8.レンズのむこう、手のひらのうえ (小野田舞子)
「この神社、どこだっけ」
「下鴨神社じゃない? ほら、さざれ石のあったとこ」
「さすがハナちゃん、よく覚えてる。あ、これよくない? 甘味屋さんで撮ったやつ」
「ここの抹茶ソフトおいしかったよねー」
「でもこれ、もっちゃんが目ぇつぶってるわ」
「やだ、ちょっと、後世まで残るんだから厳選して」
「後世って、卒アルに載るだけじゃん」
「言ったね。よーし、舞子の変な顔さがしてやる」
「ねえ、見てこれ。舞子ちゃん、目が半開き」
「えっ、だめだめ、るみこちゃんなに発掘してるの」
「るみこ、ナイス! それにしよう」
「だめだってばー」
写真屋さんに現像してもらった四人分の写真の山。空調のきいたファストフード店は、お昼時をすぎたからか、休日だというのにお客さんはまばらだ。甘いシェイクにふやけたポテトをつまみながら、わたしたちは卒業アルバム用に提出する写真を選んでいた。先週の修学旅行で撮った写真だ。わたしともっちゃん、おなじ美術部のハナちゃん、そして、志田るみこちゃん。
るみこちゃんはいま、井原さんのグループを離れてわたしたちといる。望んでそうなったわけじゃない。大きな泡からちいさな泡がぷくんと分かれるように、るみこちゃんはグループから押しだされてしまった。
きっかけは、それこそ修学旅行の班を決めるときだった。
「いいかぁ、基本は四人で一班だからなー」
担任の
「男子は五人の班がふたつできるけど、女子はぴったり四人ずつに分かれるからな。分かれなかったらオカマがいるぞー。はいはい、静かに。じゃあ、いまから五分、とりあえず分かれてみような。よし、はじめ!」
合図と同時に、教室はざわめきと席を立つ音にあふれた。井原さんの机には、よっちんと中沢さんが電光石火の速さであつまった。わたしはもっちゃんの席へ行こうとして、井原さんの席へ向かうるみこちゃんとすれちがおうとした。そのとき、背後から井原さんの声がした。
「アンジョー、うちの班、ひとり空いてるよー」
その声は教室のざわつきにまぎれて、ほとんどの子たちの耳には届いてなかったと思う。井原さんの視線は、五人グループのひとりの
「えー?」
安生さんはほかの子たちと顔を見あわせ、苦笑いした。
「ひとり余るでしょ? こっち来なよー」
たたみかける井原さんのとなりで、よっちんが手招きする。中沢さんの顔までは見てない。そのときのわたしは、凍りついたるみこちゃんに気づかないふりをしてそっとすれちがうのにせいいっぱいだったから。
ためらっていた安生さんは、結局、名残惜しげにほかの四人に手をふって、井原さんの席へ吸いこまれていった。立ちすくむるみこちゃんのまえをすりぬけて。でも、安生さんはそうするしかなかったと思う。どうしたってひとりあぶれてしまう五人グループのなかで、安生さんだけはおなじバレー部の井原さんと仲がよかったし、よっちんや中沢さんともしゃべれたから。
「きゃー、アンジョー」
自分のもとに来た安生さんを、井原さんはおおげさにハグした。安生さんも調子をあわせて「井原ぁー」と抱きしめかえす。その様子をるみこちゃんは、だけど、いつまでも見つめてはいなかった。くるりと背をむけ、髪の毛さきをいじりながら、なんでもない顔をした。ばれないように。先生に、みんなに、自分がいま仲良しグループから音もなく
「るみちゃん」
行き場をなくしたるみこちゃんの手を引いたのは、ハナちゃんだった。
「うちの班、三人しかいないの。よかったら、入ってくれない?」
よかったらもなにも、選択肢なんて残ってないのに。ぎこちなく笑うるみこちゃんを、わたしたちは無邪気に迎えた。それがわたしたちの役割だって、ちゃんと知っていたから。
「あ、これ、坂田くんたちと撮ったやつだ」
ハナちゃんが一枚の写真をつまみあげる。柳の木のした、思い思いのポーズをとる男女八人。ちょっとした集合写真のようなそれは、偶然出くわした坂田くんの班と撮ったものだった。
自由行動も後半にさしかかったころ、わたしたちはバスを乗りまちがえるという痛恨のミスを犯した。途中で気づいてあわてて降りたものの、はてここはどこだろう。
