11.ハッピーバースデー(入間海斗)

 ねえ、ルカって知ってる?


「あー、なんか聞いたことあるわ。最近うわさの占い師でしょ?」

「女子高生占い師ルカ!」

「すっごくかわいくて、占いもよく当たるって話」

「でも、占い料がちょっと変わってるんだよね」

「なんかぁ、お金じゃなくて物? をあげるみたいでぇ」

「あなたが私にオススメしたい物をください、って言われるらしいです」

「マジでなんでもいいみたいよ。お菓子でも本でもCDでも」

「あ、でもぉ、マジでオススメ! ってやつじゃなきゃダメなんだって。適当に選んだらすぐバレるっつーか」

「やっぱり、霊能力とか? あるのかも」

「友達はプチプラのネックレスをあげたって言ってました」

「けっこうアクセサリーとかコスメあげるお客さんが多いみたい。占いハマるのって女子が多いし、ルカも女子高生だし」

「女の子しか客に取らないって話もあるらしいけど」

「ちょっとね、レズなんじゃね? みたいなうわさもあったり」

「でも、ほんとにすごい当たるって」

「私はべつに占いとか信じてませんけど」

「マジで顔きれいだから」

「見たことないけど」

「は? 男? んなわけないじゃん!」


 ルカは超絶かわいい美少女占い師なの!




 駅ビルのショーウィンドウのまえで立ちどまって前髪を直した。新調したアッシュグレーのウィッグは、僕の白い肌によく似合っていた。髪色に合わせ、アイシャドウはいつもより甘いピンクをかさねている。まぶたは面倒でもふたえに、付けまつげも忘れない。顔の印象をもっとも左右するのは目だ。いくら髪型や服装を変えようと、目もとを作りこまなければ変装はバレる。まして性別まで偽るなら、なおさらメイクを惰性の作業にしちゃいけない。

 占いの客とはたいてい馴染みの喫茶店で待ちあわせる。駅からすこし離れた、レトロと言えば聞こえはいい純喫茶。いつ行っても閑古鳥が鳴いている店だけど、女主人のウイコさんはきまって笑顔で迎えてくれる。

 店で占いをさせてほしいと頼んだとき、ウイコさんはコーヒー豆を瓶に補充しながら、

「へえ、お嬢ちゃん、占いできんの」

 とカウンター越しに僕を一瞥した。淹れたてのブレンドコーヒーが僕のまえでほんのり湯気を立てていた。

「べつにかまわないよ。それってあたしも頼めば占ってもらえるわけ?」

「生年月日と生まれた時刻が分かれば」

「ああ、そんならダメだ」

 ふくよかなおなかをゆすって、ウイコさんは笑った。

「うちの母親、ガサツな人でさ。早々に母子手帳なくしたのよ。まあ、予防接種は全部やったって言うんだけど、それも怪しいもんだわね」

 さばさばした態度のわりに話し好きなのか、それとも客が来ないから退屈しているのか、ウイコさんはカウンターに肘をつき、身を乗りだした。

「しかし、若い娘さんの占い師なんてめずらしいもんだね。やっぱり霊感とかあるわけ? 死んだ人の声が聞こえるとか、守護霊が視えるとかさ」

 残念ながら、と僕は小首をかしげてみせた。

「私の占いは、四柱推命に基づいて性格や人生の波を読み解くものです。補完的に手相を見ることもありますが、いわゆる霊能の類はまったく。というか、あまり大きな声では言えませんが、霊能を謳う占い師はインチキも多いので……」

「やだ、そうなの? あたし、何年かまえに、あなたには大航海時代のポルトガルの貿易商が憑いてる、って言われたんだけど。あれ絶対ウソね」

 つかまされたわ、とぼやくウイコさん。僕は苦笑いで返す。

「占い師に資格はいりませんから。当たるも八卦当たらぬも八卦ということばがあるくらいですし、ズバリ当たらなくても罪にはなりません」

「ええ? じゃあ、あたしみたいなフツーのおばさんでも占い師になれちゃうってこと?」

 ウイコさんの細い目がきらりとひかる。

「なれますよ」

 稼げるかどうかはべつですが、と前置きして、僕はつづけた。

「占術そのものが未熟でも、それをカバーできる長所があればお客さんはそれなりにつくと思います。話し上手、聞き上手、雰囲気が柔らかいだとか、単に顔がきれいというだけでも武器になる。逆に占いそのものがどれほど上手くても、高慢な殿様商売をすれば客足は遠のくでしょう」

