第9話 燻る半島
黒海艦隊の壊滅の報告にスターリンは愕然とした。
これでソ連はほぼ、全ての海上戦力を失った事になる。
急ピッチで建造中の艦艇は多数あるが、それらが竣工するにはどれだけ急いでも数か月先となる。
「これでは・・・北方四島を守り切る事は出来ないぞ・・・」
その呟きは傍に居る女しか聞いていない。
「だったら・・・政治的にどうにかしたら良いじゃない?」
女は冷酷にスターリンに告げた。
「政治的にだと?」
「そうよ。アメリカはソ連との正面衝突を嫌っている。元々、この国の海軍力などアメリカはそれほど、評価はしていない。だけど、陸上戦力は別。すでに東ヨーロッパの多くは支配下に置かれている。これが更に南下するような事があれば・・・アメリカも動かざる得ないでしょ?」
「しかし・・・それはアメリカとの戦争に繋がらないか?」
スターリンは最悪の事態を思った。
「アメリカだって、解っているはず。ここで更に世界を巻き込む戦争をすれば、全ての富が吹き飛ぶ。アメリカは戦争で儲けたけど、損をする気は無いのだから」
女の言葉にスターリンはニタリと笑った。
「なるほど・・・よし」
ポーランド人民共和国
未だに戦時下からの復興途中の街中に突如として、戦車の列が現れた。
鉄道を使い、電撃的にソ連から送り込まれた大量の戦車。僅か数日で1個軍に及ぶ兵力がポーランドへと送り込まれたのだ。
送り込まれたソ連軍の多くもこの移動の意図が何か解らなかった。だが、多くの士官はこのまま、西側諸国へと侵攻をするのではと言う危機意識を感じていた。
この電撃的な兵力の移動はすぐにアメリカを含む西側諸国にも伝わる。多くの国家は戦後復興途中でとてもソ連軍に対抗する力など無かった。即ち、アメリカに頼るしか無かった。だが、そのアメリカもドイツに駐留させている軍以外はそれほど、多くの部隊を残しているわけではない。だからと言って、ソ連に対抗するような兵力を再び、本国から送り込むには時間が足りなかった。
アメリカでは即座に国防省でこの事態についての研究と対策の会議が連日、行われるに至る。その間にも国内から西側防衛の為に送り込まれる部隊の編制も始まった。
ホワイトハウス
トルーマン大統領は秘書官が持って来た電報に驚きながら読み終えた。
「ソ連は本気なのか?」
彼はそう呟くしか無かった。
電報の送り主はスターリンであった。そして、内容は日本の北方四島攻略を止めさせないと、西ドイツ侵略を開始するという事であった。
「日本はソ連艦隊を殲滅して、勢いに乗っている。多分、数日の内に北方四島を艦隊で包囲して、奪還作戦を開始するだろう。それが始まったと同時にソ連はポーランドに集めた兵力を西ドイツへと突入させるつもりか」
トルーマンは苦渋の選択を迫られた。
すでに原子爆弾を搭載したB-29は日本各地の駐留米軍基地に配備済みだった。万が一にはこれを用いて、日本を支援するつもりだった。だが、未だ、混乱状態にある欧州においてはそこまでの準備は整っていない。一番の問題はソ連の工作員が多く侵入している可能性が高い為に最新鋭の兵器である原子爆弾を配備する事を躊躇ったためでもある。
「仕方がない・・・ここで欧州で戦端が開かれれば・・・世界経済が崩壊しかねない。それは我が国の望む事では無い」
トルーマンは日本に駐留するGHQの最高責任者、マッカーサーへのホットラインを開いた。
マッカーサーはトルーマンからの指示に対して、不服を申し立てたが、それでも大統領命令に従わないわけにはいかず、彼はそのまま、総理大臣邸宅へと向かう。
北方四島での戦闘は激化の一途を辿り、大量のソ連兵の前に残された日本軍兵士達は危機に陥っていた。だが、彼等には望みがある。すでにソ連艦隊が壊滅した事は無線や航空機からの通信筒による連絡で皆が解っている。あとは海上からの支援を待つだけだった。
「なに?日本とソ連が停戦するだと?北方四島から日本兵は退くのか?」
無線通信の内容に驚く日本陸軍士官。
あまりに唐突の事であったが、日本政府とソ連首脳部は停戦を結ぶ事になり、北方四島からの日本軍撤退を約束した。無論、北方四島については日本側から条約破りであり、帰属は日本側にあるという旨の抗議はされているが、現状において、ソ連が占領する事を認めた形となった。
本来、ソ連軍を北方四島から蹴散らす為に送られるはずだった海上戦力の多くは北方四島からの日本軍撤退の為に動く事になった。
まさかの政治的解決により、日本は北方四島を奪われる形になってしまった。
モスクワにはとあるアジア人が訪れていた。
彼は初めて訪れるモスクワに少し緊張していた。
一緒に訪れていた側近達は彼のそんな態度を初めて見た。
「書記長がお会いになります。どうぞ」
秘書官が彼らを会議室へと通した。
「君が金日成かね?」
スターリンは訝し気にアジア人を見た。
「あぁ・・・そうだ」
金日成と言われた大柄な男は少し気圧されたが、すぐに態度を改めて、大仰に返事をする。
「そうか・・・座り給え」
スターリンは彼を見ながら、椅子に座る事を指示する。彼らは言われた通りに椅子に座った。
「それで・・・君らは抗日運動にて、組織を作り、現状で朝鮮半島の北側を制圧しているそうだな?」