いまからもどって正しいバスに乗りなおしても、たぶんトンボ返りになってしまう。かと言って、じゃあ代わりにここへ行こうよ、なんて提案できるほどわたしたちは京の町に明るくなかった。バス停のまえで地図をひらき、四人で無い知恵をしぼりあっていた、そのとき、
「なんしよん?」
陽だまりに干したお布団みたいな声に、わたしたちはがばりとふりむいた。
「きゅうちゃん!」
耳のうえできっちり切りそろえたおかっぱ頭。きゅうちゃんこと佐藤
事情を話すと、きゅうちゃんは「ふん」と鼻をならして地図をのぞきこんだ。
「ビミョーやね。このあたりは道路も混むけん、集合時間までに帰られんかも」
がっくりと肩を落とすわたしたちに、しかし、仏のきゅうちゃんは救いの手をさしのべた。
「僕ら、これから白川沿いを散策するんやけど、いっしょに行く?」
「え、いいの?」
「かまんよぉ。ねえ?」
きゅうちゃんがふりかえると、坂田くんたちも「かまん、かまん」とうなずいた。
「行ってみようよ。ここで迷ってても仕方ないもん」
ハナちゃんの鶴の一声で、かくして即席の合同班は歩きだした。平安神宮の大鳥居に背をむけて、琵琶湖疎水から分流した(と、綱川くんが教えてくれた)白川をいざたどらん。
大通りから遠のくと、人の姿はだんだん少なくなって、川のせせらぎばかりがあたりに響きはじめた。青や紫のあじさいがあちこちで揺れている。
「ねぇ見て、ちっちゃい石橋、かわいいー」
「その橋は一本橋と言って……」
「お、始まったぞ。ツナのうんちく」
「鳥だ! 坂田、あの鳥なに? へえ、ゴイサギだって!」
「まって、なんかきこえる。三味線の音?」
ゆるやかに表情を変える川に、近づいたり、離れたり、渡ったり。やがて景色は、町家風っていうのかな、まるで江戸時代にタイムスリップしたような古い町並みに変わっていった。朱色の柵に赤い灯篭。白と灰色の石畳に柳の枝垂れがやわらかく影を落とす。人気スポットなんだろう、観光客の姿も多い。
「ねえ、みんなで写真撮ろうよ」
返事をするより早く、もっちゃんは通りすがりのおじさんにカメラを手渡していた。
「遠方から来はったん? はあー、そらお疲れさんやったなぁ」
ファインダーをのぞきこみ、おじさんは使い捨てカメラのノブをジジッと巻きあげた。ちょうどいい距離を探して寄ったり離れたりするおじさんの動きが踊っているみたいで、わたしはるみこちゃんと顔を見合わせて笑った。
フレームに収まるように八人がぎゅっと体を寄せあい、お互いの肩が触れる。すこしだけ高くなる温度、自分とはちがうだれかのにおい。時間がとまったみたいに固まって、シャッターの音を待ちのぞむ。その数秒間が、なんだかこそばゆかった。
細々とした白川が雄大な鴨川へ無事(というのも変だけど)合流するのを見届けて、ささやかな散策はおしまい。ひとまず休憩することにして、わたしたちは川岸にリュックを下ろした。
「あたし、飲み物買ってこようかな」
「わたしも行く」
「舞子はどうする?」
「わたしは荷物番してるよ。もっちゃん、お茶買ってきて」
「あいよー」
三人に手をふり、わたしは土手に腰をおろした。清流をながめていると、ぽかぽかした陽気もあいまって眠くなってくる。すこし離れたところで綱川くんがうんちくを披露している。その声もいまは子守歌にきこえた。
「おとなりいいですか」
すぐそばで声がして、わたしの眠気はふきとんだ。返事を待つこともなく、坂田くんはわたしの横にすとんと座った。
「小野田さんのとなりっておちつく」
「えっ、ど、どうも」
「ふふ」
足を投げだし、坂田くんは縁側の猫みたいに伸びをした。
「志田さん、小野田さんたちの班になったんだね」
その口調があんまりおだやかだったから、わたしはかえって面食らった。坂田くんがよその人間関係に口を挟むのはめずらしい。
「坂田くんは気づいてた? 班決めのとき、るみこちゃんがあぶれちゃったこと」
「全然。あとになって、へぇそうなんだって知った」
「だよね。井原さん、さりげなかったもん。わたしは偶然、見ちゃったけど」
るみこちゃんのこわばった表情を思いだす。全身からぶわっとにじみでたとまどいの色。だけど、それを瞬時に掻き消して、平気なふりをした。よっちんも中沢さんも安生さんも、わたしも、あのときみんな、井原さんの作った空気にあわせた。
