第2話 愛らしき朝試験は遅刻

 探偵じゅけんせい射石律易の朝は早い。

 午前五時きっかりに目を覚ました彼は、まず第一に玄関先で縮こまって眠っていたコトブキをバリツ巴投げにより部屋に放り込む。そのまま朝食である日本史Bの問題集…彼のごときバリツの達人は、体内のバリツ因子を活性化させることにより、インクなどを安全に分解しながら文字情報を栄養に変換できるのだ…を咀嚼しながら、日課である四キロランニングを行う。

 海沿いの街に人影は殆ど無い。かつての繁栄を物語るかのような高層建築の廃墟群が、朝日を背にして、射石を見下ろしていた。

 そして、コトブキのために無人コンビニで幾ばくかの食料を購入して帰宅した彼は、偶然にも彼女が扇風機のコードをかじっているのを発見した。

 「ヌートリアか君は?」即座に決められるバリツ・脇固め。

 「いだいいだい!お腹減ってたから、つい…フンッ!油断したなッ!」

 おお、見よ!極められていたコトブキの肩関節がぬるりと動き、射石の腕を抜け出したではないか!

 「…その動きは!バリツの基礎の一つ!関節を外し肉体をより柔軟にする、バリツ・メルトアウト!まさか…この短期間で学習したと言うのか!」

 「ええそうとも!国津神を舐めるなよォ!」勝ち誇った笑みをコトブキは溢す。

 が、

 「フッ」射石の右手が電気を帯びる。生体電気を手に纏わせ、高圧にして放出する、バリツ・ライトニングハンドだ。異界に生きた稀代の科学者であるニコラ・アシマデの十八番として知られる。

 「ギャバーッ!?」「いやしかし、バリツの基礎を一日にして実践するとはね。先が怖いなぁ」

 十数分後。

 「ところで、どうして君は頑なに服を着ようとしないんだ?」

 「…ハマった…と、いうか…その…」一心不乱に射石が買ってきたカップヌードルを啜っていたコトブキは、僅かに視線を脇にずらした。

 「まあいい。では、対話をしようではないか」

 「ズル…なぜ昨日それをしなかったのかな?」

 「降って沸いた狂人の対処に一日かかっただけのこと。…いかなる理由で、君は“東の大学”こそが諸悪の根源だと断定した?」

 コトブキの目付きが真剣なものになる。




―――怪盗の行う妨害行為は、何も試験時間内にのみ行われるものではない。


 「ひゃー、遅刻、遅刻ですぅ」

 息を切らしながら、狐宮いろはは電車に駆け込んだ。

 模擬試験会場の最寄り駅までは、ダイヤが乱れなければ二十分が必要となる。前回の模試ではチクタクマンの妨害によって、さんざんな結果となってしまった。

 「はわわ、コックリ様ぁ…」

 動揺する狐宮とは対照的に、三十二本の指は極めて冷徹な動きを示す。

 「ええと…よし、なんとか間に会いそ…あれ?」

 コックリ様No.24だけが異常な動きをしていることに、彼女は気付いた。

 「…『キケン キケン キケン』…?こんこん、これは一体どういう…」

 そこで彼女の口は止まった。前方車両での爆発と、それに伴う爆風が彼女を吹き飛ばしたからだ。インフラを麻痺させるべく、怪盗の誰かが交通機関を爆破したのだ。放出された灼熱は彼女の舌を焼き、左手を熔解させ、眼球を沸騰させ、脳髄を破壊した。彼女は即死し―――



 ―――「はわーっ!?」

 生き返った。肉体の全ての損傷は回復され、全ての所有物も元のままだった。棺のような機械から起き上がった彼女は、周囲を見渡し、『蘇生センター 大島支店』の名前を発見して青ざめた。辺りには似たような機械が整然と並んでいる。

 ぎょええ、と巫女系女子らしからぬ声を上げながらも狐宮は本土行きの船を探す。

 そして発見。八時間後に出港、とある。前回の蘇生で飛ばされた南鳥島よりかはマシだが、今日の試験には間に合いそうもない。

 「…ああ、今回の模試は不戦敗かぁ…仕方ありません!油揚げでも食べて元気出しましょ!こんこーん!」




 「連中の持つ蘇生システム…名前は…」コトブキは口ごもる。

 「同一性保持式肉体再生システム、『エリュシオン』。ギリシャの神話に語られる楽園の名から取られた、死を超剋する機構。

 …具体的には、地球を巡る人工衛星から対象を二十四時間観測することによって存在式を測定し、対象が死亡した時に、その死の直前の肉体を再現する大規模な呪術だ」

 「…一寸待て。存在式って何だ?」

 「存在が現実に残すエネルギーの数式。例えば、物体の質量だとか、魂だとか。私も詳しいことは知らないが、それによって自己同一性を保った蘇生が可能になるそうだ」

 「…滅茶苦茶だな。事実上の不死じゃないか」

 「その通り。そして、“東の大学”は日本国内に居る全ての人民にこのサービスの利用を義務付けている。政府を動かして、生存権にまで書き足して、だ」

 コトブキはあからさまに不快な顔をする。「領域侵犯にも程がある。明らかにこの大地を己らの研究のために使おうと…いいや、使ってる」

 「そうだ。“東の大学”がとにかく強力な現実改竄能力者を集めたがっているのは周知の事実。あのイカサマ蘇生技術があればこそ、怪盗による各種のテロルも…おや」

 射石の視線が、電源がついたままになっていた古ぼけたテレビに移る。折しも、人気キャスターのメ・ディア・ラマの交通情報のコーナーであった。

 「ハァイ、テレヴィジョンの前の皆々様。今日のお出掛けはソーバッド。なんでって?そりゃあ決まってるやないか助さん。阿呆の怪盗が関東に関する交通の要所やら線路やら電車やらを爆弾で吹っ飛ばしたんですわ。もう首都圏にシアーハートアタック。因みに私の腰つきキラークィーン、二つのバストは…ほら見てみぃ…レディオガガ…ちょっと待てやディレクター!ドンストッミーナウ!このボヘミアンラプソディー、コード如きに止められるかーい!ショウマストゴーオーーン!ヒヒーッ!ケケケーッ!…えっおいフラッシュ!アアーッ!やめんか!隠すな!

 あ、今日の模擬試験は会場にたどり着くことも科目になるんですって。ではではー」

 「…お前のような狂人もよく居るようだな」

 未来のモラル乱れすぎだろ、と乱れた格好の女は呟く。

 「返し矢は必ず当たるとか。…では私は模擬試験に行く。その間に君は働き口でも探したまえ」

 は、とコトブキが息を吐いたその瞬間に、射石の姿は消えていた。

 



 「あなあさましきかな~遅刻遅刻~」

 最高時速80㎞であるトランスジェニックバッファローに牽かれた黒塗りの牛車が、他の受験生を蹴散らしながら会場の前に停車した。

 即座に内部から紫色の敷物が会場に向かってアーチ状に投射される。それを天橋立に見立てながら風流に歩くのは、東不退転予備校の誇る『古文卿』、素数宮古人われずのみやふるひとである。

 優雅に染められた狩衣を身に纏い、長さおおよそ五尺の烏帽子を被ったその男は、さる公家の出身であり、全身からやんごとなき粒子を周囲に散布している。故に、見よ。

 会場の壁のコンクリートが、天橋立を通すべく変形した。目上の者の通行を妨げるなど無礼千万であるが故に、物理法則などという戯けた概念は容易く書き換えられる。やんごとなき粒子は日本を祖とする全てのものに影響を及ぼし、畏敬やらショックやらの効果を与えるのだ。

 「あなや!」所定の席を相応しきものに作り替えた素数宮は、やんごとなき粒子を浴びてひれ伏す多くの受験生の中、ただ一人平然と化学の参考書を喰らっている男をめざとく見つけた。「汝はよもやかの折の探偵なりや?」

 「ええそうです、古文卿」射石は笑みを溢す。

 「止むべし。吾が姓は天文方。それ故、吾は南蛮地学と算術に長けき。古文卿なる字は誠に不適当なり。…時に。汝、如何にしてこの地に着きしか?」

 「単に自宅と会場の距離とを、ゼロになるまで微分しただけですよ」

 「…ばりつ。なんともはや、いみじうあさましき技なり。吾もそをまねぶべきであったか…」

 「いえ、いえ。私のバリツはあくまで物理的な干渉のみ。貴方の言葉に宿るような存在改竄力を、私の舌は発せませんので。

 …フッ。ところで、このフェロモンの匂い…彼女も来ているようだ」

 素数宮は露骨に顔をしかめる。「もののけめ、人の真似をして何をか得るらむ?」


 ざざ、と床が歪む。黒い波が足元を流れ、大地を染める。波の列は数キロにも及んでいた。会場に向かって収束していく波は、時折マザイやら甘味やらを取り込みながら、拡散と変形を続ける。

 波を構成するのは…虫だ。一匹は数センチしかない、黒い虫。それらが無数に集まり、巨大な群れとなっているのだ。虫の名は…グンタイアリだ。南米より持ち込まれた、超個体を形成する、獰猛な蟻の軍隊。十数万からなるそのグンタイアリの群れは、間違いなく模試会場を目指していた。

 ―――彼等単体はちっぽけな虫だ。しかし、それが集まり、超個体を形成した時、彼等はその個体を細胞とする一個の生物となる。“東の大学”のある生物学の教授は、その超個体の知性を高めようと、研究を繰り返した。投薬とDNAの操作を続ける、世代を経るごとに、彼等の知能は高まっていった。彼等は人格を持つようにまで成長した。

 群れは言葉を理解した。

 群れは概念を理解した。

 群れは人間を理解した。

 群れは学門を理解した。

 ―――そして、蟻の群れは、己を試すことにした。

 すなわち、“東の大学”を受験することによって。


 『こんにちは、射石、素数宮』

 集合した十数万の蟻は、自らの肉体を持って、三メートルほどの人型を形成した。蠢くそれは、蟻のそれぞれの個体を巧みに操ることにより、シャープペンシルを持って筆談を行う。

 『おぼえていますよね?私は、ツカサです。ツカサ・レギオンです』その異形に似合わぬ可愛らしい字を、彼女は綴った。わが名はれぎおん、我ら多きが故なり、と古文卿は呟く。新約聖書か、この下り前にもしたなぁ、と射石は笑う。

 いよいよ、模擬試験が始まろうとしていた。誰も、その乱入者の気配に気付くことなく。

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