1.1

 ――百年前に生まれたかった。

 それは二十一世紀末期を生きる芸術家に一度は去来する思いだ。

 二千九十年から見ると、二十世紀から二十一世紀初頭の情報技術の進展とコンピューターとインターネットによって爆発的に拡大した芸術の枠は、まるでビッグバンのような光景を想起させる。

 百年経ってもあせない数々の芸術やカウンターカルチャーと呼ばれる無料化した誰でも触れることのできる芸術の黎明期が、現代から見ると宝石箱のようだ。

 時間という絶対に届かない壁に阻まれて、時代への憧憬が募ることも珍しい事ではない。特に、自動化が進んでいない時代は芸術家の幅がありそうに見える。

 現代を生きる芸術家は誰であれ、過去の自動化されていない時代に追い立てられている。




 ――もはや人間は必要ない。

 そう言われ続けて半世紀が経とうとしている今でも、人間は社会の表舞台からおりてはいません。人が人であるために必要だと信じ続けて、機械に決定的な社会活動の根幹を明け渡してはいないのです。

 そして同様に、芸術やスポーツのような何かをやりたい、という衝動もまた決して人が機械に明け渡してしまってはいけないものなのです。その衝動すら自動化してしまえば、本当に人はいなくても良い何かになってしまいます。

 ですから、HALとは、hIEという道具を通して芸術を行うことができるのだという、人が機械に文化を明け渡してはいないという象徴であってほしいと願うのです。

             ――HALプロデューサー能登佐奈のインタビュー


「アホか」

 矢畑雄呉は心底馬鹿馬鹿しくなって映像を切った。わざわざ彼を呼びつけてこんなものを見せた女がニヤニヤとした笑いを彼に向けている。

「こんなこと言ってて恥ずかしくないか」

「これもマーケティングの一環よ」

「HALは確かに人の労力がかかっているがこんなキレイなもんじゃないだろ。それを象徴みたいにしてどうするんだ」

「アイドルが偶像であるためには何かの象徴であった方がいいの。ジャンヌ・ダルクが、祖国開放のための象徴であったように」

「それは最後火あぶりになるんだがいいのか」

 雄呉は呆れて嘆息した。芸術だけは自動化から自由だと言っているように聞こえる彼女の言葉は、ひどい欺瞞だった。芸術もまた自動化の歴史を辿っている。音楽や絵を書くことがデジタルに移行したのは一世紀も前のことで、自動化という言葉を嫌う芸術家肌の人に耳障りがいいように、道具と言い換えただけだ。現実にAIが創作を補助するようになって、ジャンルを問わず爆発的に個人の創作者が増えたのはAIが創作の中で、『自分がやりたくない』部分を自動化してくれたからだ。

 自己の内面にある衝動さえ、自動化による誘導かもしれなかった。何かを作りたいと思わせることで、消費行動を誘発させる経済活動も一世紀前には確立している。

 目の前にいる佐奈という女は、自己の内面だけは自動化されていないという人間の願望を、hIEは道具だという言葉と結びつけて、HALは人間が作った芸術だ、という認識にすり替えたのだ。HALが自動化を嫌う人々にも受け入れられるように。

「そもそも、人間が自動化から完全に自由でいられたことなんて、人類の有史以来存在しないのよ。人間が二足歩行という進化を選んだのはその生存戦略の中で、木の枝や石を使って狩りをしたり外敵を排除したほうが、ある部分を発達させるより応用がきいて自動的だったからでしょ。人間が苦労することが尊いなんて、人間の進化の理由を考えたらおかしな話だわ」

 佐奈は人間の苦労を報われたいという当たり前の願望をバッサリと切って捨てる。冷徹なプロデューサーとしての才覚が見え隠れしていた。

「俺の苦労も意味ないってか」

 雄呉も流石に苦笑いを返すしかなかった。彼はHALを世に出すにあたって、佐奈から無茶な要求を受けて死にそうな目にあった。

 十歳は年下のプロデューサーは間違いなく天才で、カリスマがあった。雄呉も彼女を認めていたからその無茶な仕事を受けた。

「ねえ、本当に私のところに来る気はない?」

 上目遣いで試すように、佐奈は何度目とも分からない話を蒸し返す。彼女は女性だからといって侮られるのを嫌うのに、目的のためなら自分の外見を使うことをためらわない女性だ。

