第一章1 『この世界の摂理は』
執着や厭世、絶望を生と死の狭間に抱くと人は輪廻する時、
そう定めたのは神か、世界か。この摂理は生きる人々へ齎らす影響が大きかった。人より生命力が高く、強靭な肉体を持つ。それだけではなく、人を喰う化け物でもある。人々は幻魔に怯えながら過ごしていた。
瞼に差し込む光に目が眩つき、想わず顔をしかめる。先程まで見ていた夢など全く覚えていない。
空を行く鳥達はどこへ向かうのだろうか。愉快に囀り飛び回るその鳥達の自由奔放な姿は誰でも一度は憧れるであろう。
のどかに吹く風は野原を駆け巡り草花を揺らし茶髪の少年の頬を掠める。野原には鳥達の囀り合う声と草花の揺れる音だけがが響き渡っていた。
そんな中、少し鈍った音が一つ近づいて来る。その音は少年の頭上で止まると声へと変わる。
「まぁた、こんなところでサボって昼寝とはいい御身分ね、ユウちゃん? 最近子供の誘拐が多いんだから一人で出歩いちゃダメでしょ?」
その声は甲高く皮肉を交えて少年──キリユウの頭上から降り注ぐ。肩口で揃えられた黄檗色の髪を揺らしキリユウの頭上に屈む。
「誰が子供だ? 僕はただ自分の時間を有意義に過ごしているだけだよ。シルアこそ一人で出歩いては危け……んなのは襲う奴だな」
気怠げな声で寝返りを打ちながら言い放つキリユウ。そんな彼に少女──シルアは傍により先ほどよりも大声で言い放った。
「どういう意味よ! 訓練をサボってばかりだから国家剣術騎士団の入団試験落ちちゃうんだよ! ユウちゃんのお母さんは『幻剣』の称号を受け継ぐくらい凄腕の剣士だったんでしょ? ユウちゃんも運動神経いいんだから訓練さえサボらなければ受かるはずなのに何で十一回も落ちちゃうかな?」
「僕は母さんとは違う!」
突然声を荒らげ起き上がるキリユウにシルアは後ろへと仰け反り座り込んだ。見開かれたキリユウの双眸は相手を惹きつけるほど色濃い紅蓮の瞳である。
「違わない! ユウちゃんは本当はっ」
「僕のことは放っとけよ! 優秀なお貴族様の君とは違うんだ!」
乱暴に言い放った言葉はシルアにとって一番嫌いな言葉であった。彼女にとって身分は縛りでありそれを超えることのできない壁だと思い知らせてしまうことでもある。
「と、とにかく。明日、訓練来なかったら本当に許さないんだから!」
立ち上がり走り去る彼女の姿に罪悪感と共に寂しさも生まれた。直ぐに追いかけようと立ち上がるが、目が眩みその場に倒れこむ。
「っ!?」
先程眺めていた景色に無数の光が飛び交う世界へと変わる。風は草花の纏う光る粒子を運び、鳥達は無数の粒子を纏い飛び立つ。キリユウには見えないはずのこの世の摂理が唐突に見えてしまう事があるのだ。無数の粒子の中で最も神々しく光り輝く一粒の粒子がある。その粒子だけは直視できない程の光である。
しばらく目を瞑っていると元の物質世界へと戻るが、その頃にはもう、シルアの姿はなくなっていた。
「はぁ。また怒らせちゃったな」
彼女はこのアルニルム王国の代々騎士団長を務める程、剣術に才のある血筋である。その為、彼女はその縛りから逃れることのできず騎士へとなるのだろう。
「しょうがない、『羊さん』でも採りに行くか」
羊さんとは『アシナ』というハーブで白い小さな花の事である。シルアの一番好きな花であり、見た目の可愛らしさから『もこもこふわふわの羊さんみたい』という幼き頃、シルアの乙女心から命名されたもので、花や葉を乾燥させてお茶にすると美味しいのだ。このハーブは野原の先にあるミトゥースの森の泉付近に咲いている。
キリユウは、アシナを採取するべく立ち上がった。
ミトゥースの森は国と国との境に存在する森であり、旅人やキャラバンなどがよく通る為、いくつもの道がある。アルニルム王国からつながる大きな道を進んで行き、小道へと入る。小道は普段あまり使われない為、進むほど足場が悪くなる。水の流れる音が聞こえてきた頃、小道の先に小さな崖へと到達する。木に巻き付けられているロープを伝い、小さな崖を少しずつ降りる。
