第6話
「ぁー、」
誰かの声がした。少女の声だろうか。優しげな小鳥のような美しい声だった。
「お、起きたか。随分ねぼすけだったな」
池谷次郎、の声だ。記憶が曖昧になっている。頭が回っていないような気がする。身体が重い。無理やり起き上がろうとしたら池谷に止められた。
「体にまだ慣れてないだろう。楽に起き上がれるようになるまで寝ていたほうがいい」
「はぃ……」
ゆっくりと身体を戻した。短くなった手足。感触もなんだか変な感じだった。天井を眺めながら、もぞもぞと身体を動かしていく。
麻酔の後のような感触だった。綿のようだった身体に少しずつ感触が戻ってくる。さわったものが分かるようになり、ついで感触がちゃんと伝わってくるようになる。
慣れてくると、腕や脚が随分短くなったのが分かるようになった。腕を曲げて、自分で自分の腕を触ってみると驚くほど細い。首を少し動かしてみると脚もほっそりとした女の脚に変わっていた。
「ぁあー、あー」
やっぱり、さっきの声は自分の声だった。奇妙な感覚だ。自分が自分でなくなっていくような感覚。今までの自分を殺したような感覚。
「現世に居た頃からそういうことに興味があったのか?」
「……そういうことっていうのは?」
「性転換だよ」
池谷は待合用の椅子に座った。煙草を取り出して火を付ける。うまそうに煙を吸い込む。
「……いえ、全く」
少し考えてから、犬井が答える。自分にはバイセクシャルの気はなかったはずだ。性自認は男で女に恋するいわゆる多数派の男だった。
「そうか、その顔の女に何かあったのか?」
「なにか、というか……」
考える。自分は白鷺舞に恋をしていたのか?そんな深く関わる前に放り出されてしまったから、そんなはずはないだろう。ならなんなのかと考えても何だかすっきりしない。
「……よくわかりません」
「お前さんはその女に憧れてるのかもな」
「……」
憧れ。憧れとはなんだろう。恋しているということか。
「別に冷やかすわけじゃない。女に憧れるのは珍しいことじゃない。男に憧れるのは自分が劣ってるのを認めるのと同じだからな。妬みや僻みに置き換わることも多い。人間性とか、もっと深いところの憧れは女に抱くほうが案外抵抗が少ないときもある」
「……そうでしょうか」
よくわからない。そういうものだろうか。そんなことは考えたこともなかった。
「別にお前に当てはまらなくてもいいんだ。俺にとってそれが心理でもお前にとってはそれがゴミかもしれん。別に俺に合わせる必要はない。お前はお前のままでいい」
池谷はガラスの灰皿の縁に煙草を当てて灰を落とした。
「考える時間は無限にあるんだ。現世と違ってな」
芸術家には自分の世界があるという。例えば机の上の物の配置。そういうものが舞にあるとすればタクティカルベストの中身だろう。
真ん中から左半分は銃器の予備弾倉。真鍮の弾丸が詰まった、衝撃に強く軽量な合成樹脂の弾倉は体の前に銃を持ってきた時にリロードしやすいように。右半分には手榴弾やナイフ類に小物、応急処置セットなど。何かあったときは右手の方が対応しやすいから利き手に近いほうが使いやすい。
「舞さん、あんたには期待してるぞ。あんたが来てくれるなんて他のどんな助っ人よりも心強い」
「……大丈夫ですよ。期待は裏切りません」
似鳥真司。三二歳。傭兵集団『西方猟鳥』の幹部メンバーだ。決して飛び抜けてガタイが良いわけではないが、銃の扱いに慣れただけのそこらのちんぴらとは違う運動センスがある。ただの男を担ぎ上げるほど『西方猟鳥』も馬鹿ではない。
第八区。巨大な四角の訓練用フィールドの角に、『西方猟鳥』の傭兵が集まっていた。各々の銃を調節したり備品のチェックをしたりして『試合』前の確認を行っていた。
第八区の訓練用フィールドでは日常的に戦闘訓練と題した『試合』が行われる。参加できるのは二チーム。『試合』に出場できるのは腕の認められた人間のみ。『試合』の勝敗には賭博も行われ、賭博の参加料としてカンパされた膨大な金は、勝利チームに支払われる。
舞は腕の認められた数少ないフリーの傭兵だった。舞馴染みの傭兵集団である『西方猟鳥』の大部分が金稼ぎに検問外の遠征に出払っているために助っ人として呼ばれた。金が入る分は働く、舞にとってはシンプルな行動原理だ。
