3.リフト・オフ(坂田直也)

 僕が塾の夏期講習で缶詰めになってるあいだに、那智さんが友達を作ってました。

 ひとりはカフェバーの店員さんのキョンちゃん。カフェバーなんておしゃれだよねぇ。夏期講習明けにふたりでお店に行ってきたんです。気さくな人だった。すらっとしてて、長い髪を後ろで結んで、うっすらお化粧してたかな。年上にちゃん付けは失礼かと思って「キョンちゃんさん」って呼んだら、「キョンちゃんでいいわよぉ!」って笑ってた。

 お客さんもそれなりに来てました。やっぱりゲイの人が多かったかな。分かりやすい人もいれば、全然そう見えない人もいた。ゲイって那智さんやキョンちゃんみたいに中性的な見た目の人が多いのかと思ってたけど、キョンちゃんに聞いたら、

「アタシらみたいなのはむしろ少数派よ」

だって。

「どっちかっていうとヒゲとかマッチョとか漢臭い感じのほうがモテるかなぁ。まあ、そういう傾向があるってだけで、いまの若い子たちはルックスにはあんまりこだわらないかもね」

 ふーん。やっぱり餅は餅屋ってやつだな。ふしぎな空間だったけど、意外と居心地はよかったです。帰りがけ、「困ったことがあればいつでも言ってね」って連絡先までもらっちゃった。キョンちゃん、いい人だなぁ。

「あんなお店よく見つけたね」

 電車を待ちながらそう言ったら、那智さんも「ね、びっくり」って気の抜けた顔してた。

「ネット見てたらたまたまヒットしたんだ。まえにも検索したことはあったけど、県外だったり未成年お断りだったりで、気軽に行けそうなとこなくて」

「那智さんは、個人で知りあったりはしないの?」

「うーん。試したことあるけど、正直に年齢書いたらエロい自撮り送ってとか、いくらでヤらせてくれる? とか、なんか即物的な大人が群がってきちゃって」

「お、おぉ」

「頼んでもないのに経歴ズラズラ並べて人生相談させたがる人とか、あとは妻子持ちですが誠実なおつきあいをしたいですとか」

「誠実な不倫ってあるの」

「家庭を持つことと恋愛は別なんだろうね、その人にとっては」

 なんだかなぁ、と那智さんはホームの屋根を見あげた。

「未成年ってことに価値があるのかな。普通にやりとりしてた人も何人かいたけど、結局、気疲れしてやめちゃった。まあ、学校でケータイ覗かれても面倒だし、俺が変な人に会ってうっかり弱み握られでもしたら、翔馬に顔向けできないしね」

「そっかぁ」

 その日は「また一緒にお店行こうね」って別れたんですけど、実はもうひとり仲よくなった人がいたらしくて。

 今日、那智さんの部屋で勉強してたとき、花火大会の予定を聞いたんです。三谷にもああ言われたし、一応ね、僕らつきあってるのに恋人らしいこと全然してないから。僕はいいんだけど、那智さんはもっとデートみたいなことしたいのかなぁ、なんて。デートみたいなっていうか、デート。そう、デートよ。デートのお誘いをね、したのよ、俺が。

 そしたら、

「あ、ごめん。それ、クラスの友達にも誘われてて」

 とか言って。あっさり断ってやんの。

 那智さんの話によると、友達は芳根よしねさんっていう女の子だそうです。

「長い髪をぐるんぐるんの縦ロールに巻いてるから、クラスでお嬢さまって呼ばれてる子なんだけど」

「お嬢さまなの?」

「いや、商店街の焼き鳥屋さんの娘」

 いい匂いしそう。

「教室では接点なかったけど、こないだ駅前のドラッグストアでばったり会ってさ。声かけられたとき、俺、ちょうど化粧品コーナーでファンデーション選んでるところだったんだよね」

 ファンデーションがなにかさえ僕には見当つかなかったけど、男があんまり手に取らないものだってことはなんとなく分かりました。

「あわてて棚に戻したんだけど、棚全体ががっつり化粧品コーナーなわけじゃん。終わったわー、って。もう言い訳のことばも出なくて。でも、芳根さんは全然気にしてない感じで、夏はお肌テカるよねぇ、こっちの下地クリーム使うとファンデのノリいいよ、なんておすすめコスメを紹介しはじめたわけ」

「え、こわ。気ぃ遣ってスルーしてくれたってこと?」

「俺も一瞬そう思ったんだけど、そのあとやっぱりっていうか、急に声をひそめて……」


 ――君嶋くん、もしちがったらごめんね。もしかして、君嶋くんって……。


 来た。これは来るでしょ、あの質問が。

 僕はなんだか怪談話でも聞いてる気分で、前のめりになって拳を握りしめてました。

 那智さんは、芳根お嬢さまに似せてるらしい口調で、


 ――もしかして、君嶋くんって……。


 君嶋くんって……?


