第3話 血の雨にはうってつけの日

 ―――バリツとは何か?

 本来の意味では、バリツとはシャーロック・ホームズが用いた謎の武術である。かいつまんで説明すると、ホームズの作者、コナン・ドイルが、彼個人の心情ゆえにホームズを“殺し”たものの、ファンからの要望により復活させた際に、作中でホームズが使用した…とされた架空の武術。それがバリツである。

 詰まる所、バリツはホームズ生還のためのマクガフィンでしかない。ホームズの再登場のためだけに設定されたものだ。


 …しかしながら。“東の大学”の異次元調査により、“対苦難用格闘技バリツ”は発見された。バリテムノストゥス2世なるトンチキな皇帝が発案した武術として。

 彼の開発したバリツは、現実を如何に改竄するかに重きをおく技術であった。どうすれば世界の有り様を変えられるか?それこそがバリツの真髄とされる。

 …すなわち。バリツは変わっていない。それは『物語を都合よく転がす』マクガフィンなのだ。『物語』は『現実』に置換可能であり、それゆえに、ソロモン計劃により成立した“統一現実虚構理論”が敷かれた世界においては、そのマクガフィン現実改竄技術は有用な存在であるのだ。




 試験開始を告げる法螺貝が吹き鳴らされ、受験生たちは一斉に問題用紙をめくり、解答用の木簡に名前を記入した。(これは素数宮のやんごとなき粒子の影響である。本人は、法螺貝などを用いるのは山岳信仰者か武士ぐらいであろう、という理由でこの雑和風的行動を嫌っている。木簡はオーケイらしい)

 科目は数学。問題用紙を一瞥した射石は、最後の問から解き始めた。何のことはない。尤もらしく図形問題に見せているが、実のところ座標系ではなく三角関数を用いたほうが遥かに早い。

 より難しいのは問1だ。一見すると単なる積分問題であるが、実際には数列の問題だ。…つまり、ミーマティックエフェクトにより、問題文が偽装されているのだ。何のために?其の程度の騙しに引っ掛かる受験生を蹴落とすためだ。

 しかし、しかし。偏差値70オーバーである射石には、赤子の手を捻ることと同じ程に簡単な問題であった。フッ、といつもの笑みを溢し、

 ―――異変に気がついた。




 同刻。

 旧横浜駅周辺は海面上昇による浸水の影響により廃棄されたものの、有機体、すなわち異界の生物の骨格や筋組織、腫瘍などを用いた建築によって増改築(無論違法である)され、使用されている。

 旧大型商業ビルに巻き付けられたドラゴンの死体を軸に、粘菌、拍動を続ける巨人の肺癌などで肉付けされた『ユルングマンション』には、非合法な店がところ狭しと並んでいた。

 そして、その非合法店舗のうちのひとつ、『アンドロステノン夜の学習塾』の一角で、コトブキは面接を受けていた。

 「ンー、やっぱりね、人型神格ってのがね」店主である六本腕の女は、煙草をふかしながらコトブキを見た。「ありふれてる。ビジネスレス」彼女の生来の勘が、コトブキが古代の神格であることを即座に見抜いたのだ。

 ビジネスレスを魅力がないと訳したコトブキは、僅かに肩を落とす。前歴の影響により、一般的な職には軒並ハネられたのだ。

 「この…ぷろぽーしょん?…でもか?」

 「人型ってのは互換性がありまくりなのよ、貴方。誠に申し訳ない理由なんだけど、互換可能なものは呪術的重力が低くなるのよねぇ」

 「呪術的重力?」

 「アラ知らないの…貴方よっぽど引きこもってたみたいね…」

 ふっ、と吐かれた紫煙が揺れる。

 「存在の強度。統一現実虚構理論に基づく場において、あまねくものが持つ、万物の根源となるもの。

 …簡単な話よ。より強い存在は承認され、弱いものは淘汰される。その競争に、物理的な力、例えば引力とか、そういうのも加わるって話」

 「は、はぁ…いやしかし待て。その強弱はどうやって決まるんだ?」

 「決まっているじゃない。試験の点数よ」




 「―――!」

 バリツ第六感により、射石は何らかの危機を感じ取った。即座にジャンプし、周囲を俯瞰。その最中に、頬に当たる液体に気づく。

 「…成程。血か」

 覗き見る隣人どくしゃよ、見るがいい!試験会場を満たさんと降り注ぐ血の雨を!その中心で以て鮮血を己の胸より散らす、可憐なる乙女を!

 その血は試験用紙―この場合は木簡に置換されていたが―を濡らすだけではない。強力な粘性により、木の繊維を破壊し、解答を不可能とするのだ。素数宮はやんごとなき粒子を活用して、日本由来の酸素と結合した血液に畏れを抱かることによりその雨を凌ぎ、ツカサ・レギオンは隊列を組み直すことにより、群れの三次元的構造を変化させ、解答を守っていた。

 その狂騒を捉えた射石は一度のズレもなく、己の席に着地。バリツ磁場を発生させ、答案を守りながら、直立して腕を組み、不遜な怪盗を見据え―――

 瞬間的に加速し、パイルめいた手刀を放つ。その一撃は、正確に彼女の心臓を突き刺した。

 「名を問おう」

 「…あらあら?貴方は死者に名を問うの?復活の日は未だ遠いのに?」胸元が開いた彼女のドレスは、鮮血により赤く染められている。彼女の白く長い髪が白紙の勘進帳のようだ、と射石は思った。

 「貴様、血液を操れるのだろう?…疑似心臓が三つもあるではないか…おおっと失礼。私は射石律易と云うしがない探偵じゅけんせいだ」バックステップで後退し、距離を取る。直後、彼を追うように血液の触手がしなった。

 乙女の切れ長の瞳が射石を睨む。「…神聖受験倶楽部が一人、“主の血圧”ブラッドフル」

 「…だそうだぞ。古文卿」

 「…その名にて吾を呼ぶこと能わず」

 ぬるり、と素数宮が立ち上がるのを確認したときに、ブラッドフルは敗北を確信した。この呪術に長けた男の前で己の名を口に出した自らの不手際を責めながら、触手を繰り出す。

 しかし。もう遅い。

 「ぶらっどふる。汝がわざ、いみじう片腹痛し。疾く、去ね」

 素数宮が言い終わると同時に、大爆発が起きる。やんごとなき粒子に感化された空間中の酸素と水素が、彼の言霊の力により、その存在を恥じて水となり、その副産物として水素爆発が発生したのだ。

 その爆発と共に、ブラッドフルも会場より吹き飛ばされた。この爆発は指向性の物であったため、かなりの高高度まで飛ばされたことだろう。


 その様子を見ながら、会場の遥か遠方から溜め息を漏らす影があった。

 「Quo vadis,Stulti?愚か者よ、どこに行くのですか?…しかしながら、奴めは我らが神聖受験倶楽部の恥晒しだな」

 黒ずくめの二人はそれを観測すると、すっくと立ち上がり、路地裏の暗がりに消えた。

 …方に乗った一匹のグンタイアリに気づくことなく。

 「…ッ!?何だこれは…ギャーッ!?」

 突如として形成されたアリの群れに、片方が飲み込まれる。アリたちは男の身体にまとわりつくことにより、人型を形取る。

 「貴様ーッ!グンタイアリの!試験はどうした!?」

 『群れの半分は向こうにいますので。

 この行動は私の私怨です。あなた方の攻撃により解答できなかった問題、その点数だけ、貴方を殴らせてください。

 …ええ、ごめんなさい、欲張りなことなんですけど、あなた方の所属と目的も聞きたいのですが』

 態々持参したホワイトボードに質問を書き連ねながら、ツカサは男の体を無理矢理動かし、もう一人を激しく殴り付ける。

 「ギャバーッ!?ゴボボーッ!?わかった、話す、だから気管支に入り込むのはやめろっ!」

 『素敵です!』

 「…我らは神聖受験倶楽部の構成員だ。ヴァチカンの使命を受け、この国を牛耳る“東の大学”を潰…」

 『わかりました!本当にありがとうございます!では痛まないように殺しますね!』人型が出エジプト記の海めいて分かれ、ショットガンが取り出された。

 「は?約束とちが」『脳髄を潰せば痛みは感じません!大丈夫、きちんと蘇生されますから!』




 ―――同刻。

 狐宮いろはは連絡船の甲板に立ち、一人黄昏ていた。

 「…全てが上手くいかない…なぜなのでしょう…」コックリ様はピクリとも動かない。

 「はぁ…憂う…何でしょうかアレ?」

 狐宮が見上げる先には、急速に此方に向かってくる彗星があった。

 否、星などではない。それは血液だ。打ち上げられ、スライム状になった血液の塊が、摩擦熱に耐えるべく、球形に丸まって落下しているのだ。

 「あわわわわわ!どどどどうしましょう!?えっと船長に連絡ををあっうわっ加速した!!!ホギャーもうだめだっぶつかってしまいます!!!!」

 しかしながら。それは突然軌道を変え、水面をバウンドしながら連絡船の甲板にめり込むようにして…炸裂した。

 鮮血が辺り一面に撒き散らされる中、いろはは茫然と立ち尽くしていた。その鮮血の中心に倒れているある女の横顔に、感じたことのない心臓の鼓動を感じていた。

 血みどろの右手を伸ばし、彼女に触れようとする。何故か?それはいろはには分からない。

 その右手は女の左手を掴み、持ち上げた。血が通っているとは思えないほど冷たかった。

 女の目が開き、視線が交錯する。彼女の白い髪が、血に濡れて皮膚にへばりついていた。

 「はっ、初めまして」

 「…何よ、貴方」

 「えっ、えっと、その…」コックリ様達が演算を始める。そして、結論を未来予測する。その通りに、狐宮いろはは女―――ブラッドフルに語った。

 「貴方の血液が好きです」

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