『滅びの繭』は罪の証だって言ったでしょ?

「……リーチェ、様?」


 私を見つめたまま、小さな声で呆然と呟いたジェイランディアとマキアは、私がもう一度「どうなの?」と聞くとハッとした顔をした。マキアはそろそろと後ろに下がり、ジェイランディアは部屋中を見てから口を開いた。


「……黒い毛の生えたような丸いもの……繭という感じでしょうか。それが浮かび、漂っています」

「そんなはずはない! 我ら神官に見えぬものが、なぜ神官でもない騎士に見えるのだ!」

「それはね、彼らはある意味、フローレン様に認められた者だからよ。だから彼らには見えるのよ。それにしても……神官の質も落ちてるなあ。ありえなーい!」

「なんだと?!」

「だってさー、フローレン様に仕えてる神官が『滅びの繭』が見えないだなんて、質が落ちてるか、もしくはフローレン様に仕えてない、祈ってないって証拠でしょ?」


 神官たちに冷ややかな目を向けてそう言うと、神官たちの大半は青ざめてスッと目を逸らした。その中には神官長も入っている。

 なるほど、欲に目が眩んだクチかとさらに冷ややかな目を向けると、逸らさなかった一部の者は怒りをあらわにし、私を睨み付ける。

 こっちは元々努力が足りないか素質がないまま勝手に神官になったクチかと内心呆れていると、その神官たちは怒りを私にぶつけた。


「我らを愚弄するのか?!」

「あら、本当のことじゃない」

「ならば、証拠を見せよ! 『滅びの繭』がいるという証拠を!」

「見えないくせに、随分偉そうで高飛車ねー。そもそも、最高位の巫女の言葉を信じられない時点でアウトだわー。質が落ちんのは当然ね。そこの神官、もし本当に『滅びの繭』があったらどうすんの?」

「あるはずがないと言っている! もしあったならば、我らは女神フローレンの罰を受け入れる!」


 一人の神官の言葉に、渋々ながらも全員が頷く。あらー、熱血! でもね、君たち。上司である神官長を蔑ろにしちゃいかんだろ。神官長ってば、何も言えずにあたふたしてるじゃない。


「その言葉、忘れんじゃないわよ?」


 怒りをぶつけた神官を睨み付けたあとで目を瞑り、女神フローレンを思い浮かべる。答えることはないだろうと思いつつも、女神フローレンに問いかける。


 ねえ、フローレン様。

 罰は……滅びることが決まってるからいいけど、できれば、この場にいるこいつらから、私に関する記憶を消してほしい。でないと、こいつらに殺されるために追いかけられる羽目になるもの。

 そんな面倒なことは嫌だ。

 ついでに言えば、あの二人から……いや、あの世界から、私に関する記憶を消してほしい。この世界から帰れないのなら、私に関する記憶はいらない……周りを悲しませるだけだから。そう思った瞬間、頭の中に声が響いた。


『此度の礼にリーチェの願いを聞きましょう。力の封印は他の者でも可能ですが、巫女の力を消すことはできません。なぜならば、今使っている巫女の力は謂わばリーチェの記憶と、この世界が貴女に――クロキ サクラに与えたものだからなのです。例えわたくしと言えど、世界の理を覆すことなどできません』


 うおっ、びっくりした。答えてくれたよ。しかも、まだ願ってもいないのに、心の奥底を見抜かれちゃったよ。なんだ、消えないのかー、前世の記憶と世界の理だと? そんなチートな能力、もう巫女じゃないんだから要らないんだけどー、と思いながらも、結局は諦めて目を開ける。


「これを見て後悔すんなよ? すごいことになってるから」


 トン、と錫杖を床に打ち付けた瞬間、錫杖から光が溢れて部屋中を照らす。その光が収まると、服や頭にくっついていたり、部屋中を漂っていた真っ黒くろすけもどき――『滅びの繭』がその姿を現した。それを見た者たちは一様に驚き、悲鳴を上げた。


