番外編34〔『三代目猿姫』〕
番外編34〔『三代目猿姫』〕
「三代目猿姫ニーサ!行きます!」
ニーサは自らを『三代目猿姫』と名乗り試合場に入って行った。
試合場に入る前、僕と目があったニーサは、子供の頃のような笑顔で、手を振ってくれた。
そして猿姫の象徴である、真っ赤なロングコートを
その『真っ赤なロングコート』を見たオリアンは、
「おい、スラインよ。あの赤い服はもしかして…」
「ん?なんだ、オリアン。あの服を知っているのか?
あれは、エミナーが持っていた服をニーサ用に仕立て直したやつだ。」
するとオリアンは、懐かしそうな目で、
「知ってるも何も、ありゃあ『初代猿姫』が着ていたやつだ。
あれを着せてるって事は『三代目猿姫』ってのも案外本当かもな。」
それを聞いたスラインは、少し怒り気味に、
「本当も何も、ニーサはれっきとした『三代目猿姫』だ!この俺が保証する!」
するとオリアンは呆れたように、
「本当の猿姫を見たこともねえ親バカに保証されてもな。」
「ガタッ!」
「なんだと!娘に相手にされなくなった親バカに、親バカ言われたくね~よ!」
からかわれたスラインは、勢いよく椅子から立ち上がり、オリアンの胸ぐらを掴んだ。
「ガタッ!」
「何しやがる!やんのか!コラ!」
と負けじとオリアンも立ち上がり、スラインの胸ぐらを掴んだ。
すると、隣にいたラウクンが、
「こら!お前達!いい加減にせんか!試合に集中出来ぬではないか!
スライン!お主の娘が闘うのだぞ!しっかり応援しないか!!」
と、掴みあっている2人を叱りあげた。
スラインは自分の娘の試合だということを思い出し、掴んでいた手を離しながら、
「フ、フン!今回は国王の顔を立てて、引いてやる…」
オリアンもまた、『三代目猿姫』を名乗るニーサの試合がじっくり見たかった。
「うちの国王に感謝するんだな!」
と、言いながら、手を離して椅子に座った。
試合場では、すでにニーサとティンセスが審判を挟み、向かい合い立っていた。
ティンセスは『テアンザ王国』の選手だ。年も若く、ニーサと同じ年頃に見えた。やはり髪の毛は邪魔になるのか、オレンジ色の髪を後ろで束ねていた。
くしくも、衣装は同じ赤。ニーサの赤より少し濃い赤のスカートと薄手の鎧。鎧というよりプロテクターのような物か。
「それではこれより!1回戦第5試合を始めます!」
審判の号令と共に、握手を交わしたニーサとティンセスは、お互いの開始線まで行き、対峙をして開始の合図を待った。
ティンセスの持っている武器は三節棍だ。しかし、ナカリーが持っていた棍棒から変形するものではなく、最初から3本を鎖で繋げた物だった。
それを見たスラインは、
「ほう、あのティンセスって奴は、なかなかやるな。」
するとオリアンが、
「なんだ?親バカのお前が、対戦相手を誉めるなんて、珍しいじゃねえか?」
それを聞いたスラインは、
「なにを!娘に相手にされなくなって、泣きながら帰って来た親バカに、親バカ言われたくね~わ!」
「ガタッ!」
「なんだと~!!」
「ガタッ!」
「やんのか!コラ!」
2人は再び椅子から立ち上がり、お互いの胸ぐらを掴みあった。
そして、いつものようにラウクンが、呆れ返るのである。
「さっきまで涙を流して抱きあってたくせに…、お前達は仲が良いのか悪いのか…」
そして、新たに手に入れた『伝家の宝刀』を使うのであった。
「こら!お前達!これ以上試合観戦の邪魔をするようなら、私の妻のイサーチェが黙っておらぬぞ。」
いきなり名前を出されたイサーチェは、
「へ?また、わたくしで御座いますか?」
と、ラウクンを見た。
その言葉を聞いたオリアンとスラインは、イサーチェの怪力を思い出し、一瞬見つめ合うと、
「アハハハハ…冗談ですよ冗談…な、オリアン…」
「そ、そうそう…ちょっとした余興ですよ。ハハ…」
「ガシッ!」
「ドカッ!」
2人は肩を抱きながら、勢いよく椅子に座った。
そして改めて、ラウクンはスラインに尋ねた。
「さっき言いかけていた、ティンセスが強そうとは一体?」
するとスラインは、真面目な顔で、
「あの武器の事だ。3本の棒を鎖で繋げてるみたいだか、腕は2本しかねえ、バラバラに動く3本の棒を2本の腕で扱うのは、並大抵の事じゃねえ。」
ちょうど同じ頃、全く同じ話をしている者達がいた。チェスハとエミナーだ。
「ち、ちょっとあのティンセスって娘、なかなかやるわよ。」
「そうね、扱いづらい武器をあえて使ってくるなんて、そうとうな自信があるみたいだわ。」
「あの武器、『三節棍』って言ったっけ?ナカリーも使ってたけど、ほとんど奇襲に使ってたんだから。」
「確かにあの武器はやっかいよね。でもニーサには相手の武器が何であろうが関係ないのよ。」
「関係ない?関係ないとはどういう事だスライン?」
ラウクンはスラインに尋ねた。するとスラインは自慢気に、
「ニーサの母親を誰だと思っている、俺の妻だぞ、あのエミナーだぞ!初代猿姫の絶対王者だぞ!
あいつは教え方が上手い。頭が納得するから、自然に体が動く。」
それを聞いたオリアンは、
「ふん!猿姫の闘いを見たこともねえくせに。」
スラインはオリアンの言葉を聞き流し、
「俺達『人』はついつい考えて行動してしまう。それは闘いにおいてもだ。お前達『獣族』と違って本能が弱いからな。いくら修練したからといって、この差は埋まることがないだろうな。
しかし、全ての対処法が頭に入っていたら話は別だ。エミナーの頭にはそれが入っている。そしてそれを教える事が出来る。
初めてエミナーと剣を合わせた時、ビックリしたよ、攻撃が全く当たらなかった…、常に一手先を読まれてるみたいで、気味が悪いくらいだったよ。」
その話を聞いたオリアンは、子供の頃、初めて猿姫を見た時の事を思い出していた。
自分の父親が物凄い速さで攻撃をするも、猿姫にはカスリもしなかったのである。
そしてオリアンは、敵であるにもかかわらず、踊るような猿姫の舞いに心を奪われた。
初代猿姫の強さの秘密、それは『目』だ。さらにいうなら、エミナーは『動体視力』がずば抜けて良かった。
人は動作を行う前に、無意識のうちに必ず予備動作を行う。
例えば、上にジャンプしようとすると、必ず一度下に沈む。剣を振り下ろす前には一度後ろに振り上げる。細かい体重移動、握り直し、目線。
そしてそれらは癖となって、個人個人に強く表れる。
エミナーは、その癖を見抜く才能にも長けていた。そして、それは何度も闘えば確実なものになって行き、いくら最強の狼族のボスといえども、攻撃が当たるハズがないのである。
オリアンは、スラインの話を聞いて、頭の片隅に残っていた『つかえ』が取れたような気がした。
当時『最強』と言われていた自分の父親が、なぜ猿姫に勝てなかったのか、ずっとわからなかったからである。
オリアン自身が猿姫と戦っていれば、少しはその理由がわかったかもしれないが、オリアンが成人し、ボスになる頃には初代猿姫のエミナーは居なかった。
そして、チェスハが二代目猿姫を名乗っていたが、オリアンの前に猿姫が現れる事は無かった。
チェスハはオリアンの居ない所に現れ、オリアンが来ると姿を消した。
チェスハもわかっていたのだ、自分ではオリアンに勝てない事を。
そして、エミナーやチェスハ、そしてオリアンやスラインの見守るなか、三代目猿姫ニーサの試合が始まった。
特にオリアンは、もしかしたらもう一度、あの舞いが見られるかもしれないとニーサを見つめていた。
それは父親である、スラインよりも真剣な眼差しであった。