使い慣れたG36Kアサルトカービンを手に取る。照準用の光学サイトにはEOTech社製の1.5倍サイトを用意。弾倉を叩き込み、チャージングレバーを引く。強力なバネの力で真鍮色の弾丸が薬室に咥え込まれる。
装備はいつものとおりだった。G36Kアサルトカービンに、グロック19拳銃。戦闘用の刃が黒く塗られたナイフ。時限信管を備えた破片手榴弾二つに、大量の予備弾薬。
「いつでもいけますよ。お金をもらっている以上その分は働きます」
『試合』開始のブザーが鳴り響く。『西方猟鳥』に舞と加えた総勢14名のチームがフィールドの最北端から一斉に駆ける。
フィールドは犬井雄一と舞が戦ったのと同じフィールド。古ぼけたあばら家の並ぶ道を一斉に走る。
「打ち合わせ通りAチームは北側に抜けろ!Bチームは南側に、接敵次第無線連絡にて敵部隊を分断し各個撃破を狙え!」
14人のチームは二つに割れた。舞と似鳥はBチームで南を目指す。
走り出してから数分、似鳥の合図で舞たちはスピードより警戒を重視した移動に切り替える。銃を構え油断なく、しかし素早く移動していく。
最前列にいるポイントマンが拳を突き上げるような警戒を意味するハンドサインを示す。それに従い、壁に張り付くように前方を警戒した。
前方で銃声。弾丸の応酬。此方に死傷者怪我人はなし。
舞はカービンを銃床をガラスに叩きつけ割る。銃口で残った破片を除き、廃屋への進入路を確保する。単身、身を躍らせて廃屋の中に飛び込んだ。
飛び込んだところは古ぼけたボロ家の居間だった。銃声から判断するに敵も同規模の分隊だと分かる。戦力差は互角だろう。舞は一応警戒しながら二階に向かう。駆け上がり手頃な窓から外を見下ろす。
一瞬だけ片目で外を確認し、敵を視認。素早く照準を付け引き金を絞った。単連射で放った弾丸が強烈な螺旋運動と共に一人の男の顔面を抉った。赤黒い脳梁が噴水のように散る。
敵の叫び声。もう一人確認した舞はそちらに向けてフルオートの弾丸をばらまいた。5秒足らずで放たれた十数発の弾丸の内数発が迂闊に身体を覗かせていた敵の一人に命中した。胴体の防弾装備の隙間に当たった弾丸は重要な臓器を傷つけられゆっくりと血溜まりを作りながら死んでいった。
反撃の弾丸は舞に襲いかかった。舞は身を翻し、窓から離れる。そのまま階下に向かい仲間と合流する。
「二人殺した」
「こっちも一人やって、一人やられた。敵側が撤退した」
似鳥と状況を共有。話しながら弾倉を交換。まさかの襲撃に備えながらそれぞれが再武装を済ませる。
「このまま押しますか」
「いや、Aチームが押されてる。無線連絡を聞く限りではまだ間に合う。援護に向かう」
「了解」
そう言うのと同時に移動を開始する。廃墟の街を疾走する。
銃撃戦の音が近づく。血液が沸騰するような高揚感。銃声の轟音に震える。
前方を行く似鳥がさっと脇道にそれ身を隠した。それに続こうとすると弾丸が前方から飛んできた。汎用機関銃らしき高連射速度。スズメバチの飛翔音を激しくしたような風切り音と共に飛来した弾丸が舞の隣りにいた男の顔面に炸裂してスイカのように弾けた。
舞は運の悪い男を蹴飛ばしながら脇道に飛び込む。そのまま勢いを殺さずに疾駆し、大回りで敵の後方に回り込んでいく。
物陰から飛び出しながら1.5倍サイトで照準をつける。仲間に向けて銃撃する男に向けて短い連射。命中はしなかったもの身体を引っ込め、その隙に肉薄した仲間が手榴弾を敵が身を潜める家屋に投げ込んだ。Bチームの援護を受け、Aチームの残りが敵が潜む廃屋になだれ込む。
敵の掃討にそれほどの時間はかからなかった。敵全体の半数に当たる7名の分隊を壊滅させた。
「私は始めの接敵で二人倒しただけ」
「最初の接敵で1名殺害、A分隊は3名死亡、だが敵の半分の7名を殺害した。Bチームは損害なし」
短い状況確認、10対7。今のところ有利に進んでいる。これ以降はAチームの残存戦力がBチームと合流する。以後AチームがBチームより前に展開し触覚となる。まとめて殺されないようにAチームも散開し、敵の残り一分隊を文字通り「狩る」。
『西方猟鳥』に負ける理由などなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます