第8話 逆転に次ぐ逆転
輸送機を使い捨てる形で択捉島に送り込まれた新たなソ連兵と物資。これによって、膠着していた戦線は一気に動き出す。
スターリンの本気を感じ取った現地部隊も一気呵成に日本兵の陣地へと突き進む。それは如何なる損害をも無視して、ひたすらに日本兵の駆逐だけを目指した作戦だった。スターリンからの指示は一切の捕虜を捕らないであった。
徹底的な殺戮が始まる。武器を捨てた日本兵を数人のソ連兵が囲み、銃底やスコップで殴り殺す。そんな光景が彼方此方で見受けられた。
その光景は海上戦力として高速輸送部隊と合流を目指した練習巡洋艦『鹿島』の偵察機が確認をした。あまりに凄惨な光景に報告をした偵察機の操縦手は機銃掃射を進言するが撃墜される可能性が高いとして、帰還を命じられた。
北方四島の状況は一気に悪化する中、黒海を出撃したソ連艦隊は日露戦争の時と同じく、インド洋経由で日本に向かっていた。ソ連軍が持ちうる全ての戦力を北海に投じようとする中、アメリカはソ連がどこまで日本を制圧するつもりかを測りかねていた。
アメリカ情報部CIGでは世界中の情報が次々と集まっている。しかし、今、最も重要視して集められている情報は当然ながらソ連の動向であった。
「ソ連が核開発に本格的になっている?」
情報を分析する担当官は眉間に深い皺を寄せていた。
すでに米軍は原爆の開発に成功しており、その威力を熟知していた。それ故に大きく戦局を変える事が可能な兵器の開発をソ連も始めている事に脅威を感じていた。
そんな彼に同僚は手元にあるレポートを見せる。
「すでに多くの研究者などを投じているようです。あと、彼等が制圧した東欧でウランの採掘が本格化しているとか」
アメリカは抑止力として原爆のカードを持っているが、ソ連が同様にそれを持ったとなれば、それは最大限の脅威となり得た。
「万が一、北海道までソ連の手に落ちた場合、アジアで我が国と衝突する可能性が高まる。それがソ連も原爆を手にした後となれば・・・世界が焦土と化す可能性が出て来るぞ・・・あまりに危険だ」
まだ、原爆・・・すなわち、核が及ぼす毒性について、人類が未熟であった頃である。原爆はただ、威力の大きい爆弾程度にしか考えられていなかった。
「あんな爆弾が次々と投じられたら、戦場になる場所は建物も人もまったく無くなっちまう。日本はまっ平になるぞ」
あまりに笑えない冗談ではあるが、核についての危険性がまだ、広まっていない現状においてはこれが核兵器に対しての一般的な感覚であった。
当然ながら、それはソ連側も同じで一部の学識者などはその危険性に気付きつつも強いプレッシャーの中でその意見は消されていた。ただ、単純に地上最強の兵器として、軍並びに政府も大きな期待を寄せていた。その中でもスターリンはアメリカとの決戦を見据えて、その期待を膨らませていた。
ソ連は戦後処理を含めて、アメリカと対峙する状況となりつつあった。それ故に情報統制が徹底され、ソ連領内のアメリカ関連施設の監視は徹底されていた。当然ながら、モスクワのアメリカ大使館は現地職員ですら、常に監視下に置かれる程の厳しさだった。
瑠璃は部屋の中で悶々としていた。それは彼女を警護するルーシーも同じであった。
「やる事が無いって退屈ね」
ルーシーは拳銃の分解整備をしながら隣でタイプライターを打つ瑠璃に声を掛ける。
「仕方がありません。多分、ソ連はこのまま、再び世界を戦乱に巻き込むつもりです。魔女の邪気が日増しに強くなっている気がします」
瑠璃はタイプライターを打つ手を止めずにそう答える。
「邪気ねぇ・・・まぁ、それは解らないけど・・・この状況からしても、ソ連がアメリカに対して、相当な敵意を持っている事は解るわね・・・。アメリカとソ連が戦争になってもおかしくは無いわ」
「それだけは阻止をしなければなりません。今、両国が世界を巻き込んで戦争を始めれば、ドイツや日本との戦争を遥かに凌ぐ犠牲が生まれます」
瑠璃の言葉にルーシーは溜息をつく。
「そうよねぇ。その為に我々はここに居るわけだけど・・・結果、何も出来ない状態なわけだし」
「だけど・・・魔女の首を取れば・・・この未曾有の危機も避けられるはずです」
瑠璃は強い決意を持った瞳でそう告げる。
「魔女ねぇ・・・スターリンの傍に居るはずだから、いっそ、モスクワに原爆を落として、暗殺するって手もあるわね・・・まぁ、そこまで飛べる爆撃機なんて無いけど・・・」
「原爆ですか・・・町を吹き飛ばす程の威力があるとは聞いていますが・・・。そんな軽々しく使えるものなのですか?」
「さぁ?噂じゃ、歩兵にも持たせて、目の前の敵を吹き飛ばすそうよ」
瑠璃はそれを聞いて、何か不思議な気持ちが湧いた。
