黒い塊
《ヒトが来るよー》
《騎士様が来るよー》
《巫女様危ないよー》
そう言って、慌てたように雀たちが飛び立ってしまった。
「え? 騎士様?」
私が起きた時、誰も起きてなかったはずだ。だったら侵入者かと思ったけど肝心な刀はベッドの下だし、せめて木刀だけでも持ってくるんだったと今更後悔しても遅い。
どうすっかなー、素手でなんとかするかーと恐る恐る振り向くと、ジェイランディアがゆっくりと近づいて来るところだった。それにびっくりしながらも内心安堵し、気まずく思いながらもナイフを薬草の籠の中にしまうと立ち上がる。
「おはようございます、ジェイランディア様」
「……おはようございます、シェイラ様。こんなに朝早く何を?」
「早く目が覚めちゃったから屋敷の周りを見てたんです。そしたら薬草を見つけたので、ちょっと薬草摘みを」
持っていた籠を二つともジェイランディアに見せると、ジェイランディアはそれを覗き込んで薬草の籠には頷き、もう一つの籠には不思議そうな顔をして毒草を指指した。
「これは?」
「毒草です。尤も、毒は既に抜けてますが」
「毒草?! 何に使うんですか!」
ありゃ? 何で怒られなきゃならん。そこでそう言えば、毒草の扱いができるのは中級以上の巫女だったことを思い出す。
「毒草から毒を抜き、抜いたあとの毒草を使って薬を作ると、解毒薬ができるんです。毒草自体あまりないから、すごく貴重な薬ですよ?」
「そうなのか?! 知らなかった。解毒薬はそうやって作っていたのか……」
「中級以上の巫女しか扱えないから、習っていなければ知らなくて当然なんですけどね」
苦笑しながらそう話すと、ジェイランディアも苦笑しながら「そうか」と言った。
「そう言えば靴はどうしました? 昨日は履いておられましたよね?」
「ああ。実は、昨日寝る前に荷物の整理をしていたんですが、突然消えてしまって」
「消えた?」
「ええ。フローレン様が『この世界にないものは処分しました』と言って、持っていきました。着替えを全て持っていかれたらどうしようかと思ってたんだけど……」
「……それだ!」
ん? それって何さ。ジェイランディアはしばらく私の話を聞いていたのだが、何かを考え込むように首を傾げていたのだが、何かを思い出したように急に叫んだ。
「何がですか?」
「違和感の正体」
「はい?」
「なぜ、そのように他人行儀な話し方をするのですか? なぜ、昨日のような話し方ではないのですか!」
ガシッと私の肩を掴むと、私の顔を覗き込むように、その顔を近付けるジェイランディア。
(ち、近い近い、近いって! 失恋したばかりの身に、それはかなりヤバいって!)
内心ではそう思うものの、ジェイランディアはお構い無しと謂わんばかりに顔を近付ける。
「昨日のような話し方を……!」
辛そうな顔をするジェイランディアに首を傾げる。昨日はある程度冷静になれていたとは言え、やっぱり混乱している部分もあった。
そして、素の自分を出せば『リーチェ』を可愛がっていた彼らが、私を突き放すのではないかという打算もあった。それに、ジェイランディアは『リーチェ』が好きだったのであって私を好きなわけじゃないし、もうマキアという恋人がいる。
私はもう『リーチェ』じゃないんだよ。ジェイランディアの知ってる『リーチェ』じゃないから、もう他人だよ。
そう言えれば良かったのだろうが、結局口から出て来た言葉は気持ちとは裏腹なものだった。
「……『リーチェ』と全然違うけど、こんな話し方でいいの? 私、結構言葉遣い汚いわよ?」
結構どころか滅茶苦茶汚いですが。そんなことを考えていたらジェイランディアの顔が一瞬驚いたあとで「昨日でよくわかりましたから」と言って、本当に嬉しそうに笑った。
グハッ。……相変わらず笑顔は破壊力抜群。
間近でジェイランディアのそんな顔が見れたのは嬉しい。たが、昨日のことを忘れちゃいけない。痛む胸を圧し殺し、籠を少し持ち上げると「済まない」と言って肩から手を離してくれた。
「薬草摘み、もう少しやりたいから」
続きをやろうと思って座ろうとすると、ジェイランディアが薬草が入っていた籠を取り上げた。
「ジェイランディア様?」
「薬草は私が摘みますから、シェイラ様は毒草を摘んでくれませんか? 私は毒草がどれなのかわかりませんので」
「わかった」
「それと……昔のように呼んでください。貴女だけが呼んでいた、あの名前を」
「……呼んでもいいの?」
「もちろん」
『リーチェ』が小さいころ、ジェイランディアと呼べなくて『リーチェ』だけが呼んでいた彼の名前がある。ジェイランディアはそれを呼んでいいと言ってくれているのだ。私にとって、それがどんなに嬉しいことか彼は知らない。でも、忘れちゃダメよ、勘違いしちゃダメよ、と心の中で呟く。
「わかったわ、ジェイド様。じゃあ、薬草摘みヨロシク!」
「シェイラ様は毒草をお願いします」
「はーい」
そうして手分けして摘み始めてすぐにラーディたちがやってきて、私やジェイドを見ると呆れた顔をされた。
「呼んでも出て来ないと思ったら、こんなところにいたんですか」
「ごめん、ラーディ様。薬草と毒草を見つけたから、夢中になっちゃった」
「え?! 毒草もあるんですか?!」
「あるよ」
「なら、解毒薬が作れますね」
「……ラーディ様ならそう言うと思った」
そんなことを話しながら、手分けして薬草と毒草を摘んで行く。毒草がわかるのが私とラーディしかいなかったので二人で摘み、他の人たちは薬草を摘んでいった。ハンナが途中で「食事の支度をしてきます」と抜け出し、それができたと呼びに来た時、近くの森で「ギャン!」という獣の叫び声がした。
「え、何? 今の」
《巫女様ー! 怪我した!》
《孤独な王様怪我した!》
《王様、助けて!》
という雀たちや、雀に混じって別の声も聞こえた。
「王様って何?」
「は? 王様?」
「動物たちが、『孤独な王様が怪我した』って言ってる」
「その『孤独な王様』と言うのはわかりませんが、もしかしたら何かしらの動物が狩人の罠にかかったのかも知れません」
「え?! 大変! 助けなきゃ! 雀さんたち、場所はどこ?!」
《こっちー!》
「わかった! ラーディ様、ちょっと行ってくる!」
薬草の籠の中に手を突っ込んで少し掴むと、雀たちが飛んでいったほうへと駆け出した。
「シェイラ様?!」
「大丈夫だから!」
「靴は!」
「そんな暇ないでしょ?! あとヨロシク!」
ジェイドの言葉を無視して走る。裸足では確かに足の裏は痛いが、そんなことを言ってる場合ではない。
「ハンナ、シェイラ様の靴や服を用意してやってくれ! シェイラ様、お一人では危ない! 私も行きます!」
「勝手にすれば!」
背後から聞こえるジェイドの声にそう返事を返すと、ひたすら雀のあとを追った。少し走ると奥のほうで黒い塊がもがいていた。
《痛い! 取れぬ! あの子の気配が近くにあると言うのに……!》
《王様ー、巫女様来たー!》
《巫女様こっちー!》
《巫女様……?》
「うわ……。何か……全部日本の動物園で見たことある動物ばっか……」
黒い塊の近くには案内をしてくれた雀をはじめ、木の上には鳩だのリスだの、遠くには狐だのウサギだのがいた。しかもトナカイに似た大型の鹿だとか、なぜか熊までがいる。おいおい、野生の王国か、ここは。
そう思いながら黒い塊の側にゆっくりと近付くと、後ろ脚が罠――噛み合わせの部分がギザギザになっている、いわゆるトラバサミに挟まっていた。
「グルルル……」
「何もしないよ。それを外して、怪我を治すだけだから。だから、暴れないで。ね?」
低く唸る黒い塊に優しく声をかけて近付く。よく見るとその黒い塊は毛がかなり汚れており、元の毛の色がわからない。
顔も見事に真っ黒で、その額からは角が一本生えていた。その角も汚れている。
「あんた、見事に真っ黒に汚れてるわねー。何をどうやったらそうなるの? つーかこれ、どうやって外すの?」
「俺が外します」
「グルルル……」
「大丈夫。ジェイド様は私の味方だから。ちょっと身体を触らせてね? ジェイド様、私が押さえているから、罠を外してあげて」
「わかりました」
大丈夫だよと声をかけながら、横たわっている黒い塊に抱きつく。服や手が汚れようが構わない。あとで洗えばいいからとその躰をそっと撫でてあげると、黒い塊は硬くしていた身体から力を抜き、私に撫でられるがままになっている。
その隙にジェイドが罠を外し、他の動物が罠にかからないようにギザギザの部分を閉じたまま別の場所に置いた。
「ジェイド様、これ持ってて」
それを見ていた私は、左の小指から指輪を外してジェイドに預けると、持っていた薬草を傷ついた場所に宛て、手のひらをその上からそっと乗せる。
《本当に巫女……?》
「え? 何か言った? 悪いけど話はあと。ちょっと待ってね」
【
そう心の中で唱えると、私の手がポウッと光り始める。薬草の効能を傷に移しながら、怪我した部分を治療していく。本当なら最高位の巫女の力を使って一瞬で治してあげたいところだけど、解毒薬と違って巫女の力をかなり使うし、近くには神殿があるからバレたくないというのもあって使えない。せっかく奴らの記憶を消してもらったのに見つかっては元も子もないので、癒すのに時間はかかるが上級の癒しのほうを使った。
《女神の気配がする……。まさか、リーチェ……?》
「んー、当たりだけど、ハズレ。よし、終わり! どう? まだ痛いとこある?」
そんなことを言いながら、枯れた薬草をどかして黒い塊の傷口を見る。見た限りでは大丈夫そうだったが、油断はできない。
《いや、大丈夫だ》
《王様元気になったー!》
《王様治ったー!》
「良かった! ジェイド様、指輪ありがとう」
黒い塊の言葉に安堵し、ジェイドから指輪を返してもらうと、それを小指に嵌めて立ち上がる。
「今度は罠にかからないようにね? 君たちもだよ?」
《わかったー!》
《王様さよならー!》
《王様の巫女様見付かったー!》
黒い塊を気にしつつも動物たちが森の奥へと消えて行く。動物たちの言ってることはよくわからないが、跳び跳ねたり、脚を動かしたりしている黒い塊の様子を見て安心したのだろう。私もそれに安堵し、ジェイドと一緒に屋敷へ戻ることにした。
「じゃあね」
《我も行く》
「は?」
《我も行く、と言った》
「シェイラ様?」
「この子も一緒に行くって言ってるんだけど……」
戸惑いながら私の側に来た黒い塊を見て驚いた。……デカイのだ。
体高は、身長が百六十五ある私の胸の辺りだから、アイリッシュ・ウルフハウンドという地球の犬よりもデカイ。
「でかっ。正に『王様』だね……。ほっとくわけには行かないし……いいよ、おいで」
「シェイラ様?!」
「文句は聞かないよ、ジェイド様。それと、先に戻ってお風呂の用意か、この子を洗える場所を確保してくれないかな? ついでに、石鹸やブラシも」
「ですが!」
「文句は聞かないと言ったでしょ? さっさと行け!」
屋敷があるだろう方向を指差すと、ジェイドはしぶしぶ頷いて屋敷のほうへと走って行った。行こうか、と黒い塊に声をかけて一歩踏み出した途端、足の裏に何かが刺さった。
足の裏を見ると小さな枯れ枝が刺さっており、両足全体も小さな切り傷がたくさんできていた。
「痛っ」
《どうした?》
「あー。夢中で走って来たからすっかり忘れてたけど、私ってば裸足だったんだよね……。しゃあない。この場で傷を癒してから屋敷に戻るか」
ぶつぶつ言いながら枝を抜き、傷を癒そうとしたら黒い塊がいきなり躰を伏せた。
「何? どうしたの?」
《我の背に乗れ》
「いやいや、流石にそれは……」
《構わん、乗れ。乗らぬなら、咥わえて行くぞ》
「……それだけは勘弁して」
こんなデカイのに咥わえられて行ったら、ラーディやジェイドたちに何を言われるかわからないので、仕方なくその背に跨がると黒い塊はのそっと立ち上がり、ジェイドのあとを追うように歩き始めた。
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