「第5試合!1本目!始め!!」
審判の号令が高らかに響き、大歓声が会場を包んだ。
が、2人共、睨み合ったまま微動だにしなかった。
僕はてっきりニーサが、猿姫の名の由来となったスピードを生かし攻撃を仕掛けると思っていたのだ。
僕だけじゃなく、多くの人がそう思ったに違いない。
しかし、先に動いたのはティンセスの方だった。
「ハアアァァーーー!!!!」
ティンセスは一気に距離を詰め、棍棒の苦手な接近戦に持ち込んだ。
「カン!カカン!!カカカン!!!」
左右の手で三節棍の両端を持ち、まるで二刀流のように、攻撃を繰り出した。
しかしニーサも負けてはいない。棍棒を巧みに操り、左右からの攻撃を
だが、ティンセスは三節棍の真ん中の棒を上手く防御に使い、ニーサを攻めさせなかった。
そして、徐々にティンセスの攻撃スピードが上がり、ニーサは防戦一方になって来た。
ティンセスは攻撃をしながらも、ニーサの動きを観察していた。
「さすがエミナーさんの娘、ムダな動きが一切無い…そして速い。でも……私の方が…、もっと速い!!」
「タァァァーー!!!!!」
「くっ…」
ティンセスのスピードはさらに上がり、誰の目にもティンセスが押しているに見えた。
それを見ていたラウクンは、
「おい?スラインよ、かなり押されているように見えるが大丈夫なのか?」
と、言いながら、スラインの座っていた方向を見ると、そこにスラインは居らず、部屋のギリギリの所まで歩き、立ったまま試合を見ていた。
そしてラウクンの声が聞こえると、
「だ、大丈夫に決まっているだろ!お、俺の娘だぞ!三代目猿姫だぞ!」
と、強がってはいたが、握っていた拳は小刻みに震え、不安な表情は隠しきれなかった。
ティンセスは攻撃の手を止め、一度距離を取った。
誰もが呼吸を整える為と、そう思ったに違いない。もちろんニーサもそう思った。
そしてニーサも、ティンセスに合わせるかのように、動きを止めて、ティンセスの出方を伺った。
もちろん三節棍の届かない距離を保っての事だ。
ティンセスは息を整えながら、三節棍を折り畳み、自分の右脇腹まで持ってきた。
そして!
「ハァァーー!!!」
ニーサめがけて、鋭い突きを放ったのだ。
折り畳まれていた三節棍は、あっという間に1本の槍なり、一直線にニーサに向かって行った。
しかし、十分な距離を取っていたニーサは、慌てる事もなく、迎え撃つ準備をしていた。
突きを放ったティンセスは、そこから大きく1歩を踏み出し、さらに三節棍を持っている右手を目一杯前に伸ばし、片足になりながら、上半身までも前に伸ばした。
そして、到底届かなかったであろうティンセスの突きは、ニーサのすぐ目の前まで迫って来ていた。
普通の選手なら、不意をつかれ慌てる所だが、ニーサにはこの程度の事は、ティンセスの実力なら想定内の事だった。
そして試合を見ていた、オリアンやチェスハも同じ考えをしていた。
さらに実力者になればなる程、その後の対処法も同じになって来るのである。
それは、ムダのない効率的な攻撃に繋がる動きを体が覚えているからである。
ニーサは、ティンセスがいくら距離を稼ごうが、少し後ろに飛べば三節棍は届かない。そう思っていた。
もちろん、オリアンとチェスハも、同じ考えだった。
少し後ろに飛び、伸びきって止まった三節棍を、弾くなり掴むなりして、一気に距離を詰め攻撃をすればいい。そう思っていた。
しかしニーサは、
「ビュン!!」
「な!?横だと?!」
「え?!横に飛んだ?!」
オリアンと、チェスハが同時に叫んだ。
ニーサは三節棍の先が当たる直前、後ろではなく、横に飛んだのだ。
チェスハとオリアンが驚く中、エミナーだけは口元に笑みを浮かべていた。
そして、ニーサが横に飛んだ瞬間!
「ギュン!!!」
さらに三節棍は加速し、伸びながらニーサの横を通り過ぎた。
「手を離した?!」
今度はスラインが叫んだ。
ティンセスは、ニーサが後ろに下がると読んで、三節棍から手を離していたのだ。
が、オリアンとチェスハは、ティンセスの意図をすぐに読み取った。
「いや!ティンセスは手なんか離しちゃいねえ!」
オリアンの言葉に、スラインは改めてティンセスの手元を見た。
よく見ると、ティンセスの手元から白い紐のような物が、三節棍に繋がっていた。
「あれは?紐?」
チェスハの言葉にエミナーが、
「たぶん、棒に巻いてあった滑り止めか、何かかしらね。
攻撃するための物とは思えないけど、凄いわねあの娘。
もしニーサが後ろに飛んでいたら、間違いなく突きを食らっていたわね。誰かさんみたいに。ウフフ。」
エミナーは、チェスハが後ろに飛ぶことをわかっていたのだ。
するとチェスハは慌てたように、
「あた…あたしは、後ろに飛びながら、さ、三節棍を蹴り返そうと…、
でもニーサちゃん、よく横に飛んだわね。あそこからさらに伸びて来るのがわかったのかしら?
て、いうか、あなたも知っていたの?あそこからさらに伸びてくること…」
するとエミナーは、「フフフ」と笑い、
「そうね、攻撃する前の右手の握りが変わっていたからね。手を離す所も見えちゃった。
ニーサもその事に気がついて、何かあるって思ったんじゃないかな?」
チェスハは驚き、
「「見えちゃった」…って…あなた、いったいどんな目をしてるのよ…」
チェスハは改めて、エミナーの凄さを目の当たりにした。
そして、そのエミナーと同じ目を持つ『ニーサ』にも驚愕をした。
横に飛び、三節棍をかわしたニーサを見たティンセスは、
「まさか!あれを避けた?!…、読んでいたとでもいうの?それとも偶然?」
ニーサが横に飛んだ事に、驚きを隠せなかったティンセスだったが、
「さすがは、エミナーさんの娘。でも!」
ティンセスは、紐を持つ手を「クルリ」と1回転させた。
そしてその回転の力は三節棍に伝わり、三節棍は伸びきったまま横に移動し、ニーサに襲い掛かった。
ティンセスは三節棍を、まるで自分の手足のように操っていた。それはまるで先端まで神経が通っているかのようだった。
「くっ!」
「カッ!!」
ニーサは持っていた棍棒で、襲い掛かってくる三節棍を止めた。だが、それは三節棍の真ん中の棒だった。
ニーサは横に飛んで攻撃をかわしたのだが、少しでもすぐに攻撃が出来るよう、ティンセスとの距離を縮める為、少し斜め前に飛んでいたのだ。その結果、横から来る三節棍の真ん中を止める事になってしまった。
三節棍の特性上、真ん中を止めるとどうなるか?
