第28話〔メイド長「イサーチェ」〕


第28話〔メイド長「イサーチェ」〕



オオカミ族の村を出た僕は、そのままミウの居る城に向かった。


城の衛兵達とは一連の出来事で、顔見知りになっており、ラウクン王子のはからいで、城の出入りも自由になっていた。


門をくぐり、少し歩くと正面に大きな扉が現れる。

僕は、その大きな扉の隣に立っている衛兵達に挨拶をすると、衛兵達の目の前を通り過ぎ、少し離れた所にある、小さな通用門から中に入った。使用人達が使う入り口である。


僕が中に入ると、階段の手すりを掃除していたミウの友達、ナカリーと目が合った。



「あら、タロウさん。いらっしゃいませ。」


「こんにちは、ナカリー。ミウは仕事中?」


「え~っと、ミウは2階の部屋を掃除してると思うわ。

ちょっと待ってて、呼んできてあげる。」


そう言うと、ナカリーは雑巾を持ったまま、階段を上がって行った。


ナカリーは国王が捕まり、助けられた直後は、かなり落ち込んでいた。

自分の親の為とはいえ、親友であるミウに酷い事をしたと悔み、体調を壊していたのだ。

しかし、ミウの優しさや、ラウクン王子のおかげもあって、今では以前のような明るいナカリーに戻りつつあった。



少しすると、上の階から「パタパタパタ…」と、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。


何度も城に足を運ぶうち、ミウの足音がわかるようになっていたのだ。


小気味良いリズムが止まったかと思うと、2階の手すりから、ミウが顔を覗かせた。


「タロウ!!」


「やあ、ミウ。仕事中にごめんね。」


「ううん!もうすぐ休憩時間だから、少しだけ待っててもらえる?」


「うん。わかった。その辺に座って待ってるよ。」


ミウは手を振り、仕事に戻っていった。


あんなに嫌だった「太郎」という名前が、ミウに呼ばれると、なんだか心地好く感じられる。


最近までは「タロン」と呼ばれていたが、オリアン達と過ごすうち、父さんがつけてくれた「太郎」という名前が誇らしく思えるようになり、ミウにも「ホントの名前は「タロウ」なんだよ」と教えたのだ。


最初は、「タロン」と「タロウ」がごちゃ混ぜになっていたミウも、最近ではちゃんと「タロウ」と言ってくれるようになっていた。


僕は近くの椅子に座り、さっきのミウを思い出していた。


「ハァ~…あんな笑顔を見せられたら、帰るなんて言い出し辛いなぁ~…」


僕が考えながら下を向いていると、


「コトッ…」


目の前に何かを置く音がした。

ふと、前を見ると紅茶のような液体の入ったカップが置かれていた。


さらに上を見ると、メイド長の「イサーチェ」が立っていた。


彼女は、城で働くお手伝いさん達のトップにいる人で、ラウクン王子が小さい時から世話係りとして城で働いている人だ。


ラウクン王子が、とてもなついていたため、さすがの国王も、売り飛ばす事は出来なかったみたいだ。

しかし、その代わり何人もの同僚や後輩が居なくなって行くのを経験していた。


他のお手伝いさんは、僕に対してフレンドリーに接してくれるのだが、彼女だけは、VIP待遇で僕に接して来るのだ。



「お疲れまさです。タロウ様。」


「い、いや、だから、その「タロウ様」って言うのやめてくださいって。呼び捨てでいいですよ。」


「いいえ!タロウ様は、わたくし達、いえ、この国の全女性を救って下さりました。タロウ様は、わたくしにとっては神様に等しくございます。

ラウクン王子からも、「よろしく頼む」と承っております。だから、命をかけておもてなしをさせていただきます!!」


「いや…命はかけなくていいから…」


イサーチェは、綺麗で優しく、いい人なんだけど、少々生真面目過ぎるところがある。

縁の少し尖った『ざ~ます眼鏡』かけていて、それがさらに厳しさを強調している。

そのせいか、なかなかいい人に巡り会わず、未だに独身だ。


「あら?何か言いまして?」


一瞬、眼鏡の奥の瞳がギラリと光った。


「い、いや…別に何も…、そ、それよりこの飲み物は?」


僕は、カップを手に取り、中を覗いた。

その瞬間、いい匂いが体中を駆け巡った。


「はい。その飲み物は、タロウ様がミウにお話になった『紅茶』というものを、わたくし達で作ってみた物でございます。

タロウ様がお喜ばれるかと思いまして。」


確かにミウと会っていた時、飲み物の話になり、僕の国には、葉っぱを乾燥させて、お湯を注いで作る『お茶』や木の実を炒めて粉にしてドリップして作る『コーヒー』という飲み物があると言ったことがある。


コップを持った手を口に持って行き、ひと口飲んでみた。


「ゴクン……ん~…」


思っていたより甘い、飲むとさらに、いい香りが辺りに漂う。

ハーブティーを少し甘くした感じだ。



「ハァ~、美味しい~…」


僕の緩みきった笑顔を見たイサーチェは、


「お褒めにあずかり光栄にございます。タロウ様。」


「本当に美味しいよ、これ。初めて飲む味だ。」


「その『葉』は、料理の香り付けに使う『葉』でございます。タロウ様のお話を聞いて、よもやと思いまして。」


「さすがメイド長。」


「メイド長?」


「あ、いや、こっちの話です…」


この国には、『メイド』という言葉は無く、僕が勝手にイサーチェの事を『メイド長』と心の中で呼んでいたのだ。


僕はごまかすように、紅茶を飲み干すと、


「ごちそうさま、イサーチェさん。本当に美味しかった。」


「いいえ、全てタロウ様のおかげでございます。また、いろいろとご教授下さいませ。」


「『ご教授』って…そんなに大それた物じゃないですよ。僕の国に、ある事を言っているだけですら…


ん~、それじゃ1つだけ。僕はこの国の植物がまだよくわからないけど、毒の無い葉っぱならどの葉っぱでも『お茶』になるんじゃないかな?

美味しいか美味しくないかは、別として。

薬草なんかは、『お茶』にすると体にいいって聞いた事があるよ。

それから、レモンやミルクを入れても、味が変わって美味しくなるかも。」


「さすが、タロウ様。早速試させて頂きます。

ところで、タロウ様。あのお話はお考えになって頂けましたでしょうか?」


「あの話? あ~…あの『ラウクン王子の側近になってくれ』って話?」


「さようでございます。タロウ様が王子のお側について頂けたら、わたくしも安心でございます。

何よりタロウ様のお強さは、今や国民全員の知るところでございますから。」


僕は「ドキッ!」っとした。今の僕は、なんの取り柄も持たない、ただの少年だったからだ。


「イサーチェさん…前にも言ったように、僕には『側近』なんて無理ですよ。まだ子供だし、ただ強いだけじゃ、王子の力にはなれませんから…」



この話は、あの出来事が落ち着いた頃から、イサーチェが僕を見つける度に言って来てた事だったのだ。


「いいえ!タロウ様は、お強いだけではございません!豊富な知識でラウクン王子を助けたと聞いております。」


「そ、それはたまたま、知ってた事が上手く行っただけで、もう何もありませんよ…」


「それからタロウ様、お気をつけ下さいませ。」


「へ?なんの事?」


「タロウ様の妻の座を、狙っている女性はたくさんおられます。くれぐれもお気をつけ下さいませ。」



そうなのだ、チェスハも言ってた事なのだが、一般の女性が王族の仲間入りをするには、王族と結婚するか、王族に近い者の妻になる事だった。


僕が王子の側近になるという噂は街中に広まっており、見知らぬ女性から声をかけられる事もしばしばあった。


それからチェスハは、メイド長の「イサーチェ」も僕を狙っている1人かもと言っていた。あくまでも噂なのだが……



「タロウ様。タロウ様。」


「あ!はい!」


「もう1杯、いかがですか?」


「ありがとうございます。それじゃ、もう1杯だけ。」


「かしこまりました。すぐにお持ちいたします。」


イサーチェは一礼すると、空になったカップを持って、奥に入って行った。


「イサーチェが、僕を狙ってるなんて、無い無い。歳だって、母さんより少し若いぐらいだろ?