 雄呉にとって、それは強い誘惑だった。それでも彼は首を横に振る。

「ないよ。俺の仕事は終わったし、外部の人間がうろうろしているのはよくない噂になる。俺は委託先の人間だ。所詮フリーランスだし、そんな中年の男を無理矢理ねじこんだだけでも君の印象を悪くしただろう」

「それは昔の話でしょう。あなたの功績は皆の認めるところだわ。“カーペント社”

ならあなたの活動もバックアップできる。この後に及んで負い目なんて意味あるの?」

 “カーペント社”は日本有数の芸能事務所だ。三十年前の“ハザード”で東京近縁が壊滅したとき、東京に機能が集中していた芸能社会もまた危機的な状況にあった。その人間関係にできた穴に食い込むようにして、カーペント社はのし上がった。

「いや、やっぱり、何か違うんだよ。ここで仕事をすることは、輝かしくて光栄なことかもしれない。でもそれは何か違うんだ」

 四十手前の男の言葉とは思えない、あやふやな答えを臆面もなく言って、雄吾は恥ずかしくなった。

「その『何か』に答えが出ずに四十歳手前までこの業界にいて、その才能を燻らせているなんて、人としてどうなの。どうして積極的に周りを利用しようとしないのよ。あなたにその『何か』の答えをくれる天使はいないのよ」

 佐奈の言葉が耳に痛かった。多分彼は、自分の成したい芸術のために、彼自身のチャンスを何度も棒に振っていた。HALで彼の名は売れたが、それも彼の才能を買ってくれた佐奈が強引に彼をプロジェクトメンバーにねじ込んでくれたからだ。彼女の伝手がなければ、彼は未だに生活の苦しい業界ではそこそこ古参という程度のフリーミュージシャンだ。

「貴方の、『声』に対する感覚は抜群だわ。うちに来れば、オーディションを受けたいって子がたくさん来る。貴方の『何か』にいずれ答えが見つかるかもしれないのよ」

 それなのにどうして、と佐奈は目で語っていた。

 雄呉はいたたまれなくなって視線をそらした。

 言葉が絶えて、沈黙が痛かった。どちらも相手の言い分を尊重する程度には分別がついてしまっていたから、黙るしかなかった。雄呉は佐奈と話すといつもこうして気まずくなるか、喧嘩になる。十歳下の女性をうまくいなす甲斐性もないほど自分が子供だからだとわかっていた。

 そしていつも見計らったように、救いは現れる。

「HALの新たな衣装だ! 見てくれ、我が友よ!」

 やたらと響く声とともに、自動扉が開け放たれた。気まずかった雰囲気が一瞬で霧散して、二人の視線が入ってきた男に集中する。

「おい、なんだ、その『またか』という顔は。衣装デザイナーが衣装を作って何が悪い」

 男が不服そうに愚痴をこぼす。目の覚めるような白人の美形だが、近代の欧州の貴族のような華美な服と、頭頂を金の星型に染めてその周りを五色に染めた髪は、二十二世紀を目前にする時代でも前衛的すぎた。

「ジェイ、聞こえるからそんなに大きく叫ばなくていいの。それに貴方、HALの衣装がどれだけ溜まってるか覚えていないの? 公演の度に衣装を変え続けてもあなたの作る衣装のほうが多いから、クローゼットが圧迫されていく一方なのよ?」

「知らん。そんなもの、どうとでもなるだろう」

 ジェイド・シュミールは世界的な服飾デザイナーだ。十代でその将来を嘱望され、二十歳になる前にパリコレで最優秀賞を取った歴史に残る天才だ。そして、四年前、突然これからはhIEの服しか作らないと言い放ち、欧米の服飾業界から追放された異端児でもある。

 彼は、「服など、AIの補助を借りるほど複雑なものでもないのだから、数を作ってなんぼだろう」と公言してしまう、社会不適合者でもある。AIの補助を借りても尚、彼を超えられないから、多くのデザイナーから恨まれていた。彼を追い出したい人間はたくさんいた。

 そして世界から恨まれている彼に声をかけたのも佐奈だ。

「作りたいものを作る自由こそ、人間のみに許された自由だ。言われたものだけ作って何が楽しい」

 つまり、周りが合わせろとジェイドは言っていた。天才にのみ許された傲慢さで、正論を正面から粉砕する。

 頭痛をこらえるようにこめかみを抑えながら、佐奈はため息をついた。

「はあ、ほら、衣装を見せて。持ってきたんでしょ」

「うむ、どうだ、これは!」

 バサっと広げられたレースを基調とした白いワンピースは、いかにも女の子らしい。雄呉はそれがどれほどすごいのか判断がつかなかったが、佐奈が隣で感嘆の表情を浮かべていた。

「どうしてこのベルトをつけたの?」

「ん? かっこいいだろう?」

「ええ、まあ、そうね」

 佐奈はこいつにきいたのが馬鹿だった、という顔をしていた。ジェイドは直感型だ。つまり彼のデザインが光る部分の多くは、「なんとなく」で占められている。

「これ、本当にhIEが着れるの?」

「当然だ。大体、今まで似たようなものを何度も作ってきただろう」

 普通、hIEは人間の女の子が着るような薄手の服を着ることができない。hIEは人間の振る舞いをそのまま真似るから、無茶な動作で服が引っかかったとき人間なら行動を止めるところを、hIEは服を引きちぎって行動してしまう。レースなど薄手の物や装飾のこった服はすぐぼろぼろにしてしまうから、hIEの着る服はたいてい野暮ったくなる。

 しかし、ジェイドは不可能を可能にする。高度AIの補助を借りずとも、人間の服と遜色ないhIEの服を即興で作ってしまう。

「ところでこれ、いくらかかったんだ」

 雄呉は貧乏性の彼らしい素朴な疑問をそのまま口にしてしまった。

「ああ、まあ、材料費だけで百万円くらいだ。つい先日解析が終わった人類未踏産物レッドボックスのナノファイバーを伝手でおろしてもらった。hIEの駆動出力にすら耐える超繊維だ」

「材料費、だけ?」

 低い唸り声が空気を凍らせた。ジェイドは口を滑らせたと、冷や汗を流している。

「いや、まあ、なんだ、諸経費が少々かかったというだけだよ、サナ」

「その諸経費の内訳を言いなさい」

 ダラダラと冷や汗がジェイドの全身を流れていった。

「言 い な さ い」

 観念したようにジェイドはうつむいて口を開く。

「その、つまり、できたばかりの繊維だろう? 縫製しようにも専用の機械がない。だから、既存の設備を流用して縫ったんだが、その、二台ほど……潰した」

 ジェイドの使う縫製設備は一台二千万円ほどする。目の前にあるワンピースは五千万ほどかかって作られたということだ。

 ジェイドは天才だが、馬鹿だ。おそらく彼は製作の過程で縫製設備が壊れることを承知していたはずだ。それを知っていてなおこのワンピースを作ったのは、今までHALに着せることのできなかったデザインを作ることができるようになったという欲望に負けて、後に来るツケを無視したからだ。

 佐奈のこめかみに血管が浮いていた。彼女も有能さから世間の理不尽を受けてきた人間だ。だからそうそう堪忍袋の緒が切れたりはしない。しかし、ジェイドのあまりにも馬鹿な理由は彼女を怒らせるには十分だった。

「ふざけるなー!!」

 男二人は年下の女性の怒鳴り声に追い立てられるようにして部屋を飛び出した。

「君まで逃げることないだろう。まるでやましいことがあるみたいだぞ」

「あのまま部屋にいたら当たり散らされそうだ」

「ああ、うん、それはありそうだな」

 いい年をして廊下を走る二人を若い女性スタッフが呆れた目で見ていた。

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