答えは第1試合のナカリーVSタスフォーレの試合で出ていた。
ナカリーの攻撃を止めたタスフォーレだったが、ナカリーの棍棒は折れ曲がり、タスフォーレの背中を直撃した、あの光景だ。
ニーサが三節棍の真ん中を止めた事により、遠心力が先に移り、先端の棒がさらに勢いを増しニーサに襲い掛かった。
するとニーサは、
「ドスッ!」
「フワッ…」
「ガンッ!!」
なんとニーサは、三節棍を受け止めたまま、その棍棒を地面に突き刺し、棍棒を軸に体を持ち上げ、襲い掛かって来た先端の棒を蹴り返したのだ。
そして、そのまま棍棒にしがみついたかと思うと、クルクルと回りながら降りてきた。
それを見たティンセスは、三節棍を引き寄せると、持っていた紐を三節棍に巻き付けながら、
「凄い…小細工なんか通用する相手じゃない…
ここからは、どちらが速いか勝負よ」
再び対峙した2人を見て、会場からは大きなどよめきが起こった。
それもそのはずである。一進一退の息をもつかせぬ攻防、まさに息をするのも忘れていた。
それはラウクンも同じであった。
ラウクンは、大きく深呼吸するとオリアンに尋ねた。
「ふう~…、オリアンよ、今回の大会をどう見る?こんなに息の詰まる試合は見たこと無いぞ…」
するとオリアンは、
「確かにな。今回の大会は今までに比べて、桁違いにレベルが高え。みんな考えに考えて、頭を使って闘ってやがる。
今までは、男は『力』、女は『速さ』を武器にしていたが、頭を使う事で、非力でも遅くても、強い奴に勝つ事が出来るってわかったからな。」
それを聞いたラウクンは、
「『第2回タロウ杯』の事か?」
オリアンは、自分の負けた試合の名が出たことで、スラインにからかわれるのではないかと、スラインを「チラッ」と見た。
が、スラインはティンセスに押されているニーサの事が気が気ではなく、ラウクンの言葉も耳には入っていなかった。
少し「ホッ」としたオリアンは、
「ああ、体も小せえ、力もねえ『ラク』が、セオシルや俺に勝ったんだ。誰だって頭を使うようになる。
それが武器の進化にも繋がった。さらに進化をした武器を扱うには、今までよりも厳しい修練が必要になる。」
頭の良いラウクンは、オリアンの言いたい事をすぐに理解した。
「なる程な、修練が厳しくなればなる程、自分の実力も上がるということか。」
「その通りだ。この大会、男女混合でやっても、コイツらに勝つ男なんて、ほとんど居ねえかもな。」
ラウクンは驚き、
「なんと!お前がそこまで言うか。全く、タロウが現れると毎回とんでもない事が起きるな。
今回のこの大会、間違いなく台風の目は『ミウ』であろうな。」
と、ラウクンは僕達の方を見た。オリアンも僕達の方を見たが、ラウクンの言葉に異を唱えた。
「おっと、ラウクンよ、俺とタロウの試合の事を忘れているんじゃないだろうな。
俺はタロウに必ず勝つからよ!」
それを聞いたラウクンは、
「凄い自信だな、オリアン。秘策でもあるのか?」
「へへへ、まあな。『勝利は我に有り』ってな。」
するとラウクンは、オリアンに詰め寄り、
「な!なんだそれは!?どんな作戦だ?!」
オリアンは、あまりのラウクンの食い入りに圧倒されながらも、
「ま、まあまあ、見てのお楽しみだ。そんなことより、ほら、ティンセスが動くぞ。」
オリアンは話を反らし、ラウクンの意識を試合に向けさせた。
「タァァーー!!!!!」
ティンセスは、ニーサに小細工が効かないとわかると、手数で勝負に出た。
その速さは、素人目に見てもニーサより上だった。
その証拠に、最初は余裕をもって攻撃をかわしていたニーサも、少しづつ距離を詰められ、今や数センチ先を三節棍がかすめて行っていたのである。
誰の目にもティンセスが優勢に見えた。
ただ1人エミナーを除いては…
試合を見ていたエミナーの口元からは、笑みが無くなる事は無かったのである。
今日のティンセスは絶好調だった。それは自分自身でも把握していた。考えなくても体が勝手に動く、しかも自身が経験したことのない速さで。
と、同時に『違和感』も感じていた。
「す、凄い。こんな速さ、今まで経験したことがない。これなら勝てる!絶対王者と言われたエミナーさんの娘にだって!」
ティンセスは自分の感じていた『違和感』を、未知の領域に達した自分の感覚と思っていた。
ティンセスの攻撃はさらに速さを増した。しかし、ニーサには当たるどころか、カスリもしなかった。
そして…
「ガタッ!」
オリアンがいきなり椅子から立ち上がり、目を見開いた。
と、同時に攻撃をしていたティンセスも、自身の感じていた違和感の『本当の正体』に気が付いた。
「ま、まさか!?こ!…この娘!自分から近寄って来てる?!」
オリアンの異変に気付いたラウクンは、
「どうした、オリアン?何かあったのか?」
するとオリアンは試合を凝視したまま、
「どうしたもこうも、ありゃあ、初代猿姫の動きじゃねえか。まさか、本当に見られるとはな…」
オリアンの目から、一筋の涙が頬を伝った。
その動きはまさに踊っているようだった。まるで長年コンビを組んでいたかのような錯覚を起こすほどだ。
ティンセスが右足を出せば、ニーサは左足を引き、回転をすれば、同じく回転をする。まさに『舞闘乱舞』と言ってもいいだろう。
ニーサはティンセスの動きを、完全に把握していた。
その証拠に、持っていた棍棒はほとんど使っていなかったのだ。
しかし、その『舞闘』は長くは続かなかった。
攻撃をしていたティンセスも、感じていた違和感の正体に気が付いた時、今まで持っていたモチベーションが保てる訳もなく、鋭かった攻撃も徐々に弱くなり、最後にはピタリと動きが止まった。
そして、その時初めて自分の体の異常に気が付いたのだ。
尋常ではない汗、感じたことの無い激しい鼓動、暑いハズなのに異常な寒気。足の震え…
ティンセスは、頭から血の気が一気に引くのを感じた。そして…
ティンセスは、いきなり口を押さえながら、後ろにしゃがみ込むと、激しく嘔吐した。
「う!おおえぇぇ~……」
審判が背中をさすりながら確認をしたが、闘いを続行出来るハズもなく、
「ティンセス選手!試合続行不可能により!ニーサ選手の勝利とします!!」
会場からは、再びどよめきが起こった。
「なんだ?何が起きたんだ?」
「ニーサが勝ったのか?」
「どうしたってんだ?一体?」
会場中がざわめく中、ところどころ、ティンセスの素晴らしい闘いぶりを称える声が聞こえて来た。
「ティンセスもカッコ良かったぞ!」
「よくやった2人とも!」
「また来いよ!ティンセス!」
「パチパチパチパチ…」
2人を称える拍手が鳴り響く中、うずくまるティンセスに、ニーサは自分のコートを掛け、そのままコートでティンセスの口元を拭いてあげた。
ティンセスは、落ち着きを取り戻すと、ニーサのコートを汚した事を謝ろうと、頭を上げた。
「ごめん…」
「ゴメンナサイ!」
なんと、先に謝って来たのはニーサの方だった。
「え?…」
驚くティンセスにニーサは、
「ティンセスさんが、あまりにも強かったから、あたしも本気で闘わないと負けると思って…」
再びティンセスは驚いた。ニーサの口から自分が強いと告げられたからだ。
「まさか!?私なんか手も足も出なかった…」
するとニーサは、
「ううん、あの槍のような長距離攻撃、あの時思ったの、手を抜けば負けるって。」
「そうなんだ…、私も思ったんだ。出し惜しみして勝てる相手じゃないってね。」
ティンセスは立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、よろけて転びそうになった。
しかし、ニーサが体を支え、自分の肩にティンセスの腕を回すと、そのまま試合会場を降りて行った。
「ありがとう、ニーサさん。1つだけ聞いてもいいかな?」
「ん?何?ティンセスさん。」
するとティンセスは、今の自分の体の事を聞いた。
「私は人の何倍も修練しているつもりよ。体力にも自信があったのに。なのになぜこんな事になるの?」
するとニーサは、少し考えながら、
「え~っと、あたしにもよくわからないんだけど、お母さんが言うには『踊らされている』って。」
「『踊らされている』?」
チェスハが不思議そうな顔で、エミナーを見た。
するとエミナーが、
「人にはそれぞれ『癖』があるのよね。攻撃する前の僅かな動き。攻撃した後の動き。それがわかれば、何処からどんな攻撃が来るかわかるから、当たる事なんてないのよ。
特に基本をみっちり叩き込まれた人なら、なおさら癖が読みやすいのよね。」
「それと、『踊らされている』って、どんな関係があるの?」
チェスハはエミナーの言っている意味がよくわからなかった。