僕なんて子供じゃん。ハハハ。」


僕が、1人でブツブツいいながら納得していると、新しいカップに紅茶を入れてイサーチェがやって来た。


「お待たせ致しました。タロウ様。」


イサーチェは、コップを僕の目の前に置いた。

が、イサーチェの距離はさっきより近い。すぐ目の前に顔がある。しかも胸元が、さっきよりはだけているような…


「ところでタロウ様。ひとつお聞きしてよろしゅうございますか?」


「あ、はい。なんでしょう?」


「タロウ様は、歳上の女性は、お嫌いでしょうか?」


「ブッ!ゲホッ、ゲホ…」


僕は口に含んでいた紅茶を、イサーチェの胸元に吹き出してしまった。

イサーチェの着ていた白いシャツが透けて、胸元どころか、下着まで見えていた。


「あらあら、どうしました?そんなに急いで飲まなくても…」


イサーチェは、慌てる様子もなく、淡々とテーブルに飛び散った紅茶を拭いていた。


「ご、ごめんなさい。イサーチェさん。服を汚してしまって。」


「あら、こんなのは汚れたうちに入りません。わたくしたち『お手伝い』の服が汚れるのは当然の事ですから。」


イサーチェは、テーブルを拭きながら、


「ところでタロウ様、先程のお話しですが、タロウ様は年上の女性を、どう思われますか?」


「ど、ど、ど、どうって?」


するとイサーチェは、さっきまでの凛とした態度とは打って代わり、


「その…あの…1人の女性として…つまり…恋人というか…そう…恋愛対象…になるのでしょうか?」


たぶん、年上というのはイサーチェ本人の事であろうが、『年上の女性』というワードを聞いて、僕の頭に浮かんだのは『チェスハ』だった。

たぶん、僕のファーストキスを奪った女性として頭に残っていたのだろう。


僕は自分でも気付かないうちに、その時の様子を思い出しながら言っていた。


「年上の女性もいいですよね。甘くてやわらかくて…だいたい恋愛に歳なんか関係ないですよ。」


と、キッパリ言い切ってしまった。

するとイサーチェは、ホッとしたように、


「そうですよね!肌のハリツヤは若い子には負けますけど、歳と共に積み重ねてきた経験と技は若い娘達には負けませんからね。」


何の経験と技なのかは聞かないでおこう。


「そうですよ、イサーチェさん。

イサーチェさんは、綺麗だし、まだまだ若いじゃないですか、これからですよ、こ・れ・か・ら・」


「ありがとうございます。タロウ様のおかげで勇気が湧いて来ました。やっぱりタロウ様は、ラウクン王子の側近にふさわしい。」


「いや…、だからそれとこれとは話が別っていうか…」



「パタパタパタ…」


ちょうどそこに、休憩時間になったミウが走ってやって来た。


「お待たせ!タロウ!」


すると、その姿を見たイサーチェが、


「これ!ミウ!お城の中を走るなとあれほど言っているでしょ!」


「あ!はい!すいません…お姉さま。」


「どんなに急いでいても、それを見せないのが『お手伝い』としてのマナーです。

どこで殿方が見てるかわりませんよ。ふだんの振る舞いもキチンとしなければ、いいお嫁さんになれませんよ、わかりましたね。」


イサーチェが言っても、あまり説得力が無かった…


「はい。お姉さま。今後は気を付けます。」


ミウは深々と頭を下げた。


「こら、ミウ。挨拶はこうでしょ。」


するとイサーチェは、スカートの裾をチョンとつまみ、片足を下げながら

、少しだけ頭を下げた。


「し、失礼しました。」


ミウもイサーチェと同じポーズでお辞儀をした。


「はい、よろしい。以後、気を付けるように。

