3.ふたりぼっちの宇宙人 (坂田直也)
ノートをもらいました。となりの席の小野田さんから。
保険会社の人がおうちに持ってきたそうです。保険会社にしてはセンスのいいデザインだなと思います。なんてね。生意気。
「自分で使わないの?」
って聞いたら、
「そのつもりでかばんに入れといたんだけど、そのまんますこーんと忘れて、昨日、新しいノートを買ッテシマイマシタ」
だって。
なんか、小野田さんらしいなって思った。人にあげちゃうところも含めて。表紙に犬のシルエットが描いてあって、ジャックラッセルかな。ジャック・ラッセル・テリア。保険会社のマスコット犬なんでしょうね。「坂田くん、まえに犬が好きだって言ってたよね」って。人の好きなものを覚えてる人って尊敬します。僕はすぐ忘れちゃうもん。気づかいの人なんです、小野田さんは。
それで、最初は新しい国語のノートにでもしようと思ったんだけど、せっかくもらったものだから、ここにはちょっと特別なことを書いていこうかなと思います。べつにだれに読んでもらうつもりもないです。ただ、なんていうのかな、たとえば地面にふかーい穴が掘られてて、それが遠く離れたどこかの地面(日本でも海外でも、地球の反対側だってかまわない)までつながってたとして、真っ暗な穴のむこうへ一方的にしゃべったら、ちょっとすっきりしないかな、なんて思うんです。僕の声が穴のむこう側にいる顔も名前も知らないだれかの耳に入って、そのまま耳から出ていってくれたらいいのにな、って。ラジオから流れる音楽みたいに、聞いてるけど聴いてない感じで。
要するに、だれにも言えないけどだれかに聞いてほしいことってあって、そのだれかっていうのは僕の人生にまったく関わらない人であってほしいんです。身近な人ではだめだと思う。きっとことばで伝えても気持ちはいまいち伝わらなくて、余計なものばかり返ってきちゃうから。
「好きな女の子はいるの?」
って、小野田さんに聞かれました。ちょっとびっくりした。その手の話題を自分から振る人じゃないと思ってたから。いないよ、って答えて、それは全然うそじゃないんです。なのに、あれからずっとうそついたような気分なのはなんでだろう。
「みんなそういう話ばっかりしてるから」
小野田さんにそう言われて、急に視界に色がついた。ぶわーって、蜷川実花さんの撮る花の写真みたいに。そしたら、相対的に(って使い方であってるかな)自分の色が見えなくなった気がしたんです。あれ、俺いまどこにいるんだっけ、って。
人を好きになるのって、そんなに当たり前のことなんでしょうか。
だれもかれも怖いくらい「好き」が大好きなの。女の子は特にそんな感じがします。願掛けやおまじないに一喜一憂して、スカート丈とリボンの長さに命かけてる。友達の恋にまで敏感で、ふられた子を取り囲んで一緒に泣いてるの見たときは正直マジかって思いました。健気で、したたかで、たくましい。男子なんてクラスで一番胸の大きい女子はだれかみたいな話しかしてないのにね。
そういう、ちょっと気おくれするくらいの女の子のひたむきさとか、性に対する男子のバカなまっすぐさとか、いままではふつうに眺められてたのに、最近、そういうのが真夏の直射日光みたいに感じるんです。皮膚がヒリヒリ焼けて、まぶしくて直視できない。
「あすみんとななこ、どっち派?」
そのドラマ観てないけど、どっちかっていうとあすみんかな。
「どういう女子がタイプ?」
うーん、まじめな人かなぁ。あと朗らかな人がいいな。
うそついてるわけじゃない。興味ないわけでもない。なのに、いままでどおり答えても、なんだか風邪をひいてるみたいにのどになにかが引っかかる。
でもおまえ、男とつきあってるじゃん、って。
「那智石の那智?」
って聞いたら、
「よく知ってるね」
ってにこにこしてた。名前のとおり那智石みたいなツヤツヤの黒い髪をしてて、僕はその髪を触るのがけっこう好きだったりします。本人には言わないけど。恥ずかしいから。
那智さんを見ていると、人間ってこんなに感情の引き出しがあるんだ、なんて驚かされっぱなしです。ためらいがちな指先とか、わざと外される視線、こそばゆい沈黙、笑ったあとにそっと噛んだくちびる。「好き」があふれて洪水になって僕をのみこんでいること、当の本人は全然気づいてないみたい。ルーズリーフに秘密をつづって、それを器用に折りたたんで友達にこっそり手渡してるクラスの片想い女子とそんなに変わらないです。ちゃんと恋に生きてる人って感じ。
それでいて、ときどきすこし怖くなるような薄暗い顔を見せたりもする。
このあいだもそうだったな。学校帰り、那智さんに偶然会ったんですけど、別れ際、僕が友達にボディタッチされたのが気に食わなかったらしくて、まだ友達の姿が見えてるのにいきなりキスしてきました。外ではくっつくなとか手も繋ぐなとか、僕にはさんざん言ってるくせに。気が気じゃないんだそうです。僕がほかの人のところに行っちゃうんじゃないかって。
そんなに不安にならなくても、ちゃんと好きなのに。
そう伝えると、那智さんは黙って寂しそうに笑う。「本当に?」って問いただされてるようで、僕はやっぱりまた、のどのあたりがきゅっと締まる。
電話口で抜き打ちみたいに「好きだよ」って言われたこともありました。そのあと、ほんのわずかな沈黙を耳ざとく拾いあげて「いま、困った顔したでしょ」って。
なにがそんなに怖いんだろう。那智さんは、僕を手放したがらないくせに僕の「好き」は否定したくて仕方ないみたい。
「俺は直也が思ってるほどきれいな人間じゃないよ」とか、
「直也に対して、生々しい最低のことを考えたりもするよ」とか、
言わなくていい欠点をわざとあげつらうのは、もしかしてヒントのつもりなのかな。僕は迷路のなかをぐるぐるしてるネズミで、上から眺める那智さんは、ゴールに置いたご褒美のチーズを僕に早く見つけてほしいってこと? 「那智さんを好きな気持ちは本物じゃない」っていうかび臭いチーズを。
そうやって自分で勝手に答えを出してさきに行っちゃうの、やめてほしい。なんで人の気持ちまで決めつけちゃうんでしょうね。俺は困ってないよ。那智さんに好かれてもなんにも困らないよ。
同性愛のことは、よく分からない。
那智さんは男で、男を好きになる人だけど、俺はたぶん、そうじゃないと思う。
でも、じゃあ女の子が好きかっていうとそれもぼんやりしてる。
だから、那智さんに告白されたとき、俺は迷っちゃったんです。きっと三谷だったら「その気持ちには答えられない」ってはっきり言える。「俺は女の子が好きだから」って。富士野も、中林も、たぶんきゅうちゃんも、そんなふうに答えられると思う。
だけど、僕はどうやらみんなほどはっきりしたものを持ってないみたい。十五歳にして最近ようやくそのことに気づきました。告白を断るのに好きになる性別が理由になるなんて、そういえば考えたこともなかった。
何度も思いかえすんです。那智さんに初めて「好きだ」って言われたときのことを。あのとき、うそでも「女の子が好きだから」って言って断ればよかったのかな。可能性とか考えずに「あなたに恋愛感情は絶対湧かないから」って断定しちゃえばよかったかな。
でも、頭のなかでどれだけシミュレーションしなおしても、それっぽい理由をつけて断ったり、わざと傷つくことばを選んでつっぱねたり、他の人に話せば「なんでこうしなかったの」「こうすればよかったじゃん」って言われるような返答の仕方は、やっぱりできなかったと思います。
だって、分からなかったから。
分からないことばかりで、だけど一番分からなかったのは、那智さんが僕に好きだと告げた瞬間、どうして泣き崩れたのかってことだった。ごめんなさいって言うんです。まるで人を殺したみたいに、僕の服の裾をつかんで、ごめんなさい、ごめんなさいって。なんで俺こんなに謝られてるんだろう。なんでこの人はこんなに謝ってるんだろう。だって人を好きになるのってすばらしいことなんでしょう。みんなそう言ってるじゃん。毎年そういう映画が流行るし、テレビではそういう歌ばっかり流れてる。だれかに「好き」を伝えることって、甘酸っぱくてほろ苦くて、たとえ想いが届かなくてもその悲しみごときらきらひかってしまうくらい、無条件に尊いことじゃなかったんですか。もしその通りなら、あの人はなんであんなぐちゃぐちゃに絶望しながらそれを伝えたの。なんで命乞いでもするみたいに、床に頭をすりつけて号泣してたの。
大丈夫だよ、って背中をさすってあげることしかできなかった。
大丈夫だよ、嫌いになってないよ。そう言いきかせながら、そのとき急に「ああ、いまこの瞬間から、俺たちはふたりぼっちの宇宙人になっちゃったのかな」って、そんな気がして、俺よりひとまわり大きい那智さんを抱きしめながら、もうどっちがすがってるのか分からなくなった。さよなら、地球。今日からゴメンナサイ星人とナンデナンデ星人です。うまくいくのかな。でも、もうちっちゃな宇宙船にふたりで乗っちゃったし。
そういえば、
このあいだね、那智さんから借りた江戸川乱歩の短編集を机のなかに忘れて、放課後、教室に取りに戻ったら、女子グループの恋愛話に遭遇しちゃったんです。グループのひとりの志田るみこさんって子が三谷にいつ告白するのかって話で盛りあがってて、けど、志田さんってもうずいぶんまえに三谷に告白してるはずなんですよね。なんで知ってるかって、僕もその場に居合わせてたから。すれちがった彼女の目が真っ赤だったのも、次の日ケータイのストラップを新しくしてたのも、三谷のいるクラスに頻繁に行かなくなったのも、本当は知ってる。それなのに、志田さんはまだグループの子たちに絶賛片想い中をアピールしてて、なんか、切ないとかそういうまえに、大丈夫かなって不安になります。
そのフリ、いつまでつづけるつもりなんだろう。
あんまり関わりのない僕にさえバレてるんだから、僕よりはるかに勘の鋭いグループの女の子たちが気づかないはずないと思うんだけど。「平気なフリは得意だから」って言う人いるけどさ、平気なフリなんてみんなそれなりにやってるんだし、見抜く力もそれなりに鍛えられてると思うんだよね。女の子なんて、尚更なんじゃない。
志田さんの笑い声が明るすぎて、なんだか自分がうそついてるみたいにハラハラした。
いつか俺もあんなふうに三谷たちのまえでうそ笑いするんだろうか。
そうなるまえに、本当のこと言っちゃだめなのかな。
なんてうっかりこぼすと、那智さんは「絶対だめ」って怖い顔するんです。理由は、そりゃなんとなく分かってはいるけど。
でも、やっぱり「なんで?」って聞いちゃうんだ。
ナンデナンデ星人ですから。
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