第4話 笑い金庫
ソロモン計劃の成果の一つとして、異世界…すなわち、現実と異なる“ちから”に乗っ取って成り立つ世界…の観測の成功が挙げられる。
異世界、というのは口語的な言い方であり、学術的には“
“ちから”とはその世界を貫く論理であるアルコーン、と流出学の権威であるデーミウルゴース・ヤルダバオート教授は語る。
例えば、水蒸気を“ちから”とする世界では、万物が水蒸気に帰結し、そのために蒸気機関が何よりも効率的にエネルギーを産む。
言葉を“ちから”とする世界では、言霊の力が遥かに強力なものとなる。口での契約は強烈な楔となり、言葉によって伝えられるうちに、そのものの形状や物理的性質までもが変化する。
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…これはいかなる“ちから”による異世界か?それは
「アールッルッルッ。“東の大学”が存在する基底世界の“ちから”は、“揺らぎ”であると考えられるアルコーン。それにより、様々な流出世界へのアクセスや現実改竄が可能になっているのだコーン」ヤルダバオート教授の言葉である。
ソロモン計劃により生じた現実の揺らぎにより、基底世界、つまり“東の大学”の存在する世界と数多の異世界は関係性を持つようになった。その関連に関する学説は未だ仮説の域を出ておらず、日々議論が続いている。
この一週間でコトブキに起きた事を簡潔にまとめると、以下のようになる。(数学証明的文体)
1、『アンドロステノン』に警備員として非常に薄給で雇われた。
2、警備のため、己の神格の向上のため射石にバリツを教わり始めた。
3、世界の全ては“東の大学”が観測しており、彼らによる点数付けを経て、どの現実がより強いかを定める、と言うことを学んだ。
4、射石の事も少し知った。
射石はどうやら、とある予備校と契約を交わした、模擬試験を初めとしてありとあらゆる事に駆り出される傭兵のような存在らしい。そういうわけで、23歳にも関わらず、彼は
しかし、彼ほどの頭脳があれば簡単に“東の大学”に入れそうなものなのだが、何故か射石は探偵であり続けているのだ。
「何でなんだ?」朝食の白米を箸でつまみながらコトブキは尋ねる。
女には関わりのない色恋沙汰の話さ、と射石は笑い、センター物理過去問(朝食である)を口に含む。テレビは朝のニュースを流していた。
「グッモーニン。皆様、ええ、今日の私の素肌は如何で?太股とか。ちゃあんとコードに沿って隠しましたから。オールオッケー、じゃあはりきって…ザザザッ…ザザッー」
「ノイズか。流石に差止めか」
「フッ。試験だよコトブキ」
「…は?」
ノイズが晴れる。テレビには、“東の大学”の一室とおぼしき部屋と、其処の中央の椅子に座る、頭部がゴシック様式の塔に置換された女性が写し出されていた。
「初めまして、受験生諸君。私は塔の魔女、ラプンツェル・ノクティス。“東の大学”で形而上論理建築学を教えているものです。
では、私から、今年度の“東の大学”第一次入学試験として、以下の問を与えます。
『世界のどこかにある金庫の死体を探せ』。
さあ、己の力を示しなさい」
「はぁ???」
「フッ…“東の大学”の試験は十五次まであるのさ。…にしても、中々難しい問題じゃないか」
コトブキは顔を歪める。「金庫…金庫って死ぬのか?そんなわけないよな?」
これが“東の大学”の入学試験なのさ、と射石は笑う。
「…あの約束を果たすために。私は…主席で合格しないといけないのだ」
「ハッ!簡単すぎるねッ!」
金という金をみっしりと注ぎ込んだバベルの塔のごときビルの123階で、男は啖呵を切った。
シルクで織られた黄金の詰め襟、口には輝く金剛石歯。七三分けの髪からは麝香の匂いが漂う。手には本革で作られた『国富論』。
この男は世界で最も裕福な受験生。イギリス古典経済学より引き継がれし“神の見えざる手“を持つもの。
彼の名は、猫魔・ゴールデンワン・一救である。
「自らの手で造ればいいのだからなッ!おいッ!最も優れた殺し屋と最も優れた金庫造りを呼べッ!」一救はルビー96%で構成されたスマートフォンを操り、指示を下す。
その八秒後、遥かキラウェア火山から世界一の殺し屋『ハワイアン太郎』が、ゴビ砂漠から世界一の金庫造り『モンゴリアン・デス・ハーン』が、一救の資産が持つ経済的引力により開かれたワームホールによって、殆どの物理法則を無視して引き寄せられた。
「おお猫魔の旦那。次は何を殺そうか?」アロハシャツの殺し屋は、陽気にウクレレを弾きながら尋ねる。
「ハワイアン太郎、お前は金庫を殺せ…では、モンゴリアン・デス・ハーン」「モンゴリアーン」「金庫を造れ」「モンゴリアーン」
次の瞬間、一救の右手が白く輝く。
これこそが彼の持つ現実改竄能力。己の観測する現実を、見えざる手に引かれるように、より良い方向に変化させる。その名は、『神の見えざる手』。
突如として窓が破られ、無数の鋼鉄の板が室内に飛び込んでくる。「モンゴリアーン!!!」それらをモンゴリアン・デス・ハーンは溶接し、捻り、固め、匣を造る。
「ケインズ!」一救の右手の光が、大量の日本銀行紙幣という形で具現化し、その匣の内部に流れ込む。「モンゴリア!」すかさずモンゴリアン・デス・ハーンは匣を密閉し、錠前を取り付ける。金庫の完成だ。
情熱的なウクレレの音色が響く。弦が弾かれる度に金庫の外面にはひびが付き、色褪せていく。ハワイアン太郎のウクレレ殺法により、金庫のマナが失われているのだ。
「死ねーッ!!!」シャウトともにハワイアン太郎はレイ・カッター(首にかける花びらのアレ)を投げる。「アイアイアーッ!!!」レイ・カッターは活火山めいて爆発し、内部に詰まった紙幣をマグマの高熱によって蒸し焼きにする。
「アダム・スミスッ!!!」最後に見えざる手の輝きに包まれ、内容物の全てを焼き付くされた金庫は穏やかに息を引き取った。
「…これが金庫の死体か」熱で歪んだ残骸を見ながら、一救は葉巻に火をつける。
「ああそうだとも。俺はきっちりこの金庫のマナを消し去ったぜ」ポロロン。ウクレレの音。
「モンゴリアーン。金庫とて死ぬのだ。…つまりな、内容物を安全に仕舞えなかった、仕舞えなくなった時に金庫は死ぬ。安全なる収容こそが金庫の持つ“ちから”であるのだから…モンゴリアーン」
フフ、と一救は笑いをこぼす。「これでこの試験は突破できるが…ああ、そうだな。追加点が欲しい。天然の、より大きな金庫の死体が欲しい…」
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