それではタロウ様、ごゆっくりして行って下さいませ。」


イサーチェは、僕に一礼し、その場を去った。



イサーチェが居なくなると、僕とミウは見つめ合い…


「プッ、クックック…」

「アハハハハハハハ…」


「あ~、ビックリした。お姉さまが、タロウと一緒に居るなんて…」


「僕もミウが怒られている所なんて、初めて見たからビックリしたよ。

やっぱりイサーチェって厳しいんだね。」


「ん、躾には厳しいかな。でも、誉めてくれる事もあるし優しい時もあるから、いい人だと思うよ。」


「へ~、そうなんだ。やっぱりいい人なんだ。

でもなんで結婚出来ないんだろ?」


「あ、そうか。タロウは知らなかったんだっけ?」


「ん?何か事情があるの?」


すると、ミウが顔を近付け小声で話し始めた。


「実はね、お姉さまはラウクン王子の事が『好き』らしいの。」


「え!?イサーチェが、ラウクン王子を!?」


僕は思わず声に出してしまった。


「し~!声が大きいって!みんなにはもうバレているんだけど、一応知らないフリをしようって決めてあるんだから。」


「へ~…イサーチェが、ラウクン王子をね~」


と、この時、僕は思った。


「あ~、そういう事か。ラウクン王子に年の近い僕が、年上の女性をどう思うか聞いてたんだ。」


「やっぱり噂は噂だったんだ… 」


「え?噂?」


「い、いや…こっちの話…で?ラウクン王子は、イサーチェの気持ちを知ってるの?」


「それがね、お姉さまは、ラウクン王子が子供の頃から一緒にいるせいか、ラウクン王子より一回り年が上って事を、物凄く気にして、何も言ってないらしいのよ。

私もなんとかしてあげたいけど、普段はあんな感じだし、ラウクン王子を狙ってる娘もたくさんいるからね。こればっかりは本人次第というか…」


「ふ~ん、そうなんだ。でも、気持ちだけでも伝えて欲しいよね。何か手伝えればいいんだけど…」


「な~に?やけにお姉さまを応援するじゃない。何かあったの~?」


ミウがニヤニヤしながら、僕を見てきた。


「な、何にもないよ…ミウがいつもお世話になってるから…それだけだよ。」


と言いつつ、頭の中では、先程の濡れたシャツの光景が浮かんでいた。


「ふ~ん。じゃあ、そういう事にしていてあげる。タロウの事、信じているから。」


ミウは真っ直ぐ僕の目を見ながら言った。


その真っ直ぐな目を見たとき、ハッとここに来た本当の理由を思い出した。


「あ、あのさミウ…大切な話があるんだけど…」


その言葉を聞いた時、ミウの表情が一瞬曇った。


「じ、実は…」


「タロウ、私、明日仕事が休みなんだ。行きたい所があるんだけど一緒に行ってくれない?」


ミウは僕の言葉を遮り、デートに誘って来た。

僕は、『帰る』ことは今、言わなくても明日デートが終わってからでもいいかと思い。


「うん、いいよ。どこに行くの?」


「ひ・み・つ・」


ミウは、ウインクをしながら答えた。


「そろそろ休憩時間が終わるから、仕事に戻るね。」


「うん、仕事、頑張って。」


「うん。今日は会いに来てくれてありがとう。また明日ね。」


「うん、また明日。」


ミウは席を立ち、仕事に戻って行った。

いつもなら「パタパタパタ…」と小気味の良いリズムで走って行くのだが、今日は静かに歩いて行った。

イサーチェに怒られたせいなのであろうか、それとも…


僕はただ、後ろ姿を見送ることしか出来なかった…










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