学校のやつらに聞いても、だれもおまえの連絡先知らなくてさ。そういや一年生のころ、坂田ってケータイ持ってなかったもんな。で、そう、三谷くん経由で。なんか伝書鳩みたいなことさせて申し訳なかったけど。あ、そうなんだ、よかった。やっぱいいやつだな、三谷くん。
図書館、よく来るの? へえー。俺、こっちのデカい公園にはたまに来てたけど、図書館にはほとんど入ったことねえわ。すぐとなりにあるのにな。自習室なんて存在も知らなかった。けっこう集中できるもん? へえー。まあ、俺は家でやるのが一番いいかな。って言うほど勉強してねえけど。ははっ。
あー、受験なぁ。あ、三谷くんから聞いた? うん、そう。いまんとこ第一志望は
坂田は、志望校……まって、当てる。瀧高だべ、
……はぁー。まって、緊張してきた。
いまさらだよな。今日はさ、だから、そのクソガキの大やらかしの後始末に来たってわけ。
あのな、これ、おまえに返したくて。
なんだっけ、じゃねえよ! そうだよ、おまえの鍔止めだよ。稽古中に鍔止めなくなったことあったろ? あれ、俺がパクったの。ごめん。マジでこのとおり。「あー……」って。忘れてたのかよ。なんだもう、緊張して損した。
坂田さ、俺があいつらにいじめられてること、青木先生に言ってくれたっしょ。ああ、いいよもう、それは。俺もさ、もしおまえの立場だったらって考えた。難しいよな。どのタイミングでだれに言って、どう対処してもらえるかなんて、一か八かの賭けだと思う。言わなきゃ言わないで「見て見ぬふりした」ってあとから非難されるし。なにが正解になるのか、俺も未だに分かんねえ。ただ、当時は自分のことでせいいっぱいで……そんなとき、あの人に言われたんだ。
イルカに。
俺が戸田たちにやられたことを、なんでもいいからひとつ坂田にやってみろ、って。それで俺、おまえの鍔止めを盗ってみたんだ。そしたら、あっさりターゲットがおまえに移って。なんだこれ、って拍子抜けした。
うそだろ、イルカのこともうろ覚えなの? ああ、たしかに、おまえはあのときの一回しか会ってないのか。でも、それを言ったら俺だって二回しか会ったことねえから。どういう人って……うーん、おまえとちょっと似てた気がする。見た目もだけど、雰囲気が。そう、ファンタジーの年とらない種族。ははっ、この例え、けっこう使えるな。
あっ……。
いや、わりぃ、急に。言っていいことなのかな、これ。
あのさ、おまえが色々覚えてないのって、単なる物忘れじゃなくてショックで記憶が飛んでるんじゃねえの。あり得るだろ、それ。俺が言える立場じゃないけど、あんなことがあったんだから。
そっか、タバコのにおい……吸ってたもんな、岡部。でも、それじゃあ日常生活、大変なんじゃねえの? 喫煙できる店なんてまだけっこうあるじゃん。ああ、条件がかさなるとダメなのか。甘い匂いと人の匂い……って言ったら、お祭りとかはちょっと危ないのか? それこそこのあいだの花火大会とか。あ、それは行けたんだ。じゃあ、よかったな。
実は俺もさ、あのときと同じサイダーがいまでも飲めないんだ。そうそう、おまえに頭からぶっかけたやつ。ラベルを見ると思い出しちゃうんだよな。
ああ、俺もそうだったよ。学校休んでたとき、外に出るのが怖かった。近所のコンビニに行くだけでも指名手配中の犯罪者みたいにビクビクして。なんでああなっちゃうんだろうな。べつにこっちが悪いことしたわけじゃないのに。いや、まあ、俺はおまえにけっこうひどいことしたけど。
あー、それも分かる。あいつらに似てるやつ見かけるとドキッとするよな。ただ、戸田は家族ごと東京に引っ越したから、もうこの町で会うことはないと思うぞ。有名私立高校だってよ。笑っちまうよ、あんなセコいことしてた野郎が。ああいう小賢しいやつがうまいこと出世するんだろうなぁ。
ほかのふたり? あー、亀山は、名前書けば受かるような高校行ったってことしか聞かねえ。あいつはさ、ぶっちゃけただの腰巾着だったじゃん。ぬるい空気に流されて、強いやつにくっついて、自分の頭じゃなんにも考えてなかっただろ。きっといまもそうで、これからもそういうふうに生きてくんだよ。虚しい人生だな。やべ、いまちょっとだけスカッとしたかも。
岡部は……。あの人は、もう俺たちの見える世界にはいねえと思う。高校は女孕ませてすぐ退学したって。そのあとは半グレみたいなやつらとつるんで、いまはもうどうなってるのか。いつかニュースで逮捕されたって名前が出るかもしれない。俺はわりと本気でそう思ってるよ。
なあ、中一のころって、先輩がめちゃくちゃ大人に見えたよな。三年生なんて神様みたいな存在で、たてつくなんて考えただけでションベンちびりそうだった。