「なんだ、そんなら喫茶店とそう変わらないわ」

 うげぇ、と舌を出してみせ、ウイコさんはふたたび豆の補充作業にもどる。分かりやすい人だ。僕は組んだ手の甲に顎を乗せ、上目遣いにウイコさんを見つめた。

「もし、占い師を目指すのであれば」

「だから、目指しませんって。一瞬、夢を見ただけよ」

「絶対にやってはいけないことがあります」

 ウイコさんの手がとまる。

「なによ」

「人の不安や願望につけこんでお金をだまし取ったり、危害を加えたり不幸に陥れたりすることです」

「やだ、そんなの当たり前じゃない」

 そうですよ、と僕はほほえんだ。

「その当たり前を守らない不届き者が、この国にはごまんといるんです。たとえば、あなたにはポルトガルの貿易商が憑いていると告げたとして、だからあなたには商才がある、もっと経営を学べばより成果を得られるでしょう、と話を繋げるならなんの問題もありません。けれど、だからこのポルトガル産の貴重なストーンを買えば商売繁盛まちがいなしです、などと言ってかばんから石ころを取りだしてくる、これは詐欺です。犯罪です。なかには買わないと経営が傾く、なんて脅迫観念を煽る悪質な輩さえいる。そういう人たちは占い師ではなく、刑務所に入るべき人間なんです」

「へえ」

 ウイコさんが片眉をあげる。

「あんた、ルカちゃんだっけ? 若いのにしっかりしてるね。占いなんて浮ついてると思ったら、ぜーんぜん、あたしよりよっぽど地に足がついてるわ。どういう人生を歩んできたらそうなるんだか」

「そんなこと。私はただの占い好きな女子高生ですよ」

 僕は手をひらひら振ってみせ、照れ隠しのようにコーヒーに口をつけた。口のなかに芳ばしい香りと風味がひろがる。おもわず「おいしい」とつぶやくと、ウイコさんは「あら、そう」とそっけない口ぶりでにやりと笑った。

「詐欺っていやぁさ」

 二口目を飲もうとしたとき、ブルーマウンテンの瓶を棚に戻しながら、ウイコさんが何気なく言った。

「昔、テレビによく出てて逮捕されちゃった男の人いたよね。ほら、自分のこどもを超能力者に仕立ててさ。他人の記憶が見えるとかなんとか言って、一時期こどもと一緒にいろんな番組に出てたっけ」

「ああ、ドルフィンちゃんですか」

「そうそう!」

 ぱしりとカウンターを叩くウイコさん。

「超能力キッズ・ドルフィンちゃん! けっこう人気あったよねぇ。舞踏会みたいなキンキラの仮面つけて、フリフリしたお衣装着てさ。女の子みたいな見た目してたけど、たしか性別不詳で売ってたよね。小学生らしからぬ落ち着きとたまに見せるこどもらしさのギャップがかわいい! ってメディアに引っ張りだこで。でも、お父さんは途中から教育本なんか出しちゃったり、それこそ運気の上がるドルフィングッズ? みたいなのを売りはじめたりして、ちょっと胡散臭いなぁとは思ってたのよね。最後、なんで逮捕されちゃったんだっけ……」

「大御所俳優の不倫をドルフィンちゃんがうっかり言い当てちゃったんですよ」

 僕のことばにウイコさんはすぐさま「あっ」と声をあげた。

「シンゴロちゃん……峰丘伸五郎みねおかしんごろうね!」

「そんな名前だった気がします」

 コーヒーにピッチャーのミルクを少々注いで、僕はつづける。

「生放送です。本人しか知りえない情報をドルフィンちゃんがぽろっとこぼしてしまった。すぐにメディアが飛びついて大炎上。峰丘さんはオシドリ夫婦をアピールしてましたから、ドラマやCMを次々降板させられて、各所への影響はすさまじかったみたいです」

「詳しいわねぇ。ルカちゃん、当時まだ小学生でしょ?」

「まあ、同世代のこどもがテレビで活躍してたので、気になってよく観てたんです」

 それで? とウイコさんがふたたび身を乗りだす。存外ゴシップ好きらしい。

「大御所俳優の不倫報道が、どうしてドルフィンパパの逮捕に繋がるわけ?」

「それは、まあ、玉突き事故のようなものです」

 ウィッグの毛先がコーヒーに浸らないよう注意しながら、僕はそう答えた。

「峰丘さんの不倫を暴いたことで、ドルフィンちゃんは称賛された反面、テレビ関係者や峰丘さんのファンから恨みも買ってしまいました。しばらくして、ドルフィンちゃんの超能力はインチキだというタレコミが週刊誌に入り、そこから一部の番組がヤラセであったことも、父親がドルフィン人気にあやかってお粗末な詐欺をさんざん働いていたこともバレてしまった、ってところでしょう」

「はーん」

 ウイコさんはため息ともつかない声を吐き、

「悪いことはするもんじゃないわねぇ」

 と、至極当然のコメントをした。

「でもさ、パパやテレビ局の人がズルやってたとしても、ドルフィンちゃん自身はどうだったんだろうね。だって、峰丘伸五郎しか知らないことを生放送で言い当てちゃったんでしょ。それって本当に超能力だったんじゃないの?」

「それは……」

 一瞬ことばに詰まる。そうと悟られないよう、僕は首を傾げ、困ったふうに笑ってみせた。

「それは証明しようのないことだと思います。なにかが本当に視えていたとしても、他の人たちには視えないわけですから」

 ウイコさんはもう一度うなり、

「てことは、あたしにポルトガルの貿易商が憑いてるってのもまるきりウソだとは言いきれないわけね」

 などと神妙な顔でつぶやいた。それはさすがにウソだと思うが。

「ね、ルカちゃんは、自分の人生も占えるわけ?」

「残念ながら」

 ウイコさんの期待に満ちたまなざしに、僕は首を横にふった。

「実は私も生まれた時刻が分からないんです。小学生のころに両親が離婚してしまって、私は父親について行ったんですが、母子手帳は母のもとに置いてきてしまったようで」

「なんだ」

 ウイコさんが、ふん、と鼻を鳴らす。

「そんなら、あたしら、お仲間ってわけね」

 ふとウイコさんの肩のあたりに小太りな白髪の女性が視えた。豪快な笑い方がウイコさんに似ている。この人が母子手帳をなくしたガサツな母親だろうか。それとも親戚か、赤の他人か。いずれにしてもそれを確認する術はない。僕に視えたものを、そっくりそのまま他人に見せることなんてできないのだから。

 ウイコさんが背をむけると、肩の老婦人もふいと消えた。




 休日の駅はそれなりに混みあっていた。約束の時刻にはまだ間があったので、僕は駅ビルを適当にぶらつくことにした。

 女装を始めて新鮮だったことと言えば、男の姿のときには目もくれなかったものが急にキラキラして見えたことだ。色とりどりの化粧品、華やかなパッケージ、店頭を飾るあざやかな服。女性の目を通して見る世界は色彩にあふれている。もちろん女装しただけで女性にはならないし、なりたいわけでもないけれど、女の子の言う「かわいい」がグッと身近に感じた瞬間には驚いた。役者が役を降ろす感覚に似ているかもしれない。

 輸入雑貨のコーナーに立ち寄ったときだった。知った顔を見つけ、僕はおもわず商品棚に身を隠した。

 君嶋那智だ。

 君嶋とはおなじ高校に通っている。さらに言えば、二年の進級のクラス替えでおなじクラスになってしまった。もちろん友達ではない。

 君嶋はホモだ。そして僕はホモが嫌いだ。ホモのなかでも君嶋のような美形はとくに好かない。自分こそが世のなかで一番不幸だとでも言いたげなあの翳りのあるまなざし。反吐が出る。

 君嶋は文具を見繕うふりをして、その向こうの化粧品コーナーをちらちら見ていた。メイク願望があるんだろうか。あの整った顔立ちなら、きっと化粧映えするだろう。

 僕は隠れるのをやめ、わざとヒールをカツカツ鳴らしながら、君嶋の視線のさきにある化粧品の棚へ歩み寄った。新作のリップが発売されている。試供品を手の甲に塗ってみる。発色はいいけど、マット感が強くてルカには向かなそうだな。

 君嶋なら使いこなせるかもしれないと思った。色はローズ系か、深みのあるワインレッドも意外といけるか。ああ、塗ってみたいな、あの顔に。リップだけじゃない。フルメイクを施したら、あいつはどんな顔で鏡を覗きこむだろう。

 砂粒がざらざらまとわるような、むずがゆい衝動が湧いてくる。

 口角が上がりかけ、とっさに口もとを手で隠した。僕の悪い癖だ。辺縁に立っている人を突き落としたくなる衝動。背中をひと押しする手のひらの感触。

 人生の分かれ道は大なり小なり誰にでもあって、多くの場合、人は自分の決断で進む道を選んでいる。でも、その決断を外側からある程度コントロールするのは、実はそう難しくない。ちいさな一石を投じることで、あるいはあえて投じないことで、物事はあくまで本人の意思によってこちらの思惑通りに転がる。ときにおもしろいほどたやすく。

 ふりかえると君嶋の姿はもうなかった。口のなかでちいさく舌打ちする。

 まあ、いい。僕の方がかわいい。

 リップを棚に戻し、僕は駅ビルを出た。




 ――イルカはいるかー?

