なんちゅう非常識な毛なのよ

 黒い塊の背に揺られながら、私は足の傷を癒す。と言っても、今は『封印の指輪』をしている上に薬草もないから、せいぜい血を止めることしかできないのだが。そんなことをしているうちに屋敷に着き、ジェイドの案内でお風呂場に近い場所に連れて行かれると、皆に寄って集って怒られた。


「貴女という人は! 裸足で飛び出すなど!」

「しかも、全身真っ黒じゃないか!」

「あー、煩い。で、ブラシと石鹸は?」

「そこにあります」

「ありがと。さて、王様の躰を先に綺麗にしないとね。あ、そうだ! ハンナ、針と糸、あと、いらない大きめの布があったら私の部屋に置いといてほしいんだけど、ある?」

「ございますが、何をなさるんですか?」

「鞄をちょっと加工しようと思って。あと、悪いんだけど、これを私の部屋のテーブルの上に置いといてくれる?」


 腕にかけていた手拭いをハンナに渡すと、「畏まりました」と言って持って行ってくれた。服は濡れてもいいが、せっかく作った貴重な解毒薬を濡らすわけにはいかない。


「さて。まず、顔から綺麗にしようか。あ、角は触っても平気?」

《大丈夫だ》

「ブラシよりも、タオルとかのほうが傷つかないよね?」


 しまった。ハンナにタオルか柔らかい布をもらえばよかった。そう思っていると、ジェイドがスッ、とタオルを差し出した。


「お使いください」

「え? でも、それはジェイド様のタオルでしょ? 汚れちゃうよ?」

「皆のものですから、大丈夫ですよ」

「じゃあ、遠慮なく。そう言えば、ご飯まだだったよね? 先に食べてきて? 皆も」

「セレシェイラ様はどうされるんですか?」

「私? まだあまりお腹減ってないし、この子を先に洗いたいから」

「ですが……」


 躊躇う皆に苦笑する。本当はお腹が空いてないわけではない。だが、この黒い塊をここに残し、自分だけご飯を食べるわけにはいかない。

 それに。


「薬草と毒草はどうするの? 早く処理しないと、上質な傷薬と解毒薬はできないわよ? 上質な物を売りたいんでしょ?」

「セレシェイラ様……」


 ラーディが何かいいかけた途端、グーキュルルルル、という音が響き渡った。


「……ごめん」

「キアロかっ!」

「あはははは! ほら、待ちきれない人もいるみたいだし!」


 笑いながら皆を追い出すと、お風呂場に繋がっている扉を開け、木でできたバケツにお湯を汲んでタオルを浸すと黒い塊に座るようにお願いした。


「ごめん、角に届かないから」

《構わん》

「じゃあ、洗うよ?」


 タオルを少し絞ってから角を優しくこすり始める。ゆっくりと丁寧に洗ううちに、角の色が見えて来た。

 その角は一見すると白いが、光に当たると虹色に光る。それにしばし見惚れ、慌ててまた角を洗う。

 角自体は真っ直ぐな円錐形で、ドリルみたいな溝があった。まるで、ユニコーンの角みたいだ。


「綺麗な角だね。……よし、角は終わり! 今度は顔を洗うよ? 目とかに入らないよう気をつけるけど、石鹸を使うからずっと目を瞑っててほしいんだけど……できる?」

《ああ》

「じゃあ、私がそう言ったら目を瞑ってね。先にお湯を取り替えて来る」


 バケツを持ってお風呂場に行って真っ黒になったお湯を捨てると、また新しいお湯をバケツで掬い、黒い塊の側に戻る。石鹸をタオルで擦って泡立ててから目を瞑るように言うと、黒い塊の顔に声をかけた。


「最初にお湯をかけるね」

《ああ》

「じゃあ、行くよー」


 一声かけてからお湯をかけると汚れはあっけなく落ち、汚れの下からは青みがかった銀色の毛並みが出て来た。顔付きも犬に見えるが、犬とは何となく違う。


「うわ……なんちゅう非常識な毛なのよ。このタオルをどうしてくれる。でも……綺麗な色だね」

《そうなのか? 我にはわからぬ》

「それに、顔付き。犬にも見えるけど、どっちかって言えば、狼に見えるよ」

《オオカミ?》

「私がいた国では、絶滅したと言われてる動物だよ。他の国にはまだいるみたいだけどね。それにしても……何回もお湯を運ぶの、面倒だなあ」

《私がいた、国……?》


 狼(仮)の呟きを聞くとはなしに流す。そもそも、顔を綺麗にするだけで三往復したのだ。躰もとなると、あと何回繰り返せばいいのか見当もつかない。

 ふと、お風呂場に繋がっている扉を見て、それから狼(仮)を見る。充分通れそうだ。だったら、やることは一つ。


「いっそのこと中に入っちゃおう! おいで」

《だが、中が汚れるのではないのか?》

「そんなの、私が掃除すればいいだけよ。あんたはそんなこと気にしなくていいの! いいから、おいで」


 そう言って狼(仮)をお風呂場に入れる。バケツを使って躰にお湯をかけ続けると、あっという間に綺麗になった。


「おお、本当に非常識な毛並みだよ……。うん、綺麗になったね。さて、ここを掃除しなきゃねー。そのあとで私も綺麗にしないと、また皆に怒られる。あんたはどうする? って、きゃあっ! 何すんの! 濡れたじゃない!」


 掃除しようと大きなお風呂場の栓を抜くと、狼(仮)が躰についた水滴を取るためなのか大きな躰を震わせた。その水滴が私の方ほうに飛んできて服や髪を濡らした。


《水滴を取るためなのだから、仕方あるまい?》

「仕方ないじゃないっての! 全く……!」

《はははっ!》

「笑いごとじゃないっ!」


 ずぶ濡れの私を笑う狼(仮)を怒りつつも、お風呂場を掃除し、栓をしてもう一度水を入れた。だが、水を触ると温かい。


「あら、温かい。お湯だよ、これ。服も洗いたいし、身体も洗いたいけど……どうしよう」


 このまま部屋に戻って着替えを取ってきたい。だが、ずぶ濡れのままでは逆に屋敷を汚してしまいそうだし、そろそろお腹が空いてきたからご飯も食べたい。

 どうすっかなーと考えていると、ジェイドとラーディ、ハンナがやって来た。ハンナの腕には服がかかっている。


「セレシェイラ様、着替えをお持ちしました」

「ワオ! ハンナ、ありがとう! グッドタイミング!」

「その、ぐっどたいみんぐというのはわかりませんけれど、セレシェイラ様が喜んで下さっているのはわかりました。こちらに置いておきますので、着てください」


 ハンナは屋敷に通じている扉の側にあった籠に服を畳んでから置いてくれた。その様子を見ていた狼(仮)が、私の側に寄ってくる。

 その姿を見たジェイド達は、目を大きく見開き


「……フェンリルが何でこんなところに?!」


 そう、呆然と呟いた。


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