11.海底の幽霊船 (菊地幸次郎)
いきなり話しかけてすいません。浅沼中の三谷くんって言ったら有名なんで、つい。え、一緒していいんですか。すいません、じゃあ、失礼します。
今日は部活帰りですか。俺もです。腹減りますよね、稽古のあとって。浅沼中は週に何回稽古あるんですか。へえ。うちはほぼ毎日かな。部員数? 一学年二十人はいますよ。大所帯っす。
今日は、坂田、いないんですね。
え、そんな黙んないでよ。実は仲悪いとか? なんて、そんなわけないよね。あいつ、大会で見かけるといつも笑ってるから。あ、そうか。ここ全員、タメなんすね。じゃあ、俺もいまから敬語やめます。じゃなくて、敬語やめるね。はは、なんだこれ、恥ずかしいな。
あいつに用? まあ、あるにはあるけど。ああ、いいっすよ、伝言なんて。なにか伝えたいわけじゃないから。ていうか、何を言いたくて、何を言ってほしいのか、もう自分でもよく分からないし。
ただ、返しそびれたものがあるんです。いや、借りパクっていうか、借りてすらいない。ただのパクリ。いや、マジで。最低っすよね。だから、そのことはちゃんと謝りたくて。……あ、見る? うん、持ち歩いてるんだ。狭い町だし、いつ偶然会うか分かんねえから。えっと、これっす。
そんな穴の開くほど見なくていいよ。いや、穴はもともと開いてるけど。見てのとおり、ただの鍔止め。プラスチックの安いやつだよ。防具屋に行けば百円くらいで売ってる。
逆恨みだったって、いまなら分かるんだよね。でも、あの頃はいろんな感情でぐちゃぐちゃになって、あいつのこと、ちゃんと見てなかった。……まあ、話してもいいけど、坂田には言わないでください。他人に自分の話をされるの、あいつはきっと好きじゃないから。
俺は小三から剣道を始めて、中学でも迷わず剣道部に入った。出だしは上々だったよ。新入部員だけの試合で優勝して、顧問や先輩に注目されたんだ。嬉しくてさ。もっと強くなって、全国大会まで行ってやる。本気でそう思ったし、俺はそれを隠さなかった。先輩に「すぐにレギュラー奪ってやりますよ」なんて冗談まじりに言ったりして。生意気だよな。先輩たちは、でも、そんな俺を可愛がってくれた。あの頃は厳しい稽古も楽しかったな。
ただ、日が経つにつれ気づいたことがあった。明るい体育館や部室のすみに、いつも一か所だけよどんだ場所があるって。三年の
一学期の終わりだったな。稽古が始まるってとき、竹刀袋を開いて「あれ?」って。鍔止めが入ってない。いつも三つ入れているのに、全部ない。あせって探しまわる俺に、そのとき、声をかけてくれたのが坂田だった。「俺の貸そうか」って。
坂田とは特別仲がいいわけじゃなかった。性格悪いこと言うと、経験者のわりに大したことねぇな、っていうのが最初の印象。ちょっとつかみどころのない剣道するでしょ。格下だと思ってたよ、当時はね。
その日は坂田の鍔止めを借りて、稽古後すぐに返した。なくした鍔止めは結局見つからなかったから、帰り道、防具屋で新品を買った。
数日後、その鍔止めもまたなくなった。ようやく嫌がらせだって気づいたときには、幽霊たちがすっかり俺の背中にはりついてた。
――くっせぇ。なんかくせぇと思ったら
――いま挨拶した? 聞こえねー。てか、あいつ声キモくね?
――なんか面白いことやってよ。ほら早く、十秒以内。
じゃれあいと称した小突き、蹴り、プロレスの技かけ。すこしでも嫌な顔をすれば、稽古中に防具をつけてないところをわざと竹刀で叩かれた。ぶん殴ってやろうって何度も思ったよ。でも、現実はへらへら笑って耐えるだけ。亀山はとにかく体がデカかったし、頭のキレる戸田は「いじってやってる」って空気作りが上手かった。それから、岡部。あいつは別格だった。戸田たちのイジリをつまんなそうに眺めてたと思えば、ふいに立ちあがって無言で俺の財布からお札を抜き取ったりするんだ。抗議しようもんなら、重いパンチが飛んでくる。ほの暗い水底みたいな目が、そのときだけは魚のうろこみたいにきらっとひかるんだ。
周りの人? それがなかなか気づかないんだな。顧問はレギュラーの稽古につきっきりだし、先輩たちも俺が笑ってるから「菊地は嫌がってないんだな」と思ってたみたい。ただ、一年生はさすがに勘づいてて、なんとなくよそよそしくなった。態度を変えないのは坂田くらいだったよ。あきれたね。こいつ鈍すぎじゃねえの、って。でも、あいつがそんな感じだったから、俺は完全に孤立しないでいられたんだよな。
ねじれちゃったのは、たぶん、あのときだ。夏休み初めの、一週間の強化合宿。
四日目の夜だったかな。風呂あがりに、俺は飲み物を買いに宿泊所の外へ出た。周りには電灯なんかなくて、暗闇のなか、煌々とひかる自販機が待ちぼうけみたいにぽつんと立ってた。レモンサイダーを買って、ちょっと夜風にあたろうと自販機の横のベンチに座ってたら、暗がりに白いティーシャツがぼうっと浮かびあがって、坂田がやってきたんだ。
「あ、菊地だ」
「おう」
自販機の人工的な光が坂田の生白い顔を照らしてた。あの夜はとにかく蒸し暑くて、肌にまとわりつく空気に、ごとん、ってペットボトルの落ちる音がやけに重く響いた。
並んでベンチに座って、最初は合宿中の稽古のこととか、当たり障りのないことを話してた気がする。でも、ふと会話が途切れたとき、坂田が急に言ったんだ。
「
は?
強炭酸が口のなかでぱちぱちはじけた。痛いくらいに。
「お金まで取られてるなら、言ったほうがいいと思う」
「馬鹿じゃねえの」
気がついたら俺は立ちあがっていて、地面にたたきつけたサイダーが足もとでしゅわしゅわ泡を吹いてた。坂田は迷子みたいな目で俺を見あげた。頭のなかが真っ赤になった。なんでいまさらそんな目で見るんだ。いままで何も知らない顔してたくせに。
「絶対言うなよ。言ったら殺す」
返事も待たず、俺はあいつに背を向けた。追いすがる自販機の光をふりはらいながら、宿泊所まで走ってもどった。
合宿を終えて、しばらくは変わらない毎日がつづいた。あいかわらず幽霊たちの嫌がらせは継続中で、ああ、やっぱり坂田は告げ口しなかったんだ、って暑さに溶けそうな脳みそでぼんやり思ってた。なぁんだ、やっぱり、しなかったのか、って。
知らないアドレスからメールが届いたのは、夏休みも後半に差しかかるころだった。
『夕方四時に部室集合』
そりゃ、嫌な予感はしたよ。でも、もしかしたら部長からの招集かもしれない。緊急ミーティングとか、そうだ、きっとそう。都合のいい願望を握りしめて、俺は四時きっかりに部室のドアノブをひねった。もちろん、待っていたのは優しい先輩たちなんかじゃなかった。
「チクったのおまえ?」
ロッカーによりかかって、戸田が薄笑いを浮かべてる。背後で亀山が扉を閉めた。岡部はいつもどおり泥みたいな目でケータイをいじってる。それに、もうひとりいる。見覚えのない上級生だった。細面の顔にくせのない黒髪、第一ボタンまできっちりとめた夏服のワイシャツ。戸田たちとは雰囲気が全然ちがう。どちらかというと、そうだな、あいつはどことなく坂田に似ていた。
「青センにいろいろ詮索されたよ。ごまかすの大変だったわ」
戸田がからから笑う。全身に冷や汗をかきながら、俺は、なんて空虚な笑い声なんだろうって、やけに冷めた気持ちでその声を聞いてた。