「だから言ったでしょーが。すごいことになってるって」

「ひっ!」

「うわあぁぁぁ!」

「な、なんだ、この黒いものは! ええい、と、取れぬ!」


 服や頭についている『滅びの繭』を手で払うもそれは動くことなく、手が『滅びの繭』をすり抜けて行く。


「取れないわよ? それ。だって『滅びの繭』だもの」

「リーチェ! 『滅びの繭』とは何だ!」


 王に『リーチェ』と呼ばれて眉を上げる。王の『リーチェ』という言葉に、周りにいた神官たちやフーリッシュも顔を上げて私を見た。

 恐らく王は、ジェイランディアの呟きを聞いていたのだろう。あんたに名前を呼ばれる謂れはないんだけどと思いつつも、相変わらず無知なのかと呆れた。


「相変わらず無知ねー。王家も神殿も、一体今まで何をやってたのかしら。まあいいわ、『リーチェが死んだあと』のことなんて知ったこっちゃないし。で、『滅びの繭』だけど、その名の通り滅びをもたらすものよ。謂わば罪の証、かしら。この『滅びの繭』が出るのは、フローレン様の託宣を無視したり蔑ろにしたり、儀式の場を穢したり、フローレン様に認められた巫女や神官を蔑ろにすると、どこからともなく現れて罪を犯した者にくっつくの。あとはフローレン様の逆鱗に触れた時ね」

「そんなこと、我は知らぬ!」

「あのさー。そんな言い訳、フローレン様に通用するわけないでしょ? 子供じゃないんだから、知らないなら親なり神官なりに聞けばよかったでしょ? それをしなかったのは、あんたの怠慢。それが第一の罪」


 そう言うと、王はびくり、と身体を震わせる。


「巫女見習いで、見習いのことも満足にできなかったくせに、自分の欲望のために大それたことをし、嘘をつき続けたフーリッシュ。それが第二の罪」

「ひっ!」

「女神フローレンの間を召喚に使い、この場を穢した神殿関係者と、それを許可した神官長。これが第三の罪」

「――っ!」


 王妃は顔を青ざめて小さな悲鳴を上げ、神官たちや神官長は声にならない声を発した。


「そして、一番の大罪――フローレン様の逆鱗に触れたのは、生まれながらにしてフローレン様の祝福を受けた、最高位の巫女を殺したことよ」


 冷ややかにそう伝えると、王はカタカタと震えながらも


「女神の祝福、だと? 神官長、何だ、それは」


 と神官長に問いかける。その問いに、神官長は本当に呆れた顔をして溜息をついたあと、口を開いた。


「陛下は本当に何もご存知ないのですな。前両陛下は何をしていたのやら……。女神は時々、ご自分の神気を纏うことを赦すに相応しい者を選ぶのです。それが女神の祝福です。ですので、女神の祝福を受けた者は必ず最高位の巫女となります。逆に言えば、最高位の巫女しか女神の神気を纏えません」

「そう。そして、最高位の巫女が少ないのも、それが理由なの。巫女見習いは修行によって己の才能を開花させる。それがフローレン様に認められた上級以下の巫女たちよ」

「巫女になった者は皆、初級巫女から始めます。修行をし、経験を積むことにより、階級を上げて行くのです。ですが、祝福を受けた巫女は違います。同じように修行と勉強をしますが、階級は最初から最高位なのです。リーチェ様、アストリッド様、レーテ様の三人は得意分野は違いましたが、それぞれの分野で歴代最高と言われておりました」

「そ、そんな!」


 ガタガタと震え、床にヘナヘナと座り込んだフーリッシュは、今や顔面蒼白だ。三人の巫女のことはともかく神官長や私が語ったのは、神殿に連れてこられたあと、一番最初に聞かされる話だ。フーリッシュはそれを全く聞いていなかったのだろう。