「ちょっとまって!」
芝居がかった仕草で、わたしは両手をバッとひろげた。坂田くんがビクッとして体を引く。
「井原さん、あなたいま、志田さんを仲間外れにしたでしょう。そういうの、よくないと思うわ。みんなで話しあいましょう?」
なぁんて。
「言えるわけないよねぇ」
ため息をつくわたしに、坂田くんはくくくっと喉で笑った。
「小野田さんっておもしろいね」
「そうかなぁ」
つま先のむこうで、鴨川は我関せずな顔をして流れている。見知らぬ街ののどかな川辺がそうさせるんだろうか。気がつけば、ことばが口からぽろぽろとこぼれていた。
「悪い子じゃないんだよ。井原さんってね、ああ見えて優しいの。荷物運ぶの手伝ってくれたり、体調悪いときに掃除当番替わってくれたり。いいところ、たくさん知ってる。だからさ、るみこちゃんとのことも、ちょっと食いちがっただけなんだよ。るみこちゃんだって、本当は井原さんのグループにもどりたいんだと思う」
「小野田さんのグループじゃだめなの?」
「だめじゃないけど……」
修学旅行に行くまえ、るみこちゃんを誘って四人で遊んだ。電車で街まで出て、俳優の君嶋翔馬くん主演の映画を観て、ケーキバイキングをして、プリクラを撮った。楽しかった。でも、やっぱりぼんやりと分かってしまう。るみこちゃんはわたしたちにあわせてる。わたしたちのグループからあぶれたら、今度こそひとりぼっちになってしまうから。
「うちのグループって地味でしょ。ファッションとか疎いし、恋バナなんかも全然しないし。るみこちゃんにはもの足りないと思う。井原さんの機嫌さえ損ねなければ、あのイケてる女子グループにいる方がきっと居心地いいんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。だからさ、早く井原さんと仲直りしてほしい。せっかく仲良くなれたのにまた離れちゃうのは寂しいけど、でも、それが一番いいだろうなって」
「ふうん」
ひつじ雲の空を見あげて、坂田くんはぽつりと言った。
「シェルターみたいだね」
刺さった。
坂田くんのことばは、ときどき、本人も気づかないうちに鋭いナイフになる。イヤミや皮肉を言わないから、だからこそなにげないことばは本物で、ライオンの狩りを淡々と追うビデオカメラみたいに、ただ事実だけをさしだしてくる。シェルター。困ったときだけ頼られる受け皿。そのとおりだ。教室という空間にいるとき、わたしたちはいつだってそういう役回りを担ってきた。そのことに不満なんてない。不満なんてないけど……。
「ハナちゃんってさ、眼鏡かけて、歯に矯正器具つけてるでしょ」
こんなことを、こんなときに、この人に話してもいいんだろうか。迷ったまま、それでもわたしの唇は、もうことばを堰きとめることができなかった。
「まえにね、井原さんたちがハナちゃんの顔を悪く言ってるの聞いちゃったの。もっちゃんのこともアイドルオタクって笑ってたし、わたしのことだって、放課後、勝手に坂田くんとくっつけて盛りあがってたじゃん。フルネームで呼んでさ」
「うん」
「べつにいいの。わたしらはわたしらで楽しくやってるし。気にしないことにしてるの。でも、ほんとは、」
るみこちゃんの凍った目が、井原さんからわたしのほうへゆっくりと移る。
ねえ、あのときどうして、気づかないふりをしたの。
「るみこちゃんが来たとき、ほんとはちらっと思ったんだ。あんた、わたしらの悪口言ってたくせにって。ちらっと考えたんだ。自分たちの悪口言ってた子を引き受けたんだから、だれかほめてくれないかなって。わたしね、たぶん、優等生の勲章がほしいだけなの。いい子ぶってるだけなの。だってさ、本当にいい子だったら、あのとき、見て見ぬふりなんかするはずないもん」
悪口を気にしないんじゃなくて、気にしないふりをしてるだけ。そんなふうにできる健気な自分をこっそりアピールして、いい子バッヂを集めて得意顔。だけど、肝心なときには戦えない。波風立てる勇気なんかない。
わたしは、いい子の仮面をかぶった臆病者だ。
「それって、そんなに悪いことなの?」
ぽちゃん。
