5.車輪の音(キョンちゃん)
ねぇ、そこのキミ。よかったら寄ってかない? うちの店、ノンケでも女の子でも、だれでも入店オッケーだからさ。
大丈夫よぉ、べつに怪しいお店じゃないわ。ただの昭和を引きずった古めかしいカフェバー……なんて言ったらマスターに怒られちゃうけど。どうぞ、入って。開店時間にはまだ早いけど、大抵フライングで店開けてるの。座って。なに飲む? って言ってもキミ、まだ未成年だよね。高校生? やっぱりー。オッケー、アイスコーヒーね。今日は暑かったもんねぇ、夕方でもムシムシするよね。
キミ、名前は? あ、本名でなくてもいいよ。こういう場所では、ニックネームで呼びあう人も多いからね。あたしはね、キョンちゃんでーす。ほら、ネームプレートもキョンちゃん表記。ふふ、よろしくね、えーと……なち、くん? なちって漢字? なち石のなち……あ、那須塩原の那ね! へえー、いい名前じゃん。じゃあ、なぁくんね。あ、なっちの方がよかった? ふふ、じゃあ、なぁくんで決定。はい、アイスコーヒー。
このお店のこと、どこで知ったの? うそ、ホームページ見てくれた? 嬉しいー。あのホームページね、あたしが先月作ったばっかりなんだ。マスターは「ここは知る人ぞ知る隠れ家的な店だから、宣伝なんてしなくていい」って渋ったんだけど、ほら、この街ってこういうお店少ないじゃない? もうちょっと人の目に触れてもいいと思ったんだよね。リスキーではあるけど、こういう場所を本当に求めてる人に知ってもらいたくてさ。
まあ、実体験かなぁ。あたし、生まれは山形なんだけど、山と田んぼに囲まれた集落で育って、もうさ、なーんもないわけ。たまに電車に乗って市街地へ出たところで、たいして活気もなくて。この街もそうでしょう。デパートは潰れるし、商店街はどんどんシャッター閉まっていくし。田舎を馬鹿にしてるわけじゃないのよ。ただ、いくら文明の利器が発達しても、地方と都市部には埋められない差があるんだよね。
なぁくんは、自分とおなじような人に出会ったことある? ていうか、あなた、そうよね? えー、分かるわよぉ、だってお店のまえでずっとうろうろしてたじゃない。……だよねぇ、やっぱりないよね。あたしも地元にいたころはそうだった。「あの人、もしかして」と思っても、まさか本人に確認するわけにもいかないし。男が好きな男って世のなかにあたししかいないのかしら、なんて、そんなはずはないんだけど、そう錯覚してしまうくらいには田舎って閉鎖的なのよね。あ、はちみつ、平気? じゃあ、はい。キョンちゃん特製はちみつとクリームチーズのバゲット。やだ、遠慮しないで。これね、蔵王のクリームチーズ、すんごいおいしいから。
……あたし? ううん、昼はフリーで絵の仕事をしてて、そっちが本職。一応ね。最近はマスターがやたらここの手伝いを頼んでくるから、どっちが本職か分かんなくなってるけど。あ、キミもしかして、ゲイはゲイバーで働く以外の道はないとか思ってる? ……えっ! だれよ、そんなこと言ったやつ。そんなわけないじゃない。男だからなれない職業はあっても、ゲイだからなれない職業なんてないわよ。ここに来るお客さんだって、料理人やら法律家やら、有名企業の重役やら、本当にいろんな人がいるんだから。
あー、でも、職種による向き不向きはあるかもね。べつにゲイに限った話ではないけど。あたしの場合は、どうしても髪だけは切りたくなくて、服装もある程度の自由はほしかった。まあ、芸術畑はその辺もともと緩いし、だから美大へ進んだ節もちょっとはあるかも。短髪にパリッとしたスーツなんて、ゼッタイ無理だもん、あたし。
このかっこう? あら、ありがとー。そうね、この店にいるときはだいたいこんな感じ。ふつうにメイクしてロングスカート履いちゃう。お客さまにもウケがいいしね。変な話だけど、あたし、自分のかっこうを女装だとは思ってないの。髪を伸ばすのも化粧をするのも、ロングスカートを履くのも、ただ自分に似合うファッションを追究したってだけ。だから、ミニスカートとかゴテゴテに厚いメイクとか、似合わないものには手を出さない。女装男子やドラァグクイーンとはちょっとちがう感覚かな。正直、オネエという呼称さえしっくり来ないんだよね。あたしは女性らしさを手に入れたいわけでも、まして性を超越した何かになりたいわけでもないの。「何が自分に似合うか」、シンプルにそれだけ。ハイ、これがあたしです、って感じ。こころはいつでもドすっぴんよ。
だってさー、あたし、ほんっとに短髪が似合わないんだから。高校までの写真なんて黒歴史よ。ていうか、なぁくんも髪伸ばしたいタイプなんじゃない? やっぱりー。その髪の長さ、学校で何か言われない? あら、けっこう自由な校風なのね。いいなぁ、あたしは先生たちと三年間、イタチごっこに明け暮れたわ。一度、ハサミでむりやり髪を切られてさ。ザックリ。クラスのみんなのまえでよ? 泣いた、泣いた。延々とつづく田んぼ道を泣きながら自転車漕いで帰ったわ。ここじゃないどこかへ行きたくて、だけどどこまで漕いでものどかな田舎の景色が広がるばかりで……。世界を呪った。いまでもときどき、あのハサミの音が耳もとで聞こえる気がするの。
やだ、暗い話、しちゃった。ごめんね、もっと華やかな話をしましょ。そうだ、いま好きな人はいるの? ……えっ! うそ、いいじゃない! もー、そういうことは早く言いなさいよ! どんな子? えー、やだ、かわいいー。あたし、小柄な男の子、大好き。ねぇ、今度その子もここに連れてきてよ。え? やだ、取ったりしないわよぉ。あたし、そんなクズな大人じゃないからね?
……ふうん。たしかにその子、ゲイって感じじゃなさそうね。ふわふわしてるっていうか、自分でも自分のことがまだよく分からないのかも。ていうか、なぁくん、えらいよ。本当は押し倒してあれこれしたいんじゃないの? あっはは、健気ねぇ。まあ、そりゃ不安だよね。なぁくんは性指向がはっきり定まっていて、彼の方は未知数で、そんなふたりがはたして関係性を保てるのかってことでしょ? うーん、そうだなぁ……。
参考になるかは分からないけど、あたしの話、していい?
あたしね、パートナーがいるんだけど、その人、女性なの。数年前に結婚もした。あっはは、がっかりした? いいのよ、隠さなくて。気持ちは分かるわ。同類だと思ってた人が離れてしまったら、裏切られたような気分になるよね。
ただね、あたしたちがシスジェンダー・ヘテロセクシュアルの、いわゆるマジョリティの男女のカップルか、って聞かれたら、ふたりとも首をひねってしまうの。彼女との関係は、一言ではうまく表せない。あたしは自分のことをずっとゲイだと思ってたし、いまもそれは変わらないけど、「生涯をともに歩みたい」ってこころから思えた相手は彼女だけだった。そりゃもう揺れに揺れたわ。だって、二十数年、疑いもせずゲイとして生きてきて、男相手に酸いも甘いも嚙み分けてきたのに、いまさらほかのセクシュアリティかもしれないなんて、そんなことある?
彼女は彼女で、性指向にずっと悩んできた人でね。アロマンティック・アセクシュアル。いわゆる恋愛感情も性的欲求も持たない人だった。初めて聞いた? あたしも、そういう人がいるって彼女に出会うまで知らなかった。彼女自身、自分の性指向を表すことばに出会えたのは成人してからで、それまでずっと「人はみな恋をするのが当たり前」っていう大海原をクラゲみたいに漂ってた、って。
男が好きな男と恋愛感情のない女。ことばにするとふしぎな組み合わせよね。それでも、あたしたちはもう十年近く、ともに人生を歩んでいる。起こりうるのよ、そういうことも。地球上にこれだけたくさんの人間がいるんだもの、ちょっとめずらしい関係性が生まれたって全然ふしぎじゃない。だから、なぁくんと彼との関係にしたって、あまり型にはめて考える必要はないと思うの。あるべきカップル像とかゲイらしさとか……そういうものにとらわれすぎると、かえって不幸になってしまうから。
それこそあたしと彼女の場合は、おつきあいから結婚まで周りの声にさんざん揺さぶられて、自分自身を何度も見失いそうになったわ。とくに結婚は大きかったな。正直、いまでもたまにつまらない横槍を入れられるから、なるべく既婚者だと明かさないようにしてるくらい。詮索されるのって本当に面倒だもの。
結婚できるの、やっぱりうらやましい? そうだよね。結婚をゴールインなんて言うように、ふたりの育んできた愛が最高潮に達した結果、みたいなイメージがあたしにもある。自分がゲイとして彼氏とつきあってたときは、その権利を持ってる人たちが心底うらやましかったし、それで感傷的にも攻撃的にもなった。逆に彼女と籍を入れたときは、ゲイコミュニティのみんなやこれまでの自分自身をも裏切るような気がして、こころのなかで何度も謝ったわ。
けどね、あたしと彼女にとって、結婚はあくまで法的な「制度」という意味合いの方が強かったの。生命保険に加入するようなものね。今後死ぬまで一緒にいるつもりなら、法の恩恵をより受けられる方が安心でしょ? 要するに、愛の証明という意識は希薄だったの。ううん、愛はたしかにある。ただしそれは静謐な湖のようなもので、燃えるような恋情や肉体関係が伴うものではない。でも、多くの人にとって、あたしたちの関係性はおよそ理解しがたいのよねぇ。
入籍したのは、美大を卒業して三年目のころだったんだけどね。彼女は在学中に漫画家デビューして独立、あたしは悲しいかな作家の道を諦めて、デザイン系の企業に就職したの。LGBTフレンドリーっていうの? そういうのを謳ってる会社でさ。あたしは異性愛者のふりをして働く自信もなかったから、面接の時点でカミングアウトして無事採用してもらえた。けど、働きはじめてすぐ、なんとなく職場の人たちから「ゲイらしさ」みたいなものを期待されてるって気づいてしまった。
典型的なのは、「ゲイの人って芸術センスに優れてるよね」かしら。……あっはは、そうなの! もしそうだったら美大は同性愛者だらけだよね。ポジティブな偏見っていうのかな。あからさまな否定ではないけど、あたしがどんな案を提出しても「ゲイだから」で評価されてしまうのは、すこしモヤモヤしたな。ほかにもゲイとトランスジェンダーを混同してるのか、女性社員とおなじ扱いをされたり、変な気まわしをされたりもした。
「きっとあなたはこういうことを望んでるんでしょう? 大丈夫、わたしたちには分かってるから」
みたいな……なんていうのかなぁ、善意に満ちた笑顔が迫ってくる感じ。いただいても持て余してしまうようなプレゼントを「あら嬉しいー」なんてありがたがって受け取らざるをえない、あの感じ。よかれと思ってのことだと分かるし、同性愛者が社会でどんな立場にあるか痛感してるから、「そうじゃない」って強く言えないの。その善意を断ったとき、「せっかく親切にしてやってるのに」なんて思われたら、それがあたし個人の問題にとどまらず、「これだからこの手の連中は」ってコミュニティ全体への風評被害になったら。そう思うと、ひとつひとつを指摘する勇気がなかった。
はっきりと否定されるのはもちろんつらいわ。でも、「理解してあげなくちゃ」って空気に触れると、それはそれで萎縮してしまう。「スタンダードなわたしたちとイレギュラーなあなた」っていう構造が透けて見えるからかもね。そんなに意気込まなくてもふつうに接してくれていいのよ、って思うんだけど、なかなかそうはいかない。それはあたし自身も、生活のあらゆるシーンでときたま経験することだから、責められる話じゃないの。自分にない特徴を持つ人にフラットに接するのは、口で言うほど簡単じゃない。その特徴に目が行きすぎると、ともすれば腫れ物に触るような雰囲気になってしまうのよね。
そんなわけで、あたしの社会人生活はやや幸先が悪かったんだけど、とはいえひどい職場いじめが起こるわけでもなかったから、それなりに働けてはいたの。明確に居心地が悪くなってしまったのは、彼女との結婚を報告してからだった。
あたしは、ゲイを公表して働いてる以上、職場にはしっかりとことばを尽くして説明しようと思った。自分はたぶんこれからもゲイで、世のなかには色々な背景から女性をパートナーに選ぶゲイもいて、あたしにとって彼女は恋愛関係とはちがう特別な存在なんだ、って。
おめでとう、と言われたわ。でも、つづけてこうも言われた。
「よかった。正直、あなたがゲイなのはもったいないと思ってたから」
「こういうのは治らないって聞いたけど、あなたは女性を愛せるようになったからもう大丈夫ね」
「やっぱり男は所帯を持って一人前だから」
「これからは奥さんを食べさせるために、もっと仕事を頑張らなくちゃね」
悩んじゃったわ。その祝福のことばは何に対してなんだろうって。あたしには「ようこそ、まともな世界へ」って言われてるように聞こえた。不気味だったわ。こういう言い方はよくないけれど。だって、もったいないって何? 奥さんを食べさせる? 彼女はあたしよりずっと才能にあふれた売れっ子の漫画家なのに?
案の定、彼女の方もあれこれ口を挟まれてすっかり参ってた。
「仕事も大切だけど、家のこともちゃんとしないとね」
「旦那さんにはどんなご飯作ってあげてるの?」
「癒してあげなきゃ愛想つかされちゃうよ」
彼女ったら生真面目だからあたし以上に揺さぶられちゃって。自分の作業時間を削ってまで台所に立とうとするから、あたし、言ったの。
「ねえ、フライパンっておっぱいで持つわけ? あたしは赤ちゃんじゃないから料理だって下手なりにやれるし、あなたの漫画のつづきを大勢のファンが待っていること、だれより誇らしく思ってる。男が稼いで女が家を回す、セックスで愛を確かめあう、そういう夫婦もたくさんいるけど、あたしたちはそうしなくても充分うまくやっていけるでしょう?」
彼女と籍を入れてみて、分かったの。いまの結婚制度は「恋愛によって結ばれた男女」しか想定されてないんだ、って。ふたりの男女が添い遂げようとするとき、そこには必ず恋愛関係があって、それ以外の絆で結ばれることはない。どうりで居心地が悪いわけだわ。
……そうね、離婚や事実婚を選べば、そういうしがらみは減るかもしれない。だけど、「こんな制度、こっちから願い下げじゃ!」なんて足抜けできるほど潔くもなれないの。だって、法的に守られてるってやっぱりありがたいことなんだもの。扶養手当やら配偶者控除やら受けられるし、遺産も相続できるし、病院だろうが葬式だろうが家族として堂々としてられる。この手厚い待遇を知ってしまったら、いまさらなんの後ろ盾もない「ひとりとひとり」に戻れる自信は、あたしにはないかな。
でもね、これだけは言える。あたしは幸せなの。というより、あたしが幸せじゃなかったときなんて、これまでの人生で一度もない。だって、あたしはずっと自分のこころに従って、幸せの呼ぶ方へ進んできたから。故郷を捨てることも、美術の道へ進むことも、ゲイとして生きることも、そのうえで彼女とともに歩むことも、全部あたし自身が、あたしの幸せのために決めてきた。そしてこれからもそうするつもり。たとえ故郷の両親に「自分勝手だ」と責められても、ゲイの仲間から「手のひら返しだ」と批判されても、あたしがこころを病まずに生きられる方法はそれしかないんだもの。
だからさ、なぁくんも、安心して大人になりな。大人になれば見えてくること、楽になることはたしかにある。一方で、とうにくぐり抜けたはずのトンネルがふとまた目のまえに現れることもある。むしろ人生ってそのくりかえしなのかもね。せめてゲームみたいに進むごとレベルが上がればいいけど、残念ながらいくつ歳を重ねても自分が強くなってる気はしない。あたしのなかにはいまでも髪を切られて泣きじゃくった高校生がいて、結局どこへ行こうと世界は果てしない田んぼ道みたいなもので、あのころより空気の抜けた自転車をあいかわらず漕ぎつづけてる。それでいいの。強くなろうなんて思わなくていいのよ。あたしたちみたいな人間は、生きてるかぎり幾度となく自分のこころを殺すことになる。だけど、何度こころを殺しても、それで心臓が止まるわけじゃない。そのことをどうか悲しまないで。自分の鼓動を信じなさい。キミも、キミの大切な人も、本当はどこまでだって行けるんだから。
……まって。あたしいま、なんかありがたいお説教を垂れるゲイバーのママみたいになってなかった? なってたよね、すんごいなってたよね。はぁーやだもー、よくない、ほんっとよくない。あたし嫌なのよ、典型的なゲイバーのママ像に自分を寄せるの。毒舌だけど愛がある、みたいな、なんかそういうイメージが世間にあるでしょ? たまに女性のお客さんに「ねぇ、ブスって言ってー」なんてせがまれるんだけど、あたし、人さまにブスだなんて口が裂けても言えないわよぉ! ダメね、悩める十代を目のまえにするともう……これが歳ってやつか……。
あ、そろそろ行く? そっか、電車の時間あるもんね。あら、お代なんていいのよ。あたしが勝手に呼びこんでおしゃべりにつきあってもらっただけ、でしょ? ふふ、ごめんね、なんかしょうもない話ばっか聞かせちゃって。
ね、よかったら今度は彼氏くんも連れておいでよ。あたし、土日は必ずここにいるからさ。あ、駅、そっちの道から行くと近いから。じゃあ、またね。来てくれてありがとう。気をつけてね。
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