 ――コスプレイヤーなの?


「そっちかい!」

 叫んじゃった。そっかー、そっちかぁ。たしかにコスプレなら男も化粧するもんなぁ。

「レイヤーっていうんだね、そういう人。芳根さん、身近にレイヤー仲間がいなくて、イベントにはいつもひとりで参加してるんだって。で、次のイベントでヨムタンの津田山茶花のコスプレしようと思ってたんだけど、ヨムタンってほら、今度、翔馬が実写映画に出るじゃん。空木霜明の役で」

 用務員探偵シリーズ。坂本さんがまえに同性愛の泣ける映画って言ってたから、てっきり湿っぽい恋愛モノなのかなと思ってたら、中林が「ミステリーだよ」って原作漫画を貸してくれました。おかげで僕もすっかり霜明ファンです。

「芳根さん、俺と翔馬の顔が似てるから――似てるもなにも兄弟なんだけどね――もし俺もレイヤーだったら、俺が霜明、芳根さんが山茶花になってペアでイベント参加できるかも、って。それでもう完全な早とちりでおもわず声かけちゃったんだって」

 那智さんは、そこでようやく肩を震わせて笑いました。

「すごいよね。こっちは、女装趣味なの? オカマなの? みたいな質問に身構えてたのに、芳根さんの頭のなかではコスプレイベントが開催されてたなんて」

「芳根さんは、那智さんが翔馬くんの弟だってことは知らなかったんだ」

「そうみたい。ていうか、うわさには聞いてたらしいけど、偶然似てるだけだと思ってたって。俺も自分から言いふらすことはないしさ。でも、今回はさすがに言わないほうが不自然でしょう。だから、教えたわけ、本当に兄だよ、って。そしたら……」


 ――君嶋くん、ごめんなさい、ちょっと語らせてちょうだい。


「って、腕をガッとつかまれて、気づいたらファミレスで二時間」

 充実してんなぁ。

「そのとき、芳根さんにさらっと言ったんだよね。俺も男が好きなんだけどさ、って」

「え?」

 麦茶のグラスのなかで、氷がからんと音をたてた。

「三回目かな、自分からカミングアウトしたの。中学の修学旅行の夜と、直也のときと、芳根さんと」

 照れくさそうにうつむいて、那智さんはくるぶしソックスのつま先を意味もなくさすった。

「二日目の夜だった。おなじ部屋のやつらで、好きな子いる? って話になって。俺はさ、言ったらどんな空気になるかなんとなく分かってて、でも、なんとなくしか分かってなくて、言っちゃダメだって気持ちとおなじくらい、なんで言っちゃダメなんだ、とも思ってたんだ。みんなは恋バナもエロい話も好き放題できるのに、なんで俺だけ、って」

 一艘の舟が音もなく湖畔に漕ぎだすような、そんな気配がありました。那智さんは話そうとしてる。いままでずっと人に話さなかったことを。

「フォークソング部の、あいつのことが好きだって言った。そしたら案の定、え、まって、やばくね? みたいな。半笑いで、でも顔がひきつってて。まあまあ、人それぞれじゃん、って取りなしてくれたやつもいたけど、やっぱり変な空気のまま、先生にいい加減寝ろって怒られて、なし崩しに布団かぶった。最後の夜で助かったよ。あれがもう一晩つづいたら、俺もみんなも地獄だったと思う」

 氷で薄まった麦茶に那智さんが口をつける。僕もつられてコップに手を伸ばした。たぶんこの家で昔から使われてるんだろう、黄色い花模様のコップ。

「でも、俺が教室で浮いちゃったのは修学旅行がきっかけじゃなかったんだ。うわさにはなったけど、表向きはみんな知らないふりしてくれて、友達とも変わらず話せてた。溝ができたのは二学期に入ってから。きっかけは、剣道部の暴力事件だった」

 耳の奥がビィンと響いた。バネが勢いよく跳ねるみたいに。

「……なんで」

 顔が浮かんだ。ずっと思い出さないようにしてた顔。二年の亀山先輩、三年の戸田先輩、それから、岡部先輩。

 僕の顔色をちらっと見て、那智さんは、

「きっかけって言っても、ドミノ倒しみたいなもんだけどね」

 と、再び話しはじめました。

「あの暴力事件のあと、うちの担任が心労で休職しちゃったんだ。なんせ主犯の戸田と岡部、リンチを目撃したイルカ、被害者の一年生を発見した俺……あの事件に絡んだほぼ全員がおなじクラス、三年一組の生徒だったから。責任の半分は剣道部の顧問、もう半分はクラス担任にある、ってのが学校や保護者の認識だった」

「イルカ?」

 馴染みのない名前を聞きかえしたら、那智さんはふしぎそうな顔で僕を見ました。

「リンチ現場に連れてこられた三年生だよ。直也もあのとき会ってたはずだけど」

 覚えてない。いや、そういえば知らない人がひとりいた気がする。なんで忘れてたんだろう。いまのいままで記憶から消えてた。

「剣道部を退部になっても、戸田と岡部はどこ吹く風だった。戸田のほうは母親が学校に乗りこんできて、うちの子にかぎっていじめなんて! って大暴れしたらしい。逆に岡部は親すら出てこなかった。で、そうこうしてるうちに担任の先生が倒れて、急遽、副担任が担任にくり上げされた。それが吉澤よしざわ先生。知ってる? ヨッピー。いつもネクタイとワイシャツの色が微妙に合ってない……」

「もしかして、国語の先生なのにやたら英語を使いたがる……」

「そう、そいつ」

 朝のあいさつ運動でグッモーニンって連呼してた男の先生を思い出しました。あの人が吉澤先生か。

「ヨッピーはね、悪い人ではないんだけど、熱すぎて逆にサムいみたいな先生で」


 ――このクラスは生まれ変われる! 今回のことを他人事と思わず、みんなでいじめについて考えよう! レッツ、チャレンジ!


「ああ、俺、苦手なタイプかも」

 おもわずしょっぱい顔をしたら、那智さんも「ね」と苦笑いした。

「ヨッピーはひとりで妙にはりきって、教室の後ろに目安箱を設置した。言いにくいことがあったらなんでもこの箱に入れてほしい、みんなでクラスを良くしていこう、って。それからわずか数日後、目安箱に一枚の紙が入ってた」


『このクラスに同性愛者がいます。

 授業中もこっちを見てきて気持ち悪いです。

 助けてください』


「そうだ、あれ開けよう。直也が持ってきてくれたやつ」

 そう言って、那智さんはかっぱえびせんの封を切った。おなじみの塩っぽい匂いがふわっとひろがる。袋ごと差しだされて、僕はとりあえず数本つまんで口に放りこんだ。

「聞きたくないけど、それでどうなったの」

「そりゃもちろん、ヨッピーは勇んで国語の時間を学級会にしたよ」


 ――だれなんだ、こんな悪ふざけをしたのは!


「紙の文字はご丁寧にプリントアウトされてて、投稿者を筆跡で探すことはできなかった」


 ――いいか、先生はきみたちを信頼してあの箱を置いたんだ。これまでも思いやりについてさんざん話しあってきたよな? 正直、先生はいま、裏切られた気分だよ。


「探偵が証拠を見せるように、ヨッピーはその紙きれを高々と掲げた」


 ――それでも、俺はもう一度みんなを信じようと思う。さあ、勇気を出して名乗り出てくれ。いったいだれなんだ、このクラスの大切な仲間をホモ呼ばわりしたやつは!


「……ん?」

 えびせんをつまんだ指が止まる。

 それはつまり……。……ん?

「時が止まったみたいな沈黙が流れた。それから、だれかがフッと吹きだした。たぶん、イルカだったと思う。それを合図にざわめきが一気に広がった。ひそひそ声、忍び笑い、やめなよ、なんていさめる声。なにも分かってないのはヨッピーだけだった。生徒はみんな知ってる。このクラスに少なくともひとり、同性愛者がいることを」

 えびせんのしょっぱさが尾を引くから、麦茶を氷ごと飲みほした。那智さんも麦茶をちびちび飲みながら、淡々とつづけた。

「俺はさ、頭が真っ白になりながら、どこかでこれはどっちなのかなぁって考えてたんだ。俺の性指向を槍玉にあげたいのか、それとも俺をエサにして、ヨッピーの正義のメッキを剥がしたいのか。投稿者の正体はいまでも分からないんだ。けど、だれであれ、よく考えたもんだと思うよ」


 ――君嶋ぁ、なんとか言えよ。おまえのことだぞ。


「椅子にふんぞり返りながら、岡部がそう言い放った。一瞬、投稿者は岡部か戸田じゃないかと疑った。リンチ事件の逆恨みか、って。でも、犯人探しする余裕はすぐになくなった。教室中の視線が自分に集まるのを感じた」


 ――やめろよ、君嶋はホモなんかじゃねえよ。


「友達の声がした。クラスで一番仲のいいやつだった」


 ――でも、修学旅行で言ってたじゃん。フォークの……なぁ? あいつのことが好きだって。

 ――言ってた。ぶっちゃけ、俺、あの夜眠れなかった。襲われたら怖ぇじゃん。

 ――ちょっと待ってよ。ホモの人だからって男ならだれでもいいわけじゃないでしょ。

 ――うっせぇ、女子には関係ねえだろ。

 ――俺は女の子とおなじ部屋にいたら、そこそこかわいけりゃ手ぇ出しちゃうかなぁ。

 ――はぁ? 最っ低!


 ――静かにしろ!

 

「ヨッピーが怒鳴った。それから、完全に泳いだ目で、顔だけ俺のほうを向けた」


 ――君嶋、本当なのか? おまえはその、本当に、ホ、いや、どう、ど、ど、どう……。


「名前を言ってはいけないあの人かよ」

 さすがに空気が重いので、ちょっとつっこんでみました。こないだの金曜ロードショー、ハリー・ポッターだったし。

 那智さんは口もとだけで笑って、「でも、ほんとそれ」と目を落とした。

「その反応だけで、あ、この人は全然ダメだな、って分かっちゃうんだよね。ゼロどころかマイナスからのスタートじゃん、これ、って。だから、俺は黙ってた。ていうか、もう一言もしゃべりたくなかった。ゲイがバレたことに絶望したんじゃない。相手との途方もない距離に絶望した。その相手が、こどもでも同級生でもない、いい歳した大人の教師だってことにダブルで絶望した」


 ――べつに君嶋くんとは限らないんじゃないですか。


「口火を切ったのは、やっぱりイルカだった」


 ――その紙には同性愛者って書いてある。だったらレズビアンかもしれない。バイセクシュアルの可能性だってある。LGBTQって左利きやAB型とおなじくらいの割合でいるって言いますよね? それなら、このクラスにもうひとりくらいいてもおかしくないでしょ。もしかしたら隣の席の人がそうかもしれない。


 ――やだぁ!

 ――きも!

 ――いや、俺じゃねえよ!

 ――おい、そういうこと言うなよ。


「途端に教室がまた騒がしくなって、もう一度ヨッピーが一喝した。で、今度はイルカを問いつめた」


 ――入間、どうしてわざわざみんなを混乱させるようなこと言うんだ。


「イルカは、笑ってた」


 ――どうして? 僕はただ事実を言っただけです。先生こそ、どうしてこの紙がおふざけだと思ったんですか? この教室に同性愛者なんかいない、三年一組にホモの生徒なんかいないと、どうしてそう思いこんだんですか?

 ――それは……。

 ――その紙の内容がもし本当だったらどうするんですか? 一方的に好意を向けられて困ってる人がいるとしたら。 “助けてください”。そのメッセージを先生はおふざけで片付けるんですか?


「そのとおりだと思った」

 空っぽのコップを掴んだまま、那智さんはぽつりと言った。

「異性でも同性でも、相手が嫌がることをするのはよくない。そこに性別も年齢も立場も関係ない。そういうの全部とっぱらって、人と人だ。人として人にどう接するかだ。けど、こんなシンプルなことも、同性愛ってラベルが付くだけで簡単に濁ってしまう」

 あ、お茶、なくなっちゃったね。

 そう言うと、那智さんはふたり分のコップをお盆に乗せて立ちあがった。

「べつの飲み物、持ってくるよ。ジュースかなにかあったと思う」

「あ、うん。お願い」

「ああ、そうだ」

 手にしたお盆をいったんテーブルに戻して、那智さんは勉強机の引き出しをごそごそ漁りはじめた。

「待ってるあいだ、これでも眺めてて」

 差しだされたのは、ホチキス止めされた冊子でした。

「これはね、宝物。俺の足もとを照らしてくれた、最初のひかり」

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