するとエミナーは、逆にチェスハに聞いた。
「なんでティンセスが、あんなふうになったかわかる?」
「『あんなふう』って、体調が悪くなったこと?もともと体調が、悪かったんじゃない?」
するとエミナーは、首を横に振り、
「ううん、ティンセスは絶好調だったはず、ニーサも私みたいに、人の癖が把握出来るのよ。
そして、その人の癖を完璧に把握すれば、その人を思いのまま動かせる事が出来るってわけ。」
「え~っと、ごめん、何言っているかわからない。」
「最初、ニーサが押されて見えたのは、ティンセスの癖を見ていたんじゃないかな。そして、癖を把握したら、癖を利用して、相手に攻撃をさせるの。
ティンセスはビックリしたでしょうね。体が自然に動いてくれるんだもの。
でもそれは無意識のうちに動いているから、自身の限界を超える動きをしてもわからないのよ。
そして、いくら攻撃しても当たらない恐怖、肉体の限界、訳がわからないから、脳はパニックを起こすでしょうね。
そうなると、体と心のバランスも崩れ、自律神経の異常、で、ああなったわけ。」
するとチェスハは、驚きながら、
「じ、じゃあ、ざっくり言うと、ニーサがティンセスを操ってったって事?!」
エミナーは上を向き、
「ん~…、まあそういうことになるのかな?」
するとチェスハは、「ハッ!」と気付き、
「もしかして、あたしがあなたに勝てないのは、あたしを操っているからじゃないの?!」
するとエミナーは、ため息をもらしながら、
「ハア~…、さっきも言ったでしょ。基本に忠実な人ほど操れるって、あなたみたいに追い込まれたら何をしでかすかわからない人は、こっちが怖くて出来ないのよ。」
それを聞いたチェスハは、
「良かった~、不真面目で…」
するとエミナーはニコリと笑い、
「でも、たまに癖は利用させてもらってるけどね。」
するとチェスハは、エミナーに詰め寄り、
「ち、ちょっと!何よそれ!教えなさいよ!あなただけズルいじゃない!」
「ん~、それじゃあね、例えば、あなたって、棍棒を前に構えた状態から、『突き』も『払い』も出来るけど、『払い』の時だけ、先端が、「クルン」て回るの。とても小さな円。
たぶん無意識のうちに、少しでも遠心力を稼ごうとしてるのかもね。
『右から払い』が、来るのがわかっているんだから、後は煮るなり焼くなり好きなようにってね。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。『円』は、わかったけど、なんで『右』からなのよ?」
「だってあなた、対峙した後は必ず『右側』を攻撃して来るじゃない?」
「あ……」
「でもねチェスハ、この『癖』も全く通じない人も居るのよ。」
「そんな!?癖の無い人なんて…」
するとエミナーは、視線を僕とミウの方に向け、
「それは、初対面で、この世界の物とは思えない『速さ』と『力』を持った人なの。」
「もしかして、それって…」
チェスハも、ゆっくりと僕達の方を見た。
そして、エミナーが、
「次はいよいよ『あの娘』の試合よね。あのタロウが連れて来た娘なんだから、1回戦で負けるとは思えないわ。
次の相手は私だから、少しでも情報が欲しいところだわ。対戦相手の『イスミーラ』には悪いけど、捨て駒になってもらうわよ。」
エミナーもチェスハに負けず劣らずの『負けず嫌い』であった。
エミナーと、チェスハの視線にも全く気付かなかった僕とミウだった。
ニーサの試合も見てはいたが、あのチェスハが驚くような、凄まじい攻防戦が繰り広げられているとは、全く気付きもしなかなかった。
ティンセスも動きまわったせいで気持ちが悪くなったのかな?位しか思ってなかったのだ。
ただ1つ言える事は、ニーサは初代猿姫の『血』だけではなく、その『目』と『癖を読み取る能力』を完全に受け継いだ、正真正銘『三代目猿姫』だということだった。
僕達は、試合の合間、ミウの試合をどう闘うか話をしていた。もちろん勝つ為だ。
ただ、今のミウのスピードを持ってすれば、1回戦は軽く勝てるであろう。
しかし、2回戦の相手は、絶対王者のエミナーさんだ。ミウのスピードを見てしまえば、何かしら対策を考えるかもしれない。
そこで、僕はある方法を思いつき、ミウに話した。
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