いんがおうほうとは何だ?
「あ、今朝洗った袴とチュニックだ」
ベッドの下に隠してあった鞄を引っ張り出そうとベッドに手をつくと、ベッドの上に置いてあった袴とチュニックが目に入る。洗ったことをすっかり忘れていたが、一体誰が干してくれんだろう。皺になっていないから、誰かが皺を伸ばした状態で干してくれたことがわかる。
「それは、先ほど怒っていた男が干したものだ。我が頼んだのだが……余計な世話だったか?」
「マクシモスが……。ううん、そんなことないよ。助かった。ありがとう、カムイ」
カムイにお礼を言ってベッドの下に隠してあった鞄を取りだし、鞄とチュニックを持つと何とか椅子に座る。ハンナが持って来てくれたハサミを持ち、鞄を見ながらどんな感じにしようかと考える。
鞄の側面の幅は二十センチと大きめで、鞄自体も横幅五十センチ、縦幅三十五センチとかなりの大きさの鞄だった。開口部には中身が見えないようにさらに布を縫い付けてあり、口は巾着のように紐で絞ることができる、自ら作った鞄だった。
肩に掛けられる持ち手の部分は、肩に負担がかからないように六センチの太さにしてあるし、長さもかなりあるため半分に切っても何の問題もないのだ。
「んー……これを外して、ここをこうして、っと」
ハサミで縫い目部分の糸を丁寧に切って持ち手を外すと、切った部分を丁寧に縫い直す。ミシンなどという文明の利器なんてないから、ほつれないように何度も縫った。
それが終わったら今度は持ち手を半分に切り、切った部分の布がほつれないように縫うと、取り付ける場所を確認しながら持ち手を取り付ける。ハンナにもらった端切れを加工して持ち手の縫い目を隠せば、リュックの完成である。
「ほう、器用だな」
「間に合わせだけどね。片方の肩にかけるよりも、両肩にかけたほうが肩や腰に負担がかからないし、何かあった時に両手が使えるから」
「なるほど、よく考えられているのだな」
「ただ、丁寧に何重にも縫ったとは言えハンナにもらった糸がちょっと細いから、重たいものを背負った時に切れないか、それだけが心配なの」
とりあえず実験してみようとベッドの下に隠してあったTシャツや袴、ベッドの上にあった袴を全部鞄に入れてみる。余分なものがなくなったぶん、食料が入るスペースができたのは有難い。
パン自体は十個ほどあるが、サイズはロールパンほどのサイズだからそれほど重いわけではないし、果物もラポームが五個、カカウエテが拳大の袋に入ったものが五個、干しラクスが三十個ほどだから、ラポーム以外はそれほど重くないと思う。
因みに、果物達は、ラポームはリンゴ、カカウエテはピーナッツ、ラクスは葡萄だ。但し、ラクス一粒のサイズはプルーンなみである。
それはともかく、糸の具合や重さを確かめようと、果物類も袋に入れようとしたところでドアがノックされた。慌てて鞄をベッドの下に隠し、椅子に座ってハサミとチュニックを広げたところでもう一度ドアがノックされた。
「セレシェイラ、まだ起きていらっしゃいますか?」と言うラーディの声がしたので、「起きてるよー」と返事をするとラーディとジェイド、マクシモスが入って来た。三人の顔は何処か険しい。何かあったのかな?