「まぁ・・・それより、私たちがどうするかよね。戦争は情報が全てよ。幾ら強力な爆弾があって、それを使わせずに全てが終われば良いんだから。本当にどうにかしないとね」
ルーシーは頭を抱えながら拳銃の整備を続けた。
モスクワ郊外
貨物用の線路に列車が到着した。長々と連結された貨物車両の側面が開かれ、中から多くの人々が降りて来た。
「結構、アジア系が多いな」
その様子を短機関銃を手に見守る国家保安局の警察官が隣の同僚にそう告げる。
「あぁ、コサックだよ。中央アジアから集められたらしい」
「へぇ・・・俺はアジア人を見るのは初めてだが・・・貧相なもんだな」
「あれが俺らと同じ国民だと言われても困るよな」
同僚の男は軽く笑った。そんな彼の表情を一瞥したのはそのアジア人の列に並ぶ一人の女だった。列車の中には男だけじゃなく、女も居た。皆、中央アジア出身だと解るような衣装を身に纏っている。
他民族国家であるソ連ではあるが、政治、経済の中枢を牛耳る白ロシア人の目からして、アジア系の人間の見分けなどそれほど、つくものでは無かった。仮にそこに居るのがコサックでは無く、日本人だったとしてもだ。
女は当たり前の顔をして、コサックなどのアジア人種の群れに混じっていた。無論、日本語は喋らない。同じコサックと言えども、民族は多岐に渡り、それが混在した形で乗せられた貨車では誰も彼女を日本人だとは疑わなかった。
貨車から降りた彼らはソ連当局の職員に指示されて、トラックへと乗り込む。その中に女の姿もあった。彼女は冷静にトラックから見えるモスクワの風景を眺めていた。
彼女の正体は日本政府が派遣した諜報員であった。彼女のような存在は実際には戦前から多数、ソ連領内に入り込んでいる。彼らは普通のソ連人として紛れ込み、ごく普通の生活を営んでいた。その合間で、彼らは様々な情報を集め、日本へと送る。その情報の多くは軍事機密でも何でもない。新聞や噂話程度の事を集めている。
だが、今回は違う。警戒が厳しいモスクワの近くにまで諜報員が近付く事は容易では無い。彼女はこれを好機と捉えていた。すでにモスクワには魔女が居る事を知らされている。あまりに突飛な話でもあっても、それが命令ならば、盲目的に達成する事も必要だった。
「ようやく・・・北方四島が堕ちそうね」
ドイツ製ワインを飲みながら、女はスターリンの傍らに侍る。
「ふん・・・相当の損害を出したがね。だが、奪還される可能性が高い。黒海から派遣した艦隊で周辺海域を制圧して、輸送路を確保せねば」
スターリンは少し顔色を悪くしながら、そう告げる。
「お疲れみたいね」
「あぁ・・・世界は混乱している。どこでも戦争が起きているし、民族独立機運も高い。それは好機であると同時に両刃の剣でもある。このソ連が分解してもおかしくは無い。今の内にアメリカに対抗しうる勢力を確保しなければならないのだ」
この時点でアメリカは圧倒的な工業力で世界を支配しようとしていた。それに対して、スターリンは大きな危惧と共に彼の中の野心がそれを許せなかった。
「そうね。アメリカが世界を支配したら・・・あなたはそれに屈しないといけない。アメリカに跪けるの?」
女は笑いながらスターリンに尋ねる。
「馬鹿な・・・俺が誰かに屈服させられる?冗談じゃない」
スターリンは怒気を孕んだ言葉を吐きながら、ワインを飲み干した。
黒海から北海道沖を目指すソ連艦隊はその大艦隊を長い艦列に伸ばしながら、シンガポール沖を航行していた。
「まずいな。とても隊列は維持が出来ないとは思っていたが・・・あまりに無防備だぞ・・・一度、船足を止めて、隊列を整え直さないと」
艦隊司令のノワルスキー提督は参謀達と共に協議を重ねていた。
「あと少しで日本だ。ここで立ち止まっていたら、戦前逃亡の疑いを掛けられかねない。船足を止めるなど出来ない。このまま、日本海へと突入させろ」
政治将校が厳しい表情で彼等に向かって命じる。
「しかし・・・相手は太平洋でアメリカやイギリス相手に戦い続けた精鋭だぞ?実戦経験すら乏しい我等が簡単に勝てるとは・・・」
提督が困惑した表情で彼に告げる。
「数では圧倒しているはずだろ?アメリカに敗北したばかりの日本に力など残ってはいない。このまま、蹴散らし、北方四島へと辿り着くのだ」
論議になどならなかった。政治将校の言葉は絶対だった。逆らえば、その時点で処刑される事が決まっているからだ。
「艦隊司令!西の空に機影多数を確認!」
突如として、報じられた事にその場が凍り付く。
「どこの所属だ?まだ、日本からは離れているはずだぞ?」
「不明です。ですが、こちらに向かっております」
その報告に提督は顔を歪ませる。
「アメリカならば・・・攻撃などしてこないはずだ」
