2話 ゴトフリートと和食
「このスープを作れるほどの料理人、話題にならないほうがおかしい。あなたの経歴について教えていただくことはできるかな?」
ゴトフリートに尋ねられ、橙也はドラコの方を見た。
果たして話していい問題なのか。
ドラコは小さく頷く。
「別に隠さなくてもいいぞ。ただ、素直に言えば怪しまれるとは思うからうまくやれよ。異世界から来るなんて普通あることじゃないからな」
ドラコの答えを受けて、橙也はゴトフリートに向き直る。
「その……ニホン、という遠いところから」
「ニホン……?」
流石に異世界、というのもはばかられたので、橙也はそう答えた。
当然のことながら首を傾げるゴトフリートだが、嘘をつくよりはいいだろう。
「聞いたことのない地名だが……何か訳ありか?」
小さくそうつぶやいたゴトフリートは、橙也の全身を眺める。悪い人間という感じはしない。むしろ、悪い人間に騙されそうな感じだ。
「トーヤはどうしてこの街に?」
どうして、と問われると困ってしまう。ドラコに言われるままこちらの世界へ来ただけだから。
困った様子の橙也を見て、桃香がフォローに入る。
「旅をしていたんです! 色んな所を巡って、料理の修行を」
「なるほど。料理のために旅をしていたのか」
ゴトフリートは真面目な顔で考え込む。
「私もずっと料理をしてきたが、それはこの国の中でのこと。広い世界の中には知らない知識や技術もたくさんあるのだろう。それを求めてということか……」
「は、はい」
燈也が返事をするとゴトフリートは納得したように大きく頷いた。
「旅関連の話が出たら、こっそりフォローしてね」
「まあオレ様は旅に慣れてるからな」
桃香はドラコにこっそりとそう話しかけていたが、注意のそれているゴトフリート達は気付かないのだった。
「もしよければ、儂の目の前で料理をしてもらえないか? このスープとは別の料理を見てみたい。それに、トーヤの技術を学んでみたいのだ」
「学ぶだなんてそんな」
自分よりも年上の、歴戦の料理人に言われて、橙也は恐縮してしまう。
しかしゴトフリートの目は真剣そのもので、料理に対する熱意を伺わせた。
隠すつもりもないし、そういうことなら、と橙也は頷く。
「わかりました。では厨房に向かいましょう」
§
厨房に入った橙也は、続けて入ってきたゴトフリートに振り返る。一つ、確認しておきたいことがあったのだ。
「せっかくなので、少しお時間を頂いてもいいですか?」
「ああ。目の前にお客がいるわけじゃないし、焦る必要はない。時間も材料も、好きに使ってほしい」
「ありがとうございます」
お礼をいうと、橙也は改めて食材を見ていく。
健康食堂には、本当にいろいろな食材が揃っていた。
一つ一つの量自体はそう多くはないが、種類が豊富。
きっと、研究に余念がないのだろう。橙也はそう思った。
様々な魚や、肉も部位が豊富。野菜類も多く揃っている。
それどころか、醤油や玄米まであるのだ。
流通が優れているとは聞いていたが、ここまでとは。
流石に化学調味料などはないものの、それ以外の食材は現代と遜色ないほどに揃っている。
トラックや飛行機での輸送が出来ないだろうことを考えれば、本当にすごいことだ。
(かなり不自由なく料理できそうなのはいいことだな)
異世界らしい奇妙な食材というのにも興味はあるが、やはりちゃんとした料理が作れることが一番だ。
そう考えながら、改めて食材を見回す。ベースは街並み同様洋食なのだろうが、これだけあれば他のものも作れるだろう。
(ゴトフリートさんも、新しいものを学びたい、と言ってたし)
折角だから、和食にしよう。和食は健康食として注目される事が多い、というのもあるが、ゴトフリートにインパクトを与える目的もある。それに橙也は日本人だ。自分をアピールするのには、やはり和食がいいだろう。
そう決めて、調理に取り掛かる。まずは主食。
玄米は精製された白米よりも、ビタミン、ミネラルなどを多く含んでいる。
この世界では、体にいいからといって無理に玄米だけに挑戦して、食感などが合わずに諦めていそうだ。
もちろん栄養価だけ見れば、同じ量の玄米を食べた方が優れている。だけど、食は継続していかないといけないので、自分が続けられるバランスというのも大切なのだ。
橙也はまず玄米を研ぎ、水に浸しておく。
続いて別の容器で白米を研ぎ、これも水に浸した。鍋炊きになるので、炊飯器のときよりは多めの水を入れた。
「二種類炊くのか?」
後ろで見ていたゴトフリートが尋ねる。
「はい。単純に栄養素だけで見れば、玄米だけで食べたほうがいいのですが、なれないと食べにくいですからね。こうして白米と一緒にすることで食べやすくしてるんです」
「……なるほど。別々の鍋で炊くのは?」
「玄米のほうがやっぱり硬いので、水の量、浸す時間などを調節して、一緒に食べた時の違和感を減らすんです」
「おお! そういうことか。手間はかかるが、そうすると食べやすくなるな」
「食感にアクセントが付くので好みにはなりますが、苦手って人も多いですからね」
白米に混ぜて炊くだけの雑穀米は含まれる穀物にもよるが、白米だけのものと比べてミネラルやビタミン、食物繊維などを多く含んでいる。
しかし一緒に炊く都合上、どうしても食感にはばらつきが出てしまい、それぞれの味もでてくるので白ごはんとは完全に別物になってしまう。
好きな人ならいいのだが、そのクセが苦手だという人も多い。
しかし玄米と白米をそれぞれの硬さにあわせて分け炊けば、その違和感をかなり抑えることができるのだ。
炊飯器のように内側にメモリはついていないので、水は計量カップで測って入れる。
昔は手や指の関節をメモリ代わりに水位を計ったりしたらしいが、その方法では毎回同じ水量を保つのは難しいだろう。
しかし同時に、米の状態やその日の状況によって炊飯に必要な水分量は変わるから、ある意味臨機応変に対応ができるとも言える。
事実、橙也は計量カップを使用しつつも、必要があれば水量を調節している。
だが、橙也は少しだけ感動していた。この計量カップが当たり前のように調理場にあることが、すごいと思ったからだ。日本で計量カップと軽量スプーンが登場したのは昭和二三年と言われている。
それでも、そこから実際普及するまで結構時間がかかったというのだ。なぜならそんなものがなくても、皆これまで、毎日料理を作ってきたからだ。必要性を感じないものにはシビアな意見が出るのも納得できる。これらの計量器具を日本で考え広めたのは、栄養学の発達に大きく貢献をした方だった。
つまり、栄養学的観点を踏まえ考案されたものということ。それがここに置いてあるということは、栄養学について、それだけこの店の人間が重視しているということだと感じた。もしかしたら、単純に作業効率がいいから使っているだけかもしれないが。
水を計るだけで色々考えながらも、作業は進めていく。
米を水に浸している間に、他の料理を下ごしらえだ。
まずはごぼうの皮を剥き、乱切りにする。今回は日常的な健康食なので、食感を感じられる大きさだ。
切ったごぼうは水に晒す。
「それは? 先程すでに洗っていたが……」
「これはアク抜きのためなんです。こうすることでエグみが抜けて食べやすくなるんですよ。ただ、あまり長くつけておくと、今度は旨味まで逃げてしまうので気をつけないといけないんですが」
「アク抜きか」
ゴトフリートは興味深そうにごぼうを見ている。
煮込みの時しかり、アクは取りすぎても栄養を減じてしまうことがあるので、これまでアク抜きなどは行っていなかったのかもしれない。
次にこんにゃくは味がしみやすいように、手でちぎっていく。包丁を使ったほうが見栄えはいいだろうが、こういう手作り感のある温かさが好きだった。
料亭ではなく、食堂だからこそ出せる家庭感だと思う。
こちらもアク抜きのため下茹でを行う。
「このこんにゃくも、アクを抜くのか?」
「はい。こんにゃく固める時に使うものがエグみを感じさせるので。特に肉と料理するときは注意が必要なんです。肉を硬くしてしまうおそれがあるので」
元の世界の知識があるせいでそう思うのかもしれないが、こんにゃくはここではあまりメジャーな食材では無さそうな印象がある。
だから食材に見つけたときは正直驚いたし、これも食べ方をわかっていない可能性が高そうだと考えて敢えて選んだのだ。実力を示すには頭を働かせる必要もある。
こんにゃくとごぼうをそれぞれを引き上げ一度置き、大根、にんじんも皮を剥いて切っていく。こちらの野菜は主張が強いので、普段より少し小さめだ。
そこで一度場所を変え、豚肉を食べやすい大きさに切る。
肉を切ったまな板、包丁や手を洗い、しっかりと水気を取ってから次の作業へ。
一人テキパキと動く橙也の背中を、ゴトフリートが感心したように見守っていた。
次は水に浸してあった白米と玄米をそれぞれ火にかける。浸水にそこまで時間をかけられなかったから、初めの火加減を調整する。
白米と玄米では炊く時間なども微妙に違うので、注意が必要だ。
玄米の方から順に火を入れると、橙也は再び豚汁の方へと戻る。
まずは鍋に油を引き、豚肉を炒め始めた。
色が変わり始めたら大根やにんじん、ごぼうとこんにゃくを加えて炒め、油をなじませていく。
それができたら水と出汁、味噌の一部を加えて煮るのだ。
「味噌は分けていれるのか」
「はい。後に入れた味噌の風味が活きてくるんです」
同時に隣の鍋でお浸し用のほうれん草を茹で始める。
こうして手際よく並行して多くの工程を行えるのは、橙也自身のスキルももちろんあるが、この厨房がそれに必要なだけの設備をちゃんと備えていたからだ。
沸いている米二つの鍋は、少し火力を落としてそのまま加熱。
豚汁のほうは灰汁を取り除きながら煮込み続けていく。
作業を並行させながら、テキパキと調理を続けていった。
「なるほど……リィナが見とれるだけの事はあるな」
邪魔にならないよう後ろに下がっていたゴットフリートが呟いた。
彼の目から見ても、橙也の手際はとてもいい。忙しい中で調理をしていたのだろう。知識量だけでなく、経験に裏打ちされたその動きに感心した。
その間に橙也は茹であがったほうれん草を水に取り冷まし、水気を絞って切っていく。
そしてしょうゆ、だし汁を半分ほど入れ、混ぜ合わせた。
豚汁に残りの味噌を溶かして加えると火を止める。
最後は焼き魚だ。
西洋料理でも定番となっている鮭を、そのままグリルで焼いていく。
白米の火を止め蒸らしに入りつつ、火加減に注意しながら鮭を焼く。
少し時間をおいて玄米の方も火を止めて蒸らしへ。水に浸す時間や炊き上げる時間を変えることにより、混ぜた時に違和感の少ない食感へと仕上がっているはずだ。
鮭をひっくり返し、焼き上がりが近づいたところで豚汁を軽く温め直し、鮭が焼ければ完成だ。
蒸らしてあった白米と玄米を二対一くらいで食べやすいように混ぜ、盛り付け。
豚汁にはネギを散らし、おひたしは残りの醤油とだし汁をかける。
玄米と白米の混ざったご飯に焼き魚、豚汁、ほうれん草のおひたし、という和食メニューの完成だ。
調理を終えた橙也はゴトフリートに合図し、そのまま食堂へ戻っていった。
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