「なに? どうしたの?」
「マクシモスが王都で聞いて来たんですが……」
「王妃のフーリッシュが死んだそうだ」
ほう、あの王妃はフーリッシュというのか。だが、その名前に聞き覚えがなかったから「フーリッシュって誰?」と聞くと、三人に驚かれた。
むむ。この三人の反応から察するに、どうやら『リーチェ』の辛い記憶の部分の名前らしい。そう言えば彼らにその辺のことを話してなかったから、彼らに話した。
「あー……ごめん。どうやら神殿関係だけじゃなく、『リーチェ』にとって辛かった記憶も、寝てる間に消えちゃってるみたいでさー」
はははと乾いた声で笑うと、彼らは心配そうな顔をしたので「大丈夫だから話を続けて」と言って、先を促した。
「城下の人々の話によれば、『巫女でもある王妃がこの国の現状を愁い、豊穣を祈願して自らその命と巫女の力を女神に捧げた』と、王から発表があったとの話だった。おかげで城下は『これから豊かになる』『以前のように戻る』とお祭り騒ぎで、今までなら買ってくれそうになかった傷薬や解毒薬を惜し気もなくこちらの言い値で買ってくれたし、旅に必要なものもかなり安く買うことができたのは嬉しい誤算だった。余ったお金で幌馬車も買い求めた。それも、かなり安く」
「あら。それはよかったわね、マクシモス様。じゃなくて! 何か滅茶苦茶胡散臭い話なんだけど、それ」
「でしょう? 生け贄として召喚された二人はシェイラ様によって戻されましたし、王妃が死ぬ意味がわかりません」
ジェイドにそう言われて、その辺のことは覚えているから少しばつが悪くなり、頬を人差し指で掻いた。
「あー……多分それ、私のせいだわ」
「は?」
「実は、あいつらに追っかけ回されるのもあの二人の代わりに殺されるのも嫌だったから、あいつらの記憶を消すよう、フローレン様にお願いしちゃったんだよね……」
視線を逸らしつつもそう言うと、三人は唖然とした顔をした。
「王妃が『リーチェ』に何をしたか覚えてないけど、王妃に巫女の力がなかったことは何となくだけど覚えてる。多分だけど、私とジェイド様があそこを出たあとでフローレン様が彼らの記憶を消し、『召喚が失敗した』って認識にしたんじゃないかな。でも、王たちはどんな理由かわからないけど、どうしても巫女の力を有する生け贄が最低でも一人は必要だった。或いは、巫女の力は無くてもいいから、男女一組の人員が必要だった。そして、王妃の周辺で王妃に巫女の力がないことを知ってるのは王妃本人のみよね? あとは、神官や王の話から王妃の代わりに力を使った者がいるみたいだから、その人かしら。でも、それ以外は王妃が力を使えないなんて知らないじゃない? だから、誰かが王妃を指して『巫女の力を使える者がここにいるじゃん』的な発言をしたら……」
黙って私の話しを聞いていた三人は、ハッとした顔をしてから頷いた。
「……なるほど。その可能性はあるな。王や王妃がリーチェ様以上の力を有している、と公言しているのは事実だ。実際は巫女の力などないことを俺たちは知っているが、それを知らない者にとっては、身近にいる巫女で力がある者は王妃だけだ」
「そうですね。今の神官長に代わってからは未だに最高位の巫女は見つかっておりませんし、巫女見習いが巫女になったという話も聞いておりません。この国にいた中級以下の巫女も、大半が他の神殿に修行に行ったり辞めたりしていますし、上級巫女に至っては一人もおりませんでしたし。実質、神殿には巫女見習いしかいなかったはずです」
「あらー。正にダメダメな状態なのね。話を聞く限りだけど、私に言わせれば、神殿の状況や王妃の死は因果応報だけどね」
チュニックの縫い目をほどき、袖とみごろに分けならがら彼らの話を聞いていた私は、ぼそりとそう呟いた。
「いんがおうほうとは何だ? シェイラ様」
私の呟きを聞いたマクシモスは不思議そうに聞いてきた。手を止めて周りを見ると、カムイやラーディ、ジェイドも不思議そうな顔をしている。
「私がいた国の宗教の思想というか、言葉なの。そうだなあ……悪いことをすれば悪いことが、良いことをすれば良いことが自分に跳ね返ってくる、って意味よ。ラーディはさっき、体験したばかりでしょ?」
冗談ぽくそう言うと、ラーディは「なるほど」と苦笑した。
「あれは因果応報とはちょっと違うけど、似たようなものよ。小さなことなら小さくて済む。でも、場合によっては自分に害はなくても、家族や子孫、周りが迷惑を被るってわけ」
「言い得て妙、ってやつだな」
「あら、よく知ってるわね、マクシモス。……って、ごめん」
つい話の流れでマクシモスを呼び捨てにしてしまったが、マクシモスは珍しく無表情を崩し、笑顔になる。珍しいもんを見たなー。ギャップが激しいぶん、破壊力は抜群だ。
「そのほうがいい」
「そうだな」
「何が?」
視線を落として袖の一枚を中表にし、長方形になるように裁断しているところで、マクシモスとジェイドがそんなことを言った。
「名前」
「ああ。呼び捨てのほうがしっくりくる」
「どうして?」
「シェイラ様の……いや、シェイラの言動と、落ち着き加減、かな」
裁断した部分をチクチクと縫いながら、思わず苦笑してしまう。
「そりゃあ、私は『リーチェ』と違って二十六だから、それなりに人生経験あるしね」
年齢を言うと、三人が驚いた顔をした。しかも、カムイまであんぐりと口を開けている。本当に人間臭いね、カムイ。
「年くっててすいませんね」
「そんなことを言っているわけでは……」
「じゃあ何なのよ」
どう言っていいのかわからないのか、マクシモスは無表情に戻ってしまい、ラーディやジェイドはしきりに首を捻りながら唸っている。
あれか。小説とかによくある、異世界に行った日本人が若く見られるってやつか?
「……まあ、いいわ。よし、完成!」
「器用ですね」
「そんなことないでしょ? 布のはじっこを縫っただけよ?」
紐を通すための部分を縫い終え、ひっくり返して完成。袖の部分の布だからそれほど大きな巾着袋ではないが、小さな粒の傷薬や解毒薬を入れるぶんにはちょうどいい。
「薬を入れたりするのに便利そうだな」
「薬だけじゃなく、いろいろ入れられるよ。あ、そうだ! これ、マクシモスにあげる!」
「もらう理由がない」
「洗濯した物を干してくれたお礼。ここに紐を二本通して、両側から紐を引っ張れば、口を閉じることができるから」
残った巾着を見せながら、縫ったばかりの巾着の紐の入口を指して説明したあとで、二枚目の作業に取りかかる。ラーディに「申し訳ありませんでした」と謝られたあと、「わかればいいから」とラーディの謝罪を受け入れたあとで、幌馬車に積む荷物の話や城下町の話を聞いているうちに二枚目ができたので、今度はそれをジェイドに渡す。
「今朝のお詫びとお礼」
「……ありがとうございます」
お礼を言ったジェイドはなぜか嬉しそうで。何が嬉しそうなのかよくわからないながらも、とりあえず話をそこで切り上げて三日間籠ることに念を押すと、三人は「わかりました」と言って部屋を出て行った。
残り二枚の袖を巾着にすると一目でわかるように表面に刺繍もどきをし、それぞれに傷薬と解毒薬を入れて巾着の口を折り畳んだ。
ベッドの下から鞄を取りだし、パンを二個とラポームを一個テーブルにそのまま置き、残りの果物は元々あった巾着にしまい、みごろ部分の布もリュックにしまうとそれを背負ってみる。そのまま少しだけ身体を動かしてみたが、リュックは大丈夫そうだった。
「これならしばらくは大丈夫かな」
「確かに、背負う形なら便利そうで動きやすそうだ」
「でしょ? あ、そう言えば、カムイは何を食べるの?」
「我は基本的に食べ物はとらぬ。綺麗な水さえあればよい」
「そうなの? じゃあ、傷薬なんかが売れてお金ができるまで、村や川を見つけたら休憩がてら水分補給だね。お金ができたら、水を入れる革袋を買おうか」
「たのむ」
今度は木刀をベッドの下から取り出してハンナからもらった布にあて、適当な大きさに切る。それを縫い合わせて細長い袋状の入れ物にし、その中に木刀を入れた。次に細長く切った布を紐代わりにして縫い、袋の入口の片方に縫いつける。紐が上になるように畳み、中身を固定するように二重に巻いて紐を結ぶと簡易の木刀入れの出来上がり。
それをリュックに入れて背負いどんな具合か確かめると、多少飛び出るものの動くぶんには問題なかった。落ち着いたら布や太い糸、裁縫道具を買い、木刀も入るリュックを作ろうと決めた。そしてリュックを下ろしてベッドに隠すとブーツを脱ぎ、着ている服はそのままでベッドに横になる。
「カムイ。私はもう寝るけど、明日の夜になっても起きなかったら起こしてくれる?」
「ああ」
「ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
本当はお風呂に入りたかったが今朝入ったし、身体の疲れがそれを許してくれない。どのみち、旅をするようになればお風呂には入れないのだ。少しだけ開け放してある窓から、涼しげな風が入って来る。
そんな心地よさと身体の疲れも手伝って、私はいつの間にか寝てしまった。
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