受験異聞録 識白のプレローマ

微振動ラヴ三朗

第1章 隻手音声、九なる寓話

第1話 大学解体戦争前夜

 ―――受験生には二種類いる。


 「はーい、試験開始」

 腑抜けた試験監督の声を合図に、彼等はペンを握る。素早く氏名と番号とを記入。それから、解答が始まる。

 「こん、こん。コックリ様、コックリ様、私に解答を教えて下さいませ」

 受験生の一人、狐宮いろははそう呟くと、問題用紙の余白に乱雑な図形を書き始めた。無作為に直線と曲線とを組み合わせ、円と三角形とを重ね、象形文字のごとき何かを描く。

 その作業が終わると、彼女の左手が。サイバネティック義手に置換された手には32の細い指が存在し、その先端には円状の銅板が据えられていた。そう、これらは十円玉の見立てだ。

 彼女は召喚型の探偵じゅけんせいだ。32体のコックリ様を同時に操作することにより、前衛的な図形の上を走り回る銅板の軌跡からある種の神託を読み取り、正確に問題を解き明かすのだ。


 ―――一種類は、いかなる手段をも…カンニング、未来予知、自動書記、その他さまざま…用いて問題を解こうとする探偵ディテクティブ


 その一方で、姓名を書き終えた受験生の一人の足が消え、胴体が消え、頭が消えた。静かにして速やかな喪失の後に、会場にマシンガンの発射音が響く。

 その凶行に誰よりも速く気付いたのは、狐宮いろはの隣に座っていた一人の探偵であった。僅かに青みがかった黒髪をオールバックにし、186センチの体に見あった灰色のスーツを着込んだその男は、周囲を観察し、ニヤリと笑う。

 男の名は、射石律易しゃせきりつえきと言う。

 マシンガンと迷彩装置を持ち込んだだけの三下か、と彼は心の中で囁いた。

 「フッ」

 異世界より伝来した対苦難用格闘技“バリツ”をマスターした射石にとって、ステルス化した生徒の顔面に、正確に物質を当てるよう投擲することは朝飯前のこと。


 ―――もう一種類は、ありとあらゆる手段でライバルを蹴落とす、怪盗ファントムだ。


 「アババババーッ!?!?」

 重火器を持った生徒…おそらくSD予備校の手の者…は全身から血液を吹き出して倒れた。

 射石は、偏差値70以下の受験生が見ると七孔噴血して死に至る‘’東の大学‘’の過去問の切れ端を投げたのだ。因みに七孔噴血は中国の格闘家、李書文に由来するものであるため、彼もまた‘’東の大学‘’の形而上的卒業生であった可能性が非常に高い。

 周囲の空気がざわつく。偏差値70超えはその者がとてつもない力を秘めていることを意味している。それと学力を競い合うのはとてもデンジャラスなことだ。

 「Gibberellin!」植物ホルモンの名を叫び、一人の受験生が倒れた。射石の脳を覗こうとし、そして生物学的ファイアーウォールに己の脳を焼かれたのだ。

 しかし彼は、じっと問題用紙を見つめている。

 目前の積分問題は、何時の間にか双子素数の証明問題に変化していた。

 彼の脳内には、時計の音が反響していた。

 (やはり貴様か…チクタクマン!)

 チクタクマン。暗黒メガカラム、ヤマソト塾の開発した人工受験兵器と言われるハイパーAI。


 チクタクマンの力は狐宮にも及んでいた。コックリ様No.21が、「チク タク」以外の神託を発しなくなったのだ。

 演算速度の低下は明白。奴を排除するべきか。否、しなければならない。しかし、どうやって?どこにいるのだ?

 チクタクマンはどこかの研究施設に鎮座しており、空間に次元干渉を仕掛け、テストを受けるのだと聞く。この噂が真であるならば…。

 打つ手なしか?狐宮は天を見上げ――その額をナイフが掠った。


 「カプロラクタムッ!?」「ヴィトゲンシュタイン―グホッ!」「アババッ…枕草子…」

 ナイフで。鈍器ばーるのようなもので。古文書きゅうていだいのかこもんで。その沈黙を隙と見た怪盗三人が空中から射石に襲いかかり、瞬く間に脳天に鉛筆を突き立てられた。

 「人工受験兵器…いいだろう、ヤマソト塾。貴様らの叡知と私の理性、どちらがより強壮か、確かめようではないか」 

 射石は楽しそうに笑う。“東の大学”対策用模擬試験はまだ始まったばかりだ。



 ―――二十一世紀の終わり。

 “東の大学”において、AIを用いた、ある実験が行われた。

 その実験は、古代イスラエルの知恵の王の名を取り‘’ソロモン計劃‘’と名付けられた。その全容は明らかになっていない。“東の大学”の教授たちが、その結果を隠蔽したからだ。