「基本中の基本よ、この話。王家の者と神殿にいる者なら誰もが知ってる話だわ。神殿に連れてこられた時、一番最初に聞かされる話なんだから」

「フーリ……そなた、まさか……」

「多分、寝てたかさぼったかなんかして、話を聞いてなかったんじゃない? でなきゃ、最高位の巫女を王太子の婚約者から引きずり下ろし、王や王太子に嘘をついて殺す、なんて大それたことなんてしないはずだもの。まあ、恋は盲目なんていうくらいだから、知ってたとしてもバカなフーリッシュは結局は同じことをしたかもねー。言っとくけど、それはあんたにも言えることよ、王太子殿下。あ、今は王か」


 愚王だけどと内心で付けたし、くすりと笑って出入口のほうへ歩き始めると、王が「リーチェ!」と声をかけて来た。


「どこへゆく!」

「あら、言ったじゃない。冒険者か旅人になって死ぬまで世界を歩き回りたい、って」

「行くのは構わん! だが、この黒いのを消してからにしろ!」


 その命令口調に少しだけキレる。足を止めて王を睨み付けると、錫杖を消した。もう、錫杖は必要ない。


「今の私はこの国の人間でもないのに、何であんたに命令されなきゃなんないわけ? しかも、知ろうとすらしなかったガキに。それに、『滅びの繭』は消すことはできないわ」

「なぜだ!」

「あんた、私の話を聞いてた? 『滅びの繭』は罪の証だって言ったでしょ? 罪を償わない限り、『滅びの繭』は消えないの」


 人の話を聞けよ! と内心突っ込みを入れる。『リーチェ』と婚約したばかりのころの王は、多少抜けてたものの側近が補えさえすれば次代の王として相応しい人物だったと聞いていたんだけどなー。

 実際は勉強を疎かにしまくった、甘ったれ坊っちゃんだったらしい。


「ならば、罪を償えば……!」

「自らが殺した人間に、どうやって罪を償うというの? 召喚もそうよ? 儀式の場を穢したんだから、今さらなかったことにはできないの」

「そ、それは……そうだ! そなたに……リーチェに許しを乞えば!」

「呆れた。あんた、バッカじゃないの?」

「リーチェ……?」


 よっぽど私の声が低く怒気を含んだ声だったのか、王や他の人たちの身体がびくりと揺れた。


「何を勘違いしてんのか知らないけど、私はリーチェじゃないわよ?」

「リー……チェ……?」

「確かに私は『リーチェ』の記憶を持ってる。でも、記憶はあっても、今は『リーチェ』という名前じゃない。『それに、何の咎もなかったわたくしを殺した人間を、簡単に赦すとお思いですか? 殿下』」


 リーチェの声を真似てそう言うと、王は無言でその場にヘナヘナと座り込んだ。


「だから言ったでしょ? 『後悔しても、時既に遅いですが』って」


 もう一度足を動かし、今度こそ出入口にたどり着くと、たった今思い出したかのように


「あ、そうだ! この場に王妃のフーリッシュがいるじゃない! まだ彼女の巫女の力を見てないじゃない。彼女はリーチェ以上の力を有してるんでしょ? だったらできるかも知れないわよ?」


 意地悪くそう言って扉を閉めると、中から絶叫とも悲鳴とも取れそうなフーリッシュの叫び声が聞こえたが、それを無視して神殿をスタスタと歩く。勝手知ったる神殿だ、出入口もわかる。

 スタスタと歩く私の後ろを、ジェイランディアが無言でついてくる。背中に感じる視線を無視しながら神殿の外に出ると、またもや見知った顔――いつの間にここへ来たのか、マキアとラーディが質素な馬車の側に立っていた。