「はい・・・その通りです」
金日成は不遜な態度で接してくるスターリンに少し気後れした。
「だが・・・現在、朝鮮半島の南には新たな国家が設立されようとしている。そちらが国際的に認められてしまえば・・・朝鮮半島で君らはただの武装集団という事になってしまうんじゃないかね?」
スターリンは笑いながら尋ねる。
「だ、だが・・・実質的に我らは日本軍無き朝鮮半島の半分を支配している。それを南の奴らにむざむざと奪われるのは・・・納得が出来ない」
金日成は怒気を殺しながらスターリンに答える。その答えにスターリンは気を良くしたように笑う。
「そうか。なるほどな。君の言いたい事は解るぞ同志」
同志と呼ばれ、金日成は安堵したように笑みを浮かべる。
「そ、それで・・・我らも国家樹立を望んでいるのですが・・・」
金日成の言葉にスターリンはニヤニヤとして、間を取った。僅かな沈黙であったが、金日成にとっては、数時間にも及ぶ長さに感じた。
「解った・・・。ソ連は君達を朝鮮半島を支配する国家として認めよう。その上で同盟を結んでも良い」
「本当ですか?」
「本当だ。疑うのか?」
スターリンは嫌味な感じに答える。それに金日成は慌てて、頭を下げる。
「申し訳ない。もし、何かあれば・・・助けて貰えるのですね?」
「無論だ。我らは同志を無碍にはしない。早く帰り、国家を樹立し給え」
スターリンに言われて、金日成は大喜びで帰って行く。
「ふん・・・中国人と大差無い輩だが・・・朝鮮半島に我が国の息が掛かった国が出来るとすれば・・・アメリカや中国に大きな影響を与える事が出来るぞ」
スターリンはほくそ笑んだ。
北方四島から撤退作業が続いていた。
双方、多くの被害を出した事もあり、沈痛な面持ちで作業が行われていた。
日本から派遣された高速輸送艦『北上』にも多くの人員が搭乗した。
「納得が出来ませんな。海上戦力が投じられたら、確実にこの四島どころか、千島列島だって取り返してましたよ?」
北上の艦橋では副長がつまらなそうに艦長に話し掛ける。
「そうだな。だが、政治が相手じゃ、勝ち目は無い。それだけ日本は弱い立場だって事だ。諦めるわけじゃないが・・・国際的な地位を取り戻して、奪還するしかないだろう」
艦長は解った感じで答える。その答えに副長は話を続ける。
「しかし・・・噂では朝鮮半島の統治がきな臭くなっているとか?」
「情報が早いな。半島が半分づつになるみたいだ。同じ朝鮮人だが、別々の国を建てるみたいだな。片方はソ連と中国の息が掛かっており、もう片方はアメリカだ。まるでドイツみたいな感じだな」
「なるほど・・・戦争になったりしませんかね?」
副長は心配そうにする。
「解らんよ。ソ連は実質、北方四島の戦いは負けたわけだし・・・中国とは何やら確執があるようだからな。アジアはかなりヤバいかもしれない」
「アジアで戦争が起きると?」
「可能性はあるさ。どの程度の規模になるかは解らんがね」
「嫌なもんですね。戦争が続くって・・・」
「そうだな。我々は長く戦争をし過ぎたからな。国も国民も皆、疲弊している。出来れば、巻き添えになりたくないもんだ」
「そうですね。折角、終戦を迎えたんですから・・・復興したいですね」
大発によるピストン輸送で多くの人員が乗り込むのを見ながら彼らはお茶を啜った。
朝鮮半島に新たに樹立された朝鮮民主主義人民共和国。その国の樹立にはソ連と中国が後ろ盾となり、新たな社会主義国家として生まれた。
だが、それは同時に朝鮮半島に紛争の種を撒いたに等しかった。アメリカが主導して樹立された大韓民国とは真っ向から朝鮮半島の支配についての食い違いが生じていたからだ。
どちらも日本からの独立に貢献した勢力として、朝鮮半島の支配権を主張した。それはその背後に控える大国の意思でもあった。
互いに国力に不相応な軍備が投じられていく。アメリカ軍は元日本領であった韓国とは軍事同盟を結び、在韓米軍として基地を幾つか配置した。これがソ連などの怒りを買う。
スターリンは世界各地に軍事基地を配備する米軍に対して、苛立っていた。
「基地だけじゃなく、空母を主体とした機動艦隊も彼方此方に派遣しているそうじゃないか・・・アメリカはこの世界を支配しているつもりか?」
それはスターリンにとって、許しがたい事だった。
「ならば・・・奪えは良いじゃありませんか。我らも空母を手にして、軍事的に相手と同格になるのですよ。さすれば・・・政治的にも引けを取りませんでしょ」
スターリンの横に侍る女はワイングラスを片手にそう告げる。
「そ、そうだな。軍事力こそ、発言権を獲得する最善の道だな」
女の言葉にスターリンは納得して、立ち上がる。その姿に女はチョロいと感じた。
そもそも軍事力で世界支配を考える男の頭は単細胞な輩が多い。彼女はそんなバカな男達を手玉に取って、これまで多くの戦禍を引き起こしてきた。そして、今回もいつも通り、大きな戦禍を産み出そうとしている。それはヒトラーを操った時以上の大きな戦禍を期待していた。
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