「で? おまえがチクったの?」
「ちがいます」
「じゃ、だれ? とりあえず言ってみ」
「知らないです。マジで」
もう決着をつけよう。震える声で、それでも俺は覚悟を決めた。たしかに俺は生意気だったかもしれない。けど、自分をあきらめて腐ってしまったやつらにこんな仕打ちされる筋合いはない。今日こそ勝つ。どうなったっていい。今日、いま、おしまいにするんだ。いま、ここで……。
「こころあたりがあるんだね」
胸の裏側からするりと入りこむような声だった。理科室の骨格標本みたいに立っていたその上級生は、ゆっくりと俺に近づいてきた。距離感がおかしいんだ。お互いの胸が触れるほどつめよって、爛々とした目で見あげてくる。その目がまたきれいでさ。戸田たちの濁った目とはちがう。ビー玉みたいだなと思った。
「戸田に頼まれたんだ。密告者がだれだか聞きだしてほしいってね。けど、そんなに警戒しなくていい。僕はきみの敵ではないから」
「だれだ、あんた」
「イルカ」
ふざけてるのかと思ったよ。でも、たしかにそう言ったんだ。俺の目をしっかりとらえて、イルカは話しはじめた。
「きみはさっき、知らないって答えたね。でも、本当は頭に浮かんだ人物がいたはずだ。さて、それはだれだろう。レギュラーの先輩かな、三年生、二年生、それとも一年生かな。ああ、そう。どうやらきみの同級生にいそうだね」
超能力。俺も最初はそう思ったよ。でも、そうじゃない。あいつのふたつの眼球が、俺の全身からことば以外の情報を掬いとってるんだ。
「そうそう、きみを待っている間に剣道部の活動日誌を見つけたよ。一年生が日替わりで書いてるんだってね」
イルカの手に見慣れたノートがあった。いつのまに持ってたんだ。動揺する俺のまえで、イルカはぱらぱらとページをめくった。
「ふふ、みんなまじめに書いてるなぁ。見開きで六人分の記事があるね。さて、このなかにきみを助けようとしたお友達はいるかな。そうだね、たとえばこのページを見て。左上の山下くんはどうだろう、あるいは中央右の吉川くん? 次のページに行こうか。右上の仙田くんはずいぶん大きな字を書くね、その下の水沢くんはどうかな、それとも……ああ、ありがとう、きみのことを告げ口したのは、この子だね」
イルカの指が、坂田直也の名前を迷いなく指した。細くて硬い、坂田の筆跡。脳みそが締めつけられた。かろうじて「ちがいます」って答えたけど、そんなのまるで無意味だ。イルカにとって、ことばなんてお飾りでしかないんだ。
「あのチビかよ」
戸田の舌打ちがどこか遠くできこえた。それから、背中に重い衝撃。岡部の蹴りをもろに食らったんだ。でも、そんなことどうでもよかった。
「サンキューな、イルカ」
扉の開く音がして、膝をつく俺の握りこぶしにまっかな西日が転がりこんだ。
「あとでラーメンおごるわ」
「それより、また図書カードがほしいな」
「ああ、いいよ。親戚からもらったやつ、うちに山ほどあるから」
イルカは変わってんな、本なんか旨くもなんともねえのに。戸田の声が遠のいていく。ばたん、と扉が閉まると、部室のなかは痛いくらい静かになった。いままで聞こえなかった時計の秒針が、耳の奥をじくじく刺した。
「きみも災難だね」
心臓が跳ねあがったよ。もうだれもいないとばかり思ってたから。顔をあげると、さっきまで岡部がふんぞり返っていた椅子にイルカが座っていた。
「あいつらは便所のコバエ以下だ。きみがわざわざ戦わなくとも、やつらの人生はいずれどん詰まりになる」
俺、頭でも打ったのかな。何度か目をこすったのを覚えてる。夕日に染まった壁が長く伸びて、イルカがずっと遠くにいるように見えた。それなのに、あいつの声は耳もとでささやくように近いんだ。
「とはいえ、きみはいま、そんな虫けらに命を握られてる。呪いたい現実だ。分かるよ、僕もそうだった。毛布のなかの半径数十センチが、僕が僕でいられる世界だった。でも、あるとき気づいたんだ。やつらは理不尽の国の住人だから、理論的なことにはめっぽう弱い。同時に、人間っていうのは、ことば以外のことばのほうがよっぽど雄弁に自分を語るんだ」
朗読劇の語り部のように、イルカはぴんと背筋を伸ばして話しつづけた。凛とした声が、飴色にひかる一本の細い糸になって空中にただよっていた。
「ちょっとこころを読んでやったら、僕を苦しめた虫けらはぴたりと静かになった。滑稽だったなぁ。あいつらもそうさ、まともに勝負する価値もない。それより、厄介な人種はほかにいるんだよ。たとえば、身勝手な正義感と優しさで他人の傷に寄生するような」
喉がひゅっと鳴った。気がついたら、イルカの白い顔が目の前にあった。
「はきちがえた優しさは暴力でしかない。世の中で一番タチの悪いのはそういうやつらだ。本物の被害者のとなりに陣取って、痛くもないこころを痛める。ねえ、菊地くん、きみはあの子に、告げ口してほしいなんて頼んだ? ちがうよね、きみはだれにも言うなって言ったはずだ。だけど、あの子は言ってしまった。その結果がこれだ。明日からきみへの風当たりはもっとひどくなる。ねえ、菊地くん、友達ってなに。優しくてまっすぐな心根のあの子は、いったいきみのなに?」
ヒントをあげよう。
イルカの手が、ぽん、と肩に置かれた。
「きみが戸田たちにされたことを、ひとつだけ、彼にやってごらん。なんでもいいよ、殴るでも、無視するでも、彼の物を盗んだっていい。なにかひとつ試してみるんだ。そうしたら、きみのズレた世界はほんのすこしクリアになるよ」
次の日、俺は坂田の竹刀袋から鍔止めを抜きとった。忘れられないよ、異変に気づいたあいつの顔。あの顔を見たとき、どろどろの溶岩と透きとおった川の水がいきおいよくぶつかりあって胸を突きあげた。あんな気持ち、もう二度と味わいたくないな。
イルカの予言はたしかに当たった。稽古が終わるや、戸田がなれなれしく肩を組んでささやいてきたんだ。
「おまえ、やるじゃん。見直したぜ」
要するにさ、いじめの標的が坂田に移ったんだよ。同時に俺は自由になった。昨日まで海の底の幽霊船に乗ってたはずが、あっというまに浮上して青空まで見えてきた。信じられなかったよ。鍔止めを盗んだ、たったそれだけのことで!
坂田は淡々としてたよ。うろたえるそぶりも見せなかった。それがかえってあいつらの神経を逆なでしたんだな。二学期が始まってまもなく、俺は戸田に命令された。坂田を部室に呼び出せって。
ふたりだけで話したい。そう言ったら、坂田はあっさりうなずいた。やっぱりけっこう参ってたんだろうな。あいつらしくない、ぴりぴりした笑顔だった。
陽が落ちるころ、俺たちは部室へ行った。ドアノブに手をかけた坂田は、ほんのすこし開けるのをためらった。あのときの光景が頭のなかで何度もリピートするんだ。ドアを開けた途端、岡部の腕が伸びて坂田を部屋へ引きずりこんだ。一瞬だったよ。獰猛な生き物の狩りみたいだった。
閉じられた扉のまえで、俺はただ立ちすくんでいた。何かのぶつかる音と笑い声が切れ切れに聞こえた。指の先ひとつぴくりとも動かせなかった。なんでだろうな、自分がやられてるときよりずっと怖かったんだ。
やがて扉が静かに開いて、顔を出したのはイルカだった。いるなんて思ってもみなかったよ。疲れたほほえみを浮かべて、イルカは俺をそっと部屋に引きいれた。
壁際で岡部が気だるげにたばこをふかしている。なかなかサマになっててさ、映画のワンシーンならかっこよかったんだけどな。坂田はロッカーのそばでうずくまってた。その周りで、戸田と亀山が鬼の首を取ったような顔してにやついていた。
「坂田くん、もう一度聞くね」
坂田のまえにイルカがしゃがみこんだ。ふしぎな光景だったな。並んでみるとふたりは鏡あわせみたいに似ていたから。乱れた髪を何度か梳いてやったあと、イルカは坂田に顔をあげさせた。自分の視線と真正面にぶつかるように。