なにかが水に落ちる音。顔をあげると、坂田くんはのんびりと河原を見ていた。視線のさきをたどれば、きゅうちゃんたちが川面にむかって小石を飛ばしている。
「見て見ぬふりも共犯です、って言うのはかんたんだけど。それ、刃物ふりまわしてるやつに立ち向かえって言ってるようなもんでしょう。絶対に無傷じゃもどってこられない。それでも飛びこめって言うんなら、じゃあ、先生たちはちゃんと救急箱用意しといてくれるのかな」
早乙女くんの投げた石が、水面をきれいに跳ねていった。坂田くんはつづけた。
「小野田さんは賢い方法を選んだだけだよ。その場は穏便にすませて、あとから志田さんをかくまってあげた」
「声をかけたのはハナちゃんだよ。わたしは反対しなかっただけ」
「おなじことでしょ」
「ハナちゃんやもっちゃんがいなかったら、わたしは助けなかったかもしれない」
「数は大事だよ。仲間がいるといないとじゃ、話が全然ちがうよ」
早乙女くんが太い腕を力強くふりかぶった。ひゅん、ひゅん、ひゅん。水面に波紋の軌跡を残して、小石は消える。途絶えた軌跡の、そのずっとさきを見つめて、坂田くんは言った。
「悪口言われて、気にならないわけないじゃん。ほめられたいと思ってなにが悪いの。小野田さんみたいな、まじめに生きてる人の我慢が、ちゃんとほめられないのはおかしい」
「坂田くん……」
「小野田さんはこれ以上いい子になる必要ないよ。いいんだよ、こいつ死んじゃえばいいのにとか思っても。こころのなかで一日三回くらい殺しときなよ」
「え」
「だってただでさえ言いたいこと言えない性格なんだからさ。こころのなかでまで黙ってることないでしょう。俺はまえの学校でトラブったやつのこと毎日殺してたよ。マグマに突き落としたり、トラに食わせたり」
いろいろやったなぁ。なつかしむその顔は、物騒な内容とは裏腹に新緑の風みたいにさわやかで、わたしは思わずふきだした。坂田くんも笑った。金平糖をころがすような、くすぐったい笑い声だった。
カシャッ、とシャッターを切る音がきこえた。ふりむけば、るみこちゃんがカメラを構えて立っていた。
「おふたりさん、もういちまーい」
促されるまま、照れ笑いでピースをする。散らかった部屋の物をあわてて押入れに放りこむみたいに、ちっとも片づかない気持ちをこころの奥へぐいっと押しやって。わたしはいま、どんな顔でレンズを見つめているだろう。
坂田くんたちとは、結局、集合時間までいっしょに行動した。きゅうちゃんおすすめのお香のお店で、坂田くんは真剣に匂い袋を選んでいた。匂い嗅ぎすぎて鼻が痛い、と言いながら、お母さんへのお土産だという桜色の匂い袋と、もうひとつ、藤色のちいさな匂い袋をレジへ持っていった。
「紫のはだれ用?」
「自分用」
「ふうん」
坂田くんにはこっちの青の方がにあうけどな。空色の匂い袋を手に取って、一瞬、買ってしまおうか迷ったけれど、わたしはそれをそっと棚にもどした。
「この写真は舞子ちゃんにあげる」
残りかけのシェイクを未練がましく吸っていたら、るみこちゃんが二枚の写真をこっそりよこした。鴨川の土手でわたしと坂田くんが並んで座っている。ほんのすこし過去にいるわたしたちが、手のひらのうえでわたしを見ている。
カメラを向けられるとき、わたしたちはいつだってすこしだけずるいのかもしれない。苛立ちもため息も全部隠して、ありあわせの笑顔でレンズのむこうを見つめる。おとなになって、もしもこの写真を見つけたら、わたしはこの時間のことをどれだけ思いだせるだろう。るみこちゃんと笑いあったこと、川沿いで揺れていたあじさいの色、買わなかった匂い袋の香り、坂田くんの横顔。いまはまだあざやかなその記憶を、このさきどれだけ色褪せないまま、わたしのもとまで持っていけるだろう。
「ねえ、これからプリ撮りに行こうよ」
「いいねー。そのあと本屋さんに寄ってもいい?」
「あ、わたし、ハガレンの新刊買わなきゃ」
テーブルに散らかしたたくさんの時間の切れ端を束ねて、それぞれのかばんにしまいこむ。ポシェットの留め金をぱちんと留める。その音は、夢から覚める瞬間にどこか似ていた。
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