 ――いなーい。

 ――いらなーい。


 君嶋那智の姿なんか見てしまったからか。それとも、道すがら小学生の集団とすれちがったからか。耳にこびりついて取れない声がまた脳裏に響いている。

 イルカはいない子、いらない子。

 漫画やアニメに出てくる呪文のように、あるいは流行りのCMのキャッチコピーのように、そう呼ばれていた。

 肩まで伸びた髪を「女の子みたいでキモい」とよくからかわれた。単に散髪代を節約するためだったけど、それを言えばまたかっこうの悪口の種を蒔いてしまうのでだまっていた。二、三枚の服を常に着まわしていたら、たとえ洗濯していても「なんか臭くない?」と鼻をつままれた。たまに新しい服を着てくると、それはそれで「調子に乗るな」とランドセルを蹴られた。

 それも全部仕方のないことだと思っていた。僕の父親は何年も無職のまま、薄汚れた身なりで町内をうろつく有名人だったから。すれちがえば笑顔で挨拶してくる人当たりのよさが、かえって父の透明な異常性を浮き立たせていた。家計も子育ても母に任せきりにして、毎日何をするでもなくふらつきまわる。ときには「うちの妻もパートが大変らしくて」だの「うちは下の子が女の子なんですけど、お兄ちゃんのおさがりばかり着せられてかわいそうで」だの、逼迫した家計事情をまるで他人事のように笑って吹聴する。同級生の親はもちろん、学校の先生たちにも警戒される存在だった。

 その要注意人物が、息子を山車にしてあろうことか「超能力」なんていう胡散臭いジャンルでテレビ出演を果たし、荒稼ぎしたあげく逮捕されたのだ。超能力キッズ“ドルフィンちゃん”として担ぎあげられた僕自身も、これならただ貧しい家の子のままの方がマシだったと思うほど追いつめられた。

 君嶋那智に苛立つのは、どうしようもなくかつての自分を思い出させるからだ。

 ――君嶋ってホモらしいよ。

 ――ウケる。ホモのくせに勉強なんかしちゃって。

 ――は? 事実じゃん。ホモをホモっつって何が悪いの?

 ――あいつ、なんで学校来てんだよ。ここはオカマバーじゃないっつーの。

 どんなに低俗な悪意を向けられても、君嶋は大人ぶった態度で受け流す。笑止千万だ。なにも感じてないような顔をして、瞳の奥には剣呑な炎がちらちらと揺れているのだから。

 ――イルカの父ちゃんってニートなんだって。

 ――ボンビーがお勉強したって意味ないでしょ。

 ――詐欺師を詐欺師っつって何が悪いの?

 ――お前も刑務所入んなきゃダメじゃん。セーサイ受けろよ、セーサイ。

 べつに裕福でなくてもよかった。ただ給食費を滞納しない程度の家庭に生まれていたら。父親がまともであったら。人の視えないものが視えてしまう力なんてなかったら……。

 考えたって仕方のないことだ。なにひとつ僕自身で選べたことじゃない。

 だから、僕はドルフィンを殺した。トレードマークのミディアムヘアをバッサリ切り、派手な仮面もドレスも脱ぎ捨てた。大人にふりまわされ、こどもに傷つけられても平気なふりをするしかなかった少年は、もうどこにもいない。

 喫茶店の扉を押す。ドアベルがカランと鳴り、ウイコさんがふりかえる。

「あら、ルカちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは」

 ふわりと顔をほころばせ、弾んだ声であいさつを返す。会釈した拍子にウィッグの毛先が踊る。占い客はまだ来ていないらしい。空色のフレアスカートをなびかせて、いつも通り一番奥の席へ向かう。

 少年は死んだ。僕が殺した。

 私はルカ。超能力なんて使わなくても女の子を幸せにできる、強くて聡明な美少女占い師。

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