第4話

射殺した原生生物の分の謝礼を受け取った後、舞と犬井は検問所に停めたフォード・フォーカスに戻ると、G36Cをトランクに仕舞った。

「この後は、どうするんですか?」

「好きにすればいい」

 舞は突き放すように言った。

「もう講習は終わっているから、好きにすればいい。ここは三〇区だから無いけれど、二区、三区あたりの歓楽街に行けばいくらでも金の使いみちはある。そこらの空き家を勝手に使えば住処には困らない」

「はあ……」

「異世界と聞いてちやほやされると思っていた?」

 心の内を見透かされたようで犬井はギクリとした。

 若干の居心地の悪さを覚えつつも答える。

「ええ……まあ」

「この世界でまともな知性を持って活動しているのは転生者だけ。そんなことは期待しない方がいい」

「そうなんですか」

 犬井はがっかりした様子でうなだれた。

「転生者には死も寿命もないからね。楽しむ方法はいくらでもある。金をさえあれば歓楽街で女を買って、セックス三昧するのもいい。ギャンブルにしけ込むのもいい。コロッセオで腕試しも良い。散歩代わりに検問外をうろつくのもいい。この世界は楽しんでも楽しみきれないほどの娯楽は揃ってる」

「それは……そうですけど」

 頭を掻きながら犬井は不安げな眼を向けた。

 舞は無視して車のドアを開けた。別に命にかかわるようなことではないし、必要な情報は全て持っているはずだ。もう放置しても罰は当たるまい。

「あ、あの!」

「何?」

「俺の……俺の実力とか、リキッド産生能力とか、客観的に見てやっていけるんでしょうか?」

 初対面のときとは比べ物にならないような気弱な発言だ。やはり犬井も流石に不安なのだろうか。これからは異世界に放り出され、一人でやっていくのだ。

「……リキッド産生も170ml前後あれば十分。今日の動きを見ても悪くはない動きをしてるから、気にしなくていい」

 舞はそれだけ言うと、車に乗り込んだ。犬井はもう大丈夫だろう。筋は悪くない。きっと彼ならなんとかするだろう。




「……ほんとにいっちまった」

 犬井はため息を付いた。

 念願の異世界転生だった。願ったり叶ったりで、ここから自分の人生が変わると思っていた。

 それなのに、現実は非情だった。女ごときに負けた。完敗だった。そういえばあの蛇澤とか言う男にも騙されていた。模擬戦だから、訓練弾だからというのも嘘だった。舞に殺されて原生生物とか言うナタを持ったおっさんを殺して――

 色々なことがありすぎて、頭が痛くなってくる。眉間のシワをほぐしつつ、犬井はとりあえず舞が言ったとおり中心街を目指すことにした。

 夕暮れに沈みゆく街を、一人とぼとぼと歩く。白鷺さん綺麗だったな、とひとりごちる。性格はともかく、顔は良かった。体つきはやや幼いが、むしろ子供らしくて愛嬌があるといえるだろう。

「……」

 そこまで考えて、犬井は自分自身が虚しくなった。念願の異世界で、俺は何をしてるんだろう。

 念願だったのは異世界ハーレムだ。可愛い女の子を侍らせて、圧倒的な力で異世界で覇権を握って、存在感を示すのだ。国すら顎で使って、ありのような兵隊を魔法で薙ぎ払って――

 現実の自分は?

 自分には特筆すべき能力もない。

 頭もさしていいわけではない。

 変わった運命を手繰り寄せる運もない。

 自分に自信など無い。

「……死ねっ、クソが」

 犬井は思わず口汚く罵った。自分自身に対してだ。それは転生して調子に乗っていて舞から手痛いしっぺ返しを食らった自分の迂闊さに対してでもあり、また彼の愛読する小説であったようにちやほやされない異世界転生者に対する劣等感でもあった。

 ふと、犬井の視界の隅に自販機が映った。異世界にも自販機があるのか、と思いつつ近づいてよく見ると、五〇〇mlのロング缶の缶チューハイが売られていた。

「……」

 よく考えれば、この世界には法律など無いと言っていた。犬井はさっき受け取った報酬金を自販機に投入し、ボタンを押した。

 がたん、とまるで現世の普通の自販機のように、商品を吐き出した。犬井はそれを取り出すとプルトップを開け呷った。

 アルコールが鼻に付いた。思えば酒を呑むのはこれが始めてだった。

 犬井はふと空を見上げた。星々が輝き、半月が薄く辺りを照らしている。もう今日中心街を目指すのは難しいだろう。

 犬井は缶チューハイを片手に、手頃な空き家を探した。人も住まない辺縁の区なら、殆どは空き地と廃屋だ。廃屋と言っても異世界に元から生成されているらしいものだから、破損していたりはしない。ただ誰も住んでいないだけだ。