 その奇妙な技術の全てが、大学によって世界に公開された。別次元への干渉。現実改変。極度に進歩した工学。人工的な超能力の開発。同一性を保たせる蘇生技術。

 ――神より叡智を賜ったソロモンは、正しく王国を支配したが。“東の大学”は、違った。

 世界は変容した。殆どの大学は“東の大学”に統合された。政府機関は力を失い、学習塾が大きく勢力を伸ばした…軍事産業と提携するほどにまで。いくつもの人工衛星が大学のために打ち上げられ、いくつもの大学のための都市が、月に、火星に、木星の衛星軌道上に建設された。

 世界は、もはや“東の大学”のものであった。

 彼等は、有益な学生を募集し始めた。より強く、より賢く。その為にならば、テロルまでもが、大学により許容された。予備校も、その召集に沿う生徒を育て始めた。かくして、人類史上最大規模の受験戦争が始まり…続けられているのだ。




 …夕刻。

 双子素数問題の簡素な証明を彼の師に送り付けてから、射石律易は帰途に着いた。

 「自己採点は満点…恐らくチクタクマンもだ…決着を…東大の試験までに…」

 ぶつぶつと呟きながら、彼は旧横浜市中華街を歩く。買い物に行く主婦、テロルに向かうSD生などとすれ違う。

 彼の自宅は旧横浜市中区の古ぼけた小さなアパートである。かつては小高い丘の上にあったのだが、海面の上昇により、今や海沿いの建造物となっていた。そのため、潮風による劣化がより一層激しくなっている。

 ふ、と彼は歩みを止める。…おお、見よ。見えるだろう。彼の住居たる四畳間のアパートに続く見知らぬ足跡が。(偏差値70オーバーの人間は様々なものが見える)

 この不測の事態に対し、彼の黄金の脳細胞はフル回転を始める。

 (…バリツ集音で声を聞こう…ふむ、「公は間違ってなどいなかった、“東の大学”は歪んでいる」…怒りがにじんでいる…高さから鑑みるに女性…ああ、そういえばこの地には嘗て菅原道真公を祀る神社があったとか…無関係であろう、しかし…まあいい…)

 「フッ…」しかし射石は穏やかに階段を登り、

 「ポアンカレ!」

 バリツキックで己の部屋の扉を蹴り飛ばし、そのまま彼は堂々と中に入る。…バリツ・キャットウォークを行いながら。(特殊な歩き方により歩行者を狂暴なライオンに見せ掛ける。バリツの創始者たる異世界ローマ皇帝バリテムノストゥス2世が闘技場で編み出したとされる。)

 

 「…!?」

 侵入者は己の目を疑った。ライオンが部屋に入ってきた、そう彼女の目には映ったからだ。

 「フッ」

 その隙を逃す射石ではない。

 バリツハイジャンプにより背後に着地。バリツ化学分析での安全確認の後に、大外刈の要領で侵入者を投げ倒し、関接を極める。

 「体の材質は人間。有効数字三桁で体重25.2㎏、身長172㎝。性別はメス、繁殖期の兆候なし。服飾もなし。さて、君は誰だ?Australopithecusか?」

 「いだいいだいいだいいだい!ちょっ、ちょっ、おい、止め、おい!止めろっ、やめっ、いだいっで!何でッ」

 侵入者は涙目で抗議する。

 「それは君が突如として降って沸いた問題だからだ。全ての問題を解くために受験生は在る、そうだろう?さぁ速く君の情報を言え、さもなくば君に死を代入する」


 ―2.1×10^2(有効数字2桁)後。

 侵入者は四畳間の端に正座していた。

 腰まで届く黒い髪をポニーテールにし、そのバストは豊満であり、しかし体の各部は細く、そしてバストは豊満であり、頬を赤らめて青い瞳の切れ目で射石を睨み、しかしてバストは豊満であり、一切の服を着ていなかった。バストは豊満であった。

 「なるほど、君は古来この地にいた狭蠅さばえなす神の一人であると主張するのか。実に難解な問いだ。間違いなく悪問だ。

 ―では君の命にゼロを掛けよう」

 「待て!待て待て待て!落ち着け!本当だ!本当なんだ!」

 「なるほど、ゼロに収束したいのか」

 「勝手に侵入したのは悪かった!助けてくれ!何でもするから!」

 「…そうか。では全裸で入り込んだ合理的な理由を答えろ」

 「えっ…えーと…そういうの…私は…着たことなかったから…この格好が変なんだって知ったら…急に恥ずかしくなってきたし…」

 「零点。貴様を微分して壁のシミにする」

 「あーっ!ちょっ、おいやめっ、ストップ!ストップ!あのなっ、私には今世に顕現した正当な理由がなっ」

 「ほう?」射石は興味深げな顔をした。

 「その…アレだ。我等名も無き神は菅原道真公信仰に取り込まれた…のだがな。道真公がお怒りなのだ。貴様らは勉学を完全に間違えていると」

 「なるほど、なるほど。大層なことだ。そして全裸で人の家に上がるのか。ふむ。

ところで、神とて心臓は拍動しているのかな?気になるなァ」

 「おっオイ!止めろ!なあ、ちょっと、落ち着いて、あのさっ、待っ…聞け!お前たちは本当に今の勉学の在り方が正しいと思っているのか!?」

 射石はバリツ・ミトコンドリアパンチ(細胞の異化作用を止めるおそろしいわざ)の構えを解いた。

 「…ならば、ならば。どうやって変えようと云うのだ?この受験戦争を」

 「偶々私はここにたどり着いた。恐らく公が、真に賢い者の元に導いたのだ。だから…私は、“東の大学”を倒したい。貴方の力を借りて。アレを破壊すれば、この地の勉学は…」

「フッ…フッフッフッ…君、名前がないんだったか。なら…コトブキ、なんてのはどうかな?」

神は…否、コトブキは、顔を更に赤らめて視線を外し、小さく、ありがとう、と言った。

「ではコトブキ!君には吹き飛んだドアの代理を勤めてもらいたい」

 「は?」

 「ああ、その格好でだ」

 「えっその…あの…私、裸で…寒いし…公共の…その…」

 「ではこのマフラーを差し上げよう。安心したまえ、この荒れ果てた地に人などそういない。…その役目が嫌と言うなら肉体を素因数分解する」

 「…アンタ…さでぃすと、とか言う奴か?」

「フッ、私はタチだ。女に興味はない」




 探偵と神との対“東の大学”連盟が結ばれた…結ばれた?頃。




 東京湾、旧ヒルズ棚に屹立する超高層ビル、ネオバベル。財を尽くした豪華な装飾が至るところに備えられた、神を冒涜するかのような塔の154階。

 「フフフ、なるほど。“東の大学”を潰すか!いいだろう!」

 絢爛たる家具が敷き詰められた部屋で、その男は嗤った。シルクで織られた黄金の詰め襟、口には輝く金剛石歯。七三分けの髪からは麝香の匂いが漂う。手には本革で作られた『国富論』。

 「ビジネスだ!混沌はビジネスとなる!」

 「ま、待て、猫魔・ゴールデンワン・一救!道真公はそのような事は望んでいな…グエーッ」脇にいた貧乏くさそうな男…名も無き神の一柱…が、大量の数式を模したダイヤ細工のナックルで殴られた。

 「喧しいッ!教育とて所詮はカネ!“東の大学”を潰せばニッチが生まれる!途方もないレベルのニッチだ!そこに我が“見えざる手“は介入する!資本主義は最後に笑うのだよ!」

 この男は世界で最も裕福な受験生!イギリス古典経済学より引き継がれし“神の見えざる手“を持つもの!

 猫魔・ゴールデンワン・一救いっきゅうである!




 そして。日本の上空…ヒト居住用宇宙コロニー『ぱらいぞ』でも。“東の大学”を潰す計は進行していた。


 「ええ。ええ。“東の大学”を落とす。素晴らしい目標です。それは侵略となるでしょう。ニンゲンの理性への。ニンゲンの恐怖という…素晴らしいものへの一手となる。そう思いません?」

 少女型の名も無き神は恐怖に苛まれながら頷くのみ。

 「楽しみですわ、楽しみですわ。知恵による侵略など…」

 相対する少女は、途中から触手となっている青い髪を撫でながら不敵に笑う。

彼女こそは、宇宙コロニーぱらいぞに紛れ込みし外宇宙的存在…の、受験生!

 「ふふ、クトゥルー御父様。この不肖クティーラ・アケーチめが、この星の“受験侵略“を成し遂げましょう…」




 しかし。しかし。教育を憂いたのは道真公のみに非ず。


 …ヴァチカン。

 第321代女性ローマ法王、ヨハンナは秘密裏にある勅命を示した。

 カトリック教会内部の地下組織が一つ、“神聖受験倶楽部”に、日本への渡航と“東の大学”の受験を要請したのだ。

 物々しい礼服…少なくとも、カトリックのそれとの類似点は見受けられない…に身を包んだ、年端もいかぬ幼女を先頭とする集団が女法王にかしずく様は、大変に異様であった。

 「クカカカカ…素晴らしきかな。法王の命により、我等の秘技の試験が出来るとは」

 神聖受験倶楽部代表、幼き女の相をしたルブレッド八世は笑みを溢した。

 彼等はカトリックに非ずして、ありえざる奇蹟を有するものである。

 彼等はグノーシスを祖とする、勉学に身を捧げし悪鬼である。

 彼等は…そして、十字軍であった。

 「いざやいざ。我等神聖受験倶楽部…否。“■■■■■■■■■”が、かの国を教化して見せましょうぞ」




 …中国内陸部。コンロン山脈の遥か奥地に、その寺院はあった。

 古びた木製の伽藍には巨大な太極図が立て掛けられ、その前には、木乃伊のごとく干からびた骸骨が、いや、骸骨ならば何れにしろ干からびているのだが、足を組み、瞑想していた。

 「さて、新仙、岩山五右衛門よ。汝は確か…“東の大学”の科挙に落第すること18度にして、この地に自らを殺めに来たのだったな?」骸骨の喉から、風が意味を纏って流れ出る。

 その骸骨に直面する、如何にも仙人、といった風貌の老人は、深く頷いた。

 「左様。貴殿らに羽化登仙の秘術を説いてもらわねば、私は間違いなく生きた屍になっていた…自殺するほど肝が据わってはいなかったな…して、用件は」

 骸骨は太極図を指差す。「見よ。宇宙の調和が打ち砕かれんとしているのだ…“東の大学”を破壊せしめんとする輩の手によって。汝にはそれを止めて貰いたい…故に。汝は19度目の科挙に挑むのだ」

 仙人は…岩山五右衛門は、また、深く頷いた。




 東京某所、不忍電脳魔研究施設。

 その名を冠された不忍博士の脱退後も、この施設はロボットの開発を続け、一定の成果を上げていた。

 …主に、“東の大学”と予備校からの支援によって。

 この研究施設の最奥部に、チクタクマンの本体である巨大なスーパーコンピューターは鎮座している。

 ほぼ完璧な人格を持つこのスパコンは、ヤマソト塾の受験兵器は、

 『やっほー!アイチューブのみんな~!元気だったかな~!

電脳アイチューバー!クロノワーシャだよー!』

 動画を流していた。

 …そう。

 チクタクマンは、偉大なAIであるチクタクマンは、バーチャルアイドルのファンなのだ。

 動画の視聴を差し止められた時にはマシンパワーを駆使してアメリカの原子力空母を乗っ取り政府を恐喝するぐらい好きなのだ。

 モノアイを輝かせ、サイリウムをマシンアームで振りながら。合成音声は呟く。

 「アー…クロノワーシャいいよね…いい…ママになって…」

 このような不毛な行いを、チクタクマンは日に582回繰り返す。

 「カシュー…カシュー…アー…萌えがシンギュラリティに到達した…とても貴い…

 アー…心のドライバーが充血……

 …おお、“東の大学”過去問の時間だ」

突如として、周囲の空間に異様な緊張感が満ちる。

チク。タク。チク。タク。

チクタク。

チクタク。

チクタク。チクタク。チクタク。

チクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタク。

 ものの五秒で現代文の解答がアウトプットされる。当然ながら、満点。

 「…ああ。しかし、今年の“東の大学”受験は荒れる…不確定要素が散見される…」

 チクタクマンは、もののついでに未来を計算し、こう結論付けた。“東の大学”入試は。世界は。人間は。全くもって素晴らしい。だからこそ。

 「…射石律易…お前を…“東の大学”で待つ」

 そして、受験戦争が始まった。

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