先程まで生い茂っていた背の高い木々は晴れ、一面草花が咲く野原。その中心には陽の光を集め、輝く小さな泉が広がっており、小動物達は泉の近くで昼寝をしていたり走り回っている。ここは生きるものの憩いの場となっている。
「おっ、羊さん見っけ」
泉の近くに咲く小さな白い花々。一つ一つ採取していく。この泉には他にも色々な草花があるのだ。出血を抑える為の薬草、『スタァートゥ』や傷薬に使う『ラーナ』、花や草を天ぷらにすると美味しい『ホラーゴ』。
「これくらいで足りるか。今夜の夕食はホラーゴの天ぷらで決まりだな」
採取したハーブや薬草をしまい、立ち上がる。
『助けてっ』
「っ!?」
小さな少女の叫び声が頭の中に響くと共に視界が一変する。
大地の粒子が一気に泉の向こう側、隣国へと繋がる道の先に吸い込まれていく。刹那、大きな地響きが身体の芯まで響く。
「──何なんだ、今の」
不審に思ったキリユウは震源を辿り、森の奥へと進む。ここから先は初めて行くキリユウだが叫び声と地響きは止んでおらず、その震源へと近づくほど揺れは大きくなるので方向は間違っていないはずだ。
そして、震源へと辿り着いたキリユウは、木々に身を潜め、様子を伺う。そこは、広大な草原が広がっていた。キリユウの瞳にはその事よりも先に、目の前で起こっている戦乱の後の様に荒れた地と空に浮かぶ一人の『黒熊の幼女』が映っていた。
「お母ぁさん!」
「ナギサっ」
黒熊の幼女は小さな女の子を乱暴に抱えている。恐らく、人質としているのだろうか。この状況を読み取ることは出来ても行動する事ができず、キリユウは足を止めてしまった。
この戦乱は、すらりと細い身長だが大きな薙刀を操る黒髪と揺るがない漆黒の双眸を持つ青年と背丈からして八歳くらいの黒褐色の髪に暗黒色の冷たく、鋭い印象の双眸を持つ空に浮かぶ黒熊の幼女との戦いだ。
「
「不満と恐怖に押し潰されるが良いのだ‼︎
青年は空間をも斬り裂く位の勢いで薙刀を振り下ろし突風を起こした。青年の起こした突風は力強く、鋭いものだ。黒熊の幼女はそれに対抗する様に程膨大な力で空間を歪ませる程の黒く邪悪な黒炎の球を青年の突風へと投げ込んだ。
凄まじい音を立てて風で膨大に勢力を増した黒炎の球が大気を巻き上げる。暴波が起き、青年はキリユウの目の前まで吹っ飛ばされた。青年はかろうじて回避したものの、腹部に複数の傷を負っている様に見える。
ふと、空を見上げると黒熊の幼女は小さな女の子と共に姿を消していた。
「だっ、大丈夫⁉︎」
青年を起こし声をかけるが、脈を打つように血が吹き出す鮮紅色の血液を見て動脈性出血であろうとキリユウは判断し直ぐに止血を行う為、先程採取したスタァートゥの葉を背嚢から取り出した。キリユウは出かける際、いつも持ち歩く背嚢の中にはいつでも応急処置が出来るように大体の葉薬や、包帯などが入っているのだ。スタァートゥの葉を直接傷口に当たると消毒効果がある為、葉を青年の傷口へと当て応急処置をする。
「っ、誰だお前」
「通りすがりの者さっ」
「──大丈夫かっ、ルナ! 君は……医者、かい?」
キリユウが止血を行なっていると大柄な男が駆け寄りキリユウに問う。
「医療に関しては大体分かります」
「そうか、助かる! 他にも怪我を負っている者達がいるんだ、悪いが手を貸してくれないか?」
「はい!」
大柄な男は青年──ルナを背負い、荷馬車まで運ぶ。そしてキリユウも荷馬車へとついていこうと立ち上がる。
「ん? 何だこれ?」
ルナのいた場所に小さな御守りの様なものが落ちていたのだ。御守りの右端にはご丁寧に『ルナ』と綺麗に刺繍されており直ぐに持ち主が分かった。その御守りは後で渡そうとポケットへと入れておき、荷馬車へと急いだ。
三台の荷馬車には女、子供含め十数人の団員と売り物であろうこの辺では珍しい果実や果実酒が乗っている。この者達は、とあるキャラバンの集団の様だ。
キャラバンが一斉に出立し、キリユウはルナの怪我を診ながら揺れる荷台で手当てをする。
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