でも、自分が三年生になってみて、全然そんなことなかったんだってびっくりした。デカくなったのは図体だけで、それ以外にどこが成長したのか分かんねえ。いろんなとこがガキのまんま。下級生に偉そうな口ききながら、ときどき笑っちゃいそうになるよ。ガキが背伸びして、なにを知ったように語ってんだ、ってさ。
あいつらもきっとそうだったんだろう。戸田も亀山も、岡部も、所詮はたった十四、五歳のこどもにすぎなかった。けど、その『こども』に俺たちは潰されかけたんだよな。楽しかったはずの部活が少しずつ憂鬱になって、部活以外の時間も部活のこと考えるようになって、そのうち夜寝るのが怖くなって、朝が来ると絶望して。
馬鹿みてぇだよ。あいつらがいなくなっても、俺は未だにあのラベルのサイダーを飲めないし、部室のドアをひとりで開けるのが怖いままだった。おまえは転校して、記憶まで抜け落ちて、なのにあのときと似た匂いを嗅ぐといまでも気持ち悪くなっちまう。もうあいつらの影はどこにもないのに。
こんなに帳尻のあわないことあるか? やられた方はずっと忘れない。忘れられない。向こうにもなにか事情があったんだろう。親とうまくいってないとか、家庭で問題を抱えてるとか。でも、だから? それがなんだっていうんだ。情状酌量の余地とか、そんなの俺たちが考えることじゃねえだろ。俺は許せねえよ。どんなに謝られたとしても、俺は許す気にはなれない。
だけどさ、「許せない」って怒りが募る分だけ、気づかれないようにそっと目をそらす自分もいるんだ。
だったら俺は、どうして坂田の鍔止めを捨てられなかったんだ、って。
結局、俺も許されたいんだ。
この鍔止めを返して、ごめんって一言謝って、それでもうスッキリしたい。加害者の看板を下ろして百パーセントの被害者になりたい。そしたら全部、楽になる。「痛みを知って強くなりました」って顔で堂々と悪を糾弾できる。
汚れた手を見つめながら、そっち側に行きたい、って願ってるんだ。
だからさ、おまえは俺を許さないでくれ。
いまさら友達になろうなんて虫のいいことは言わねえ。もともと俺ら、そんなに仲良くなかったしな。おまえは俺のこと、友達だって言ってくれたけどさ。
あ、それも覚えてない感じ? イルカに「菊地くんは友達?」って聞かれて、おまえは「友達です」って答えたんだよ。イルカには嘘だって見抜かれてたけどな。てか、俺もぶっちゃけそう思ったし。だって坂田、もし「三谷くんは友達?」って聞かれたら、そんなお利口さんな答え方しないっしょ。「くだらねえこと聞いてんじゃねえ!」って蹴り入れてると思うぞ。ははっ。気をつけろよ、おまえ、たまに嘘つくのすげぇ下手なときあるからな。
俺さ、坂田に友達って言われたあの瞬間、自分でもワケ分かんないくらい腹立ったんだよね。なんであんなにムカついたんだろうってずっと説明できなかったけど、いまふりかえると、たぶん、いっしょに戦ってほしかったんだと思う。
それが難しかったのは、もうちゃんと分かるよ。けど、あのときはとなりに来てほしかったんだ。安全圏から出てこないくせに何が友達だ、白々しい、って……自分だけ真っ白なままでいようとするのが許せなくて……うん、それがスイッチだった。パチンって泡がはじけるような感覚。自分でも信じたくないけど、おまえの頭にサイダーぶっかけたとき、俺、ちょっと笑ってたんだぜ。これで俺はもう独りじゃない、って思えたから。
いやぁ、こう話すとやっぱ俺ら、ゼンゼン友達じゃなかったな。本当に大事な友達なら、巻きこまないように遠ざけるはずだもんな。
……えーっと、どういうこと? 「許さないができない」って。許すってこと? 許すこともできないの? じゃ、なんなんだよ、ワケ分かんねえ。
……ふーん。
歴史、かぁ。俺とおまえの間にできた歴史、ね。許す許さないの次元とはもう別ってことか。うーん、分かるようで分かんねえなぁ。ま、いいけど。じゃあ、あいつらのことは? あ、そこはマジで許さねえんだ。だよな、ちょっと安心した。
なんか、急に図書館から人が出てきたな。
えっ、もう閉館なの? うわ、わりぃ、そんな時間経ってたのか。おまえ、荷物とかアレじゃん、持ってこねえと。
……なんかあの人、こっちに手ぇ振ってない? 女? 男か。ああ、知りあいなの? そっか、じゃあよかった。荷物持ってきてくれるなんて優しいやつだな。あれ、ていうか、あの人ってもしかして……。
あ、うん。今日はわざわざサンキューな。三谷くんにもよろしく言っといて。えーっと、じゃあ、またな。勉強がんばれよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます