第7話
「すいません、昨日は泊まらせてもらってしまって……」
「なに、初めてなんてそんなものだ」
池谷に頭を下げる犬井も、だんだん新しい身体に慣れてきていた。筋肉の量はともかく、運動神経は今のほうが優れている気がした。池谷の言ったとおりではないが、新しい身体も高い声も、白鷺舞に近づいたようでいい気分だった。
「とりあえずお金を稼ぎにまた検問外に行こうと思っていて……」
「そうか。足は用意してあるのか?」
「いえ、歩いてです。ここまでも歩いてきたので」
「まさか、彷徨ってたっていうのは歩きだったのか?」
ポカンと犬井は口を開けた。
「あ、車を作ればよかったのか」
池谷夫妻は腹を抱えて笑った。犬井は赤面しながらうつむいた
「まあ、転生してすぐだからな、仕方ないさ」
そういうと池谷は裏の和室に行き、薄い冊子を持って戻ってきた。
「『資料』だよ。知らないものは作れないだろう?俺が昔使ってたやつだから少し古いが使えなくはないはずだ」
「すいません……何から何まで」
「いいんだよ、気にするな」
いいんだよ、気にするな。今まで自分はどれだけその言葉に甘えてきただろうか。今だけじゃない、生まれてきてからずっとそうだったかもしれない。
ここにいることはすべて甘えじゃないのか
自分が生きていて良いのか
厚顔無知がゆえに迷惑をかけてはいないか
無知は理由ではない、罰だ
いまこそ改めて死ぬべきではないのか
「どうした?顔が暗いぞ」
「いえ……なんでもありません」
犬井はそれだけ言うと逃げるように店から飛び出した。一刻も早くその場を離れたかった。一人になりたかった。
走った。
対して離れていないのに息が上がった。朝早い時間のお陰で人影は周囲には無い。
こんな大きな街で、自分だけが一人。
犬井は"リキッド"を生成した。きっと検問外で暴れれば楽になると、そう考えたからだ。
滴る黒い液体は、手首の古傷から流れているかのようにも見えた。
「白鷺さん、今回は本当にありがとうございました。貴方がいなかったら今回の試合は負けていたかもしれません」
「いいえ……」
『試合』は西方猟鳥の勝利に終わった。優勢な状況を維持したまま、危なげなく敵部隊を殲滅した。今は訓練用フィールドのすぐ外の準備エリアでリーダーが賞金受取の手続きなどを行っているのを待っている状態だった。
さっききからやたらと話しかけてくる目障りな男を舞はちらりと一瞥した。愛想笑いを顔に貼り付けた『西方猟鳥』の下っ端メンバーだ。今回の『試合』には参加していないから腕はそれほどではないのだろう。
「このあと何か用事はありますか?なかったら食事でもご一緒にいかがでしょうか」
断ったりするのも面倒だし一瞬、撃ち殺してやろうか、とも考えた。しかしまだ金も受け取っていないのに銃を抜くのはまずい。考え直し精一杯の愛想笑いを浮かべる。
「いいえ、この後は別の依頼があるので……」
「そうでしたか」
そう言うと男は急に興味をなくしたかのように小さく舌打ちして歩き去っていった。
誰が貴様の股間の世話などしてやるものか
舞は銃を抜きたい気持ちを堪えつつ男を一瞥した。
「あの……白鷺さん」
振り返るとさっきまで同じBチームでポイントマンを努めていた男が済まなそうな表情で頭を掻いていた。
「すいません、あいつ……後できつく言っておきますんで」
「構いませんよ。私が娼婦だと知って侮っているのでしょう」
「……」
「こういうことには慣れてますから、大丈夫です」
「すいません、本当に……今回の試合でもお世話になったのに……」
ちょうどその時、似鳥が今回の試合の賞金を持って戻ってきた。札束で分厚くなった封筒を片手に満面の笑みを浮かべて此方に歩いてきた。
歓声を上げて似鳥に駆け寄る西方猟鳥のメンバーをしばらく眺めていると賞金の分配が始まった。AチームBチームそれぞれのメンバーが列になり賞金を受け取っていく。舞は部外者ということもあってその列には並ばずに、メンバーが散った後に似鳥に話しかけた。
「おう、白鷺さんよ、おつかれさん。あんたの分の報酬だ」
「どうもありがとうございます」
「今回の依頼の分の報酬は明日にでも振り込んでおくよ、いつもの口座で良いんだろう?」
「はい、お願いします」
突然、舞の後ろで歓声が上がり似鳥との会話が遮られた。見ると数人のメンバーがビールの一気飲みを初めていた。
苦笑しながら似鳥はそれを見やった。
「見ての通りだ。今日はこれから祝勝会を始めるが……あんたも参加するか?」
「いえ、私は遠慮しておきます」
そうか、と言うが否や歓声が大きくなった。舞の腕時計が指している時刻は午後3時半、酒盛りを始めるには早すぎるが、死線を越えて興奮しきった男達には関係がないようだった。
舞はそんな興奮した男達の脇を通り抜けて、自分の車に戻った。愛用のフォード・フォーカスのドアを開けて中に乗り込む。もらった報酬金の入った封筒はダッシュボードの中にとりあえずしまっておく。
「……」
エンジンをかけようとして、一瞬躊躇った。一度車から出て、トランクからG36Cを取り出す。助手席の足元にそれをおいてから、ようやくエンジンを掛け、車を発進させた。
第八区から第九区に差し掛かる辺りから、舞はミラーを気にし始めていた。
――付けられている
大型のロシア製四駆、ラーダニーヴァが一台に、日産の四駆。舞のフォードを追い立てるように追尾してくる。
ふと、舞がミラー越しに睨んでいると、四駆の中の人影が動いた。
木製の銃床を装備したAK自動小銃。ぬっと車内から伸びたそれは確かに舞の車を狙っていた。
「!」
舞は慌ててハンドルを切った。アクセルを踏み込み、少しでも距離を離そうとする。2台の四駆はしつこく同様にハンドルを切り、舞のフォーカスを追い立てる。それでも車上の男が構えるAKの照準をずらすのには十分だったらしく、男が放った7.62ロシアン弾は地面を抉った。
「……」
どうするか、舞が一人で運転しているのに対して相手は二人以上が2台。単純に腕の数で劣っているし運転に集中しなければほとんど反撃はできない。
「……!」
やることはいつもと変わらない。舞はアクセルを一層深く踏み込んだ。
「……」
貰った『資料』で犬井が作れたのは旧モデルの三菱製の小型の四駆だった。若干時代遅れというかかっこ悪いような気がしないでもないが、歩きよりかは遥かにましになった。あちこちに車をぶつけながら、なんとか車の運転にも慣れてきた。
さっき見た看板ではもう二十八区まで来ているらしい。もうすぐで検問に差し掛かるはずだ。
ふと、そこでバックミラーを確認すると凄まじい速さで何かが迫っているのに気づいた。
反応したときにはもう遅かった。犬井の乗る四駆のわずか数センチギリギリでかすめるようにハッチバックが走り抜けていった。
「うわっ!」
慌ててハンドルを切り、車を端に寄せる。相当ギリギリだった。あと数センチも横にそれていたら事故っていただろう。おそらく時速百kmは出ていた。事故ったら死んでいたかもしれない。
「っ!」
犬井の止まった四駆をまたしてもかすめるように、2台の車が走り抜けていった。
「何だったんだ?」
そう犬井が言うが速いが、爆音が響き渡った。まるで金属の塊が衝突したような――銃声とは異なった轟音。
犬井は胸騒ぎがして車を走らせた。そう遠くはないはずだ。
その『現場』は本当に目と鼻の先だった。
2台の四駆が車両停止用のブロックに激突してひしゃげていた。炎上するそれはもうもとの車種も判別がつかない。炎上するそれらの十数メートル先に、犬井の車を追い抜いていったハッチバックが停まっていた。
ハッチバックのドアが開く。中から小柄な少女――白鷺舞が出てきた。
「あっ、舞さん!」
そう読んでみてから気づいた。今の自分はもう前の自分でないこと。話しかけたとしてもわかってはもらえないであろうこと。
舞はゆっくりと犬井の方を向いた。武器を持っていないことを確認して僅かに表情を緩ませたが、明らかに誰かはわかっていないような様子だった。
「どちらさま?」
「あ、えーと」
そう話しながらも舞は助手席においてあったG36Cカービンを取り出した。犬井の表情がこわばる。
「あ、これは大丈夫」
何が大丈夫なのか、と思っていると舞がカービンの銃口をひしゃげた車に向けた。ガソリンタンクに向けて、一連射。
火花がちり、かろうじて引火していなかったそこから爆炎が立ち上った。直視していた犬井の瞳孔が一瞬収縮する。
「ちゃんと殺しておかないと」
「……」
あっけにとられる犬井をおいて、舞は車に戻った。
「どこの誰かは知らないけど、こいつらが生き返る前に立ち去ったほうが良いよ」
それで言うと舞は車を発進させて何処かに言ってしまった。
残されたのは何が何だか分からない犬井のみ。
「……はあ」
なんだかどっと疲れた。結局なんだったのかわからないまま。
わからないことは仕方ない、と犬井はもう忘れることにした。きっと舞も犬井だと分かることはない。それよりも生活資金を稼がなければ犬井自身がやっていけない。他人のことまで気にかけてはいられない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます