第8話

「……」

 検問で簡単な手続きを済ませ、記録装置を受け取った犬井は一度車に戻ってきていた。

 検問外は戦場だ。いつ敵に襲われるか分からない。武器は用意してから行きたい。

 『再形成』をしてから身体に合わなくなったSG556は車に置きっぱなしにして、代わりになる武器を適当に池谷から貰った『資料』から見繕っていた。掌から"リキッド"を産生して、武器を形成する。

 MP7A1PDW。特殊な弾薬を使用する短機関銃で、大きさがコンパクトな割に装弾数も多く、貫通力や殺傷能力も高い。湾曲した40発弾倉を銃把に叩き込みチャージングレバーを引く。有効射程は若干劣るが、市街戦ならばほとんど関係はない。

 資料に載っていた警察用のタクティカルベストも形成させて予備弾倉を詰め込んでおく。拳銃は前と同じHK45のまま。予備弾倉も忘れずに詰め込んでおく。




 池谷次郎は昨日使った『再形成反応炉』の整備を行っていた。

 なにせ一九区の寂れた町だ。客は少ないが、リピーターが多い。万が一にも失礼があってはいけないから、整備は慎重に念入りにする。客が少ないことは適当に仕事をする言い訳にはならない。

 それも『再形成反応炉』はお客の身体に触れ、新しい身体を作るものだ。これが整備不良があったり問題があったりすると『再形成』自体の完成度に関わってくる。一番気が抜けない作業だ。

「おとうさん、おとうさん」

「おう、はなちゃん、なんだい」

 華子と次郎はいわゆるオシドリ夫婦だ。他人がいないときはおとうさん、はなちゃんと呼び合う仲だ。

「あの新しくきた子帰ってこれるかねぇ」

「さあなあ」

 池谷次郎は少し考えてから言った。

「多分何度か殺されて一文無しで帰ってくるんじゃねえかなぁ」

「お布団とご飯は、やっぱり一人多めのほうがいいかねぇ」

「そうだなァ」

 次郎は整備に戻ろうとして、一瞬立ち止まった。

「そんなことより、今日の晩飯はなんだい?」




 三菱の古い四駆を吹かしながら、犬井は検問外に出た。スピードは出しすぎず、また襲撃されるほど遅くもない速度を維持する。

「……白鷺さんは車を使わなかったけど……どうしてだったんだろう」

 犬井はしばらく四駆を走らせた。

 車で二十分ほど走ったところで、開けた場所に着いた。霧が深い。犬井は車を一度減速させる。開けているということは何かあるかもしれないと考えたからだ。ドアを開きかける。

「!」

 犬井の視界の端に、閃光が映った。開きかけのドアをそのままにして反射的にハンドルを反対方向に切る。

 霧の奥から飛来したTOW――対戦車ミサイルはハンドルを切った三菱の古い四駆を追尾してまるで蛇のように曲がった。ちょうど横鼻に直撃した対戦車ミサイルはその火薬を炸裂させ車はめちゃくちゃに部品を撒き散らしながら回転した。

 犬井は開きかけのドアから放り出され、自分の車が一瞬にしてスクラップになった事を認識した。同時に、白鷺舞が車を使わず徒歩を選択したのかを理解した。

 幸いMP7A1は膝の上においてあったおかげで丸腰で放り出されたということではない。放り出されてあちこち痛む身体を引きずってなんとかその場を離れようとする。

 霧の奥から銃撃が飛んでくる。地面を舐めるような機銃掃射が、かろうじて引火を免れていた四駆に立て続けに命中した。金属を貫く耳障りな音とともに燃料タンクに穴を開け、爆発炎上する。

 霧の奥からでも銃撃が正確なのは、赤外線レーダーを使っているからだろうか、犬井は考えた。たやすく車の鉄板を貫いた火力からしても確実に火力は歩兵のそれではない。

「クソッ」

 犬井は逃走を選択した。そうするしかなかった。何の前準備もない一人の少女に、機関砲に対戦車ミサイルを持った霧の先の相手はどうしようもない。

 短機関銃を抱えて、走る。重苦しい銃声。犬井の周りに弾丸が跳ね回る。振り返っている余裕はない。ただ全力で走る。

 身体のあちこちを弾丸が掠め、血だらけになりながらもなんとか致命的な被弾は受けずに廃街の辺縁に戻ってきた。開けた広場の入口であり、おそらくはあのミサイルや機関砲の縄張りの外だ。