「菊地くんは、きみの友達?」
あのとき、坂田は、本当はなんて答えたかったんだろう。引き結んだ唇が、潤んだ目が、震える肩が、あいつの全身がなにかを叫んでた気がする。だけど、知ってる。ことばにしたら壊れちゃうんだ。だから、俺は一生、あのときのあいつの気持ちを知ることはできない。
「友達です」
坂田は言った。かすれた声で。イルカは笑った。泣きそうな、慈しむような顔で。それから、首をよこにふって、ぽつりと告げた。
「うそつき」
凍りついた坂田を岡部が無造作に引きずりあげた。たばこをくわえたまま、坂田のシャツのボタンを乱暴に外す。抵抗する腕を煩わしげにロッカーに押しつけて、岡部はあらわになった白い肌に煙を吐いた。
「ああ、こんなところにいい灰皿があった」
俺は、そこまでしか見てない。思わず目をつぶってしまったから。短い悲鳴「早く口ふさげ」ロッカーをたたく音、くぐもった声「おい、もっとちゃんと押さえろ」亀山の引き笑い、肉の焦げるにおい、それから……。
「菊地」
目を開けると、ペットボトルがきれいな弧を描いて飛んできた。飲みかけのサイダーだった。戸田が顎をしゃくる。
「冷やしてやれよ。友達だろ?」
ぱちぱち、ぱちぱち、炭酸がはじける。真っ暗闇の自販機のそばで、坂田が俺を見あげている。「先生に言おうか」やめろ「お金までとられてるなら」俺が金せびられてるってなんで知ってるんだ。本当は全部見てたんだろ。なのに知らない顔して友達ぶって、安全な場所から出ようともしないで。いっそ離れてくれればよかった。その方がよっぽど楽だった。もううんざりなんだよ。俺は――。
気づいたら頭のうえからサイダーをかけていた。坂田の黒い髪がじっとりと濡れていく。戸田のヤジが遠くで聞こえる。甘ったるい香りにたばこの煙が絡みつく。空っぽのペットボトルが手からすりぬけて、足もとで、からん、と鳴った。
色が、音が、膨らんで、歪んで、ぼやけていく。なにもかもが海底のように不明瞭な世界で、本物の幽霊みたいにぼんやり立っていたイルカの、さびしそうにつぶやく声だけがはっきりと聞こえた。
「ああ、思ったほど、おもしろくなかったな」
そのあとのことはよく覚えてないよ。俺は次の日から学校を休んだ。しばらく経ったころ、顧問と担任がそろって家に来て、俺に頭を下げた。いじめに気づかなくてすまなかった、って。
俺は完全な被害者ってことになってた。証言したのはイルカらしい。すべては戸田たち三人が起こしたことで、俺は巻きこまれたかわいそうな一年生、イルカは偶然そこに居合わせた目撃者。「三人とも剣道部を退部したから安心して学校に来なさい」だってさ。都合いいよな、大人って。
思いきって登校してみたら、世界はすっかりもとどおりになってた。明るい体育館、尊敬できる先輩、楽しい仲間たち。ただ、そこに坂田だけがいなかった。まるで初めっから存在しなかったように、だれもあいつの名前を口にしなかった。
悪かったな、こんな話につきあわせて。俺、ちょっと悔しかったのかも。本当なら、いまあいつのとなりで笑ってるのは俺たちだったのに、それが正しい未来だったのに、って。うん、ただの負け犬の遠吠え。もしもの話なんかしても、しかたないもんな。
そうだな、いつか返せたらいい。そんで、消えちゃった時間の埋めあわせ、できたらいいな。ことばで埋めようとしたってきっとこぼれ落ちちゃうだろうけど、結局、不器用なやり方をくりかえすしかないんだ。
そういえば、イルカってさ、ああ、海の動物のイルカのことだけど、あいつら、音波で仲間としゃべるんだって。想像できないよな。人間ときたら、こんなに細かくことばを作って並べて、それでちっともうまく伝わらないのに。もしかしたら、あのイルカも、海のイルカの世界に行きたかったのかもしれないな。
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