12. 空に浮かぶ (坂田直也)
庭のキュウリがアホほど生ってて。
お母さん、完全に植える本数まちがえたと思う。もうキュウリばっかり幅取っちゃって、となりのナスが困惑している。肩身の狭そうな顔で見あげてきます。ナスの肩ってどこだろう。
初めて植えたズッキーニは大きくなりませんでした。きれいな花を咲かせてそれでおしまい。なにが悪かったんだろう。あいつも葉っぱばっかり幅取るんですよね。あ、でも、五月に種をまいたアサガオは無事に咲きはじめました。優しい青。底の抜けた空みたいな色。
夏っていうのは、どうしてこんなに寂しいんだろう。日差しも、雲も、緑も、なにもかも生命力にあふれていて、かえって世界が遠くへ離れてしまう。自分ひとり、真っ青な空に無重力で浮いている感じ。あるいは、池の真ん中でぷかぷか漂ってる麦わら帽子になったみたい。
今日はなんにもない日曜日で、本でも読もうかと居間のソファーに寝転がったんだけど、カーテンが海辺の波みたいに揺れるのをぼんやり眺めていたらいつのまにか泣いていて、こりゃいかんと思ってノートを開きました。気持ちが迷子になったときはなんでもいいから書いてみろって、叔父さんが言ってたから。
このあいだ、中林につきあってもらって、亡くなった姉の誕生日ケーキを買いに行きました。お姉ちゃんのことを友達に話したのは初めてだったかも。そういえば三谷にも話してないや。隠してるわけじゃないけど、とくに言う機会もなかったから。
ちいさいころはお姉ちゃんがいたから寂しくなかった。お姉ちゃんは、僕が生まれるまえに死んじゃったけど、僕が生まれたときからずっといっしょでした。遊ぶときや寝るときにはいつもそばにちいさな女の子がいて、それをお姉ちゃんって呼んでました。もちろん幽霊の類じゃなくて、僕の脳が作りだした妄想です。「お姉ちゃん、この電車、何色に塗る?」とか「お姉ちゃんにはこっちの石をあげるね」とか、ずっとひとりで会話してた。
お母さんは、こども向けの科学館で働いていて、こども向けって言ってもけっこう立派な施設なんです。博物館や植物園、牧場なんかもあるような。ボクもそこの牧場からもらってきました。ボクって犬ね、俺のことじゃなくて。
あのころ、お母さんは牧場の動物のお世話をしていて、休日出勤するときはよく僕を連れて行ってくれました。牧場の犬や馬によく遊んでもらってたな。あとは植物園でジャングル探検したり、博物館でツキノワグマの足跡を追いかけたり、宇宙館では地球の内側に潜りこむのがお気に入りだった。でも、さすがに毎週末連れてってもらうわけにもいかなくて、そういうときは、叔父さんと留守番してました。
無精ひげを生やして、ふざけたティーシャツを着た叔父さんは、いかにも自由人って感じで、僕の憧れでした。いろんな歌を教えてくれた。即興でへんてこな歌を作ってくれたりもしたな。水たまりの歌とかお台所の歌とか。もう一回歌って、ってせがむと「伝説の歌だから一回しか歌えないんだ」とか言って。あれ絶対覚えてないだけでしたね。
叔父さんは、僕が頭のなかの姉としゃべってても否定したりしませんでした。だから、僕はそれがおかしいことだとは知らなくて、いつだったか幼稚園でぽろっと言ってしまったんです。いつもお姉ちゃんと遊んでるんだ、って。そのことがママ友のあいだでうわさになって、僕の言動がそのままお母さんの評価につながるんだってことを、それからすこしずつ理解するようになりました。
「坂田さんちの、いつもお迎えに来る人、あれ、お父さんじゃなくて叔父さんなんだって」
「運動会にも来てたよね、お父さんはいないのかしら」
「海外なんですって。プラントエンジニアっていうの? 工場の設計のお仕事とかで」
「そうそう、有名企業よ。テレビのコマーシャルにも出てる会社」
「いいなぁ、エリート。坂田さん、働かなくても旦那の稼ぎで十分じゃない」
「直也くん、ちょっとかわいそうだよね。園でもいつもひとりでお絵かきしたり、お外で虫とかお花とか見てるらしいよ」
「お友達のつくりかた、分からないんじゃない。お姉ちゃんがいるとか、変なこと言ってたらしいし」
「寂しいのよ、きっと。まだ小さいんだから、ママがそばにいてあげればいいのに」
「キャリアが手放せないんじゃない」
「ていっても、動物の世話でしょ?」
「となりに並んだら臭かったりして」
「やだぁ。やめてよぉ」
寂しくないのに。
幼稚園の男の子たちと新聞紙の剣で戦闘ごっこするより、叔父さんと遊ぶ方がよっぽど楽しかった。お母さんに抱きしめられるとおひさまと草のにおいがした。本を開けばどこへでも行けた。それを白い画用紙のうえに描いた。でも、僕が好きなものたちは、いつも孤独と結びつけられてしまう。
お父さんが外国から帰ってくるときは、正直どうしていいか分からなかったです。とにかく一年の大半は会えないものだから、その空白を少しでも埋めようと、お父さんは僕にかまうのに一生懸命でした。
「男の子が生まれたら、公園でキャッチボールするのが夢だったんだ」
ベタだよね。小学校低学年のときだったな。僕は最初乗り気じゃなかったんだけど、やってみると案外楽しいもので、お父さんと一気に仲良くなれたような気がして嬉しかった。けど、お父さんの投げたボールが草むらへ入ってしまったとき、草陰にカエルを見つけて触ろうとしたら、お父さんが「汚いからやめなさい。毒があるかもしれない」って、僕の手をサッとつかんで引き離したんです。
「毒なんかないよ、だってただのアマガエルだもん。アマガエルってね、いつも緑色じゃないんだよ。まわりの色に合わせて体の色を変えられるの。さっきのカエルは土のうえにいたから茶色だったんだよ」
言えなかったな。ただ、お父さんの大きな手の熱さを感じながら、風船がしゅるしゅるしぼんでいくような気持ちになった。叔父さんだったらいっしょに観察してくれるのに、って。キャッチボールはすっかりつまらなくなって、お父さんは「そろそろ帰ろうか」なんて気を利かせてグローブを外したけど、俺がなんでへそ曲げちゃったのかは分からないままだったと思う。
「直也はあんなにおとなしくて大丈夫かな。野球かサッカーでもやらせてみたらどうだろう。なあ、それがいいよ、そうしよう」
お父さんがお母さんにそう話してるのを、居間のソファーで寝たふりをしながら聞いてた。次の日、さっそくサッカークラブに入部したけど、お父さんが日本を離れたあと、すぐにやめました。野球クラブも全然つづかなかった。それでいて、叔父さんに勧められた剣道には黙々とのめりこんでいったから、お父さんは面白くなかったと思います。風来坊みたいな叔父さんのこと自体、あまりよく思ってなかったし。お母さんが言ってた。だれだって自分の人生を肯定されたいんだって。自分の歴史が積みあがるほど、自分とちがう生き方を見ると、それまでの人生を否定されたような気になってしまう、って。
叔父さんに懐けば懐くほど、お父さんとの距離は遠くなっちゃった。嫌いなわけじゃないんです、嫌えるほどお互いを知らないだけ。いまだって、たまに帰ってきても何を話せばいいのか分からない。「好きな女の子はいるのか」とか、そんなことばっかり聞いてくるんだもんな。お父さんにとって、男子中学生は四六時中異性のことを考えてる生き物らしいです。男とつきあってるなんて言ったら寝込んじゃうかもね。
ああ、そうだ。夏が宙に浮いているのは、叔父さんが亡くなった時期とかさなるからかもしれない。
中学一年生の夏休みでした。剣道部の合宿の、最後の夜。お母さんから電話を受けて、「なんだ、お土産買う必要なくなっちゃったな」なんて、そのときはなんの実感も湧かなかったけど、家に帰って布団に横たわってる叔父さんの蝋人形みたいな顔を見たら、ようやく涙が出た。
暑かったんだ、ずっと。お葬式までの間、ご遺体が傷まないように冷房を通しつづけてた。窓を開けた部屋で、お母さんとふたり、遺影に使う写真を選んだっけ。ちょうどいまとおなじように庭に夏野菜が実っていて、そのかげに隠れて真っ白なユリの花が一輪だけ咲いていたから、それを棺のなかに入れました。覚えてる。お母さんの地元の長崎からおじいちゃんとおばあちゃんも来て、家のなかが長崎弁であふれかえったのがおかしかったこと。お葬式の日は陽炎がたつほどの真夏日で、式場の向かいの野原にヒマワリがたくさん咲いていたこと。火葬場の煙突の向こうで、入道雲が空を押しあげていたこと。お骨を拾っているとき、となりに並んだよく知らない親戚のおばさんに「骨になってしまったね」と言われたこと。
まだ覚えてるよ。
叔父さんが亡くなってからは、体がずっとふわふわしていて、だから、部活の先輩のいじめが自分に回ってきても、なんだか他人事みたいでした。平気だと思ってた。こころを感じないように細工すれば、意外と乗りきれるもんだって。だれかに助けを求めるなんて欠片も思いつかなかった。菊地もきっとそうだったと思うんです。尊大でちっぽけなプライドを必死に守りぬこうとしてたんだ。それを、僕がよかれと思って手を出して、壊してしまったから。
あの日のことは、よく覚えていません。上履きのさきに空っぽのペットボトルが転がっていて、髪の毛が頬にはりついてベトベトして、たばこのにおいに吐きそうだった。あのとき、那智さんに見つけてもらえなかったら、俺はどうなってたんだろう。気がついたら抱き起こされていて、頬に触れた長めの髪に「この人、頭髪検査ひっかからないのかな」なんて、全然回らない頭でそんなのんきなことを思ってました。見ず知らずのその人は、俺の背中をさすりながら「ごめんね」って、「もっと早く来ればよかった」って、声を震わせながら、何度も何度も。あのころから那智さんはゴメンナサイ星人だったんですね。
先輩たちが僕を呼び出してシメようって話してるのを、おなじクラスの那智さんが偶然聞いていたそうです。最初は、首を突っ込むつもりはなかったんだって。でも、帰り道、どうしても気になってわざわざ引きかえしてくれたそうです。かっこ悪いんだ。自分では冷静なつもりだったのに、那智さんに抱きしめられるうち、ぐちゃぐちゃに泣いてしまった。あの人にぎゅってされるのが嫌いじゃないのは、きっとあのときの安心感が体に染みついてしまったからだと思います。刷り込みって怖いね。
それから、那智さんが先生を呼んでくれて、先生の車で家まで送ってもらうときもとなりでずっと手をつないでくれて、でも、名前も聞かないまま、那智さんとはそれっきりでした。結局、僕はそのあと学校に行けなくなっちゃったから。いろいろ理由をつけて頑張ろうとしても、もう全然ダメだった。底の見えない真っ黒な穴を覗きこむような毎日で、あのころは、叔父さんやお姉ちゃんや、もういない人たちにばかり手を伸ばしていた気がする。
お姉ちゃんが生きていたら、俺は生まれてこなかったんです。
べつに、親から直接聞いたわけじゃない。でも、お母さんは妊娠も出産もしづらい体だったから、無事にひとり生まれたら二人目は考えてなかっただろうって、周りの人の話を繋ぎあわせるとそういうことになるんです。だからどうってわけでもないのに、ときどき、そのことが急にどうしようもなく迫ってくる。
生まれてこなきゃよかったなんて思ったことは一度もないです。死にたいって思ったこともない。ただ、なんで俺はいま生きてるんだろう、なんでいま生きてるのは俺なんだろう、なんでお姉ちゃんじゃなかったんだろう、なんで俺の病気は治って叔父さんの病気は治らなかったんだろう、同じ病室ですごしたコータくんと俺とを分けるものはなんだったんだろう。考えだすと止まらなかった。学校に行けない期間は、なにかにとりつかれたようにそんなことばかりが頭のなかを巡ってました。それはいまでも大して変わらなくて、ラジオの電波が混線するみたいに、ちょっとしたことで急にあふれてしまう。
たったひとつ用意された椅子にたまたま座ったのが自分だった。だけど、ほんのすこしまえまでそこに座っていただれかの温度に気づいてしまったら、自分の存在が果てのない真っ暗ななにかにまるごと掴まれているようで怖くなるんです。だって、僕の人生そのものが、本来ならまるっきり無かったわけでしょう。たしかに望まれて生まれてきて、たくさん愛情を受けて、泣いたり笑ったりして、だけど、その人生は本当なら全部お姉ちゃんが送るはずで、俺はどこにもいなかった。なのに、お姉ちゃんは一瞬でゼロに戻っちゃって、生まれなかったはずの俺がいま三谷や那智さんのとなりにいて、お姉ちゃんの親友や恋人になるはずだった人のとなりにお姉ちゃんはいない。当たり前の話なのにね。こんな単純なことに、どうしていつまでも躓いてしまうんだろう。
だから(って繋いでいいのか分からないけど)、姉の誕生日にケーキを買いつづけるのは、僕が覚えていたいからです。出会うまえに消えてしまったものは、本来なら数えることもできないんだよね。僕は会えなかったけど、姉がほんの一時でもちゃんと名前をもらってこの世界にいたんだって知れたから、いたことを覚えていたいんです。
そうだ、庭のキュウリ、那智さんにあげちゃおうかな。三谷にあげてもいいんだけど、あいつ、おばあちゃんちが農家さんだからキュウリなんて袋いっぱいあるはずなんですよね。那智さん、たまに料理するって言ってたし。
たくさんあげたら困るかな。困らせてやろう。
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