アメリカはソ連との正面衝突を回避しようとしている。故にここで攻撃などしてこない。それはソ連軍の共通認識だった。
「敵所属確認!日本軍です!」
「馬鹿な!日本の飛行場から遠く離れているはず!」
提督は驚くしか無かった。すでにソ連艦隊は各個に対空戦闘準備を進めている。だが、彼等の多くは戦闘などした事無い。ましてや本格的な航空攻撃などに晒された事など無い者ばかり。ましてや艦隊とは名ばかりですでに隊列も散り散りで、各個が離れた状態にあってはまともな防空体制など敷けるはずがなかった。
それに対して、空を覆う日本の航空機は99式艦上爆撃機、彗星艦上爆撃機、97式艦上攻撃機、天山艦上攻撃機であった。少数の零戦がソ連艦隊上空を旋回する。あまりに高い高度の為にソ連艦隊からは散発的に対空射撃がされる程度だった。
だが、それが恐怖の始まりだった。彼等は艦隊の位置を精確に知らせる為にその場に留まる。そして、攻撃の成果を見届ける。
攻撃が始まった。
第一波は99式艦上爆撃機を主体とした急降下爆撃である。真上から飛び込んで来るような爆撃機の動きにソ連艦艇の誰もが目を見張った。最大俯角にした対空機銃が唸る。だが、それを物ともせずに爆撃機が飛び込んで来る。そして、ギリギリのところで降下から転じて機首を上げる。その時、腹に抱えていた500キロ爆弾がソ連艦艇に向けて放り出される。勢いのある爆弾はソ連艦艇の甲板を突き破り、内部へと飛び込む。そして、爆発した。
一瞬にして駆逐艦が爆散した。次々に飛び掛って来る爆撃機の群れに一瞬にしてソ連艦隊の最先端を進んでいた巡洋艦と駆逐艦の群れは沈んでいく。
「提督!被害甚大!駆逐艦5、巡洋艦2が撃沈、それ以外も大破、中破多数。航行不能との連絡が来ています!」
僅か数分で艦隊の戦力が3割近くも削がれた。だが、これは始まりでしか無かった。次に低空飛行へと移った敵攻撃機が長く伸びた艦隊の横から侵入してくる。腹に抱えた航空魚雷が海面へと放り込まれた。
「右舷!魚雷多数!」
それぞれの艦艇は魚雷を躱すべく、舵を切る。だが、未熟な艦艇において、それはあまりに危険であった。操舵を誤った一部の艦艇は味方の艦と接触を起こした。
日本軍の魚雷は正確無比にソ連艦艇の船体を抉る。そして、爆発した。艦艇において、爆弾よりも魚雷による一撃の方が遥かに被害は大きい。喫水線以下に大きな穴が開き、大量の浸水に処置が追い付かず、船体は海中へと没していく。
それは旗艦パリジスカヤ・コンムナも同様であった。戦艦としての巨艦ながら、老朽化と設計的な問題から、側面から受けた二発の魚雷の被害を処理する事は出来なかった。
「提督、艦長が離艦命令を出しました。我々も」
提督は苦々の表情のまま、救難艇へと急いだ。
「我々には戦える船は残っているのかね?」
提督が参謀にそう尋ねたが、返事は無かった。
台湾沖
そこには軽空母隼鷹の姿があった。
「何とか機関室の修理が終わって良かったですね」
副艦長は空になった甲板を眺めながら隣に立つ艦長に話し掛ける。
「そうだな。航行不能なまま、佐世保に係留されたまま、終戦を迎えたからな。あのまま、解体かと思ったが、急遽、突貫工事で修理されたと思ったら、こんな大事に駆り出されるとは思わなかった」
隼鷹は終戦後近くに被雷し、その損傷の為、外洋航海不能となっていた。だが、すでに多くの艦艇を失っていた日本海軍においては数少ない空母であり、速力はイマイチだが、搭載機数は正規空母並の隼鷹の存在を逃す手は無かった。その為に修理計画を練っていた所にソ連海軍の動きがあったために工事が急遽、決定された。
隼鷹は工事が終わり、試航なしにそのまま、駆逐艦3隻と補給用の貨物船を伴い、対ソ連艦隊迎撃作戦を任されたのであった。
「あと30分もすれば、攻撃隊が戻って参ります。すぐに補給と修理を行い、反復攻撃を掛けます。どれだけやれるか解りませんが・・・こちらの弾が尽きるまでやり続ける事になるでしょう」
艦隊司令も兼ねる艦長はその言葉に深く頷くしか無かった。
歴戦の勇士とも言える搭乗員が乗り込んだ爆撃機と攻撃機は幾度の攻撃に参加するもほぼ、無傷で戻って来ており、故障以外で行動不能になる機体はまず、いなかった。その為、貨物船に搭載された爆弾、魚雷まで使い切るまで、攻撃は計15回も繰り返された。
疲れ切った搭乗員達はそれでも互いに戦果を自慢し合う程に元気であった。
結果として、この空爆でソ連艦隊は戦闘艦の全てを海中に没し、尚且つ、その後に続いていた艦艇の半数以上も海中に没した。
ソ連艦隊はこの時点で知る由も無いが、たった一隻の軽空母に彼等は全滅させられた事になる。
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