番外編35〔未知の怪物『クノン』〕
番外編35〔未知の怪物『クノン』〕
ニーサとティンセスの試合も終わり、次はいよいよ1回戦最終試合の
対戦相手は隣国『ルアスティ』の選手『イスミーラ』だ。
青空のような水色のショートカットが印象的で、背も低く、お世辞にも強そうには見えなかった。
『ルアスティ』は他の国に比べると、闘いにおいては強い国と言えなかった。
何故なら、『ルアスティ』は小さな国で、『ユーリセンチ』と百年以上前から同盟国の関係であり、ルアスティに危機が訪れると、ユーリセンチの衛兵が助けに行っていたのだ。
そして、ラウクン王子の代になると、『ユーリセンチ』は世界でも1番を誇る武力を持つようになった。
そんな同盟国のいる『ルアスティ』が、武力を持つわけがない。持つ必要が無いのだ。
一応、自警団みたいな軍はいるものの、ユーリセンチの衛兵から見れば、素人の集まりに過ぎなかった。
そんなルアスティの代表である『イスミーラ』が強いハズがない。
とりあえず、同盟国のユーリセンチで行われる大会とあって、毎回欠かさず出場だけはしていたのだ。
たしかにイスミーラにとって、チェスハやエミナーは憧れの存在だ。しかしそれは、他の選手とは違い、越えたい壁ではなく、カリスマ的な憧れだった。
イスミーラの回りには、同郷の者が囲んで何やらヒソヒソと話をしていた。
まあ、対戦相手が
僕の頭の中は、イスミーラの試合の事より、その次の試合、つまりエミナーさんとの試合を考えていた。
今の
しかし、エミナーさんには何処まで通用するかわからない。
スピードとパワーは上でも、
だから、
僕はその事について、他の試合を見ながらミウと話をしていた。
「ミウ、ミウとイスミーラの試合の事なんだけど、『ハッタリ』を使おうと思うんだ。」
するとミウは、両手を合わせ人差し指を立てると、
「ハットリ?ニンニン。」
と、僕を見ながら言った。
僕は「く~!可愛い~!!」と抱き締めたくなる衝動を押さえ、
「うんうん、可愛いけど違うよミウ。『ハッタリ』、ほら、ここに来る途中、乗せてもらった馬車のエフィスタさんに教えてあげたやつ。
ここにいるみんなは、僕の世界から来たミウを怖がっているみたいだからね。上手く行けば、闘わなくても勝てるかもしれないから。」
今の力をチェスハに見せたいミウにとっては、『闘わない』というのは少し不満そうではあったが、次の相手がエミナーさん。そして最終目的はチェスハを驚かす事。と説明すると、ミウは「コクン」と首を縦に振った。
僕はミウと一緒に、試合場の入口まで行った。
そこに試合を終えた『ニーサ』と『ティンセス』がやって来た。
僕はニーサに、
「おめでとう、ニーサ。」
と、言いながら、右手を上げると、
「ありがとう、タロウお兄ちゃん!」
と、ニーサも右手を上げ、僕の手の平に「パチン」と当てた。
が、僕の隣には、これから闘うかもしれない、初めて見る
僕は、そんなことはお構いもせず、ニーサに抱えられながら歩いていたティンセスにも手を差し出し、健闘を称えた。
「ティンセスさんも凄かった。三節棍がまるで生きているみたいだったよ。」
と、素直な感想を述べた。
最初は、初めて見る『悪魔のような破壊者タロウ』と目の前にいる『ただの少年タロウ』のギャップに、戸惑っていたティンセスだったが、自分の三節棍を誉められ、ニーサにも笑顔を向けられ安心したのか、僕の手を握り、
「ありがとうございます。クノンさんも頑張って下さい。」
と、笑顔で答えてくれた。
そして、
ゆっくりと審判の所まで歩いていたクノンだったが、初めて上る試合場に緊張しているのか、辺りをキョロキョロしながら歩いていた。
かたや対戦相手のイスミーラは、キョロキョロしながらも、堂々としているクノンを見て、それが余計に不気味にうつり、さらに恐怖が増した。
そして、2人が真ん中に集まると、
「これより!第1回戦!第6試合を始めます!!!」
と、再び審判の掛け声が響き渡った。
そして、クノンが握手をしようと、ニコやかに右手を差し出すも、イスミーラは恐る恐る手に触れるだけだった。
握手?を交わした2人は開始線まで歩き、試合開始の合図を待った。
チェスハやニーサの時とは違い、初めて見る異世界から来た『女戦士』に、誰1人言葉を発する事もなく、全員の目がクノンに集中していた。
そして、注目の一戦が始まった。
「第6試合!1本目!始め!!!」
審判の声と同時に、イスミーラは剣を構えた。
一方クノンとはいうと、試合が始まったにもかかわらず、両手はだらりと下げ、武器であるトンファーも、腰に着けたまままだった。
それを見たイスミーラは、
「か、構えもしないの?!」
と、なんだかバカにされたような気がして、
「勝てないのはわかっているけど…せめて一撃くらいは!」
そう思ったイスミーラは、剣を構え直し一歩を踏み出そうとした。
しかし、その体はまたもや「ピタリ」と止まってしまった。
「え?!」
イスミーラは目を疑った。誰もがそう思ったに違いない。
クノンは武器を持たない両手を少し広げ、「私は何もしないから、好きな所から攻撃してきなさい。」と言わんばかりに歩き始めた。
しかも、顔には笑みを浮かべ、一歩一歩少しずつながらも、確実にイスミーラに近付いて来たのだった。
クノンの行動は、すべて僕の指示だった。もし、イスミーラが恐怖で降参してくれればそれでよし、もし攻撃をして来ても、大きく一歩後退して、昨日、練習した攻撃をさせるつもりだったのだ。
そのクノンの仕草を見た、イスミーラの応援の者達からは、
「イスミーラ!ビビるんじゃない!」
「チャンスだ!イスミーラ!!」
「なめられているぞ!ルアスティの意地を見せてやれ!」
と、応援の声が飛んだが、イスミーラの耳には届いて無いようだった。
それもそのハズだ。試合に関係の無い安全な場所に居る者と、すぐ目の前に相手が立っているのとでは、まったくの別世界に居るからだ。
この時のクノンの姿が、イスミーラの目には、どんな風に映っていたのかは本人にしか知りえない。
そして、もう1人おかしな感覚を感じていた人物が居た。
ラウクンやオリアンと一緒に見ていたスラインだ。
スライン程の戦士ともなると、オリアン同様、闘いの場に立っている人物の闘気が見えるようになる。それは弱い人間でも、試合をする以上少なからず見えるハズだ。
現にイスミーラでさえ、小さな闘気を纏っていた。今にも消えそうではあるが。
しかし、クノンの回りにはそれがまったく無かった。
まるで散歩の途中に友達を見つけて、お茶にでも誘っている。そんな日常的な印象さえ覚えた。
それはオリアンも同じであった。だがクノンの正体を知っているオリアンは、その感じている感覚が正解だということも知っていた。
一方、クノンの癖を少しでも見抜こうと、クノンの行動を凝視していたエミナーだったが、
構えもせず、ゆっくりとゆっくりとイスミーラに迫るクノンに困惑していた。
意図的にゆっくりと歩いているのは僕の指示だった。
「笑顔を絶やさず、ゆっくりと歩いてね。」と言った僕の指示を、
『ゆっくりと歩く』というのは、恐怖を倍増させる事が出来ると思ったからだ。
そして、僕の作戦は見事に的中をした。最初は剣を構えてクノンを迎え打とうとしていたイスミーラだったが、クノンが近付くにつれ、少しずつ後に下がり、さらにクノンが近付き、目の前まで来ると、その足はピタリと止まり、剣を地面に落とした。
そして…
「し!審判!!!降参!降参します!!」
と、両手を上げながら、審判にすがり付いた。
呆気に取られていた審判であったが、すがり付くイスミーラの気持ちが、わからないでも無かった。
毎回審判をしている彼にとっても、武器も取らず、無防備に相手に近付くなど、見たことがないからだ。そしてその人物が、あの『タロウ』の仲間…恐怖は計り知れない。
審判は少し涙目になってる、イスミーラをチラッと見ると、
「イスミーラの試合放棄により!クノン選手の勝利!!!」
審判が大声で、試合終了の合図を告げた。
その瞬間、それまで静かだった会場が、どよめきと歓声に包まれた。
「おおおおおお~!!」
「一体何をしたんだ?」
「何もしてなかったよな?」
「歩いただけで…?」
「いや、睨んだだけだ!」
「すげ~!目だけで倒した?!」
「さすがタロウの国の人間だ!」
会場中がざわめく中、スラインも訳がわからず困惑していた。特に2回戦でエミナーと当たる事もあり、思わずオリアンに尋ねた。
「オリアンよ!あの
オリアンは、あわてふためくスラインの顔を見る事もなく、落ち着いた様子で、
「ん?見ての通りだ。何もしちゃいねえよ。」
それを聞いたスラインは驚きながら、
「そ?そんなハズ無いだろ!何もせずにイスミーラが降参するわけが…」
すると、オリアンは「ふう~」っと、ため息をつくと、
「スラインよ、『ドラゴン』と闘った事があるか?」
スラインは、いきなりの質問に戸惑いながらも、
「な?何をいきなり?ドラゴンだと?」
するとオリアンは、思い出すように、
「ああ、ドラゴンだ。俺は闘った事は無いが、対峙したことはある。
怖ええぞ、勝てる気なんかこれっぽっちもしねえんだ。今でこそ仲間だが、闘いたくもねえ。」
「ま、まあ、そうだろうな…」
するとオリアンは、いきなりスラインに顔を近付け、
「それでだ、そのドラゴンをも一発でぶっ飛ばす怪物が、お前の目の前に現れたらどうする?一歩一歩近付いて来たら?」
それを聞いたスラインは、顔を近付けたまま、
「そ、そんな怪物に勝てるわけねえ!隙をみて逃げ出すか、最悪「死」を覚悟するだろうな。」
それを聞いたオリアンは、スラインから目を離し、先程まで試合をしていた試合場を見ながら、
「つまりはそういう事だ。」
スラインは、オリアンの言葉が理解出来ず、オリアンの向いている方向を見た。
「何が「つまりはそういう…」あ!」
スラインが試合場を見た時、先程の試合と、今、自分が想像していた光景が重なった。
「ま!まさか?イスミーラには、クノンがとんでもない怪物に見えていたということか?!」
「そのまさかだろうよ。ただイスミーラにはクノンが怪物に見えていたわけじゃねえ。
勝手に『怪物の幻』を作っちまったんだろうよ。」
「怪物の幻?」
「ああ、ドラゴンを一発でぶっ飛ばし、3万の軍勢に素手で暴れまくる。これだけでも化け物じみてるのに、さらにそいつより強いと聞くとどうなる?」
するとスラインは、「ハッ」と何かを思い出したように、
「その化け物というのは、タロウの事だな?
まさか、クノンはタロウより強いというのか!?」
「本当かどうかは知らないが、そんな噂が流れているのも事実だ。そんなヤツと対峙してお前は立っていられるのか?」
「…………」
スラインは黙ったまま考え込んでいたが、
「ん!、ち、ちょっと待て!クノンの次の対戦相手はエミナーだぞ!?
そんな化け物相手に怪我でもしたら…」
クノンが怪物だと聞いて、さらにあわてふためくスラインだったが、オリアンは落ち着いた様子で、
「心配要らねえよ、タロウの事だ、相手に怪我をさせるような闘い方はしねえだろうからな。
まあ、エミナーが降参するとは思えねえから、擦り傷の1つや2つは覚悟してた方がいいかもしれねえがな。」
スラインもその事は、よくわかっていた。
エミナーが闘いにおいて、降参するはずは無いと思っていた。
スラインが頭を抱えていると、
「コンコン…」
「失礼します。」
ラウクン達が見ていた部屋に、副審の『アアク』がやって来た。
それを見たラウクンは、
「ん?どうした?アアク。」
アアクは、部屋の入り口に立ったまま、
「はい、実はタロウ様から、次の試合について、ご要望がございまして。」
ラウクンは驚きながら、
「何!?タロウから要望だと?」
副審のアアクが、ラウクン国王の部屋に行く少し前、僕は
クノン対イスミーラの試合が終わり、
僕は小声で、
「完ぺきだったよ、ミウ。よく出来ました。」
と、ミウの頭を撫でた。
ミウは誉められるのが好きなのか、僕の家にいる時から、よく頭を撫でていたのだ。
そしてミウが闘わずして勝った事で、エミナーさん対策の第2弾を発動する事が出来たのだ。
僕はすぐに審判の所に行き、ある提案をした。
すると審判は、ラウクン国王に了解を得る事が出来れば、その提案を受け入れてもよいということになったのだ。
「タロウからの要望とは何だ?」
部屋ではラウクンが、アアクから話を聞いていた。
「はい、タロウ様が言うには、2回戦の最初の試合は、クノン選手対エミナー選手にしたらどうか?ということです。」
するとラウクンは、
「ほう…、クノン対エミナーか。理由はあるのか?」
「はい。タロウ様が言うには、エミナー選手をこれ以上待たせるのは申し訳ないと。」
するとオリアンが対戦表を見ながら、
「なる程な、これで行くと、さらに2試合は見物になるな。
そして万が一、エミナーがクノンに勝ったとしても、すぐに準決勝か…」
「それともう1つ、第1試合からかなり白熱した試合が続き、エミナー選手も、ウズウズしているのではないかと…」
それを聞いたオリアンは、大声で笑いながら、
「アッハハハハ!ちげえねえ!こんな面白い試合が続けば、いても立ってもいられなくなるわな!」
するとスラインも、
「まあな、この俺でさえ体の奥から、熱いものが込み上げて来るようだからな。女の試合でここまで熱くなるとは、自分でも信じられない。」
するとラウクンは、呆れたように、
「まったくお前達は…タロウがお前達の事を
『筋肉バカ』と言っていた意味がよくわかったよ。」
それを聞いたオリアンは、
「何!あの野郎!そんなこと言ってやがったのか!?後でとっちめてやらねえと!」
それを部屋の隅で聞いていたイサーチェは、恩人であるタロウに、キケンが迫ってると思い込み、
「コホン…」
と、わざとらしくオリアンに向かって咳払いをした。
それに気付いたオリアンは、イサーチェがこの部屋に居ることを思い出し、
「い、いや…冗談ですから、妃。し、親友のタロウにそんなことしませんよ…」
それを聞いたイサーチェは、
「はい。」
と、一言だけ答え、ニコリと微笑んだ。
その時オリアンは、先程のイスミーラの気持ちが、少しわかったような気がした。
「まったく…何をやっているのだ、お主達は…」
と、ラウクンは呆れたように答えると、続けて、
「エミナーには、その事を伝えたのか?」
と、アアクに尋ねた。するとアアクは、
「はい。エミナー選手に、この事をお伝えしたところ、「もちろんいいわよ!私は誰の挑戦でも受ける!」と。」
それを聞いたスラインは、
「まあ、そうだろう。あいつならそう言うだろうな…」
するとラウクンは、アアクに向かって、
「よし!タロウの要望を許可しようではないか!すぐに知らせて来るがよい。」
アアクはシャン!と背筋を伸ばし、
「は!かしこまりました!すぐに主審に伝えて参ります!」
と言い残し、部屋から飛び出して行った。
その後ろ姿は、なんだか楽しそうでもあった。
そしてアアクが主審に駆け寄り、耳打ちしたかと思うと、
「え~!皆様!!先程、タロウ様より、「これ以上エミナー選手を待たせるのはどうか?皆様も絶対王者のエミナー選手を早く見たいのではないか?」と言うご要望がありました!
そこで、ラウクン国王にお伺いをしたところ、「構わない」とご了承を頂きました。
よって!2回戦!第1試合は!クノン選手対エミナー選手と致します!!!」
その瞬間!地鳴りのような歓声が会場を包み込んだ。
「うおおおおおおおおお!!!!!!!」
「絶対王者のエミナーと、目だけで相手を倒したクノン!どうなるんだ?!」
「こんな対決!二度と見られねえぞ!」
「エミナーなら、もしかしたらクノンにだって…」
会場が大盛り上がりの中、その盛り上がりとは裏腹に、オリアンだけは冷静だった。そしてそのオリアンだけが、僕の真意を見抜いていた。
「なる程な…まんまとタロウに乗せられたぜ。」
その
自分の妻が大変な事になるかもしれないのだ。どんな小さな呟きでも、試合に関する事なら聞き逃さなかった。
「何だ?どういう事だ?オリアン!?」
するとラウクンも、
「どうした?この試合順の変更に、何か意図でもあると言うのか?」
するとオリアンは、「ふう~」っと大きく息を吐くと、
「意図どころか、タロウの思い通りだ…」
と、解説しようとしたオリアン自らも、
「あ!まさか!さっきの試合も?!」
と、また何かに気付いた。そんなオリアンにスラインが、
「オリアン!自分だけ納得してんじゃねえ!俺達にも教えろ!」
と、詰め寄った。
オリアンは少し上を向き、椅子に深く座り直すと、
「タロウのヤツめ、エミナーに対して万全の策を取りやがった。」
「『万全の策』だと?」
スラインはオリアンの言おうとしてる事が、全くわからなかった。
そんなスラインに、オリアンは丁寧に説明を始めた。
「スラインよ、エミナーの強さの秘密は何だ?」
「強さの秘密?それは常に相手の動きを読み、一歩先を行く攻撃と防御だろうな。」
「そうだ…エミナーの持っている『観察眼』の力だろうな。
エミナーは、相手の動きや仕草で、相手の能力を計る事が出来るハズだ。そして剣を合わせる事でさらにそれを完ぺきな物にする。
たが、相手が今日初めて会ったヤツならどうだ?試合を見て観察しようにも、そいつは闘うどころか、武器も持たずに、ただ歩いただけだ。
そして、試合が始まるまで、普段の仕草から、何か掴もうと考えたが、その時間までもタロウのヤツは無くしやがった。
これでエミナーは、闘いながらクノンの弱点を探すしかなくなった。
だか、クノンがタロウと同等の速さの持ち主だったら?」
するとラウクンが、オリアンの説明を聞いて、
「全く何もわからない、未知の相手だとエミナーは手も足も出ない…」
オリアンは椅子に深く座ったまま、
「そういう事だ。タロウのヤツは、クノンを勝たせる為に、完ぺきな策を講じやがった。」
「そ、そんな…エミナーが負けるだと?」
初めてエミナーが負けるかもしれないと考えたスラインの、落胆は大きかった。
「エミナーも相手が格下のヤツなら、初めてでも、攻撃を受けながら相手の能力を見極める事が出来るんだかな。娘のニーサの試合の時のようにな。」
そして、オリアンは少し微笑みながら、こう話を終わらせた。
「でもよ…一度くらいは負けてみるのも良いことだと思うぜ、俺はよ。
見たこともねえ、景色を見て、新しい自分になれるってもんさ。」
その清々しくも見える横顔を、見ていたラウクンが、
「フフフ、オリアンよ。それはお主の事か?」
と、にこやかな表情で言った。するとそれに気付いたオリアンは、
「バ…バカ!な!何言ってやがるラウクン!お、俺の事じゃねえ!」
と、顔を真っ赤にしながら、ラウクンに詰め寄った。
それを見たスラインは、
「そうそう、負けは大切だぞ、オリアン。
お前が羨ましい。私も一度は負けを経験してみたいものだ。ハハハ!」
それを聞いたオリアンは、今度は怒りで顔が真っ赤になり、
「なんだと!この野郎!お前は一度、タロウに負けてるだろうが!」
「あ、あれは負けじゃない!『友人』になっただけだ!」
「じゃあ!俺が負けを経験させてやるよ!」
「ガタッ!」
「上等だ!やれるもんならやってみな!!」
「ガタッ!!」
それを見たラウクンは、
「また…お前達は…」
すると部屋の隅から、
「コホン…そろそろ試合が始まるみたいで御座いますよ。」
と、笑顔のイサーチェが2人に呟いた。
その姿を見た2人は、
「はい…」
「はい…」
と2人仲良く小さく答え、静かに椅子に座った。
そして、オリアンが再び口を開いた。
「しかし、タロウのヤツ、こんな作戦を誰に教わったんだ?アイツが自分の国の事を話した時、「僕は剣も持ったこと無いし、戦った事も無いんです。そもそも戦いも無いし。」とか言ってたくせによ。
戦った事も無いヤツが、こんな作戦を思い付くか?今回だけじゃねえ、ラクの時だってそうだ…」
するとラウクンが、
「きっと良い師匠が居るに違いない。こんなことも言っておったぞ、「僕の国には、僕より強い人なんて、星の数程います。その人達に比べたら、僕なんて弱い方ですよ。ハハハ…」とな。」
それを聞いたスラインは、
「あのタロウが弱い方?!なんて国なんだ。タロウの国は…」
そして、オリアンも
「俺も一度はタロウの国に行ってみたいと思っていたが、今のを聞いて行きたく無くなったぜ。よくミウは生きて帰って来れたな。」
するとラウクンが、
「きっとタロウが、必死になって守ってくれたんだろうな。イサーチェも無キズで返してくれた。10年もの間…大変だっただろうに…」
するとイサーチェも、
「はい!タロウ様や御家族の方達に、大変お世話になりました。」
と、遠くを見ながら、懐かしそうにしていた。
オリアン達が、勝手に僕の株を上げているとは全く知らなかった。
僕の戦術、作戦、武器、セリフなど、全てはアニメやマンガの受け売りだったのだ!
そして試合場では、今まさにクノン対エミナーの世紀の一戦が始まろとしていた。
すでにクノンとエミナーは、中央で対峙しており、後は審判の号令を待つのみとなった。
エミナーは、ニコヤかな表情をしながらも、何か少しでも情報を掴もうと、目は真剣そのものだった。
一方クノンはというと、普段と全く違う表情のエミナーに困惑をしながらも、頭の中では、僕の言った事を繰り返し思い出していた。
僕の言った事はこうだ。
「エミナーさんは、最初攻撃をしてこないと思う。全力で防御に回るハズなんだ。
だから、1本目は、試合開始と同時にエミナーさんに近付いて、すれ違いざまに胴にトンファーを当てるんだ。くれぐれも思い切り当てちゃダメだよ。大ケガしちゃうからね。」
「それでは!これより2回戦第1試合を行います!!!!」
審判の声と共に、再び地割れのような歓声が会場を包み込んだ。
エミナーとクノンは握手を交わしたが、エミナーは試しに思い切りクノンの手を握った。
クノンは痛みは感じなかったが、思わず「ビクッ」とし、少しだけ自分の手に力が入った。
その瞬間、
「い"!!」
エミナーは小さな声を上げ、苦痛に顔が歪んだ。
しかし、それをクノンに悟られまいと、すぐに笑顔に戻した。
2人は手を離すと、開始線までゆっくりと歩いた。
クノンは、僕の言った事を、繰り返し呟きながら、
エミナーは、痛みの残る手を見ながら、
「確かに『力』はありそうね…でも『速さ』はどうかしら?まずは全力で守らせて貰うわ。
それにあの武器の長さなら接近戦用ね、剣の方が間合いは広い。中にさえ入れさせなければ…」
と、最初は全力で、防御に徹する事に決めた。
そして、試合開始直後、多くの『え?』の文字が飛び交う事になるのだった。
開始線まで行くと、2人は向き合い、お互い構えを取った。
エミナーは両手で剣を持ち、腰を落とし、突きを放つような格好で剣先をクノンに向けた。
これは試合の時、いつもエミナーがする構えだった。しかし、チェスハはいつもと少し違う事に気が付いた。
「いつもは剣先が地面スレスレなのに、今日は水平だわ…
なるほどね、防御に徹するってわけね。負けるんじゃないわよ!あなたを倒すのは、このあたしなんだから!」
と、チェスハは心の中で、エミナーにエールを送った。
一方クノンは、今度は両手にしっかりとトンファーを握っていた。
そして、構えてはいたのだが、僕にはその構えが『子供のかけっこ』でよく見る『用意』のポーズに見えて仕方なかった。
一瞬でも早くエミナーの所まで行きたいと思う為、そうなったのだと思うが、どこで覚えたのか、ちゃんと左手、左足も前に出すというところまで、完コピしていた。
そして、ついに!
「それでは!1本目!!はじ……」
「ヒュン!!!」
「め!…え?!」
「え?!」
「え?!!!!」
「え?」
最初の「え?」は審判の「え?」だ。「始め」と言った瞬間にはクノンがエミナーの所に居た驚きの「え?」だった。
次の「え?」はエミナーの「え?」だった。見たことも無い速さで目の前に来たのだから、驚くのも無理はない。
次の「え?」は観客達だ。遠目から見れば、クノンは消えたように見えただろう。一瞬のスピードなら、オリアンより上かもしれない。
そして、最後の「え?」は僕だった。クノンが一瞬にしてエミナーの所に行く事はわかっていた。
しかし、その後、僕は思わず声を挙げた。
と、いうのも、一瞬で近付き、胴にトンファーを当てながら横をすり抜けるという作戦だったのだが、クノンはエミナーの胴にトンファーを当てる寸前で、「ピタリ」と止まってしまったのだ。
その不可解な行動に、思わず出てしまった、僕の「え?」だった。
その瞬間、クノンが「ピタッ」と、止まった事で、時間そのものが止まってしまったかのような錯覚に陥った。
そんな中、真っ先に動いたのはエミナーだった。
目の前まで来て、止まってしまったクノンをゆっくりと見ると、クノンの体は小刻みに震えていた。
そして、全く動こうとしないクノンに、エミナーは構えていた剣を、静かに持ち上げると、すぐ目の前にある、クノンの頭に「コツン…」と当てた。
それを見た審判は、「ハッ」と、我に帰り、
「い、いいいい、1本!!!!エミナー選手!!」
と、必死に叫んだ。
観客達は、いまだに何が起こったのか理解出来ずにいた。
オリアン達もそうだった。唖然としていたスラインがやっとの思いで口を開いた。
「エミナーが1本取ったのか…?」
「え?…あ、ああ…そうみたいだな…」
オリアンもそれが精一杯だった。
1本目を取られたクノンだったが、審判と何やら話をした後、僕の所に小走りでやって来た。
試合場から出なければ、アドバイスを貰うのはOKなのだ。
しかし、
「タロウ…どうしよう…」
と、明らかに困っている様子だった。
「ミウ?どうしたの?何かあったの?」
と僕が聞くと、
「あのね、タロウ。お腹にね、赤ちゃんがいるみたいなの…」
まさに衝撃の告白だった。
「え?!赤ちゃん?!お腹に?!」
本日2度目「え?」だった。
「うん…」
ミウは小さく頷いた。
た、確かに一度だけ、ミウとそのような行為をしたことがある。僕がこの世界から、初めて帰る前の夜の事だ。
確かに1ヶ月以上は経っている、いや、まてよ、あの時ミウは、3ヶ月以上はこの世界にいたはず…それから僕の家に1ヶ月…
などと、いろいろ考えていると、
「タロウ?どうしたの?」
と、ミウが顔を寄せて来た。
僕は、あの夜の事を思い出し、急に恥ずかしくなり、
「た、確かにミウと一度だけしたけど、まさかその時の…」
と、それを聞いたミウは、キョトンとして、
「え?「一度だけした」って?何を?」
「ほ、ほら、僕が帰る前の夜に、丘の上で…そ、その時の赤ちゃん…?」
するとミウもその日の事を思い出したのか、みるみる顔が真っ赤になり、
「バカ…違うよ。タロウのエッチ…」
と同時に僕を「ドンッ」と軽く突き飛ばした。
動揺していた僕は、足がもつれ、後ろに転んだ。
「いたたた…」
するとミウは手を差し出しながら、
「もう、早とちりなんだから、タロウは。」
僕は、その手を掴み、
「ゴメン、ゴメン。」
と言いながら立ち上がった。
そして、その一部始終を見ていた観客達は、
「おい!見たか今の、クノンがあのタロウを突き飛ばしたぞ。」
「あのタロウが、転んだ?いや、倒れた?」
「いや、俺は見たぞ、突き飛ばしたんじゃない!ぶっ飛ばしたんだ。」
「聞いたか?あのタロウがクノンに謝って許しをこうたぞ。」
そして、最終的には、
「あのタロウが、クノンに一発でぶっ飛ばされ、泣きながら謝っていたぞ!」
という物凄い尾ひれが付いてしまった。
僕は立ち上がると、再びミウに尋ねた。
「え?じゃあ、赤ちゃんて?」
僕の3回目の「え?」だった。するとミウは、
「うん、あのね。エミナーさんのお腹に赤ちゃんが居るみたいなの。」
それを聞いた僕は、本日4回目の「え?」を言った後、大声で叫んでしまった。
「え~~~~!!!!!!エミナーさんのお腹に赤ちゃん~~~~!!!!!??」
その声は、観客にはもちろん、オリアンやスライン、チェスハやニーサといった、この会場に居る全員に聞こえた。
そして、少しの間を置いて、オリアン、スライン、ラウクン。さらにはイサーチェ、チェスハ、ニーサにダシール、そして観客全員の「え?」が集まり。
「ええええええええ~~~~~~~!!!!!!!?!!!!!?」
と、本日最大の「え?」が地震のように国中に響き渡った。
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