「お久しぶりでございます、リーチェ様。お迎えに参りました」

「……久しぶり。よく私が『リーチェ』だって、わかったわね」

「ランディが側におりますし、お姿は変わっても、その身に纏ったフローレン様の神気は変わりませんから」

「ふうん、そうなんだ。それに、よく私が今日ここに『呼ばれる』とわかったわね」

「フローレン様の託宣があったと、アストリッド様が教えてくださったのです」

「アストったら余計なことを……。まあ、フローレン様の託宣ならしょうがないか」

「とりあえず、馬車にお乗りください。話は我らの屋敷に行ってからにいたしましょう」


 ラーディの言葉に一行は馬車に乗り込み、その場をあとにした。



 ***



「あああああああああっ!!」

「フーリ、何ということを……! いや、我も同罪か」


 王は自嘲気味に顔を歪める。生贄の召喚は成功した。だが、最高位の巫女、リーチェによって還されてしまった。

 生贄を捧げ、女神に祈るつもりだったが、それすらも罪だったのだと今ならわかる。



 いつしかこの国に暗い影が差し始めた。それがいつからなのかはわからない。

 農作物がとれなくなった。

 山の恵みも、川の恵みもとれなくなった。

 民たちの笑顔も消え、犯罪が増え、民たちも動物も子供を生まなくなった。


 どんなに努力しても隣国との差は開く一方で、その時はその理由が全くわからなかった。


「その時後悔しても遅い、か」


 ギュッと目を瞑って王がそう呟いた途端、女神像が突然光り、部屋中を照らしてその場を支配する。その光にあてられたその場にいた者たちは、操られているかのように全員目を虚ろにさせてふらふらと歩き、台座の周りへと集まると、シャン、シャン、という音と共に光が消え、我に返った彼らの目に意志が宿ったように戻る。まるで、今までのことを全て忘れたかのように、彼らは話し出す。だが、彼らには『滅びの繭』は見えていない。


「どうだ?」

「……失敗でございます」


 召喚陣の光の残滓を見た神官長の言葉に、王は溜息をつく。


「どうしろと言うのだ! このままでは我が国が滅ぶ! もう一度試せ!」

「無理でございます! この召喚陣は一度きりしか使えないのです!」

「ええい、ならばどうしろと言うのだ! 誰を生贄に捧げるのだ! 他に巫女となった者はいないのか?!」


 王が叫んだ途端、王妃の側にいた神官が王妃に顔を向けた。


「ここにいらっしゃるではありませんか」

「何?」

「最高位の巫女、リーチェ様以上の力を有していると仰る王妃様が」

「え……」


 その瞬間、彼らの中に狂気が渦巻く。その声はどんどん大きくなり、その場を支配していく。

 王妃を捕らえた王は、妻である王妃に「生贄となれ」と言い放つ。


「嫌っ! 陛下、お助けを! それに、わたし、わたしは……!」

「リーチェ以上の力なのであろう? 我が国の礎として死ぬのだ、これ以上の誉はあるまい」

「陛下! 嫌っ、嫌ぁぁぁぁぁっ!」


 王の号令と共に、騎士たちは王妃を殺す。辺りに立ち込める血の匂いに神官たちは眉をしかめるが、何も言わなかった。その場に漂っていた『滅びの繭』は、さらにその数を増して行くが、やはり神官には見ることができなかった。


「これで良くなればよいが」

「リーチェ様が嫁いでおられれば、こんなことにはならなかった。恋とは最早恐ろしいものですな」


 溜息混じりに呟いた王に、隣にいた神官長が王を苦々しく見ながらそう呟いた瞬間、王妃と同じように彼らの胸に狂気が渦巻く。だが、この場にいる者は王に逆らえない。それに、王を殺してしまえば、後継者のいないこの国は確実に滅ぶ。

 殺すのは、別の巫女を宛がい、後継者が生まれたあとだ。この際、宛がう巫女の階級は問わない。


「生贄は、民でも神官でもよいかも知れぬな」


 王から意地悪く発せられた言葉は、やはり同じように彼らの胸に狂気が渦巻く。一人の神官が選ばれ、王妃と同じ末路を辿った。


 そしてその狂気に支配された残った者たちは、一人、また一人、と神官や民を殺して行く。罪深き者たちは、隣国に攻め入られて国が滅ぶまで、それをし続けたのだという。


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