第11話

 真新しいGショックの腕時計を付けた腕を見ながら、犬井は嘆息した。せっかくの異世界なのに、武器や装備のことばかり考えているような気がしたからだ。

 無論犬井も武器が嫌いな平和主義者というわけではない。むしろ銃を撃って強さを誇示できるならそんな楽しいことはないとさえも思える。

 しかし現実は非情だ。殺されたり逃げ帰ったり。なかなかうまくも行かないらしい。

「どうした。せっかく新しい装備が手に入ったのに不満げじゃないか」

 池谷が問いかける。本当に、池谷には犬井は世話になりっぱなしな上にこれで不満を垂らしたらさすがの犬井も弁明できない。犬井は取り繕った。

「いえ……異世界に来てから殺し合いばっかりのような気がして」

「そりゃお前、皆が陥る通過儀礼みたいなもんだよ。きにすんなって」

「……そうなんでしょうか」

 帰りの車から見える風景を何となく眺める。道行く人々皆が銃を持ち歩いている。流石にこの街で銃を持っていないのは殺してくれと言っているようなものだ。わかっていても、殺しにはうんざりしてきていた。

「心配すんなよ。皆この世界に来たやつはそうなるんだ」

「……」

「お前だって一度くらいは想像したことあるだろ?地下鉄に乗っててここで銃をぶっ放したらどうなるんだろう、とか。学校や職場でいきなり刃物を振り回したらどうなるんだろう、とか。子供や友達と遊んでる時にこいつの顔面を包丁で切り裂いたらどうなるんだろうとか。そういうことをこの世界では満たせるんだ。今のお前は消化不良になってるだけだ。そのうちになれるさ」


「一応、俺のところにいるうちにもらった資料を確認だけでもしておけ。検問外で初めて使うんじゃ不安だからな」

「はい」

 犬井は池谷の家兼営業所の裏手にあるちょっとした空き地で練習を行っていた。さっき買ったばかりの『資料』を使って手に入れた新しい武器を試してみることにしていた。

 犬井はちらりと手首の腕時計に目をやった。カシオのGショックの、一番安いモデル。それでも耐久性は問題ない。時刻は午後三時半、今日は検問外には行けそうにない。

 犬井はリキッドを産生した。手から黒い液体が滴り、『資料』で見たばかりの武器を形作って行く。

 最初に犬井が形成したのはM4カービン――米軍でも使われていたライフルだった。バレルは十インチの短縮形なのに加え、ストックは伸縮型で小柄になった犬井の少女の身体でも扱いやすく調節できる。

「M4は色んなメーカーから出てるが、それは最も安価なブッシュマスター社製のものだ」

 池谷がいう。まるで自分の娘の成長を見守るような眼で、犬井の武器を解説してやった。

「AR15系列――M4クローンはアメリカ国内外でも多くの会社が出してるが、ブッシュマスター社製のも評判は悪くない。大垣のおっさんも、見る目はあるからな、粗悪品を掴ませるようなことはしないさ。俺がお前にやった『資料』に載ってたMP7よりも多くの状況で使えるはずだ」

「はあ……」

 武器のことは、犬井にはよくわからない。とりあえず、弾倉を抜いたり挿したり、コッキングレバーを引いたりセレクターをいじったりして、手になじませる。

「次は拳銃だ。ほら作ってみろ」

「あ、はい」

 そう言われるままに犬井はリキッドを産生、もう一丁の武器を形成する。

 ワルサーP99、バックストラップを交換することで、犬井の少女の小さな手でも持ちやすく、操作性も良い。大垣が言うには市場ではあまり成功しなかったために異世界での『資料』価格は低く抑えられるらしい。

 9mm弾が詰まった弾倉を挿し、スライドを引く。不人気銃でも、工作精度は悪くない。なめらかな動きで内部機構が働き、弾倉からの1発を薬室にくわえ込む。

「初心者にしては動きも悪くないじゃないか」

 池谷が笑った。確かについ最近まで犬井は現世で高校生をやっていた。それなのにうまく動けているのは意外に自分には適応性があったのかもしれない。

「再形成すると、運動神経やら身体能力がリセットできるからな。その女の体は意外にそういう性能が良かったんだろう」

 なるほど、と思いながら拳銃を照準してみる。P99はポリマーフレームで軽く、取り回しやすい。

「撃ってみてもいいですか?」

「おう。あの木の板を撃ってみろ」

 みると塀の角に跳弾防止の木板のターゲットがおいてあった。犬井はそれに照準を向け、引き金を絞る。

 45口径よりも軽い反動に乾いた音。超音速で吐き出された弾丸が、ターゲットに命中した。高い間延びした乾いた快音とともに、風穴が開く。

 慎重に、4発を引き金を絞って撃った。残りの弾丸は、速射。実際には拳銃を抜くような緊急事態でのんびり照準する余裕など無い。ターゲットを舐めるような連射。あっという間に弾倉は空になり、スライドは下がった状態でホールドオープンする。