 物陰に飛び込んで、上がった息を整える。ここまで走りっぱなしで、完全に息が上がっていた。

「クソッなんなんだよ……」

 犬井は自分の女らしい高い声がそんな毒舌に似合わないと知っていてもそう言わずにはいられなかった。あの車には弾薬の他にも重要な物資を大量に詰め込んでいた。それを全部失った。あるのはベストに身に着けていた弾薬と、僅かな物資のみ。

 ここまで来るまで二、三十分。歩きだとどれくらいの時間がかかるのか――

 計算しようとしたところで、犬井の耳朶を物音が叩いた。浅い息遣い四本足の足音――

「四眼狼!」

 検問外では多い原生生物だ。脅威度はあのミサイルや機関砲の主に比べれば劣るが、単独行動で、なおかつほとんど初めての接敵である犬井には充分な脅威だった。

 短機関銃を構え直し、街路を見やる。飛び出してくればいつでも射殺してやる構えで、待ち構える。

 と、曲がり角から一匹の四眼狼が飛び出し、跳躍した。驚異的な運動能力で、それは着地点を犬井の上半身に定めていた。

 反射的に、引き金を引いていた。連続して吐き出された銃弾が、四眼狼の胸の部分に炸裂した。肉をえぐり、器官を損傷させながら銃弾は背中側に抜けていった。

 事切れた一匹を踏み越えるかのように、新手が三体飛び出してきた。犬井は連射した勢いで残った弾丸で街路を舐め尽くすように連射した。

 弾丸の風が、二匹を捉えた。"運良く"吐き出された1発の弾丸が四眼狼の頭蓋を捉えていた。脊髄反射で一瞬ビクンと震え、動かなくなった。余った弾丸を景気良く吐き出したMP7A1が次の一匹を蜂の巣にする。次々に命中した弾丸が重要な臓器を傷つけ、血の海を作りながら事切れていった。

 最後の一匹。犬井は弾の切れたMP7A1を捨て、拳銃を抜いた。HK45、装弾数は多くないから、きちんと狙わないとあっという間に弾切れになる。慎重に、しかし迅速に

犬井は照準を定め、引き金を絞った。

 一発目、胴体に命中、飛びかからんとした動きを一時的に止める。

 二発目、首に命中、おびただしい出血。

 三発目、頭蓋に命中。衝撃で脳梁を飛び出させながらひっくり返り、完全に絶命。

「……」

 終わったか、と空気が一瞬弛緩した。

 その瞬間だった。反対側の路地から、最後の四眼狼が飛び出した。

「――!」

 反応が間に合わない。飛びかかってくる四眼狼を犬井がやむなく左腕で受けた。

 鋭利な牙が少女の柔肌に食い込み、容赦なく出血させる。激痛、激痛、激痛。泣きたくなるほどの激痛を必死に堪えながら、右手の拳銃を噛み付いた四眼狼の顔面に押し付け、引き金を引く。

 四眼狼の頭が弾けた。昔の映画で頭を撃つことを「ポップ・ユア・ヘッド」なんて言っていたっけ――くだらないことを考えながら、腕に刺さった牙を抜く。

 MP7A1を拾い上げ、新しい弾倉と交換する。今回は前より随分楽だった。おそらく、背中側にあの広場があったお陰で四眼狼が回り込んでこなかったのだろう。敵が一方方向からしか来ないというのは対応しやすいという点で犬井に利があった。

 とりあえず、犬井は死んだ四眼狼に記録装置を押し付けて記録していった。ちゃんと報酬金がもらえるようにだ。

「さて……どうするかな」

 もうこの先に進んでも仕方がない。とりあえずは戻ろう――と思ったが今の犬井には足がない。車を作るにはそれなりの量のリキッドが必要になる。それを用意している間に襲われないだろうか、と考えると微妙なところだ。車に乗ってしまえば少なくとも廃街にいる間は攻撃を受けにくくなる。

「……」

 決めた。多少時間がかかっても車を作り、そして検問内に戻る。そうするのが一番だし、正直犬井はもううんざりしてきていた。4匹分の四眼狼の報酬がどんなものかは知らないが、帰りたい気持ちが先に立っていた。

 犬井はもう一丁、MP7A1をリキッドで精製するとそれを道端に置いた。もし四眼狼にまた襲撃された時に対応しやすいようにだ。車なんて大きなものを精製するには、かなりの量のリキッドが必要になる。それまでの護身用だ。

 ため息をついた。こんなことならはじめから歩きで移動していればこんなことにはならなかった。

 ぼやいても嘆いても、何を考え何を悔やんでも始まらない。犬井は掌に気力を集中させた。"リキッド"を産生するのが、現状を脱出する唯一の方法だ。それ以外のことは考えないことにする。

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