 犬井は腰のホルスターからHK45拳銃を抜いた。万が一、先客がいた時の事を考えると、丸腰はまずい。

 手頃な廃屋に目星をつけ、裏口に回る。なんとなく悪いことをしている気分になる。酒をもう一口呑み、ドアに鍵がかかっているのを確認する。

 拳銃を照準する。ドアノブに向けて四発立て続けに連射する。缶チューハイを一口呑む。

 犬井は酔っていた。体質的に弱かった酒にでもあり、また自分自身に対してでもあった。缶に口をつけながら、犬井は廃屋に踏み込んだ。

 やはり誰もいなかった。犬井はなんとなく物足りず、HK45の残弾をばらまいた。

 轟音が篭り、耳朶を不快に揺らす。銃声が脳内で反響する。今の犬井にはそれすらアルコールの快感の一部に呑まれていた。

「ぁぁあああ……」

 犬井は大きなあくびをしながらHK45の弾倉を抜き、地面に捨てた。新しいものを取り出して、代わりに差し込む。もう一回撃ちまくろうとして、やめた。頭をまだ銃声がガンガン反響していたからだ。

 思い直して缶に口をつける。もう残り少ない中身を、一気に飲み干す。

 急に怠くなってきて、犬井はごろりと横になった。硬い冷たい床が、酒で火照った身体には逆に心地よい。

 犬井は眼を閉じた。よく考えれば、死んでも関係ないならもう恐れることはないではないか。寝込みを襲われる心配もない。

 ゆっくりと、犬井は眠りにおちていった・




「待った?」

「いいえ、ちっとも」

 業務用のスマイル。舞は露出度の高いミニ丈のワンピースでその身体を包んでいた。黒いサテン生地からのぞく舞の細い肩、腿は辺りの注目を集めていた。

 ストリート第三区。高級路線を打ち出した飲食店などで綺羅びやかに飾られた街路で、舞は客と待ち合わせていた。

「行きましょうか。場所は?」

「いい店を知ってる。静かで、出すモノも悪くないんだ。案内するよ」

 舞は歩きながら今回の客を観察した。身体が醜い男は服の上からでもよく分かる。この男はそれなりに鍛えていることが分かる。舞は、それこそ金さえ積めばどんな客の相手もするが、今回の客はマシな方だ。全体的に清潔感があり、立ち振舞も言葉遣いも悪くない。

 舞と客の男が連れられて入ったのは、小奇麗なバーだった。客は二人の他に男が三人にカップルが二組、老練のバーテンがカウンターに立っている。

 男と舞はカウンター席に座り、男は慣れた様子でバーテンを呼んだ。

「バーボンをストレートで、こちらの女性には――」

 男がそこまで言うと舞に向き直った。

 舞はにこりと微笑んで答える。

「ジントニックをいただけますか?」

「かしこまりました」

 バーテンは口だけで薄く笑い手際よく二人分の酒を用意した。

 琥珀色の液体が注がれたロックグラスと、ジントニックの入ったカクテルグラスを軽くぶつけ合わせる

「乾杯」

「乾杯」

 客の前だ。舞はあくまで優雅に、ジントニックを一口呑み口を湿らせた。

 娼婦業は愛想と気遣いが命だ。そうしなければあっという間に「たちんぼ」のような有象無象の阿婆擦れと同じ立場に堕ちる。

 そうなれば身体を二束三文で売りさばくことになる。無論この世界ではそういう人間も少なくないし、そう言う人間のほうが多数派ではあるが、単純に収入は全く違う。

 馴れ馴れしくならないようにフレンドリーに、尻軽と思われないように股を開くのが、舞のような高級娼婦の生き抜く術だ。

 雰囲気を作るために何気ない話をしていると、舞と男が来る前、店にいた男が立ち上がった。白髭を生やした老人だが背筋は伸び、堂々と下立ち振舞だった。

 老人は銀色のアタッシュケースを座っていたテーブル席の椅子の下に置き去りにしていた。まるで気づかないふりをしているように、そのまま会計を済ませ立ち去った。

「ごめんなさい、ちょっとお手洗いに……」

 舞はバーテンにトイレの場所を聞き、席を立った。

「まさかね」

 舞がトイレの中に入った。一番奥の個室に入り、ドアの鍵を閉める。

 その瞬間だった。

 置き去りにされたアタッシュケースに詰め込まれたトリメチレントリニトロアミン――軍用の高性能プラスチック爆弾が炸裂した。

 アタッシュケースのアルミ筐体は粉々に爆砕され、爆熱爆風を伴いバーにいた人間に襲いかかった。

 舞が相手をする予定だった男は爆熱を全身に浴び、一瞬で小奇麗なスーツは灰になり、皮膚は焼けただれ、べろりと向けた。表面のみならず全身の筋肉、内臓に至るまで焼かれ、男は苦痛を味わう暇もなく絶命した。

 衝撃はバーだけでなく、トイレにいた舞にまで襲いかかった。ドアを破った衝撃波は陶器の便座や壁に貼られたタイルを割り、凶器となった破片が飛び散った。

 舞は反射的に頭を抱えるような姿勢になり、頭と重要な臓器を守る姿勢になった。砂煙と目に見えない速度で飛んでくる塵と破片。衝撃が収まるまで必死に堪える。

「……」

 収まったのを確認して舞は立ち上がった。歪んで開かなくなった個室のドアを力任せに蹴り開けると、無残に破壊されたトイレの内装が目に飛び込んでくる。個室に入っていたおかげで破片の大部分はパーティションに阻まれていたようだ。

 もう商売どころではない。破片を踏んで怪我をしないように舞は「仕事用」のパンプスを脱ぎ、ミリタリーブーツを"リキッド"で精製、履き替える。

 陶器の破片を踏み割りながら、バーに戻った。

「これはまた……面倒なことになりそうね」

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