「9mmの方がいいですね。反動が軽くて操作しやすいです」

「お前さんの身体ならそうかもな」

 池谷はそう言いながら自分の拳銃を形成した。45口径の弾丸を使用するM1911の、競技用のフルカスタムモデル。片手で照準をして引き金を絞る。9mmのそれより重い銃声とともに、打ち出された弾丸が木板に突き刺さった。

「男なら大口径だ。9mmは女々しくていけねえ」

「……」

「ジェンダーなどなんだのと言ってみたところで、人間は男らしさ女らしさからは逃げられないんだよ。現世では男女平等なんて叫んじゃいたが、あんなもんは愚の骨頂だ。男は出産できねえ。女はなんだかんだと男よりもてはやされる。平等なんて理想や夢だ。憧れるものであって目指して努力するもんじゃねえ」

「……」

「ごめんなさいね?うちの人、年下の女の子なんて滅多に合わないから……説教臭くなっちゃって」

 振り返って見ると華子が盆にコップを乗せて家の勝手口から出てきていた。

「冷たい麦茶はいかが?」

「おう、ありがとうな」

 犬井と池谷はコップを受け取って、一口のんだ。心地よい苦味。なんとなく犬井は、昔の小学生の頃の夏休みを思い出していた。

 夏休み。なぜ幼少期の夏休みは特別な思い出になるのだろう。なんとなく犬井は考えてみる。鮮明に思い出される、美しい記憶。未来への不安も、過去への確執もない。なんて良いものだったか、と考えてみる。

「はー、酒も悪くないがこういう時に飲む茶も悪くないな」

 犬井は池谷を見やった。中年の風体をしているが、その立ち振舞は不相応に子供っぽい。悪い意味ではなく、若々しさがある。

 若々しさの根源とはなにか、犬井は考えてみる。つまり新しいことにチャレンジする力、チャレンジを楽しむ力。面白いことを楽しむ活力。

 犬井はP99の弾倉をもう一つ召喚し、空の弾倉を捨て、代わりに差し込んだ。初弾を装填。

 若々しさ。人生を楽しむこと。思えば一日の終りを楽しみになったのはいつからか。一日があっという間に過ぎると感じ始めたのはいつからか。

 拳銃を照準する。木板の中心部。今までの人生に向けて、引き金を絞る。

 一発目。これは自分の人生への一発だ。いつの間にか一日中一日の終りを渇望するようになった、自分自身への銃撃だ。

 二発目。これはこれまでの自分への銃撃だ。人生なんてあっという間に過ぎると言う、人生を無味に生きた老人の言葉を鵜呑みにした自分に対する銃撃だ。

 三発目。これは異世界を渇望した自分への銃撃だ。現世に絶望し、異世界という絵空事に命運を託して無意味な事を労力を費やした、自分自身への銃撃だ。

 四発目。これは自殺した自分への銃撃だ。意味を探すこともせず、勝手に絶望して特別快速電車の迫る線路に飛び込んだ、自分への銃撃だ。

 五発目。これは――

「おい、大丈夫か?」

「へ?」

 無心で銃を撃つ犬井の肩を、池谷が揺り動かした。

「お前、どうしたんだ、さっきから呼びかけても反応しないし。めっちゃ怖い顔してたぞ」

 そうだったのか、自分は、そんな顔をしていたのか。

 自分は自分の死について考えていた。そんな顔を、していたのか。自分の人生すら捨てた自分が、そんな顔を出来たのか。

「池谷さん、俺、――私、――」

 今更、それを言ったところで何になるというのか、何が変わるというのか、それでも、犬井は今、言わなければ行けないような気がしていた。今それを言わなければ後悔するような気がしていた。

「俺、自殺したんです。電車に飛び込んで、そしたらこの世界に来ていて――」

 犬井の両目から涙が溢れた。くしゃくしゃの顔のまま続ける。

「こんな世界から逃げられると思ったのに……こんな異世界に来ていて……それで」

 犬井の長い髪を、池谷のゴツゴツした手がそっとなでた。子供をあやすような口調で、犬井に初めてあったような優しい顔で、犬井にこう告げた。

「そろそろ、お前も俺たちの元から去る時が来たのかもしれないな。お前さんはもっと広い――もっと遠い世界に行って知るべきことがある」

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