第4話 魔女を屠る者

 モスクワ 在ソ連アメリカ大使館

 黄色い建物の前に一台のフォードが停車した。

 運転手が後部座席の扉を開く。中からは一人の少女が降りる。

 黒髪を背中まで垂らした少女は素っ気ない灰色のジャケットにタイトスカート姿で、アメリカでよく見掛ける勤労婦人の姿であった。

 車からは彼女の荷物であろう旅行鞄と一本の長い布で包まれた物が出され、屋内へと運び込まれる。

 これらの動きは当然ながら、ソ連の情報機関である国家保安省(MGB)は監視していた。

 新しく大使館に配置された者は大使から下働きの者までも全て、チェックする。それが彼らの仕事である。

 「アメリカ人にしては珍しい黒髪・・・しかもガキだ」

 監視をしていたMGB職員は笑いながらカメラのシャッターを切る。隣の男は双眼鏡で周囲を見ていた。

 「日本人じゃないか?奴ら、日本と同盟関係だからな」

 カメラの男が問い掛ける。

 「日本か・・・奴ら、大使館を引き上げたからな。それを補うために職員をアメリカ大使館に送り込んだか?」

 何もかもが憶測でしか無かった。


 アメリカ大使館の扉が開かれ、少女は中に踏み込む。そこで待っていたのはアメリカ大使であった。彼は緊張した面持ちで少女と対面する。

 「プリンセス・ルリ・・・お待ちしておりました」

 彼は慇懃深く、彼女に接する。それに呼応するように少女も深々と礼をした。

 「ありがとうございます。ただ、プリンセスはお止めください。私はただの事務員として、日本から派遣された者です。ただの瑠璃だけにしてください」

 「解りました。ここでの安全は我々が最大限、保証します」

 「はい。お願いします」

 そう言うと少女は置かれた荷物の中から布に包まれた長い物を取り出す。紐を解き、布を剥がすと中から一本の刀が現れる。鞘には豪華な装飾が施され、漆の赤と金や銀の彫金や箔が目立つ。

 「確かに感じます・・・邪悪な気配を・・・」

 その時、少女の瞳の奥に鈍く、輝く殺気を大使は感じた。

 

 かつて・・・日本には鬼が居た。

 鬼は人の魂を食らう。故に鬼は人を惑わせ、多くの人の血が流れるようにする。

 鬼によって、多くの血が流れた。

 疫病、戦、飢饉。

 多くの者の命が失われ、幾度として、国が亡ぶ危機があった。

 天皇は鬼を討つべく、幾度も試みるが、多くの者が命を失った。

 神や仏にも祈り、何とか、鬼を払おうとするも、効果は無かった。

 だが、幾度もの鬼との争いの中で鬼と対等に渡り合える者が現れた。

 彼らはその能力と技を磨き、やがて、鬼を倒す術を手に入れた。

 千年の歴史の中で人は鬼を倒し続けた。

 そして、江戸の泰安を手に入れた。

 瑠璃はその血族の一人。そして、日本で最も力の強い鬼斬りの巫女。

 長らく、鬼が出現しなかった事で多くの鬼を退治する家は途絶えた。だが、朝廷は将来に備えて、最も強いとされる家柄だけはその力、技を継承する事に力を注いでいた。

 

 瑠璃の前に一人の女性が立った。

 「ルーシー=エヴァンスです。今日からあなたの護衛を務めます」

 金髪碧眼の女性。知性を感じる風貌だが、かなり鍛えられた体躯だと感じる。

 「彼女は君の身辺を警護する。彼女以外にもチームが動いているが、君が直接、関わるのは彼女だけだ」

 大使に説明され、ルーシーは瑠璃の前で深く傅く。

 「姫様。ルーシーとお呼びください」

 「解りました。よろしくお願いします。ただ、私からもお願いがあります。あなたも姫様と呼ぶのはおよしください。私は姫の資格はありませんし、それにここに来た使命は鬼・・・いや、魔女を滅ぼすため。密かに動かく必要があります。気軽に瑠璃とお呼びくさい」

 瑠璃は流暢なキングスイングリッシュで話し掛ける。それを聞いた大使達が驚いた程に上手だった。

 「了解です。しかし、姫、いや、瑠璃。どこで英語を?」

 「保護をしていた在日英国人教師から直接、指導を受けておりました」

 「なるほど。おみそれしました」

 

 スターリン体制下で権限を握りつつあるラヴレンチー・べリヤはMGBからの報告を聞いた。

 「日本・・・ただの小娘に見えるが・・・ただの連絡係だろうか?」

 第一副首相としてスターリンの片腕である彼は日夜、情報を集めていた。恐怖政治の指導者でもある彼にとって、内外を問わず、敵が多い。常に情報を集めていないと危険だった。

 「しかし・・・アメリカと日本がモスクワで動き回っているのは・・・問題だな。特に閣下は極東方面への侵攻にかなり熱心な感じだ」

 べリヤはスターリンの事を常に気に掛けている。スターリンの存在が彼の権威を後ろ盾ているからだけじゃない。一つ、間違えば、スターリンによって粛清される恐ろしさがあるからだ。

 現在、スターリンにとって、邪魔になる者、要らない者は平然と殺される。べリヤはそれを実際に作り上げたのだから解っている。だから、誰もスターリンには逆らえない。それがソ連と言う国だった。

 「とにかく、アメリカと日本の動きには要注意しろ。ただでさえ、軍が北方四島制圧に手間取っている事が閣下の怒りを買っているのだからな」

 

 北方四島に配置されたソ連軍は基地の建造どころか、兵士達が腹を空かせる毎日となっていた。海軍の基地には連日、輸送船が沈められる連絡しか無く、一向に物資や兵員が届く事は無い。

 「海軍はどうなっているんだ?輸送船一隻、まともにここに運び込めないのかね?」

 政治将校は海軍将校に対して、嫌味を言う毎日だった。だが、そんな彼ですら、毎日の食事に困る有様に辟易しているのが現実だった。

 怒鳴り散らす政治将校を横目に北方四島の全軍を指揮するイワノコフ大佐はやせ細っていく部下達の事を気遣っていた。

 屈強なソ連兵と言えども、一日一度の僅かな食事では限界だった。

 扉が荒々しく開かれた。

 「た、大変です!」

 飛び込んできたのは若い兵士だった。

 「貴様!司令部に突然、飛び込んで来るとはどういうつもりだ!」

 政治将校が叫ぶ。

 「はっ、同志大尉。申し訳ありません」

 若い兵士は政治将校に気付き、慌てて、敬礼をする。

 「気にするな。こんな糞野郎に敬礼する暇はない。何事か?」

 イワノコフはそう告げると政治将校は彼を睨みつける。若い兵士はその様子に驚き、声が出ない。

 「貴様・・・私にそのような口を・・・」

 「同志・・・何か気に障る事でもありましたか?」

 イワノコフはサラリと答える。

 「同志大佐・・・」

 「それより、何だ?」

 政治将校を無視して、イワノコフは兵士に再び尋ねる。

 「はい。兵士の一部がストライキを起こしました」

 「ストライキだと?」

 兵士の報告に大佐よりも驚いたのは政治将校だった。

 「同志大佐!これは国家への反逆だぞ?どのように責任をっ」

 一発の銃声が鳴った。弾丸が政治将校の右頬を掠める。

 「ひぃ」

 悲鳴と共に尻餅をつく政治将校。

 「責任ですか・・・だったら、本国に輸送船を守る艦隊を極東に回して貰ってください。もし、兵士が飢えで死んだら・・・お前に責任を取らせるからな」

 イワノコフは銃口を政治将校に向けた。その雰囲気に政治将校は完全に飲まれた。

 

 「兵士がストライキか・・・」

 択捉島へと連れて来られた元日本陸軍中尉の井伏茂雄と黒瀬はソ連軍の動きを注視していた。彼ら自身もかなり劣悪な環境ではあったが、物資が届かなかった為に工事は完全に止まっていた為に彼らに仕事は無かった。ただし、食事は二日に一度程度しか配られない。

 「兵士がしていた噂話だと輸送船が日本の潜水艦に沈められているそうです」

 黒瀬はニヤリと笑いながら話す。

 「そうか。まだ、祖国は戦争を継続しているのか。だとすれば、俺らも何かをしないとな」

 「どうするつもりですか?」

 井伏の言葉に黒瀬が不思議そうに尋ねる。

 「簡単だよ。俺らもそろそろ、日本に帰る頃だって事だ」

 「なるほど」

 二人はそんな密談をしながら、退屈そうに暇を持て余していた。


 MGBの対米部では議論が重ねられていた。

 現在、在ソ連アメリカ大使館には100名の職員が投入されている。だが、この数は大使の動き、職員の動きなどを全て捕捉するには不十分だった。

 「日本人少女か・・・ただの事務員ってわけじゃないだろうな」

 部長は嫌そうな顔で口にする。

 「大使館に勤める現地人職員から聞き出した所、大使館内で見たという情報がありません」

 部下がそう答える。

 「大使館にはすでに居ない可能性は?」

 「それはありません。周囲は厳重な監視体制が敷かれております」

 「だとすれば・・・大使館内の部屋でジッとしているって事か・・・何をしているやら」

 「日本からの報告もありませんから・・・どう考えて良いか」

 「ただ、所詮、小娘一人だ。情報収集にも限度はある。あまり深く考えてはいけない気がするが・・・」

 「確かに、現在、我が国は彼方此方に火の手を抱えていますから、正直、日本だけが敵と言うわけじゃありませんからね」

 議論の中で瑠璃の存在はそれほど、重要視はしない事になった。

 だが、その間、瑠璃は密かに大使館の外に出ていた。

 あたかもロシア人風の服装をしたルーシーが小声で隣の帽子を目深に被った少女に声を掛ける。

 「グレムリンはあそこになります。当然ながら警備は厳重で・・・法律など意味持ちませんから・・・捕まれば、拷問も処刑も・・・」

 「解ります。しかし、鬼の気配を感じ取る為にも近付かなければいけません」

 ルーシーは自然を装いながら周囲を警戒する。

 「近付けるだけ・・・近付いてみましょう。周囲にはサポートも居ますから」

 二人は不穏な空気の漂う広場を歩く。

 警備の為に立っている赤軍兵達の視線が二人に注がれる。

 二人が足早に歩いている時、少女の歩みが停まる。

 「どうしました?」

 ルーシーが気付き、声を掛ける。

 「感じます・・・微かですが・・・鬼の存在を感じます」

 「解りました。ここで立ち止まるのは危険です」

 ルーシーに肩を押され、瑠璃は再び歩き始めた。


 グラスに注がれた赤色のドイツワイン。

 女はゆっくりとグラスを揺らしながら、香りを嗅ぐ。

 「おかしいわね・・・嫌な臭いが混じっているわ」

 そう言うと、ワイングラスを放り捨てる。大理石でガラスが割れる事など女は気にしない。

 「この周囲の警備に連絡をして頂戴。不審人物が皆、捕まえなさい。いや、不審人物じゃなくても構わない。皆、拘束しなさい。逃亡した者は射殺よ」

 女は待機している軍の将校にそう命じた。

 

 ルーシーに急かされて、瑠璃は広場を抜けて、街中に入った。

 「こちらです」

 一人の男が二人を路地へと案内する。

 「彼は仲間です。ご安心を」

 ルーシーが瑠璃に告げる。そうして、二人は街の裏側へと入っていく。

 狭い路地を進む二人。ルーシーはとある扉を開いた。その中は薄暗い倉庫のような場所だった。

 「ここで夜を待ちます」

 ルーシーは自動拳銃を抜いた。

 「それより・・・確かに感じられたのですか?」

 ルーシーに尋ねられて瑠璃は頷く。

 「微か・・・ですが・・・。あれは確かに鬼です」

 「そうですか・・・それがはっきりしたなら・・・あとはどうやって殺害するかだけです・・・因みにその鬼と言うのは何か殺害方法とかあるのですか?」

 「何か・・・儀式的な事ですか?」

 瑠璃はルーシーの問い掛けに問い直す。

 「えぇ、悪魔払いみたいな・・・何か儀式めいた事とか・・・」

 「特にありません。肉体自体は人間と同じなので・・・ただし、並ならぬ治癒力や生命力を持っているので、即死をさせないといけません。一番良いのは心臓を抉り取る事」

 「なるほど・・・なかなかエグイ話ね。でも銃が効くなら・・・良いわ」

 ルーシーは手にしたコルトガバメントM1911自動拳銃を眺めながら呟く。

 

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